TS錬成術師の受難   作:シ者

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小説家になろうの22.23.24.25話を統合しました。
 アンケートをよろしくお願いします!


ゴブリン討伐戦

 

 ――静かな朝だった。

 差し込む陽光が薄いカーテン越しに揺らぎ、室内を柔らかく照らしている。

 かすかに聞こえる鳥の声と、外のざわめき。

 それらの音が、夢と現実の境界をぼかしていた。

 

「……ん、……?」

 

 静流はゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりと霞む視界の先、白い天井。

 だが、すぐに違和感を覚えた。

 温かいものに抱きついている自分。

 腕に力を入れると柔らかいそれはモゾモゾと動き、抱きしめ返してきて胸の間に収まった。思わずいつものように胸元に見えたうなじに顔をうずめ、ちろりと舐めるとビクッと跳ねるように驚き嬌声を上げた。

 

 驚きで跳ねたエリンは、一瞬目を開けかけて――また夢に戻るように力を抜いた。

 

 

 暫く寝ぼけたままイタズラを続けた静流は不意に思い出した。今いるのは異世界だったと。

 

 視線を動かした瞬間、現実が急速に輪郭を取り戻す。

 彼女はベッドの中で、誰かに抱き締められていた。

 いや、正確には、自分の腕がその相手の腰にまわっている。

 

 ――エリンだ。

 

 息が止まり、胸が跳ねた。

 その感触は夢にしてはあまりにも現実的で、肌に残る温もりは否定の余地を与えなかった。

 

(……なんで……?)

 

 目に映る彼女の金の髪に触れる。

 少し寝癖がついていて、甘い香りが近かった。

 呼吸をするたびに胸の奥がざわめく。

 

(……昨日の記憶……宴会で……キノコ料理……ジュースを飲んで……それから……?)

 

 脳がぐるぐると回転するが答えは出ない。

 代わりに――心臓の音だけが耳の奥でうるさいほど響いた。

 

 エリンがゆっくりと目を開けた。

 瞬き一つ、そして……静流と目が合う。

 二人の距離は、息が混じるほど近かった。

 

「……お、おはよう……静流」

「……おはようございます……?」

 

 彼女の吐息が頬にかかる距離だった。

 離れようとしたのに、腕がうまく動かない。

 自分の指先が、彼女の柔肌に触れてしまっている。

 

(やわらかい…………)

 

 エリンに触れていることで安心感を覚える一方、何故このような状況になっているのか分からず、どくどくと心臓が速く動いていた。

 

 そのとき――

 部屋の入り口から、低い息の音が聞こえた。

 

「……起きたか」

 

 ヴァルターだった。

 扉の前で椅子に座り、目を閉じたまま、剣に手を添えている。

 

(……何故ヴァルターが同じ部屋に……!?)

 

 静流の身体がびくりと強張り、エリンも同時に顔を赤くした。

 

「ヴァル!? ちょっと、いつから起きてたのよ!?」

「さっき起きた……」

 

 短く、平然と答えるヴァルター。

 だが、まぶたの下でわずかに動く瞳が、すべてを知っているように見えた。

 

「……っ、ち、違うのよ!?」

「説明は要らん。俺は何も聞いてない」

 

 静流は思わず目を伏せ、心臓を押さえた。

 

 ……豊満な胸部が邪魔で距離が遠い。しかしその鼓動が激しいことは感じられる。

 

 ――エリンにイタズラをしたのが知られているかもしれないと思うと恥ずかしい……。

 

 エリンは息を吐き、髪をかき上げながら苦笑する。

 

「……まったく、朝から心臓に悪いわ」 「……そうですね」

 

 静流は小さく呟いた。

 その声はまだ震えていたが、少しだけ柔らかく笑っていた。

 

 外では、鳥の声が再び鳴き始めている。

 張り詰めた空気の中に、ほんの少しだけ“温度”が戻った。

 

 

 ――静かな朝が、ようやく動き出した。

 ベッドの上にいた静流とエリンは、ようやくゆっくりと身体を離した。

 

「……寝ぼけてたみたいです。ほんとにすみません……!」

 

 許して欲しいという気持ちを込め上目遣いで言う。

 

 エリンはそんな静流の様子を見て小さく微笑み、軽く寝癖のついた金の髪をかき上げながら嬉しそうにしていた。

 

「いいのよ、気にしないで。……むしろ寝ぼけながらでも……嬉しかったわ……」

「……それならよかったです……」

 

 少し安心し言葉を詰まらせる静流。

 エリンはレズビアンなので大丈夫だとは思っていたが、自身の精神は男なので少し罪悪感が残った。

 

 エリンはくすっと笑いながら、ベッドの端に腰掛けた。

 

