なんて答えたら良いのだろう。
ヴィクトリアは黙り込み、レナードは部屋の壁際で待機している。正面のヴィンセントは僕と机に置かれた天秤を交互に見ている。
口を開きかけたが、その前に声が飛んできた。
「異世界から転生した者という意味だ。返事は『はい』か『いいえ』だ」
静かな声音に部屋の温度が一段下がった気がした。
転生者かどうか? そんなものは僕が知りたい。
確かに頭の中に現代日本の知識はある。だが日本人として過ごした記憶はない。アルビーに聞いても答えは得られなかった。
「いいえ」
天秤の針がわずかに揺れた。
「では、別の世界から肉体ごと転移してきた転移者か?」
「……いいえ」
ヴィンセントの視線は僕と天秤の魔道具にそれぞれ向けられる。
天秤はかすかに軋んだ。それを見たヴィンセントが小さく吐息を漏らした。
「……そうか。妙なことを聞いた。申し訳ない」
転生者も転移者も今の王国にはいないが、海外には少しくらいはいた筈だ。
欠片も申し訳ないと思ってなさそうな口ぶりの彼は続けて、
「失礼ついでにもう一つ聞きたい。学園にテロリストが襲撃してきた際、空から現れた君は真っ先に娘を守ったそうだが、……何が目的なのかな?」
随分と直球に聞いてくる人だった。
魔道具の効力を考えれば下手に回りくどい方法を使わなくても良いと思ったのか、あるいは他の思惑でもあるのだろうか。
「僕は、お嬢様の破滅の運命を回避したくて、今ここにいます」
そう言うと、ヴィクトリアは軽く顔を背けるだけで反発しなかった。
彼女の反応を見たヴィンセントは静かに目を細める。
「運命の回避。そんな言葉で人が信じると思うか。胡散臭いと思わないかね?」
「少なくとも、僕は今、誠実な対応をしているつもりです。胡散臭いと、言葉が足りないというなら行動で示していきます。それで分かって頂けるかと」
魔道具は傾いてはいない。つまり嘘ではないと判断している。
……ただ間違っていても自分自身が心から正しいと思い込んでいる場合は魔道具の効果は無いが、僕の言葉が妄言でしかない、といった主張まではしてこなかった。
「いいだろう。君の滞在を許可する」
よく分からないが、家主に許可を貰えた。
これで大手を振って、ブラッドベリー家所属の使い魔だと宣言できそうだ。
「さて、王都で活躍中の君に仕事の話がある。しばらく私の領地で働く気はないか? 冒険者としてのランク上げに執心しているなら、冒険組合を経由しての依頼を出してもいい」
公爵家に指名依頼を出されるくらいには、僕の知名度は上がったらしい。
やっていたことなど、盗賊や危険な大物モンスターを狩り、金稼ぎと治安向上に貢献したに過ぎないが、こうして誰かに評価されるのは満更でもない。
「お父様、エレノアはわたくしの使い魔ですわ。引き抜きなんて、わたくしが赦さないわよ」
どこか不機嫌そうに告げる彼女に、ヴィンセントが口角をわずかに上げた。
「学園が再開するまでの期間で構わない。使い魔は授業でも使うだろうからね」
「なら、いいわ」
あっさりと引き下がった。……いや、僕の意見は?
少し釈然としない気持ちだったが依頼自体は大したことなかった。
「領内で増えつつある賊とモンスター駆除を依頼したい。それと宅配も。君の飛行は飛竜よりも速いらしいじゃないか。領内にある組合経由で依頼を出す。詳細はレナードに聞いてくれ」
「……分かりました」
触手の宅急便。何故だかそんな言葉が頭を過ぎった。
どうやら話は終わりらしい。ヴィンセントは視線を娘に向けて話を始めた。
どうやら、第二王子カリウスとの婚約破棄が正式に行われたらしい。随分と時間が掛かったと思うが王族を相手にすると、色々と面倒なのだろう。
『違うわ。学生の婚約よりも、被害の大きいテロへの対応に時間を割いていただけよ』
ヴィクトリアの情報伝達魔法だ。
父ヴィンセントと話をしながら行うとは随分と器用だ。
『いつもそうよ。お父様は、わたくしよりも仕事の方が大事なのよ』
表向きは普通に父親と話をしながら、僕に愚痴をぶつけてくる令嬢。
実の娘としては仕事で構ってくれない父親など嫌いだろう。ただ、僕は一歩引いた他人であるのと、アルビー製『理想郷を求めて』をプレイしたから分かる。
父ヴィンセントは娘ヴィクトリアを愛している、と思う。
それはヴィクトリアが悪役令嬢となった時、家の権力や財産の全てを使って彼女を助け、最後は娘を庇って処刑された──そんな末路からも察することはできるだろう。
『あなたのお父さんはちゃんとヴィクトリアのことを考えてるよ』
『は? 知った風な口をきかないでくれる?』
『……すみません』
顔ごと逸らされると、少しモヤモヤする。
そうしてヴィクトリアとヴィンセントの話を耳で流していると、一通りのことを話し終えた時だった。
「……何か言いたそうだね」
ふと、ヴィンセントが僕に目を向けて話を振ってきた。
そういえばと思い出す。伝えなくてはいけない話、いや呪文があったのだ。
「では、僕から一つ」
僕は博士に授けられた呪文を口にした。
「アルバート・ブラッドベリーからモルガナスの息子へよろしく、と」
「──ほう」
空気が変わった。ヴィンセントの瞳が冷たくなるのを感じた。
だが睨まれたところで僕も呪文の詳細はよく分かっていない。丸暗記だ。
アルバートって誰だよ。モルガナスとは。……いや、アルビーを信じよう。
確か、こう言うと相手から続きの呪文が来るはずだ。
「……息子は庭で遊んでいるが何か問題でも?」
よし、きた。本当にきたぞ、アルビー。
少しの沈黙の後に返事をしたヴィンセントに僕は最後の呪文を口にする。
「完熟ベリーから芽が出ていると」
大丈夫か。ちゃんと伝わっているのか?
