顔出しNGの美少女歌い手が、俺の家の台所で鼻歌を歌っている件について   作:古野ジョン

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第2話 対価

 和室から漏れてくる歌声を聴きながら、ネット上で参考文献を探す。俺の家は防音仕様のうえに角部屋だから、近所迷惑の心配はない。琴音の声量はとんでもないが、一度だって苦情を貰ったことはないからな。

 

 氷のように冷たく囁き、獣のように激しく叫ぶ。琴音の歌声は「唯一無二」だと評されることが多いが、俺もそう思う。もっとも、そうと分かるほど普段から音楽を嗜むわけではないのだけど。

 

「私の心はっ、熱く燃えてっ……!」

 

 ラスサビなのか、一段と琴音の歌声が盛り上がっている。うさちゃんりんごを「あーん」していた女子大生が歌っているとは思えない歌詞だな。だけど、たしかに琴音の声は高らかに響いている。五百万人という数字は決して嘘ではないのだ。

 

「いまっ、解き放たれたっ……!」

 

 ガッと声量が大きくなった後、沈黙が訪れる。歌い終わったのかな。やっぱり琴音は歌が上手い。何の曲なのかはさっぱり分からなかったけど。

 

「ふ~、終わりました~!」

 

 襖が開いて、額に汗を滲ませた琴音が姿を現した。いつの間に片付けたのか、両手に機材の類を抱えている。

 

「お疲れ様、琴音」

「はい! 今日もありがとうございました!」

 

 俺に向かってペコリと頭を下げる琴音。良いとこのお嬢さんというだけあって、かなり礼儀正しい。歌い手としてのキャラとまるで違うから、いつも笑ってしまいそうになる。

 

「そうだ、りんご食べるでしょ?」

「はいっ、いただきますー!」

 

 琴音はバッグにマイクなんかをしまいながら、嬉しそうに答えた。録音が終わって緊張が解けたようにも見えるな。

 

「よいしょっ……」

 

 片づけを終えると、琴音はさっきと同じように右隣に正座した。じいっとりんごの器を見た後、こちらの顔を覗いてくる。

 

「春さん、ぜんっぜん食べてないじゃないですか!」

「だからレポート書いてるんだって。それに、琴音の分も残しておこうと思ってさ」

「むー……」

「あっ、琴音の分の爪楊枝忘れてた」

 

 しまった、歌っている間に台所から取ってくればよかったな。作業に気を取られてうっかりしてた。

 

「じゃあじゃあっ、春さんの爪楊枝でいいですよ?」

「ちょっ、だからそれはやめろって」

 

 琴音は俺の使った爪楊枝をりんごに刺し、持ち上げた。慌てて制止しようとすると――また、俺の口元にりんごを持ってくる。

 

「冗談だって言ってるじゃないですかー! はいっ、あーん」

「あ、あーん……」

 

 気付けばまた餌付けされてしまった。琴音は俺にりんごを咥えさせると、満足そうに微笑んだ。だけど……かけらが大きくて、口に収まりきらない。両手はタイピングで塞がってるし、どうしたものかと戸惑っていると、隣の琴音がハッと目を見開いた。

 

「ねえねえっ、春さん?」

「ふえっ?」

「もしかしてっ、口移しで『あーん』してくれるんですかっ?」

「!?」

 

 俺が咥えたりんごを琴音に食べさせてやる……ってことか!? いくらなんでも無理に決まってる!