「……でも、変だったわね。昨日の夜、あなたの体調が急に悪くなったの。キノコ料理を食べた後、ジュースを飲んで……すぐ眠っちゃったのよ。覚えてる?」

「……そこまでは、なんとなく……。あの後、何かありましたか?」

 

 問いかける静流に、エリンが少しだけ顔を曇らせる。

 

「……宴の中で、酔った木樵たちがちょっと危ない雰囲気だったの。でも、ヴァルターが一瞬で黙らせてくれたわ。あなたはそのまま眠ってたけど……本当に危なかったのよ」

 

 静流は驚いたように目を瞬かせた。

 胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

「……助けてもらってたんですね」

「そう。でも気にしないでね?仲間なんだから当然でしょ?」

 

 エリンはそう言って、そっと静流の髪を撫でた。

 

 その柔らかな手のひらの感触を受け入れる。

 

 甘えているようで少し複雑だ。

 けれど、不思議と――嫌ではなかった。

 

 ヴァルターの声が、そこで静かに割り込む。

 

「……仲間、だからな。でも油断しすぎると良くないぞ」

 

 彼はまだ扉の前の椅子に腰かけたまま、静かに立ち上がった。

 

 剣を腰に戻し、少し伸びをしてから振り返る。

 

「……二人とも支度をしろ。出発の準備をする」

「はい……」

 静流は慌てて毛布を直し、脱げていた衣服を着直す。

 

 エリンも同じように着替えを整えながら、ちらりとヴァルターの背を見つめた。

 

 その表情に、ほんの少しの寂しさが見えた。

 

 ――ヴァルターは、二人の間に流れる空気を感じ取っていた。

 

 静流とエリンの距離感が近いことを。

 

 笑い声が重なったとき、自分だけ少し離れた場所にいる感覚。

 

 だが、彼は微笑んだ。

 ほんのわずかに、誰にも見えないほど小さく。

 

(……いいことだ。仲間が笑っているなら、それでいい)

 

 そう心の中で呟き、ヴァルターは扉を開けて朝の光の中へ出た。

 

 その背中を見送りながら、静流はぽつりと呟いた。

 

「……ヴァルターさん、優しいですね」

「そうね。でもヴァルは優しすぎるところがあるの。自分の感情を置き去りにして、誰かを守ろうとする。……だから、放っておけないのよ」

 

 エリンはそう言って、静流の肩にそっと手を置いた。

 

 その温もりに、静流の心がまた少しざわめく。

 

 ――身体は女、心は男。

 

 二人の“仲間”としてここにいるが、精神と肉体のズレが自身の対応を曖昧にする。

 

 これから上手くやっていけるか心配だけれど、仲間を傷付けずに共に生きて行きたい。

 

 ――静流は自然とそう思っていた。

 

 

――――――――――――

 

 

 ――朝の支度が整った。

 鏡に映る自分の顔に、まだ“自分”という実感が持てない。精神と肉体の不一致はどうにもその心を重くさせる。

 

 宿の外に出ると、朝霧が薄く立ちこめており、街全体がまだ目を覚ましたばかりのようだった。

 

 焚き火の煙が漂う中、パンの焼ける香ばしい匂いと、遠くの鍛冶場の金属音が重なる。

 

 静流は小さく息を吐きながら、腰のポーチを確認する。錬成素材、携行用の魔石、緊急用の回復薬。

 

 ――どれも昨日のうちに整えておいた。抜かりはない。

 

「静流、準備できた?」

 

 背後から声をかけてきたのはエリンだった。

 金の髪を後ろで束ね、軽装の神聖な雰囲気の衣服で身を包んだ彼女は、昨日よりも少し頼もしく見える。

 

「はい。忘れ物はないと思います」

「ふふ、あなたって几帳面ね。……そういうところ、助かるわ」

 

 柔らかな笑みを向けられ、静流は少しだけ頬を赤らめた。

 

 ヴァルターはそのやり取りを横目で見ながら、剣の刃を点検している。

 

 彼の表情には緊張感はなく、ただ静かに出発の準備を進めていた。

 

 そこへ、ギルドマスターのラゴウと、補佐のアリシアがやってきた。

 

 真剣な面持ちで冒険者たちを見回している。

 

 集まったのは十数名の冒険者たち。大半はブロンズランクの冒険者で、昨日の宴にいた顔も混じっていた。

 

「――全員、集まったな」

 

ラゴウが低く、しかしよく通る声で言った。

その瞬間、場のざわめきがすっと消え、皆の視線が彼に集中する。

 

「これより、ゴブリンの集落制圧作戦を開始する。今回の目的は、集落の完全殲滅と巣穴の封鎖だ。……いいか、逃げた個体を見逃すな。被害が再発する」

 