静寂。内心ドキドキの数秒間だった。
ヴィンセントは僅かに険しい顔をしていたが、小さく頷いた。
「……君はもしやアルバート叔父の孫娘かその血縁か?」
「……?」
誰かと勘違いしているらしい。だが、そんなことはどうでもいい。
「違います。ただ、心当たりがあるならご対応お願いします。彼女の未来の為に」
ひとまず、アルビーからの指示は果たした。これで裏帳簿対策はしてくれるだろう。
◇
執務室を出て、少しすると尻を叩かれた。
こんなセクハラをしてくる相手など、ヴィクトリアしかいない。やり返そうと思って腕を振りかぶるも、主人への暴力は禁じられている為、紋章を通じて全身が痛む。
「……さっきのは何よ」
「呪文」
「は?」
「それより、アルバートとモルガナスって誰? 知ってますか?」
「……あとで説明しなさいよ。来なさい」
僕の太腿を叩いて、半眼を見せた彼女が先導する。
……この暴君の尻を叩き返す日はくるのだろうか。いや、力を入れずに撫でるか揉む程度なら紋章も許可を出してくれるかもしれない。
今度試してみよう。
そんなことを思いながら彼女の尻を追いかけて、階段を上り、廊下を通り、絵画の並ぶ回廊に到着する。
その中でも二人の凛々しい青年が並んだ絵画をヴィクトリアは指差した。
「あれがアルバート伯祖父様と、前当主のモルガナスお爺様よ。もう死んだけど」
「……死んでるんですか」
「ええ。わたくしが小さい頃にね。それより話して貰おうじゃない」
「分かりました」
夢アルビーから受けた内容を口にしながら、絵画を見続ける。
イケメンで金髪の青年たちが爽やかな笑みを見せていた。
恐らくヴィクトリアの髪の色は、彼らからの遺伝なのだろうと思った。
◇
白磁のティーカップの中身はレナードが注いだ紅茶だ。かぐわしい香りが鼻腔をくすぐり、ヴィンセントは静かに口にした。
「先ほど、エレノア様がおっしゃったのは……」
「アレは我が家の当主にのみ伝えられる符丁だ。内容は裏帳簿に内部からの裏切り……。ネズミは駆除したが、虫が巣くっているという指摘だ。つくづく舐められたものだよ」
何故、それをエレノアが知っているのかは不明だ。
外国のエージェントの可能性もあるが、それはヴィンセントの勘が否定した。あれは恐らく腹芸の得意な部類ではない。そんな予感があった。
「我が家のベリーがよほど美味なのでしょう」
「この紅茶のようにか。……潰したら、次の使用人たちは領内の平民から募集しろ。貴族はもういい。能力だけではなく人柄も見て欲しい」
「畏まりました」
ベリーティー。紫色の紅茶は妻であるジュリアナやヴィクトリアの瞳を思わせる。
レナードが淹れてくれる茶は、ヴィンセントが子供の頃から好きだった。
「お前から貰った報告書は見たが……改めて、あのお嬢さんについてどう思う?」
「素性不明。年齢不詳。他大陸で彼女のような亜人は存在しません。この屋敷に来てからの生活態度に問題無し。お嬢様との関係も……多少の口喧嘩はありますが良好かと」
「先ほどの礼はヴィクトリアが教えた物かな? そっくりじゃないか」
「ええ、しっかりと教えておられました。それはもう楽し気に」
「ジュリアナの血だな」
レナードは静かに言葉を続ける。
「それと、偏りつつも教育を受けた形跡はありそうだと専属侍女のセシリアから意見を頂いてます」
「ふむ。闇属性魔法や幻影の類で無ければ、本物の触手を生やす強大な生物などイシュナーガ・オムニティスか、魔王ぐらいしかいないはずだ」
「伝説上のモンスターですか。僭越ながら、仮にそうであったとしても、今は問題ないかと。剣を通して確信しました。エレノア様はヴィクトリア様の味方です」
レナードとエレノアの散歩の件はヴィンセントも聞いている。
そろそろ歳なのだからと静止したいが、おかげでヴィクトリアの護衛としての役割が十分に果たせることが判明したのは僥倖だった。
「……なら、私たちの味方であるかも確認して欲しい。引き続き監視を頼む」
静かに礼をする執事から窓に目を向ける。
沈みゆく夕日は、まるで血のように赤く世界を染めて見せる。
「私は、教会とあれに従う貴族共を潰さねば」
「……失礼ながら、ご息女との時間を作ることも父親の務めかと」
「私にそんな資格はない。あの日、ジュリアナを亡くしてからはな」