「最近、楽しくやってるらしいじゃない」
声を掛けられて僕は目を開ける。
ちゃぷ、と湯面に水音を響かせるのはヴィクトリアだ。無防備にも白磁の肌を晒し、湯に浸かる彼女は僕にじっとりとした視線を向ける。
「……と、言いますと?」
「エスメラルダよ。道化として遊んで貰ってるんでしょう?」
別に僕が遊んで貰っている側ではないのだが。
冒険者としての仕事と淑女訓練の合間に、暇があったら構っていただけで。
「友達になったんです」
ヴィクトリアの実家にも豪華な大浴場があるが落ち着かない。
今使っているのは黒石で作られた個人用の浴槽だ。
専属侍女もおらず、最近は気に入ったのか主の背中を洗う係をさせられる。面倒くさいが主に命じられる以上、使い魔として仕事をしない訳にはいかない。
「視線がいやらしいのだけど」
「そんなことないですよ。僕の方が大きいなって思っただけで」
「は?」
「冗談です。だから、そんな怖い顔しないで下さい」
湯に濡れた肢体、彼女の胸元や尻に僕は小さく唸るに留める。文句を言われるがヴィクトリアも僕のセクシーボディを見ているのだからお互い様だ。
ジロリと僕を睥睨する彼女だが、その雰囲気は意外にも温かいものだ。
「まあ、でも、助かるわ」
「……え?」
「あの子、わたくしに母親を求めてくるから」
「……えっと、ヴィクトリアがエスメラルダさんのお母さんってこと?」
「ばかエリー」
ぱしゃっ、と脚で湯水を顔面に掛けられる。
……そういうことをするなら容赦はしないのだが、主への攻撃の意思を察知したのか腿に刻まれた使い魔の紋章がジクリと痛む。大人しく湯に浸かると話が続いた。
「まだエスメラルダが小さい頃にお兄様とあの女が離婚したのよ」
「……どんな方だったんですか?」
「家柄と能力だけはあったクソ女ね。お兄様もその二つだけで婚約したわ。それで貴族としての役目……子供を産んで、金だけ貰ったらどこかに消えたわ」
嫌なことを思い出したように舌打ちして、浴室の黒い壁を見つめるヴィクトリア。その横顔と言葉から察するに複雑な家庭だったようだ。
「昔はエスメラルダと一緒にいることが多かったわ。その所為でどこに行くにもついてきて……。学園に入学する為に領地を離れたのが良かったようね。久しぶりに会ったら随分とマシになったわ。代わりに魔族の奴隷を捕まえたようだけど」
「……」
「お前もあまり構い過ぎない方が良いわ。あの子の為にもならないし」
ヴィクトリアの言い分は納得できるものだった。
複雑な事情だ。しかし、今更態度を変えるつもりはない。そもそも大して構っている訳でもないのだし。あくまで友達として接しているだけだ。
何よりも、と僕はヴィクトリアに確認をした。
「もうすぐ王都に戻るんですよね?」
「ええ、お前もお父様からの依頼は既に終わらせたのでしょう? そろそろ王都の学園が再開するから、帰る前にやり残したことが無いようにしなさい」
そろそろブラッドブルグに来て一月以上になる。
振り返ると、短いような長いような期間だったと思う。エスメラルダの暗い話を聞いてしまったが、どのみち王都に戻れば会うことは無くなるだろう。
「……夏休みとか冬休みもこっちに戻るんでしたっけ?」
「決めてないけどそんなにここが気に入ったの?」
「え?」
環境的には悪くない。飯も美味い。
領内にある一通りの村に物資も運び、モンスターも駆除したおかげで顔も覚えられた。冒険者たちや冒険組合とも関係は良好だ。
ただ、ここにいても元の目的──ヴィクトリアの学園卒業を叶えることはできない。
なら答えは決まっている。
「いや、僕は……」
「なら、夏休みに来るかどうかはお前の働きで決めるとするわ」
僕の言葉を遮ってヴィクトリアはそんなことを言った。勝手な女である。
◇
「あらま、もうそんな時期っすか~」
「あらまって……」
という訳で僕は冒険組合に王都帰還の挨拶に向かった。
こういう場合、既に行っている討伐依頼などは中断するか他の冒険者に引き継ぎを行うことになるが、僕は全ての依頼を終わらせているので問題ない。
「こっちとしては事務手続きが減って助かるっす。いや~、エレノアの姐さんは実に優等生でしたね」
「お世話になりました」
「いえいえ。まあ、数年すればエレノアの姐さんもブラッドブルグをメインにするでしょうしね」
「ん?」
「あれ? 違うんすか? 主人であるヴィクトリア様の学園卒業に合わせて、こちらに本格的に異動すると思ったんですけど?」
リズの言葉に納得する。
冒険者は王都での活動に拘る必要はない。寧ろ、騎士団などの戦力が充実している以上、討伐業務の取り合いになりかねない。
だから他の領地に活動の場所を移し、そこを拠点として活躍する者も多い。領主側もそういった戦力が長く留まれるように特権を付けることもある。
「確かに王都にはダンジョンがあるっすけど、こっちにも良いのがあるっすよ。王都と違ってうじゃうじゃと人がいる訳でも無いですし。もしかしたら特殊ダンジョンだって見つかるかもしれないっす」
「……特殊ダンジョンですか」
「それとも海外にでも行くっすか?」
僕としてはヴィクトリアの卒業後についてはひとまず未定としていた。
考えていない訳ではない。
空を飛ぶことも、冒険者として活動することも嫌いではないが──