 

「照れてるんですかっ? 私は全然いいのになー」

 

 琴音はニヤニヤとこちらの顔を見上げていた。これじゃあさっきとおんなじだ。だったら……って、待てよ。いつも琴音にはからかわれているし、たまにはこっちから仕掛けてもいいはずだ。

 

「ん」

「えっ?」

 

 向かい合うようにして両肩を引っ掴んでやると、琴音が驚いたように目を見開いた。きょとんとして、俺の顔をじっと見ている。

 

「は、春さん?」

「ん」

「えっ、ちょっ、本当にするんですか!?」

 

 がっちりと肩を掴んだまま、ゆっくりと琴音の顔に近づいていく。大きくて綺麗な目、ぷっくりとしたピンク色の唇、繊細で柔らかそうな素肌。近距離だと改めて見惚れてしまいそうになるな。

 

「やっ、えっと……その、嫌じゃないんですけど……心の準備があ……」

 

 目の前の顔がどんどん赤くなっていくけど、俺は気にせずさらに距離を縮める。琴音はしどろもどろに視線を動かしながら、よく分からない身振り手振りを繰り返すばかり。

 

「だから……さっきのは冗談って言いますか……」

「んっ!」

「はっ、春さんの……!」

「ん?」

「春さんのばかあっ!」

 

 琴音は俺の手を無理やり振りほどいて、ダッシュで台所の方に逃げていったのだった。ああ、面白い奴だなあ。

 

***

 

「まったくっ、あんな風に迫ってくるなんてひどいですっ!」

「最初に言ってきたのは琴音じゃん」

「うるさいっ! 年上のくせに!」

 

 新しく用意した爪楊枝でりんごを食べながら、琴音はぷんぷんと怒っていた。この素直でわがままな感じも育ちの良さが窺える。きっと親に愛情を注がれて育ったんだろう。

 

「今日の録音は一曲だけ?」

「はいっ! この後さっきのを動画にしようと思って!」

「そうか。編集頑張ってね」

「ありがとうございますっ!」

 

 琴音はいま大学一年生だけど、投稿を始めたのは高校生の頃らしい。音源の用意、サムネイル画像の作成、字幕やアニメーションを含めた動画編集。何から何まで一人でこなしてきたというから大したものだ。

 

「そういえばっ、春さん……」

「ん?」

 

 爪楊枝をティッシュの上に置いて、両手を膝について姿勢を整える彩音。俯いたまま何かを言おうとしていて、時おり上目遣いでちらちらと俺の表情を窺う。

 

「きょ、今日の歌はどうでしたか?」

「えっ?」

「そのっ……隣で、聴いてくれたんですよねっ?」

「ああ……」

 

 感想が欲しい、と言いたいんだろうな。登録者五百万人を数える歌い手のパフォーマンスを、音漏れとはいえ生で楽しんでいたんだ。ファンなら号泣ものだろうけど……別に、俺はそうじゃないし。

 

「うん、いつも通り上手かったよ」

「それだけですか!?」

「だってあの曲知らないんだもん。何の歌? アニソン?」

「違いますよー! 坂道系の最新曲ですっ! カッコいいってバズったじゃないですかー!」

「何それ? THE ALFEE(アルフィー)ってあんな感じだっけ?」

「なんで1980年のアルバム曲『坂道』を知ってて坂道系を知らないんですか!?」

「いや、親父が聴いてただけだから……」

「むうっ、春さんなんて知らないっ!」

 

 琴音はまたおかんむりの様子。坂道系ってなんだろう。坂でしかライブしない歌手でもいるのかな。清水寺の三年坂とか? 変な歌手もいたもんだな。

 

「春さんが楽しんでくれなきゃ、意味がないのに……」

「俺が何だって?」

「別に、なんでもないですっ」

 

 そう言って、琴音はむしゃむしゃとりんごを頬張っていた。実際、琴音の歌う曲を知らなくてもったいないとは思っている。野球で例えるなら、自分が経営するバッティングセンターで大谷翔平が練習しているようなものだしな。

 

「ふー、ごちそうさまでしたっ!」

 

 器を見るといつの間にかりんごが無くなっていた。食うの早いな、お腹が空いていたのかな。

 

「さて……」

 

 琴音は器を持って立ち上がり、台所の方に歩いていった。ジャーっと水の流れる音がして、続けざまに食器用洗剤を出す音が聞こえる。皿洗いをしてくれるのだろう。

 

