ハーメルンでは見掛けなかったので、自分で書いてみたの巻
城壁に囲まれた大きな都市には、必ず裏路地と袋小路がある。
訪れたばかりで地理に疎ければ、誘導されている事にすら気付く事は出来ない。
「――まぁ待てよ、話を聞いてくれ」
全身を金属で出来た鈍銀色の甲冑で包む巨漢が、顔を覆う兜の隙間からその威圧的な姿とはまるで見合わない下手からの声を出して両手を上げていた。
男の後ろには扇情的な薄着をした浅黄色の長髪をした女が、怯えた様子で隠れている。
「オレは、さっきこの街に辿り着いたばかりの流れ者なんだ。女の素性もお前たちの素性も知らないし、詮索する気も更々ない」
男と女の後ろは城壁の壁であり、二人の前にはそれぞれノッポ、デブ、チビというあだ名が果てしなく似合いそうな柄の悪い男たちが、腕を組んだり下卑た笑みを浮かべたりと思い思いの立ち方で道を塞いでいた。
この悲劇と喜劇の公演の観客は、近くの壁沿いに溜まる数名の浮浪者だけだ。
「女は渡すから、後はそっちで勝手に――」
「さぁ、掛かって来なさいよこの無能ども! ダーリンが蹴散らしてくれるんだから!」
「誰がダーリンだ! 煽るんじゃねぇよバカ女!」
見捨てようとする男を逃すまいと、女は更に強く抱き付きながら前を陣取る男たちに向けて挑発する。
「まぁ、どの道見られたからには――ってやつさ。命までは取らねぇが、お上に告げ口する気も起きないよう痛め付けさせて貰うぜ!」
「い、いくんだなっ」
三人の中では、ノッポがリーダー各なのだろう。頭巾を頭に巻いた背の高い男がそう言って顎をしゃくると、体格だけなら鎧を着込んだ巨漢と同等の大きさをした横に広い男がどもりながら拳を振り上げて突進を仕掛ける。
「はぁっ……」
鎧の男は、その遅い襲撃を前に心の底からの溜息を吐き出し、どう見てもやる気のなさそうな態度で両の拳を前に構える。
「ふぅんっ」
「遅ぇよ」
筋肉と脂肪。
質の差はあれど、重さという点では同じであり、そして同じであれど質という点ではまったくの別物だ。
横殴りの軌道で振り抜かれた太った男の拳を、鎧の男は見た目に似合わぬ軽やかな動作によって下から手を添えただけで相手側へと逸らし、あっさりと空振りさせる。
「おぅ?」
「――ふんっ!」
「ごぼぉっ!?」
直前で意図せず動きを変えられ、太った男の上体が泳いだその出っ張った腹へと金属の手甲を着けた凶悪な拳が下からの軌道で突き刺さった。
「野郎っ」
「生意気でヤンスッ」
一人が沈み、残ったノッポとチビが鼻白みながらも腰の曲刀を抜き放つ。
が、始まるかに思われた大立ち回りは意外な乱入者によって中止となる。
「うぼぉあぁ~」
それは、事態を傍観していた浮浪者の一人だった。
シラミが湧き放題となったごわごわの頭、髪と繋がりそうなほどに毛深い髭。異様なほどに発達した手足をしていながら、背丈は人間よりも低くまるで一個の岩が動いているかのようだ。
ドワーフ。人間とは異なる生態を持つ山と洞窟の一族であり、一昔前に起こった戦争によって数を激減させてしまった少数部族の名称だ。
見ているだけで悪臭が漂って来そうなこの浮浪者は、怪力無双と語られるその種族に間違いなかった。
「う゛ぅ゛!? 臭ぇ! 近づいて来るんじゃねぇよ、爺さん!」
「く、臭いでヤンス~ッ!」
「あ゛ー、あ゛ーう゛ー」
何を思ったのか――もしくは何も考えていないのか――抜き身の剣を持った二人の男にフラフラと近づいたドワーフは、半濁した虚ろな視線を宙に泳がせながら呻きとも唸りとも付かない音を口から出しながら更に足を進めて悪臭を迫らせる。
「ひ、引き上げだ!」
「ガッテンでヤンス! ひ、ひぃ~!」
混乱した男たちは、泡を吹いて倒れる太った男を二人で引き吊り路地の向こうへほうほうの体で消えて行く。
「……」
自分の剣に手を掛けていた鎧の男は、あまりの展開に驚いてそのままの姿勢で兜の中の両目を点にしていた。