「ん……考えておきます」
「そっすか~。楽しみにしてますね」
不安定ながら考えていることはある。でも形になるほどではない。
それを誤魔化すように微笑んだ僕の思考を読んだ訳ではないだろうが、リズは思い出したように両手を叩いた。
「ところでエレノアの姐さんは、ブラッドブルグ自体は観光したっすか?」
「観光?」
「嘘でしょ!? 仕事だけして王都に帰るつもりっすか。それでカーラに何て言うつもりっすか!?」
「いや……仕事してきたって。あと主の実家で姪と仲良くなったって」
「仕事人間か! ちょっとほのぼのしてるし! ……そんなんじゃ、カーラみたいになりますよ~。もっと遊びましょうよ」
ちょっと待って下さいっす、と受付の机をガサゴソと漁るリズは小さなパンフレットを差し出した。
ブラッドブルグ観光案内、と書かれたソレを無理やり持たされる。
「依頼をさせて何ですが、休むことも仕事っす」
「……いや、合間合間に色んな屋台で買い食いしてるから元気ですよ」
「そんな可愛いこと言ってないで、温泉とかにも行って下さいよ。一応、傷ついた冒険者や湯治に来る人もいるくらいには有名なんっすよ」
確かにゲーム的にも特別な温泉に浸かると呪いが解除されるなどの効果はあった。だが、現実に一人でわざわざ行きたいかと言われると……。
「他にはないんですか?」
「魔導工房の見学とか、それこそダンジョンもあるっすけど……そういうの以外だと、もうすぐ聖女様たちがブラッドブルグに来るっすよ~」
「……は?」
「帝国軍をぶっ飛ばしたあの騎士団たちが視察とかでこっちに寄るらしいっす。なんでも領主様にご挨拶~とか、軍の再編~とか、そんな感じっす」
「そんな感じって……」
「あくまでそういう予定ってだけで、状況によっては中止になる程度の話っすよ」
リズは机の書類をポンと叩きながら、まるで世間話のように語る。
確かに帝国軍との最前線から王都に向かうなら、道筋的にもブラッドベリー領を経由してもおかしくはないが……。
「一応、王都から連絡が来てるっす。聖女様も同伴するかは未定らしいですけど、王都での凱旋前に軽く湯治するんじゃないっすかね?」
また知らないイベントだ。
それもランダムイベント。来るかもしれないし、来ないかもしれない。何より出会った所で何が起こるかも分からないのだ。
ゲーム前に出会っても面倒な気がする。なら会わない方が良いだろう。
「……温泉か」
良い感じの温泉に入り、良い感じの店で量のある食事をする。それで良いだろう。触らぬ神に祟りなしとも言うのだし。
そう考えた僕はパンフレットを捲り始めた。
◇
「は? 温泉? 結構よ、わたくしにはやることがあるの。大体、庶民の浴場に行かなくてもここで事足りるわよ。それにこっちの方がグレードは上よ。ガッカリするんじゃない?」
ヴィクトリアを誘ったがあっけなく断られた。それどころか行く気を削いでくる。
そんな彼女は地元に戻ってからも魔法の研鑽や勉強に専念している。実に勤勉だ。
仕方なく一人で廊下を歩いているとエスメラルダに遭遇した。
「おじさま! ……もうすぐ帰るんだね」
「うっ」
少し寂しそうな顔を見せる彼女に息を呑む。その姿を見ていると罪悪感のような物がこみ上げてきて、咄嗟に僕は別の話題で意識を逸らさせることにした。
「そうなんだ。せっかくだから、これから温泉とか行って思い出を作ってから帰ろうと思ったんですけどエスメラルダさんも一緒に……」
「一緒に?」
こてん、と小首を傾げるエスメラルダに、僕の中で何かが引っ掛かった。
(そういえば……)
彼女は、僕の中身が男であることを信じてくれている……はずだ。
そして僕が誘っているのは温泉への誘いだ。今更、僕が男湯に向かうことは無い以上、必然的に行く先は一緒に女湯だ。
決して彼女のことを性的に見ている訳ではないが、あまりよろしくない気がする。
「あ、今のは──」
「一緒に行くの? 嬉しいけど……私、人前で肌を見せるのは苦手で」
修正の文言を口にする前に、エスメラルダは一瞬目を見開いて、ふわりと笑った。
柔らかな断り文句に僕は頷く。
「あ、うん、そうだね。人目が気になる人はいるよね」
「はい。それにおじさまと入るなら、ここのお風呂の方が色々と融通が効くから」
彼女は柔らかく笑いながらも、どこか僕の目をじっと見ていた。
その瞳には、ただのからかいとは違うものがあるようにも見えて──僕は何も言い返せなかった。
エスメラルダは小さく首を傾げた。
「……友達と入浴することに何か問題があるの?」
「いや……」
「ないよね」
「あ、うん」
もしかすると自意識過剰だったのかもしれない。
軽く目を細めたエスメラルダは、なんでもないような顔で話を続ける。
「もし外に行くなら、『紅晶の湯』は貴族の間でも入浴する人はいるらしいよ」
「そんなのがあるんですか?」
「うん。貴族でなくても、おじさまの場合は首輪があれば大丈夫だと思う」
首元に視線が向けられる。ブラッドベリー家の紋章が刻まれた首輪がパスポートのような機能を果たすのかもしれない。
確かにこれなら身元を簡単に証明できるだろう。
「……じゃあ、そこにしようと思います」
クスリ、と笑って手を振ってくれるエスメラルダは本当に可愛らしかった。