僕が運ばれたのはブラッドブルグ医院という領都で一番大きい病院だ。
ゲームで世話になったことは一度もない。聖女は自力で治すのが当然だったからだ。
それはともかく、一眠りしている間に手術が終わった。病院の個室に運ばれてしばらくするとヴィクトリアがやってきた。
窓から見れる景色はブラッドブルグの領都がよく見える。
それを僕はベッドから眺めていた。近くの椅子には僕の主人が座っている。
「お前、発見された時、酷い怪我だったらしいわね」
「掠り傷ですよ。ちょっと階段から転んで」
「エレノア。下らない嘘は禁止と前にも言ったわよ?」
ラパンという医者も何のつもりか包帯で僕の身体のあちこちをグルグルに巻いていた。まるで重病人扱いだ。
ただ、そのおかげかヴィクトリアから怒鳴られることはなかった。使い魔の不甲斐なさに失望して契約を打ち切りにする、なんて言われなくて助かった。
それどころか妙に静かな彼女は可愛らしいけど、何か違和感があった。
「ヴィクトリアさん」
「なによ」
「あの木の葉っぱ、ありますよね?」
「……それが?」
殆ど葉が落ちた木を指差す。窓から見える病院の中庭にある枯れ木を見つけたヴィクトリアが静かな所作で窓辺による。
深窓の令嬢、なんて言葉が頭を過ぎりながら笑みを見せる。
「最後の一枚が落ちたら僕の命も潰えるでしょう」
「じゃあ、今すぐ死になさい」
ビュォォオオ、と強風が病院の庭を通り抜け、枯れ木から葉を吹き飛ばした。
血も涙もない悪役令嬢らしい振る舞いである。実に満足だ。
……いや、この感じはもう少しいけるかもしれない。
「ヴィクトリアさん」
「なによ」
「抱っこして」
「は?」
「抱っこー」
「お前……」
「ヴィクトリア。抱っこして、抱っこ。優しさを下さい」
もしかしたら、目に見えて弱者っぽく振る舞えば優しい対応をしてくれるタイプだろうか。両手を広げて上目遣いをしながら思った。
これで調子に乗るなと冷たい視線を浴びせてくるとか、殴るとか、怒るとか、そういう悪役令嬢的なことをしてくれたら、彼女はいつも通りだと判断できたのに。
呆れたような顔で、何も言わずにぎゅっと抱擁してきた時は少し困ってしまった。
「……」
「……」
病室に沈黙が広がる。
ベッドに押し付けられるように抱き締められる。
上質な衣服に包まれた彼女の身体は柔らかく温かい。頬をくすぐる金髪からは良い匂いがする。ずっと嗅いでいたいと思った。
おずおずとヴィクトリアの背中に腕を回すと彼女の鼓動が聞こえる。
(……もしかして心配してくれたのかな)
ヴィクトリアの抱擁は力強くも、まるで僕を気遣うように力加減がされていた。
ガラス細工に触れるような優しさを感じるのは僕の願望だろうか。
「……で? お前の口から何があったのか話しなさい」
「あ、はい」
身体を離されて問われる。身体に残った熱の残滓に寂しさを感じながら僕は語った。
エスメラルダを探しに行って、テロリストや脱走した魔族を倒していたら、王立騎士団に攻撃を受けたこと。テロリスト扱いされた上に、騎士団長エドモンドと交戦したこと。
傷はその時の物だと、気づいたら全部喋っていた。
不思議なものである。ヴィクトリアを前にすると隠し事をできる気がしなかった。
「……なるほどね」
「その……マント買ってくれたのに、すみません」
衣装のポケットに入っていたマントの切れ端を渡す。
青色部分は赤黒く染まって、紫にも見える。というか殆どゴミみたいな物だ。ただ、彼女はそれを受け取ると、静かにそれを眺めた。
「……別にいいわ」
面白い物でもないのに、ゴミ箱に投げ入れる訳でもなく、自らの衣服のポケットに入れた。
「次はお前の触手並に頑丈な物にするように言っておくから」
髪の毛に触れ、包帯に巻かれた僕の肢体を触ってくるヴィクトリア。
彼女は適度に相槌を打ちながら話を聞いてくれた。その親身な態度とは裏腹に紫紺の瞳は冷たさを帯びていく。