「あー、まぁなんだ。助かったぜ爺さん――ってこっちにも来るのかよ!?」
「ひあぁっ」
「あ゛ー」
それでもなんとか礼を言おうとした矢先、今度は鎧の男の方へとドワーフが近づいて来る。その口から発せられる意味不明な声からして、新手のゾンビにしか見えない。
「そ、それじゃあ私はこれで……っ」
「待てよコラッ! せめて侘びとして、一晩抱かせるぐらい――あぁ! もぅ!」
悪臭を少しでも防ごうと鼻を摘み、女もまた足早にその場から立ち去ってしまい、苦労だけを背負わされた鎧の男がもたれ掛かって来たドワーフを支えながら天を睨む。
「折角国を跨いだってのに、こっちでもこんな役なのかよ……っ。恨むぜ、神様っ」
「さーけー、さけをくれー」
不落の騎士と、破城の戦鎚。
最悪にして最高の出会いを果たした二人が今、運命に導かれ邂逅を果たす。
こんな下らない始まりが、後に集う沢山の仲間との果てしない冒険の幕開けである事を、二人はまだ知る由もない――
◇
カナン寺院。
その中央に作られた広く大きな庭園で、多数の子供たちが戯れている。
彼ら彼女らに親は居ない。戦争で、稼業で、病気で、飢餓で――様々な理由により帰る家を失った孤児たちなのだ。
どんなに辛い過去があろうと、それでも子供たちは笑っていた。
「あ、あの……シスター・サロメ」
四方に設置された大理石の長椅子に腰掛け、子供たちと一緒に花の冠を作っていた一人のシスターに、短い赤髪をしたやや内向的に見える少女が近づく。
長く美しい栗色の髪をした妙齢の美女であり、シスターという聖職者でありながら隠し切れない色香を感じさせる不思議な女性――サロメが、声を掛けて来た少女へと微笑み掛ける。
「なんでしょう、レンナ」
「あの、そのね……その……シ、シスター・サロメの事を――お母さんって、呼んでも良いですか?」
その少女にとっては、一生分の勇気を吐き出しているのだろう。瞳に涙を溜め、うつむいて何度も言葉を止めながら、それでもレンナはその願いを口に出していた。
「――ありがとう、レンナ」
「ぁ――」
作っている途中だった蔦の輪と少々の花をあしらった花冠をレンナの頭に乗せ、サロメは頑張った少女を優しく抱きすくめた。
「この寺院に預けられた子は、等しく私や大僧正様たちの大切な子供たちです。貴女もまた神の子であり、そしてこの寺院の子供なのですよ」
「う……う゛ん」
背中を擦る内に、レンナの涙腺が決壊し大粒の涙を流し始める。
「受け入れられる事」。一度親という繋がりを失った子供たちには、再び失うという恐怖を呼び起こす深い深い傷だ。
それでも、人は一人では生きて行けず隣に誰かを求めてしまう。
「だいずぎ……おがあ゛ざん」
「私も貴女が大好きですよ、レンナ」
今はただ、一歩を踏み出したこの少女の勇気を讃えたい。サロメは時間の許す限り、少女の背をあやし続ける。
「――シスター・サロメ。そろそろ礼拝の時間です」
周囲の子供たちが羨ましそうにレンナとサロメを見守る中、寺院へと続く扉を開き聖書を片手に持った大柄な男が庭園へとやって来た。
戦士だと言っても疑われはしないだろう、鍛えられた体躯。胸元には女神の姿が彫られた木板が首から下げられ、禿頭に顎鬚を生やす顔には幾つもの深い皺が刻まれている。
彼こそがこの寺院を守護し信徒たちを束ねる最高責任者であり、数々の奇跡を操る偉大なる僧侶だ。
「はい、大僧正様」
泣き疲れて眠ってしまったレンナを別のシスターに預け、サロメは一人僧侶の後を歩き出す。
本来の礼拝時間は別に設けられている。彼女だけが、他の信徒や子供たちとは隔離された状態で僧侶と二人のみの礼拝を行っていた。
「貴女に、女神の神託はありましたか?」
「……女神は、私の問いに答えてはくれません」
前を歩く厳かな僧侶の問いに、サロメは顔をかげらせながら小さく首を振って答える。
「ですが、予兆はありました――まもなく始まります」