 いつもの荒っぽい口調を改めて告げるラゴウ。

 一拍置いて、冒険者たちの顔を順番に見渡した。

 その視線には、いつもの陽気さはない。

 

「今回の作戦の役割を説明する。まず、周囲の警戒と退路の封鎖は、お前たち一般冒険者の仕事だ。決して深入りするな。敵を取り逃がさないようにだけ集中しろ」

 

 静まり返った空気の中、冒険者たちが一斉に頷いた。

 

「次に、殲滅を担当するのは、ミスリルランクのヴァルターとエリン。お前たちは主戦力だ。無理はせず、確実に仕留めてくれ」

「了解した」

「任せておいて」

 

ヴァルターの低い声と、エリンの凛とした返事が重なる。

 

 その響きに、場の空気が一段引き締まった。

 ラゴウはうなずき、静流の方へ目を向けた。

 

「今回の道案内は、このゴブリン集落を発見した静流が務める。お前が見つけた場所へ皆を案内してもらう。現場に着いたら、地形の把握と巣の位置を正確に伝えてくれ」

 

「……はい、任せてください」

 

 静流は一歩前に出て、はっきりと答えた。

緊張と同時に、わずかな誇りのような感情が胸に広がる。

 

 アリシアが少し微笑みながら声を添える。

 

「静流さん、無理はしないでくださいね。あなたがいたから、私たちは動けるんですから」

「ありがとうございます。……気をつけて行ってきます」

 

 そのやり取りを見ていたラゴウが腕を組み、短く頷いた。

 

「――よし、以上だ。出発は五分後。各自、最終確認を済ませろ!」

 

 号令と共に、冒険者たちが一斉に動き出す。

 武具の音、靴底の土を踏む音、風を切る音。

 それぞれが自分の役割を理解し、整然と準備を進めていた。

 

 静流は万物保管庫(インベントリ)を誤魔化す為に背負ったリュックを確かめると、ヴァルターとエリンのもとに並ぶ。

 

「静流。緊張してるのか?」

「……正直、少しだけ」

「大丈夫。私たちがいるもの」

 

 その言葉に、静流はわずかに息を吐いて頷いた。

 やがて、ラゴウが前に立ち、右手を高く上げた。

 

「――出発しろ!」

 

 短い号令とともに、静流たちの後ろを十数人の冒険者たちが一斉に進み出す。

 

 朝日が昇り始め、森の木々が黄金色に染まっていく。

 

 その中で、静流は一歩ずつ前へと進む。

 

 独りでの攻略を断念したゴブリンの巣へ、再び。

 

 だが今回は違う――。

 

 もう独りではない。

 

 仲間と共に、力を合わせて進むのだ。

 

 その背中には、ヴァルターの冷静な気配と、エリンの温かな視線が寄り添っていた。

 

 そして、三人の足音が、冒険者たちの足音と共に朝靄の中へと消えていった。

 

 

――――――――――――

 

 

 森の空気は、ひんやりとして澄んでいた。

 

 朝の光が葉の間から差し込み、湿った苔の香りが漂う。

 

 十数名の冒険者たちは、それぞれ距離を保ちながら静かに行進していた。

 足音と装備のきしみが、規則的なリズムを刻む。

 

 ――意外なことに、動物や魔物の気配はまったくなかった。

 森が、まるで何かを警戒して息を潜めているようだった。

 

「……妙に静かだな」

 

 ヴァルターが低く呟く。

 彼の声に反応して、先頭を歩く静流も頷いた。

 

「ええ。まるで、獣たちが何かに怯えているようです」

「ゴブリンの巣が近いせいか」

「……何か起こっているのかもしれないわ」

 

 エリンの言葉には、淡い警戒と共に微かな緊張が滲んでいた。

 

 それでも道中は穏やかに過ぎていく。

 やがて森の奥へ進むにつれ、鳥の声すら遠のいていった。

 

 そんな中、自然と会話が生まれた。

 沈黙を埋めるように、エリンがふと尋ねる。

 

「そういえば私たち、職業について詳しく話し合ってなかったわね」

「……そうだったな。俺から言おう」

 

 ヴァルターはわずかに口角を上げ、短く答えた。

 

「俺の職業は――狂戦士《バーサーカー》だ」

「……狂戦士?」

 

 静流が思わず振り返る。

 あの冷静な男の口から出るには、あまりにも意外な言葉だった。

 

「意外でしょう?」

 

 エリンは楽しそうに手で口元を隠して笑い。

 ヴァルターは苦笑しながら肩をすくめた。

 

「俺も何故狂戦士なのかと今でも思っている……。だが職業は“狂化”がメインの職業スキルである狂戦士だ。一時的に身体能力が跳ね上がる代わりに理性を削るから、あくまでもピンチを打開するためのスキルと考えてくれ。俺はあくまで冷静に戦うのが信条だからな」

