もしもシャーレにヒモを養う適性の有る娘が応募してきたら 作:一ノ瀬 崇
混沌の領域にて
「ヒヒ、ヒ……ッ! 予想よりも深く浸透する事が出来た。これならばハウスルールには抵触せず、あの先生に思い知らせてやる事が出来る──!」
光の差さぬ地下牢に似た一室。
その中で異形の者が一人、椅子に座り机に向かい手記に何かを書き殴りながら愉悦に浸っている。
清潔とは言えない褪せた灰色の髪、黒塗りの面、瞳が時計の文字盤のなった複数の目。
額にはローマ数字で18と描かれており、皺だらけの黒いローブのようなものを身に纏っている。
「ヒヒ……ッ、攻略法その一『既に起きた出来事は変えられない』……。これは過去の改変を許さず、現在を確定させる為のコデックス。現在から過去を変える事は出来ない。それは小生のみならずこのキャンペーンに参加する全ての登場人物に適用される……。だが……ヒ、ヒッ。現在から未来を変える分にはなんら咎められる事は無い……」
その異形に口があったなら、大層醜悪に歪められていた事だろう。
時計の文字盤が写すのは眼前の景色か、はたまた夢想の果てか。
上機嫌であった異形だが、不意にその声に苛立ちが混じる。
「しかし惜しいものだ……引き継ぎが完全であれば、さらなる手を打てたものを……いや、断片であったとしても小生がこれを得られたのは正しく奇跡! やはり小生は崇高に至るべき存在なのだ……!!」
興奮が抑えられないのか立ち上がり意味もなく狭い室内をうろつく。
しばらくは自己陶酔に邁進していた異形だったが、落ち着きを取り戻したのか椅子へと戻る。
醜く節張った指先で手記を捲り文字をなぞる。
酷く乱雑な字体は恐らく当人以外には読めないだろう。
「あれが齎した知識、そこでは青臭いサイドストーリーが羅列されていた……それらが結束を促すフラグであるならば、小生がそのキャンペーンを新たに書き下ろしてやろうではないか。大団円は悲劇の始まりに、出会いは因縁の始まりに。……ヒヒッ!」
異形は妄想が齎す愉悦に顔を歪めた。
手記に書かれた文字を追い、軌跡を振り返る。
「返す返すも引き継ぎが出来たのは僥倖だった。あの時点からの仕込みが無ければ、今の状況は作り上げられなかった……。ヒ、ヒッ……! 道理が分からぬやつは迂遠と口にするだろうが、伏線とはより長く張り巡らせてこそ効果的なのだ……! 攻略法その二『肉体には物理的な限界がある』……。別世界の小生は先生の肉体の不備を突こうとしてしくじったようだが……ヒヒヒ、確かに良い考えだ。銃弾一発が致命傷になるのなら、爆発に巻き込んでしまえば跡形も無く吹き飛ぶだろう」
異形は得た知識から、別世界の自分が失敗した理由を探す。
断片的なそれは肝心の部分が欠落しているが、おおよその見当はつく。
恐らく生徒が身を挺して先生を庇ったのだろう。
吐き気がするほどに輝かしい青春とやらで紡がれた絆が予想外のダイス目を引き寄せたのだろう。
ならば取るべき手段は一つ。
「肉体だけでなく精神も攻め落とす。命を賭して導き支え生徒と共に歩む先生であるなら──生徒を目の前で喪ってしまえば、どれ程の傷を負うのだろうな? ヒヒッ、ヒヒヒ……!! 先生だけではない、同じく深い縁を紡いだ生徒も心に影を落とす。それは傍目には問題ないように見えて、ここぞと言う時に効いてくる……。攻略法その三『心は予測も制御もできない』……」
捲った手記から色褪せた写真が一枚滑り落ちる。
そこに写っているのは一人の少女。
髪を左側で纏めた、幼い少女。
「あれは人の心の壁を取り払う技能に長けている。そのようにキャラメイクしたからだ。ヒヒッ……これほど上手く行くとは思わなかったが。信頼を勝ち取り信用を得て親愛を抱き情愛を交す。ヒヒ、ヒヒヒ……ヒヒッ!! もはや無視できぬほど深く、やつの根は入り込んだ。たかが一人のNPCが死ぬだけで、先生や生徒の心は癒えない傷を抱く事になる。攻略法その四『小さな傷が致命傷になる』……。心の傷は、ほんの僅かに動きを鈍くする。だが、その一瞬が命取りとなるだろう。銃弾は走り抜け、爆炎は燃え盛り、脆弱な肉体は血飛沫を上げる。その時こそ……」
だん、と両手で机を叩き天井を見上げる。
「小生が先生に勝利する……! キャンペーンを終えた先で見える光景とは、そして勝利の報酬として何を得、何に気付くのか! リザルトで小生は崇高に至る……! その為のキャンペーン、その為の伏線、その為の演出! 全ては小生が崇高に至る為の過程なのだから……!!」
一頻り不気味な笑い声を上げた後、異形は手記を捲る。
「華々しい最期を用意せねば……。その散り際が印象的であればあるほど、ふとした瞬間にその光景は蘇る。となれば……ヒヒッ、これは良い! 各地での総力戦をこなした上での、遥か上空での決戦! そして爆発する船からの脱出! これぞシナリオのクライマックスに相応しい! 生徒を地上に送り出し先生はその身を空に投げ出す……ここだ、ここしかない」
手記に新たな文字を追加していく。
異形の面には何の感情も浮かんではいないが、この瞬間それは間違いなく笑みを湛えていた。
「先生と共に脱出し地上の景色に目を奪われた所で、不意の一撃。ああ、先生はここでは斃せないだろう。メインキャラクターにはもっと相応しき敗北の舞台が必要だ。なればこそ、ここでやつが先生を突き飛ばす。……ヒ、ヒッ。疑問に思う間もなく、やつは先生の眼前で死ぬ。地上から放たれた一条の光によってだ。……ヒヒッ、それならばこっちの記載も変更して置かなければな……。予言者と言ったか、また妙なギミックを仕込んだものだ……まあ、小生が有効活用してやろうではないか。ヒヒッ、ヒヒヒ……!」
地下牢に似た一室には笑い声が響いている。
それを聞き届けるものは、誰も居ない。