「そうですか……貴女には、また辛い役目を背負わせる事になりますね」
「良いのです。私の積み上げて来たこの力がお役に立てるのでしたら、私は喜んでこの身を差し出しましょう」
理解出来る者だけが理解出来る、そんな会話。
その時、礼拝堂へと続く道の奥から一本の杖が飛来する。誰かが投げたわけでもなく、頭に赤い宝玉を付けた長い樫の杖は独りでに宙を浮き二人へと向かって一定の速度で向かって来ていた。
立ち止まった僧侶を通り過ぎ、その後ろに立つシスター・サロメの手へと杖が収まった瞬間、ボンッと音を立てて彼女を中心に突如として白い煙が巻き起こる。
煙が晴れるその場に居たのは、肌を晒さぬシスターの修道服とは真逆の恰好をしたサロメだった。
まろび落ちそうなほどの布地しかない危険な胸元、腰の近くまで深い切り込みの走る藍色のドレス。男であればたまらず劣情を催すだろうその姿は、彼女本来の妖艶な色を更に犯罪的なまでに高めている。
最後に指を鳴らして出現させた長鍔の三角帽子を頭に乗せ、
「ふふっ。それでは行って参りますわ、大僧正様」
優雅に一礼をした後、一瞬でその姿を消失させるシスター・サロメ。否、彼女はもうシスターでもサロメでもない、一介の魔女へと戻ってしまった。
「――どうか貴女に、女神の加護がありますよう……」
僧侶は、消え去った彼女の声から隠しきれないほどの歓喜を感じ取っていた。
自分の持つ力を余す事なく存分に発揮出来る、そんな鉄錆と熱の匂いがする場所へと戻れるというたまらない愉悦。
だが、それを理解した所で彼がしてやれるのは祈る事のみだ。たった一人となった僧侶は、そのまま礼拝堂へと足を進めて行く。
救われぬ者に、救いの御手を――
女神の声を失ったこの地で、己を救える者は己自身しか居ない。僧侶は、その事実を胸に抱える信心と同等なほど深く理解していた。
◇
「おい、モルガン。契約に記されていた報酬と額が合わんぞ」
深緑色のローブを着た長い白髪の男が、テーブルを挟んで踊り子のような衣装を身に纏う魔法道具屋の店主モルガンに食って掛かる。
男は魔道に携わり、女も魔道に精通している。
二人の間に置かれているのは、モルガンの依頼で調合した痛覚を一時的に遮断する事で「痛み」による隙をなくす「ペインキラー」。
注文通りの数を揃えて来ているはずなのに、報酬を値引かれる理由を男は問うていた。
「ねぇ貴方……家賃って言葉は知っているかしら?」
「む……」
この一言で、モルガンの圧勝だった。
男の住まいは、モルガンの営む道具屋の上――つまりは、彼女が副業として営む賃貸住宅を借りている。
この男の家賃滞納数は、すでに両手足の指を数えるよりも多い。
「はぁ……貴方、魔法の腕もそれなりにあるんだしこんな薬師稼業で日銭を稼ぐより、最近流行の古代遺跡で財宝でも漁ったら?」
「断る。そんな命知らずの阿呆になるつもりはない」
「じゃあ、今すぐ未納分も含めて家賃を払ってちょうだい」
「ぬぅ……」
「ふぅ……」
モルガンがこの男を放り出さないのは、彼の伸び代が異常だからだ。最初にこの街へと死にそうな顔でやって来た時は卵の殻すら破れていないヒヨコ以下だったというのに、たった数年教えただけで彼女の持つ百年分は蓄積された薬学の知識を全て吸収してのけた。
魔法――取り分け魔法薬に関して、彼は狂気にも近い執着心を見せる。
おおよその察しは付くが、それも彼女がこの男を手放せない理由の一つでもあった。
研究に実験にと、魔法使いにとって日々の出費は仕方のない部分もある。だが、甘い顔をするのにも限度というものがあるのだ。
モルガンは、自分の両手を開き男の前で広げてみせる。
「なんだ、それは?」
「数字の十よ」
意味深に嗤う魔女の笑みを見て、男の顔に次々と脂汗が溢れ出す。
「待て、モルガン」
「もう待ったわ。もう限界なの――ここが最後の一線よ」
「くっ」