 

 その言葉には、長年の戦場で培った自制と誇りが滲んでいた。

 

 静流は少し感心したように微笑む。

 

「……確かに、ヴァルターが取り乱すところなんて想像できません」

「そうだろう?」

 

 彼は短く笑った。その笑みは、鋼のように静かだった。

 

 エリンがその会話に続くように口を開く。

 

「私はハイプリースト。基本は神聖魔法で回復を担うけど、光属性の攻撃魔法も使えるの」

「頼もしいですね。……何か接近された時の手段等はありますか?」

 

 静流の言葉に、エリンが甘いと言いたげに指を振る。

 

「静流、後衛しか出来ない魔法使いは足手まといよ!攻撃に織り交ぜて魔法を使って接近戦ができて一人前なの!」

「……ふふ、エリンらしい発言ですね。でも近接職以外では近接で戦えない人のほうが多いですよ」

「幾つもの戦場を越えてきた。その実力は保証するぞ」

 

 ヴァルターも目を細め、言いながら頷いたが、今度は静流に視線を向ける。

 

「静流の職業は何だ?一度ウルフとの戦いは見たが、技術だけで仕留めただろう?」

「……大きい声で言えないけど、黒衣にインベントリのスキルがあるじゃない?もしかして職業が関係してたりするのかしら?」

「……エリン、流石ですね。黒衣は私の職業錬成術師《アルケミスト》の象徴といえる装備だと考えています」

 

 ヴァルターとエリンが興味深げに首を傾げる。

 静流は歩調を緩め、羽織っている黒衣を軽く摘まんだ。

 

「戦いは――これを使います」

「その黒衣を?」

「はい。これは……“神の悪戯”で手に入れたものなんです」

「……神の悪戯か」

 

 ヴァルターが目を細めた。

 静流は一瞬言葉を選ぶように息を整え、淡々と続けた。

 

「この黒衣にはインベントリ以外にもスキルがあって、あらゆる武具に変形可能で、重量も所有者の私にはとても軽いです」

「なるほど……。お伽噺で聞いたことがあるようなスキルね!」

 

 エリンが目を輝かせる。

 静流は控えめに頷いた。

 

「これがあったから生き残れました。今回の討伐戦でも十分役に立てるかと。足手まといにはならないように頑張ります」

 

「足手まといどころか静流がいなきゃ発見も出来なかったかもしれないわよ?」

 

 エリンが柔らかく笑う。

 静流はその笑顔を見て、一瞬だけ心が温かくなった。

 

 だが同時に――ふと鏡に映る自分を思い出す。

 

 胸の奥に、またあの違和感が広がった。

 

(……私は今、“女性”として見られている)

 

 足取りが少しだけ鈍る。

 静流は気持ちを切り替えるため、深く息を吸い、心を整えた。

 

 雑談をしながら目的地へと向かっている静流・ヴァルター・エリン。

 

 

 そんな三人のやり取りを後方の冒険者たちは少し距離を置いて眺めていた。

 

「見ろよ、あの三人……美形揃いだよな」

「ヴァルターさん、やっぱカッコいいな。あの背中、惚れるわ」

「エリンさんは綺麗で声が凛としてて活発なのがギャップもあってイイよな」

「でも一番ヤバいのはあの静流って子だろ……あの容姿に雰囲気、なんていうか……」

「……正直オンジさんが羨ましいよ。あの身体を……」

「確かに羨ましかったけど、……オンジさん……腕なくなっちゃったぜ?」

「見てるだけで満足するしかないさ……」

「ヴァルターさんハーレムだな」

 

 小声で囁き合う冒険者たち。

 

 それを聞いていた女性冒険者が苦笑しながら肩をすくめた。

 

「まったく、任務中によくそんな余裕があるわね」

「誰だって気にならないか?まさに絶世の美少女だぞ?」

「……まあ、わからなくもないけど」

 

 そんな軽口が飛び交う中、隊列は静かに森を抜けていく。

 

「そろそろ到着します、皆さん静かについてきて下さい」

 

 木々の隙間から差し込む光が、やがて広い空間を照らした。

 

 開けた所に見える幾つもの大穴。

 岩肌の住処と周りに夥しいほど散らばる大小の骨――

 

 ――ゴブリンの集落に到着したのだ。

 

 静流は立ち止まり、黒衣の裾を掴む。

 ヴァルターとエリンも無言で前へ出た。

 

「……着いたようね」

「ええ。ここからが本番です」

「一仕事と行こうか」

 

 ヴァルターの目が細く光る。

 