何かに憎悪するような、悪役令嬢の瞳だ。
「よく分かったわ。話してくれてありがとう、エリー」
「え、あ、はい」
なんだろうか。ここまで優しくされると不安になる。
『弱い使い魔はいらないわ。今までありがとう』──なんて話をされるのではという嫌な予感に身構えるが、どうにも憎悪の対象は僕ではなさそうだ。
なら、いいや。
「それよりも、エスメラルダさんについて聞きたいんですけど。見つかったんですか?」
「まだよ」
ヴィクトリアは淡々と語ってくれた。
今回のテロは、どこの組織の物かは不明らしい。亜人解放連合と最初は思われていたが、それを真似しただけの冒険者と領都に潜入していた盗賊、そして騎士だった。
「憲兵がどれだけ尋問しても駄目。全員、気づいたら攻撃していたって言うのよ」
「不思議ですね」
「何者かに操られたという線で憲兵が捜査しているわ」
窓から見えるブラッドブルグの領都は騒がしい。
拡張して見る限りでも、あちこちに憲兵やブラッドベリー公爵家騎士団の騎士たちが警戒した顔で巡回しているのが見える。
崩壊した家屋や建造物に巻き込まれた人の救出作業や消火活動も見える。
「それと、全焼した聖フォルディナ孤児院から死体は見つからなかったわ」
「じゃあ、近くの避難所とかに逃げたんですか?」
「くまなく探したけどいなかったらしいわ。おかしいわね。エスメラルダ一人ならともかく、子供の魔族が複数人いて死体の一つもなく、目撃情報の一つも無いなんて」
神隠しにでもあったのだろうか。この世界ならそういうこともありそうだが。
しかし、そんなことを言える雰囲気ではない。もっと現実的な何かが起きたのだろう。
「車に乗せられて拉致されたとか?」
「ありえそうだけど、領都全域に監視の包囲網を敷いて逃げられるとは思えないわね。でも、仮に相手の認識を欺くような術を持っていると過程したら……」
「透明化とか迷彩化とか?」
「もっと強力な……暗示? それを複数の住民に掛けられるとしたら……」
ジッと僕を見ながら独り言をヴィクトリアは口にする。
思考を研ぎ澄まし、意識を自分の中に向けている。どうやら推理パートの時間らしい。そこに僕の出番はない。
思考の沼に浸かる主人の美麗な横顔を見ながら、お見舞い品に手を伸ばす。……届かない。指先から触手を伸ばそうとした所で、一足早くヴィクトリアに中身を奪われる。
「あの……」
「わたくしの許可なしに動かないで貰える?」
「え? あ、すみません」
ヴィクトリアがナイフで果物の皮を剥き始める。その手つきにドキドキさせられる。
「ヴィクトリアさん。危ないですよ。指、取れちゃう」
「普段はしていないだけで、わたくしもできるわよ。淑女の嗜みよ」
恐らく母ジュリアナから習ったのだろう。一口サイズに切られた果物が皿に置かれる。
『ところでエレノア』
『なんですか?』
『お前、何か隠してるわね』
思わず見つめ合う。
僕の頭に直接語り掛けてくるヴィクトリアの思念には確信があった。しばらく逡巡する僕に、彼女は珍しく急かすことも怒ることもしなかった。
ただ、ジッと待ってくれた。
……どうしようか。アルビーは他言無用とは言っていないし、僕一人で抱え込んでいても効果を発揮するとは思えない。うっかり忘れるかもしれない。
『……え? いや、何もないけど? 強いて言えば、さっきのヴィクトリアは良い匂いだったなって。またハグさせてくれないかなって?』
──でも、ヴィクトリアを巻き込んで怪我とかされるのは困るのだ。
彼女は人間だ。回復薬を飲めば傷も治るかもしれないが、万が一心に傷を負ったらどうするのだ。
危険なことは僕に任せておいて欲しい。
「エレノア・オムニティス」
「は、はい」
「お前の愚鈍な脳でも分かるように、何度でも言ってあげる」
情報伝達魔法を止めて彼女は僕の耳元に顔を寄せてくる。
「わたくしに嘘は通用しないわ。いつも一緒にいるのだもの。騙せると思って?」
ベッドに上体を押し倒される。