「後十日で溜め込んだ家賃が払えなければ、貴方をここから追い出すわ」
「……承知した」
苦虫を噛み潰した表情で、男は重苦しく同意の言葉を吐き出す。
家にこもって薬師を続けても、到底払える額ではない。借金をしようにも、彼の手元にはろくな担保となる物がない。
だとすれば、方法は一つ。死亡者も多く出ている遺跡へと赴き、家賃に見合った額の財宝を手に入れる事だけだ。
「モルガン」
「何?」
「……すまない、ありがとう」
「――っ」
立ち去り際、振り向いた彼の穏やかな笑顔を見て、モルガンは自分の表情を固めるのが精一杯だった。
「う~――ダメよ、ダメダメッ。あんなので可愛いとか考えてたら、あの子の思うツボなんだから」
悶々とする思考を振り払おうと、モルガンは頭を振って心に浮かんだその煩悩を追い払う。
まだ若干顔が火照っている気がするが、気のせいであると全力で否定する。
「でも――皮肉な話よね」
男が雑踏の中に消えて行った場所を眺めながら、僅かな憐憫を滲ませて魔女が一人言葉を投げる。
それは伝わらない想いの一つであり、どうにもならない世の中への悲哀でもあった。
「あれだけの才に溢れながら、魔法薬師としてよりも敵を殲滅する
彼は間違いなく天才で、しかし望む通りの才能は開花しなかったのだ。
哀れな天才が彷徨う先は、彼の意思を無視してもう決定してしまっている。その先で、彼の望みが叶うかどうかは――軋む運命の歯車が巡り終わった後での話になるだろう。
まもなく、運命の矢が彼を捉えるのだから――
◇
血溜まりに沈んだ男たちの中で、たった一人その女性だけが肩で息をしながらもその場に立っていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
ウエーブの掛かったハニーブロンドの髪に、鍛え上げられたその身体を晒すような最小限の布だけをまとった見事な肉体美。
身体の各所に彫られた幾何学的な刺青は、彼女が女性部族のアマゾネス出身である事を声高に主張している。
「おい、その辺にしておけ」
国や民から預けられる大小様々な依頼を斡旋する、国内各地に設置されたギルドの総本部。
休憩所兼娯楽台として置かれた丸テーブルに座るギルド長、サミュエル=ジョセフが何時もと変わらぬ巨体に黄緑色の全身甲冑姿で一人立つ女性を諌めた。
「先にケンカを吹っ掛けて来たのはこいつらだよ」
「解かっとる。だから、最後まで止めんかった」
ケンカの理由は下らないものだ。
女だから、女の癖に――アマゾネスなんざ、噂だけで大した事はない。
誇りある部族の名を汚され、彼女があっさりとブチ切れた。それだけだ。
「あーあー、コイツ前歯が全部イッてやがる。こりゃあ、治療費もバカにならんだろうなぁ」
「こっちは顎骨が粉々だ。死んでないのが不思議なくらいだぜ」
「バカ共が、ケンカを売る相手を選ばないからこうなるんだよ」
凄惨な光景に怯える新参たちの中で、古参にとっては日常なのか皆口々に好き勝手な事を言いながら怪我人たちを粛々と治療院へ搬送していく。
「ただでさえ人手不足なんだ、ちったぁ手加減してやれよ」
「うるっさいねぇ。目の前で故郷をバカにされて、加減なんざ出来るわけがないだろうが」
「おー、こわっ」
手を使って適当に返り血を拭う女から一睨みされ、軽口を叩いた四十台ほどの無精髭を生やした男は肩をすくめてその場を去っていく。
「――最近、荒れとるな」
「目に余るから、あたしをギルドから首にするかい? ――いつものお願い」
「はい」
娯楽台の一番奥にあるバーの椅子に座り、女はバーテンの男に強めの酒を注文する。
「何かあったのか?」
「別に……ただ、ここんところずっとイライラしているだけさ」
女には、苛立ちの原因はもう解かっていた。
魔術教団モルネオン。自分たちの研究の邪魔をさせない為というだけの理由でこのハイドランド王国の転覆を狙う、反国家勢力の一つだ。