 その瞬間、先ほどまで穏やかだった空気が一変した。

 

 森が再び息を潜め、風が止む。

 静流は無意識に息を整えた。

 心臓の鼓動が、再び早まっていく。

 

 ――戦いの気配が、確かにそこにあった。

 

 冒険者たちがゴブリン集落を目にした瞬間、空気が張りつめた。

 

 苔むした岩壁の大穴から漂う腐臭と、乾いた血の匂いが鼻を刺す。

 

 遠くで、くぐもった笑い声が風に混じって聞こえた。

 

「……ここまで大きなゴブリン拠点は初めて見たわね」

 

 エリンが杖を握り直す。

 ヴァルターは前に出て、大剣を担いだ。

 刃がわずかに陽を反射して、白く光る。

 

「エリン、魔法での先制は控えよう。中には“まだ生きている”人がいる可能性が高い」 「……私は全滅させることができるならそれも良いと思いますが、横穴があったり掘るのが得意なスキル持ちがいる可能性が高いかと考えています。なので、誘き寄せ魔法で数を減らしてから巣穴に突入すべきかと」

 

 静流の声は静かだったがその主張は皆に届いていた。合理的な判断は理解を得やすい。ミスリルランク冒険者がいる内に、確実に討伐を済ませたい思惑もあるだろう。

 

 生存者の可能性がある以上、無闇な殲滅はできない。

 

「よし、それではまず見える範囲のゴブリンを始末しよう。冒険者たちは周囲の警戒と逃亡するゴブリンを任せたぞ」

 

 ヴァルターの声が低く響いた。

 その表情には、長年戦場を渡ってきた者の冷静な覚悟が宿っている。

 

「戦闘が始まればすぐに戦闘に気づいたゴブリン達が巣穴から出てくるだろう。エリンと静流は支援を頼む」

「ええ、まかせて!」

「了解です。トラップには警戒してください」

 

 三人は視線を交わし、わずかに頷き合う。

 

 その合図を皮切りに――ヴァルターが地を蹴った。

 

 地面が一瞬沈むほどの踏み込み。彼の姿が残像と化し、集落に散らばっている内の近くにいたゴブリンの頭をその大剣で弾け飛ばす。

 

「グギャッ!? ギィイイイイイ!」

 

 甲高い悲鳴が周囲に大きく響く。

 それを合図に、地表の住処や巣穴から合計で百を超えるだろうゴブリンの群れがぞろぞろと姿を現した。

 

「出てきたわね……!」

 

 エリンが杖を掲げ、淡い光を放つ。

 

「――照らせ、世界を。イルミナフラーレ!」

 

 杖から放たれた指向性を持った閃光が巣穴から出てきた数十ものゴブリン達を照らした。

 

 それは激しい熱をゴブリンに伝播させ、その体を焼いていく。

 

「ギャアアアァ!」

 

 悲鳴が重なり、黒煙を上げて崩れ落ちる地表に出てきたばかりのゴブリンの群れ。エリンの光魔法の威力は戦術級と言っていい威力であった。

 

「エリンの魔法は凄いですね」

 

 静流も駆け出し、ヴァルターと共に生き残りのゴブリンを討伐する。

 

 しかし暫く経つも、散発的に出てくるゴブリンは途切れる様子を見せない。エリンもミスリルランクの身体能力を活かし、接近戦で数を減らすことにシフトする。

 

「……流石に異常すぎるわよ。もう数百は殺してるはずなのに……」

 

 エリンが言った異常を皆が感じていた。集落規模であっても、数百匹も殺せば大体底をつき、逃げ出すゴブリンも出てくるのが当然で、死を恐れずに突撃を繰り返す姿は必死に何かを守ろうとしているようだった。

 

「これは、特殊上位種(スペリオリス)の可能性も考えるべきだな」

「……特殊上位種とは?」

 

 ヴァルターの発言を拾った静流が尋ねる。静流が知っているゴブリンの上位種はキングゴブリンが最上位であったので、特殊と称される存在に疑問をもったゆえ。

 

「もしキングが出現するほど育った群れの場合は巣穴になど籠もらない。しかし。これほど育った集団が、巣穴から出て行動を開始していなかったのは、特殊上位種がいたからだろう」

「……マザーゴブリンじゃないでしょうね?」

「マザーゴブリン……ですか?」

 

 名前からしてゴブリンを産み出す存在だろうが、マザーゴブリンは巣穴に籠もるということだろうかと静流は思考した。

 

「マザーゴブリンは魔人級の魔物だ。あらゆる人形の雄を虜にしゴブリンを生み続けるイレギュラー的存在だ。単体での強さも、特殊進化体(アノマリス)のゴブリンヒーローに匹敵する。実力はミスリルランクだ」