手術明けの弱々しい身体の僕を悪い顔で滲みよる女が小首を傾げる。思ったよりも力が強く、僕の肩や腕を掴んで組み伏せる姿は淑女とは思えない。
「ほら、話しなさい。はやく」
「……くっ」
「なによ、その顔は。……ああ、アルビーとかいう男から何か情報を得たのね?」
「え、いや、違うけど」
「はい、嘘。どんな情報? エスメラルダの件? それに関係する情報ってところ?」
まずい。情報を搾り取られるターンに入った。
どこか仄暗い顔をした彼女は満足するまで離れないのだろう。
観念するか? いや、でも……。
「ヴィクトリアさん。僕は……」
「エレノア。わたくしを巻き込みたくないとか、そんな腑抜けた思考をする使い魔はいらないわ。いつからそんなに偉くなったの? わたくしは城で守られる姫なの?」
「そんなには……」
「何も偉くなってないわ。所詮お前はエレノアよ。いいこと? お前が抱えている情報がエスメラルダ救出の可能性に繋がるなら、出し惜しみせずに話しなさい。そうすれば」
「……そうすれば?」
ニヤリと悪役令嬢は僕に不敵に笑った。
「そうすれば、このわたくしが力を貸してあげるわよ。アルビーという男もわたくしに情報提供できるのなら本望でしょう? 分かったら返事をしなさい、ばかエリー。大体、破壊力に特化したお前が考えてもせいぜいが正面から突撃するしかないのだから、さっさと──」
「分かった! 分かりました! 喋りますから誹謗中傷は止めて下さい!」
◇
しばらくして診察に来たのは医者のラパンだった。
普通、こういうのは女の医者だと思ったのだが、あまり女の医者がいないらしい。入院服の上から聴診器を当てられ、包帯を外されて傷の状態を見られた。
ちなみにヴィクトリアは帰らず、部屋の隅で僕たちを監視している。
「ふむ。欠けた指や耳も元に戻っていますね。普通は再生医療を行う必要があるのですが面白い身体をしていますね。調べたいところ残念ですが問題は無さそうなので、明日朝には抜糸して退院でいいでしょう」
「随分と早いんですね」
「今は多くの患者を受け入れている都合上、ベッドの回転率を上げる方針でして」
そんな病院事情を隠すことなくラパンは語った。
端正な顔で微笑まれると気持ち悪い。女ならうっかり惚れる者もいたかもしれないが、僕の意識は間違いなく男であり、何よりも胡散臭さがある。
そうだ。ラパンの対応はどこかフリードリヒやバジルを彷彿とさせるのだ。
「ドクターラパン。これってマッチポンプではないんですか?」
「……どういうことでしょうか?」
「テロ行為で傷ついた人が教会ではなく病院にお金を落とせば、あなた方は儲かる」
「……仰っている意味が分かりかねますが」
「エスメラルダさんはどこにいるんですか?」
「私にも分かりません。彼女との付き合いは連合指定医になる前からで、各地の病院を移動している時も可能な限り、診てきた患者なんです。早く見つかって欲しいですね」
「あなたが連合を率いて誘拐したのはでないんですか?」
「……どうやら外傷はともかく記憶の方に少し混濁が見られるようだ」
丁寧な口調の奥に、どこか医者らしからぬ冷たさがあった。
「あの時は助けてくれてありがとうございました、レイヴンさん」
そこまで話すと、ラパンを名乗る医者は薄ら笑いを引っ込めた。
チラリ、と無言のヴィクトリアに目を向けてから、
「なるほど。どうやらよほど別の話がしたいらしい」
「そちらこそ、こんな忙しい状況の中、可愛い看護師を扉の前で見張らせて、わざわざ魔族の診察に来て下さったんだ。患者と話をするつもりはあったんでしょう?」
壁や扉越しの人間の存在は、僕の目が最初から看破している。
そう言外に告げるとラパンは人差し指を突き立てる。
「一つ勘違いを正そう。当院およびアルト医療連合に属する病院では差別はしない。魔族だろうと屑のような人間だろうと等しく治療する。患者が話をしたいと言うなら、付き合おう」