「いつもありがとな、琴音」

「いえっ、貸してもらっているので当然ですっ!」

 

 流し場に視線を落としたまま、琴音は元気に答えた。俺は無償で部屋を貸しているわけではない。金銭を受け取る代わりに、ある程度の家事を代行してもらっている。

 

 そもそもこの部屋は俺の持ち物ではないから、勝手に他人に貸すというのはおかしい話かもしれない。それを分かっていても、琴音の家事代行を受け入れている理由があるのだ。それは――

 

「いて……」

 

 伸びをしようとしたら、右肩に痛みが走った。高校時代に負った古傷は完全には癒えていない。もちろん日常生活に支障はないのだけど……時おり痛みが走ることがある。だから、家事を代わってもらうだけでもストレスがだいぶ減るのだ。

 

「春さん、また肩が痛いんですか?」

「いや、大丈夫。ピリっとしただけ」

「湿布貼りましょうか?」

「いいよいいよ、そんなにひどくないから」

「だといいんですけど……」

 

 洗い場越しに、琴音も心配そうな表情で俺の方を見てくれていた。俺は勉学に集中出来て、琴音は無償の録音スペースを使うことが出来る。ウィンウィンってわけだな。

 

「洗ったので、戻しておきますねー」

「ああ、ありがとう」

 

 水の流れる音が止むと、琴音がカチャカチャと音を立てて食器を片付けていた。気づけば時刻は十七時になっている。今日は大学が早めに終わったとはいえ、だいぶ時間が過ぎてしまった。

 

「じゃあっ、私は帰りますから」

「あれ、早いね」

 

 台所から出てきた琴音が居間に戻って来ると、そのまま自分のバッグを持って帰り支度を始めた。たしか門限があるとは言っていたけど、それにしても今日は早いな。

 

「今日中に投稿したいので、急いで動画編集しないとなんです!」

「ああ、なるほどね。気を付けてね」

「あっ! そ~れ~と~も~?」

 

 琴音はバッグを持ったまま、てくてくと歩み寄ってくる。そして、俺の方に顔を寄せると、またニヤニヤとながら口を開いた。

 

「私が帰ると寂しいんですかっ?」

「いや、別に……」

「またまた~! 素直になってくださいよ~!」

 

 実際……琴音が帰るときは、少し寂しい。二年間はずっと一人暮らしだったから、孤独には慣れていると思っていたのだけど。いざ琴音がいる日常を経験してみると、一人で過ごすのは時に物悲しい。

 

 でも、それをコイツに打ち明けるのは癪なんだよな。だってさっきからずっとニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ顔がうるさいんだもの。クールなKotone様はどこに行ったんだか。

 

「寂しい、って言ったらどうするの?」

「ふぇっ?」

「寂しいからずっといてほしい、って俺が言ったらどうするの?」

「そっ、それは……」

 

 おや、様子が変だ。なんとなく言い返してみただけなのに、琴音はまたもじもじと顔を赤くしている。自分からからかうのは得意でも、からかわれるのは不得手なんだな。

 

「俺がさあ、寂しいって言って琴音を抱きしめでもしたら――」

「わー! 帰りますっ! また明日来ますからっ! じゃあっ!」

 

 逃げ去るようにして、琴音はダッシュで玄関の方に向かっていった。これで騒がしい一日も終わり。あとは飯を食って風呂に入るだけ、か。

 

「失礼しますっ!」

 

 バタンと扉の閉まる音がして、自分の部屋に沈黙が戻ってくる。ため息をつきながらパソコンの画面に向き合ってみると、結局レポートは終わっていない。とほほ、今日の夜までに提出だってのに。

 

 キーボードを叩きながら、自分と琴音のことに思いを馳せる。本当に、琴音と出会ってから生活が一変してしまった。あの日、あの場所で出会ってから――

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