「過去に戦ったキングとヒーローがいた群れはヤバかったわ……どっちか一体いるだけでミスリルランクに匹敵する集団だったのよ。もしここにマザーがいるなら注意しないと……」

「……考えていたよりも危ない群れかも知れないんですね」

 

 もし静流が発見した段階で攻撃を仕掛けていたらただでは済まなかったと、その顔に冷や汗が垂れる。背筋も危うかった事実に凍りつきそうだ。

 

「……来る」

 

 ヴァルターがが低く呟いた瞬間、巣穴から凄まじい勢いで一つの影が襲い掛かる。

 

 影が突き出した剣を大剣で受け止めるも、それは、体が地面を滑るほどの衝撃を与えた。

 

「くっ!こいつはヒーローだ!注意しろ!!」

「取り巻きを連れず出てくるなんて……何か嫌な予感がするわ……」

「これがヒーロー……見た目は普通のゴブリンですが……力と速度は比べ物になりませんね」

 

 その言葉の直後、ヴァルターの足元がわずかに沈んだ。

 

 瞬間、ヴァルターは反射的に飛び退く。

 踏み抜いた地面が崩れ、下から竹槍のような罠が突き出してきた。

 

「罠を利用するほどの知性が……?」

「……偶然じゃないのなら、ただのヒーローでもないのかしら?」

 

 エリンの顔に険しさが浮かぶ。

 

 たとえヒーローであっても、通常は知能に限界がある。更に特殊な個体なのか、やはりマザーがいて何らかの影響を受けているのか……。

 

 ヴァルターは大剣を再び構え、エリンと静流がその後ろに移動し、精悍な顔をしたゴブリンヒーローと相対する。一筋縄では行かない雰囲気だ。

 

 すると、静流は二人が予想もしなかったことを言った。

 

「……ふう。奴の……スキルが分かりました」

「……なんだと?……とりあえず詳細を頼む」

「……まさか鑑定スキル持ちなの!?」

 

 驚いた二人が声を漏らすが、静流は鑑定の使用で思っていたより消耗したので、気にせずスキルの説明を行う。

 

「スキルは3つ、【衝撃】【斬撃】【光の加護】です。……説明はいりますか?」

「いや、それだけわかれば十分だ」

「加護持ちのヒーロー……油断できないわね」

 

「ギギギギギィィ……!」

 

 喉を鳴らしながら、両手に刃を掲げるその姿――スキルを使う前触れのようだ。眼光が怪しく光り、その力を解放する。

 

 「ギーギリィ、ギギリイィ!!」

 

 放たれたその破滅の一撃は、スキル3つの力を秘めていた。破壊に満ちたエネルギーの塊が三人を襲う。

 

「くそっ!仕方ない……!――【欲望を糧に(リビドゥム)】【狂化(マニア)】!!」

「聖域をここに――サンクティアヴェール」

「っ!――千変万化(メタモルフォーゼ)

 

 ヴァルターがスキルの発動で相殺を狙い、エリンは神聖魔法による結界を張り、静流は黒衣を千変万化である物に変形させた。

 

 破壊の概念を込められたエネルギーにより、結界は威力を減退させた後に破壊され、ヴァルターに迫った。

 

 その時、ヴァルターの様子が豹変する。普段の雰囲気は消え失せ、まるで狂気に満ちた荒々しい叫びを発す。

 

「――ッッオオオオオオオオォォォォッ!!!」

 

 振り下ろされた大剣により、破壊のエネルギーが一刀両断に分かたれる。

 

 少しして、両断されたエネルギーは音もなく霧散した。

 

 「アレを使うと後が大変なのよね……」

 

 エリンが小さく呟いたのを聞き、静流はどうしたのか首を傾げた。

 

「……何が大変なんですか?」

「うーん。……また今度ね?それよりも静流はさっき槍を投げてなかった?」

「……躱されましたけどね」

 

 しっかりと二人に守られていた為、静流は千変万化による投げ槍を試したが、その一撃はぎりぎりで躱されてしまったので、ヒーローは無傷である。

 

 静流がヴァルターの様子を確認した時――

 

 ――次の瞬間、戦場が爆ぜた。

 

「ガアアアァアァァァアアアアアッ!!」

 ヴァルターが咆哮を上げ、全身を震わせて突進した。

 

 その動きは鉄塊のように重く、しかし異常なほど速い。筋肉が膨張し、血管が浮かび、瞳は紅に染まる。

 

 ――狂化。

 

 それは戦士の理性を焼き払い、ただ“勝利”という衝動だけを残す禁断の力。

 

 振り下ろされた大剣が空気を裂き、破裂音のような衝撃が走る。

 