彼らは地下で暗躍し、じわじわと真綿で首を絞めるように獲物を追い詰めていく策略を好む。頭でっかちな魔法使いたちの組織だけあって、陰湿さは敵対組織の中でもピカイチだ。
正面からの戦闘に絶対の自信を持つ彼女であっても、訪ねた先がもぬけの殻では手の出しようがない。アジトの外れを散々引かされ、女の苛立ちはピークに達しようとしていた。
「――そうじゃな。ならば、この依頼を頼まれてはくれんか」
――遺跡探索、相方求む。
サミュエルが出したのは、羊皮紙に綴られた簡潔に過ぎる依頼だった。切れ端などで十分な文章しか書かれていないのに、丸々一枚を依頼書としているのでかなりもったいない事になっている。
「なんだい、こりゃ?」
「最近、新しくギルドに加入したいという若者がおってな。その小僧が張り出した依頼じゃ」
元々街の近くにあった古代エリシア文明の遺産である門の一つが、突如「ゲート」として世界に散らばる九つの遺跡と繋がった。
国王の命により遺跡の探索はギルド主導で行われ、加入者以外は立ち入り禁止とされていた。
採用試験により一定以上の実力者でなければギルドには加入出来ず、それでも毎日一人以上の死者が止まらないのだから遺跡の危険度は推して知るべしだ。
ギルドの採用試験とは、遺跡の中でももっとも難易度が低いとされる古代神殿の遺跡に赴き生きて帰って来る事。
入り口と出口の「ゲート」は別にあり、古代神殿の出口の一つは凶悪な魔物であるハーピーたちの巣の近くにある。
逃げ回って到達するも良し、全ての魔物を蹴散らして目指すも良し。勇気と蛮勇を履き違えなければ、それだけ死は遠ざけられる。
それすら解からず財宝欲しさに目が眩んだ愚か者に、遺跡から生還する資格はない。
「得手は……魔法か」
最近、その単語を聞く事すら憂鬱になり始めている女には、些か面倒な依頼主だ。
「あのモルガンの秘蔵っ子だ。育てれば、いっぱしになるやもしれん」
「あ? あぁ、あの根暗かい。遂に尻が火事になったのかね」
バーテンから渡された酒を一息であおり、女はカラカラと笑みを浮かべる。
モルガンの借家に住む魔法使いが長く家賃を滞納している事は、あの魔女の愚痴に付き合った事のある者ならば誰もが知っている街の常識だ。
「お主は一度、モルネオン共の探索からは外す。この小僧と一緒に、遺跡で好き勝手に暴れて来い」
「ははっ、ありがたいね。休暇ついでに金まで貰えるなんざ、あたしは良い職場に就けたもんだよ」
女は追加で注文した酒も一気にあおると、今度は人好きのする気風の良い笑みへと変わり依頼書をサミュエルからひったくる。
ギルド役員が女の散らかした血や壊れた家具の片付けなどに勤しむ中、一枚の羊皮紙を片手に背中で語る長身の女がギルドの館を後にした。
偶然と、必然と、ほんの少しの奇跡。彼女もまた、運命に導かれた一人だ。
世界を揺るがす大きな渦の中心が、彼女とその仲間たちを手招きしている。
彼女はそれを恐れはしないだろう。育ての親であるアマゾネスたちから受け継いだ、その屈強な身体と相棒である戦斧がある限り。
或いは、すでに走り始めた運命の矢が捉える結末でさえも――また――
◇
整備された街道とはいえ、馬が進めばその後ろに取り付けられた馬車は窪地や石によって時折ガタッ、ゴトッ、と激しく揺れ動く。
「ねーぇー、ロニー。まだなのー」
そんな猛威などどこ吹く風と、自分の荷物を枕代わりにして馬車の中で寝転がる、皮と布で作られた軽装を身にまとった線の細い小柄な少女。
「街に着いたら何食べようかなー? ジューシーなお肉にー、キンキンに冷えたエール。海路もあるって話だし、ロブスターの姿焼きなんてのもあるかも……うふふふー、じゅるり」
頭の中で豪華な食卓を想像し、涎を垂らすこの少女は人間ではない。森の賢者と称され、木々や精霊などの調和を司る種族、エルフだ。