 鋼と鋼がぶつかり合い、空間が弾けた。

 だが、その一撃を――ゴブリンヒーローは難なく受け止めていた。

 

 体格も武器の大きさもヴァルターが上。にもかかわらず、膂力は拮抗している。ゴブリンヒーローの身体を覆う薄膜のような光が、理を歪めているかのようだった。

 

 剣戟が幾度も交差し、地がえぐれ、風が爆ぜる。だが決着はつかない。焦燥だけが戦場に広がっていった。

 

「ヴァル! 今よ、下がって!」

 

 エリンの声が鋭く響く。

 彼女は杖を高く掲げ、光を一点に収束させていた。

 

 さっきの広範囲殲滅魔法――《イルミナフラーレ》とは違う。

 

 今度は、光を“貫く槍”に変える術式。

 

「――光の速さで闇を穿つ光よ、我が導となれ――イルミナランス!!」

 

 瞬間、杖先から放たれた閃光が空気を裂いた。

 

 一筋の白光がゴブリンヒーローの右腕を貫く。

 

 焼け焦げる音。

 皮膚が弾け、黒く焦げた穴が残った。

 

「ギィ……ギャアアアアアアア!!」

 

 ヒーローが怒号を上げる。

 

 腕を庇いながら、獣のように視線を走らせ――その赤い瞳が、動かず立っている静流を捉えた。

 

「……っ、静流! 気をつけて!」

 

 エリンの叫びと同時に、ヒーローが地を爆ぜさせて跳躍する。

 

 そして、一直線に静流へと飛び掛かってきた。

 

「……来ましたね」

 

 静流は息を整え、無手で構えた。

 迫りくるヒーローの脅威にも、その瞳は一片の恐れすら映さない。

 

 油断して接近した魔物を“仕留める”(トラップ)を――彼女は既に用意していたのだ。

 

 右手をわずかに上げ、低く囁く。

 

「――回帰(リターン)

 

 直後、巣穴の影から鋭い風音。

 黒い槍が空を裂き、一直線に飛来。

 無防備なヒーローの背を貫いた。

 

「――グガァッ!?」

 

 ヒーローの身体が痙攣し、振り上げた刃が空を切る。

 

 そのまま前のめりに倒れ、地面を抉るようにして膝をついた。

 

 背から突き出た黒槍が淡く光り、静かに消えた後、黒衣となり静流の背へと羽織られる。

 

 彼女の瞳が冷ややかに細められた。

 

「一番単純なパターンでおしまいですか。……あれほどの力を持っていても、所詮は魔物ということですね」

 

 エリンが息を整えながら杖を下ろす。

 その横顔にはわずかな戦慄が浮かんでいた。

 

「静流のそれ……怖いくらい正確ね……」

 

 ヴァルターは荒い呼吸で狂化のオーラがまだその身を包んだまま、こちらにやってくる。

 

「まだ……生きてる。トドメを……刺すんだ」

 

 ――その瞬間。

 

 巣穴の奥から、低く重い音が響く。

 大地が鳴り、空気が震えた。

 静流が顔を上げ、洞窟の闇を見つめる。

 

「……また、何か来ますね」

 

 闇の奥で、何かが蠢いている。

 地を揺らしながら姿を現したのは――巨大な棍棒を担ぐ、緑肌の美女。

 その肢体は人のように均整が取れているが、瞳には理性の欠片もない。

 わずかに布をまとった姿は、異様な艶を帯びていた。

 

「こいつは……マザーか」

「……まだ若い個体ね」

 

 エリンが低く呟く。

 静流は黒衣の裾を握り、短く息を吐いた。

 

「……少し頼みますね。ヴァルター、エリン」

 

 その声に、二人が構えを取る。

 静流は既に黒衣の変形を開始していた。

 

 ――その時、マザーゴブリンがゆっくりと口を開いた。

 

「あんた、やられちまったのかい……? 今、助けてやるからジッとしてな」

 

 ――ゴブリンが、人語を喋った。

 

 静流は驚愕した。高ランクに人語を話す魔物が存在すると知っていたが、ここまで流暢に話されると人と変わらない。少し話し合うこともできるのかと考える。

 

 しかし、マザーは敵対する意思を隠さなかった。

 

 マザーが首を鳴らし背筋も凍る表情を浮かべ、その金の瞳に(あざけ)りと激しい怒りが宿る。

 

「人間風情が……その子を倒したくらいで調子に乗るんじゃないよ!!!」

 

  嘲笑を滲ませた台詞を大声で発し、次の瞬間には地面を踏み割り、矢のように突っ込んでいた。

 

「チィッ――来るぞッ!!」

 

 狂化を再び再燃させるヴァルター。

 筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み、血が沸騰する。赤黒いオーラが噴き上がり、炎のように肉体と剣を包んだ。

 

「オオオオオオオオッ!!」

 

 ヴァルターが咆哮と共に前へ出た。

 マザーの棍棒とヴァルターの大剣が激突。

 鉄と岩がぶつかり合ったような衝撃が走り、風圧が周囲を薙いだ。

 

 大地が割れ、砂塵が舞い上がる。

 

「静流っ!今のうちにヒーローをお願い!」

「はい――すぐに済ませます」

 

 静流はヒーローに向き直り、黒衣掴む。

 黒布が流体のように蠢き、それは一瞬で細く鋭い光を吸い込む黒剣へと形を変えた。

 

 その刹那、エリンはマザーに向けて無詠唱で光弾を数発放つ。

 

 ヴァルターとの連携は、長年の付き合いで阿吽の呼吸と言っていいレベルであった。

 

 ヒーローを助けようとこちらに近づこうとするマザーであるが、二人の連携を突破できずにいた。

 

 そこに各所から現れたゴブリンの群れがマザーを守るために三人に突撃する。

 

「させないッ!――イルミナフラーレ!!」

 

 杖の先から迸る閃光が現れたばかりの群れを照らす。

 

 ヴァルターの咆哮、エリンの詠唱、魔物の断末魔――。

 

 それらが渾然一体となり、戦場は閃光の渦と化した。

 

 静流は一気に踏み込み、ゴブリンヒーローの前へ躍り出る。

 

 逃げようとするその首筋に、黒剣を水平に構えた。

 

「……終わりです」

 

 ザンッ――。

 

 空気を裂く音と共に、鮮血が弧を描いた。

 ヒーローの首が宙を舞い、地に転がる。

 その瞬間、巣穴全体が呻いたように震えた。

 

「……あんた……よくも……!」

 

 マザーの瞳が紅く染まり、全身から凄まじい魔力が溢れ出す。

 

 地に倒れたヒーローの身体から黒い糸のような光が吸い上げられ、彼女の体内へと流れ込んだ。

 

「みんな、わたしの力に……なってもらうよ……」

 

 彼女が呟くと、空気が重くなった。

 マザーの全身を血管のような光が走り、周囲の魔物たちの体が次々と干からびていく。

 

「――【命脈支配《ライフリンク》】……ッ!」

 

 マザーがスキル名を唱えた途端、恐ろしいほどのオーラを発しながらその肉体が歪に巨大化していく。

 

 その存在感が示す気配はゴブリンヒーローとも比較出来ないほどであった。

 

 静流が顔を歪め、黒剣を構え直す。

 

 だが、その瞬間――エリンが杖を胸に抱いた。

 

 彼女の唇が震え、淡い金光が身体を包む。

 

 その姿を見て、ヴァルターは信頼の表情を向けた。

 

「エリン……頼んだぞ!」

「ええ……やるわ。静流お願い!耳を塞いで!」

 

 彼女の声が静流に確かに届いた。

 

 ――しかし、なぜ耳を?

 

 深刻では無さそうだったので疑問を晴らすため、そのまま耳を澄ませる。

 

「――勇敢なる者に神の祝福を、邪なる者に裁きの運命を願う――」

 

 光が、膨れ上がる。

 

「――奇跡(ミラキュル)!」

 

 世界が、白く染まった。

 まるで太陽が地に降りたような輝き。

 その光は、仲間の傷を癒やし、心を満たし、同時に、マザーとその眷属たちの肌を焼く。

 

 マザーが絶叫した。

 

 「ァアアアアアアアッ!!!」

 

 皮膚が剥がれ、魔力が軋み、体表を覆う血管が千切れていく。

 

 静流はまぶしさの中で、光に包まれながら息を呑む。

 

 エリンの背から放たれる光は神聖さは、“神の力”そのものだった。

 

「――奇跡(ミラキュル)……名前の割に凄いですね……」

 

 静流が思わず呟いたが、今が大チャンスである。

 

「静流……終わらせるぞ」

 

 ヴァルターが大剣を構え直す。

 その声に、静流はわずかに頷いた。

 

「分かりました。今なら私も戦えそうです」

 

 奇跡(ミラキュル)には仲間の身体強化能力まであるようで、身体がとても軽い。効果が続いている内に攻めるべきだ。

 

 そうこうしているとゴブリンマザーの影がゆっくりと立ち上がる――。

 

「舐めたマネしてくれるねッ!?ミナゴロシよ!!」

 

 そう宣言するも、先程までの威圧感は既にない。強化されているヴァルターと静流の攻撃の嵐に、マザーは禄に抵抗できず――。

 

「――そ……んな、バカ……な」

 

 ――最後には無念の呟きとともに倒れ、(じき)に物言わぬ死体となったのだった。

 




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