その証拠に、服と一体化したフードの奥からチラリと覗く二つの耳は人間よりもピンッと跳ねるような形で上へと伸びている。
エルフは基本排他的種族であり、森の奥深くの集落から外に出ようとはしない。一生を終える内に森の外を見ずに天寿をまっとうする者も少なくないほどだ。
よって、幾らお転婆が過ぎるとはいえ彼女のような「食」に欲望を傾け集落を出奔してしまうようなエルフは、種族の中でも非常に珍しい部類だと言って良いだろう。
やや幼い少女にも見えるそのエルフは、同じくフードを被って対面で金貨を数えている如何にも怪しそうな猫背の青年に問う。
「あぁ~? さっきからなんべん同じ事聞きゃあ気が済むんだよ、チビメルティ。まだ峠が一つ残ってんだ、黙って寝てるか幌の上で見張りでもしてろ」
ロニと呼ばれた男は、数えた金貨を小さな麻袋へと突っ込み脇に置いた更に大きな袋へと放りながら、面倒臭いとつっけんどんに突き放した。
少女の問いは、この馬車に乗ってからすでに百回は繰り返されている。彼の適当な対応も、無理からぬ事だった。
「チビって言うなー! ロニの方が人間の癖にチビじゃないっ」
上げた両足を振り下ろす勢いに乗って起き上がり、むくれ顔でロニへと少女が詰め寄る。
「へいへい、悪かった悪かった」
「誠意が感じられない!」
「がはっ!」
少女の剣幕を受け流し、続いて大きな袋から取り出した銀貨の袋の中身を数えようとしたロニの顎へと、少女は掬い上げるような前蹴りを叩き込む。
「何しやがるこのガキッ!」
「こう見えて、貴方よりも年上ですよーだ」
自分の顎よりも袋から硬貨が飛び散る事を防ぎ通したロニは、ぞんざいに扱いながらもしっかりと大袋に小袋を入れてから少女と改めて睨み合う。
青年と少女では明らかに少女の方が若く見えるが、彼女の言葉は紛れもない事実だ。人間とは異なる生態を持つ別種族は、寿命や成長過程も異なる場合が多い。
「見た目もガキで中身もガキなら、何年生きてようがお前はガキなんだよ!」
「なんだとー! そんな意地悪いう口はぁ、これかぁっ!」
「ふんぐー!」
「むいー!」
口ゲンカの末、互いの両頬を引っ張り合うという完全に不毛な争いへと発展する二人。因みに、少女の方は情け容赦のない全力だが、ロニはバレない程度の手加減をしている。
口の悪さで誤解されがちだが、ロニは紳士だった。
「――ぷぁっ!」
「――ぷぃっ!」
引っ張り過ぎて双方の手がすっぽ抜けた後、今度は至近距離で眼光を飛ばし合いながら更に争いの熱を上げていく。
「この、無駄メシ食らいのチビエルフ!」
「へんっだ! 脳みその変わりに金貨が詰まってる鍵開けバカ!」
「大体、てめぇが「ハイドランドに行ってみたい」なんざ言い出したから、こんなクソ金の掛かる長旅してんだろうが!」
「何よぉ! ロニだって行く気マンマンだったじゃない! 「遺跡の財宝は全部オレ様のもんだぜ、げっへっへっ」とか気持ち悪い事言って!」
「言ってねぇよ! 流石のオレも、げっへっへっなんて笑い方はしねぇから!」
「時々してるよ、気付いてないの?」
「マジか!?」
「マジよ!」
「ヤベェな!」
途中からもう口ゲンカですらなくなっているのだが、二人が気付いた様子はない。
仲が悪いのか良いのか良く解からない二人の会話を音楽に、年老いた御者が我関せずと馬を進めて行く。
エルフの大食漢メルティエル=ミスティルテインと、鍵開け盗賊のロニ。
エルフと人間の凸凹コンビが、
ドラゴンズクラウン――世界を滅ぼすほどの力を宿すとされる、栄光と破滅の至宝を求めて――
◇
それは星に似ている――
光り、走り、そして消えゆく一筋の流れ星に――
三つの女神と、九つの遺跡と、数限りない無限の冒険――
喜び、悲しみ、笑い、泣き、そして生きる――
ハイドランドという王国を中心に、世界の運命を揺るがし六人の英雄を生み出す物語が今、胎動を開始する。
ドラゴンズクラウン――
それは、永遠に語り継がれる竜とひとの絵物語――