【新暦68年6月21日(火)】side:茂田俊丞
「結合を否定せよ。定義、固着、同位、境界、剥離。発露、腕と胴体を分離」
呪文を唱える。
それと同時にみすずの左腕と胴体の接続がほつれていく。完全に分離したのを確認してから、ゆっくりと関節を外した。
外した腕を隣に丁寧に置く。その横には右手、右足、左足が既置いてある。
台の上に横たわったみすずを見る。今外した腕が四肢の最後で、彼女の体は頭部と胴体部だけになった。
「俊丞、どうでしょうか」
「うーん……やっぱ関節には負荷がかかるからだろうね。接続部周辺には、僅かにだが圧縮魔力の
「やはりそうですか。私自身軽微な重心のズレとして感じてはいました」
端的に状態を伝えると、みすずは横たわったまま得心がいった、と頷いた。
それからも、一つ、二つとパーツを外してはその状態を確認していく。そこでふと考えが至ったのが、メンテナンスのしやすさという視点だった。
みすずは全パーツ間の接続を、合成魔法という魔法一つに依存している。
それはつまり、合成魔法が使えなければ、このようにパーツを分離してのメンテナンスは行えないということだ。
設計段階では考慮の外側にあった概念である以上仕方がないが、少し考え方が甘かったなと思う。
それに、宮永先生に見せる予定の論文でも、どちらかというと『内燃機関』と『AIによる魔法的な身体操作』に焦点を置いた内容であるため、根本の合成魔法についての深堀が足りなかったかもしれない。
「なんて思ったんだけど。どうだろう」
「そうですね……俊丞はあまり自覚はないようですが、貴方の行使する合成魔法はかなり繊細で技術的に高いレベルにあります。現状の魔法技術で大量生産を行うのは難しいでしょうね」
「うーん。褒められるのは嬉しいけど……まぁそこら辺はおいおいでいいか」
「はい。最初から穴のない完璧な理論などつくることはできません」
そうだなぁ。
みすずの言葉に、自分の学生時代を思い出した。
俺自身は言わずもがな、同期にいた天才と言われるような奴だって、いくつもの失敗と試行錯誤を重ねたうえで、一つの成果に辿り着いていたのだ。
それにあくまでも目的は、みすずについて、これ以上嘘をつかなくてよい状態にする、ということだからな。
生活幇助用ロボットのプロトタイプ。それでいいのだ。
なんならなにかしらの欠陥があった方が人間らしいとまで言えるんじゃないか?
「ふふ。俊丞、貴方は生体魔法学を専攻していたといいますが、もしかすると哲学にこそ適性はあったのかもしれませんね。考えるのが好きでしょう?」
「というよりは考えたくなくても考えちゃうってのが実際のところだけど……さて、軽口はここまでにしようか」
「ええ。………感覚としては、臨死体験とでもいうべきなのでしょうか?」
「そうだね。電源を切らないとここから先のメンテはできないわけだから……怖い?」
「というよりは……おかしな話ですが、もう二度と起きれなかったらどうしよう、なんてことを考えています。こんなことは初めてです」
「そっか……それは………」
俺も考えたなぁ。中学生くらいの頃。
独り言のように呟いた。
『電源を消されるのを怖がる』という設定された生存本能。人間で言うなら、生まれ落ちた瞬間からある『漠然とした死への恐怖』がそれにあたるだろうか。
そこになにかが積み重なった。俺にも、みすずにも同じように。
その結果、同じことを考えたのだ。思春期の俺と、今目の前にいる少女は。AIは。
……不思議なものだ。でも、俺は嬉しく感じている。ならばこれはこれでよいのだと、そう思おう。
「じゃあ、おやすみ。次目が覚めたら生まれ変わったみたいに体がすっきりしてると思うよ、期待してて」
「はい、期待しています。おやすみなさい」
「あはは……うん」
みすずが安らかに目を閉じた。
今からみすずはおよそ30分かけて、今日現時点までの記憶のバックアップ処理を行う。それが完了したら、休眠状態から完全な稼働停止に切り替えるのだ。
そっと彼女の耳の裏に手を添える。
そこには小さなつまみがついている。電力の残量に関わらず『CIU-PRO』の電源を直接オフにするスイッチだ。
押すと同時に、みすずの体は一切の活動を停止する。所謂緊急用、もしくは今回のような全体のメンテナンス時のみ使用するためのものだ。
触れて、そこに物理的な欠損等の異常がないかを確認して、手を離した。
まだ押さない、というか今押したらバックアップの強制停止をすることになってしまって、何らかの異常に繋がる可能性もあるからね。
静かになって部屋でふぅ、と一つ息を吐く。
……このままここで待っているのもあれだよな。バックアップ処理には30分程度かかる想定ではあるが、まぁ、稼働停止が遅くなる分には問題はない。
ああ、そうだ。この隙に魔力ポーションを買いに行っちゃおうかな。駅前の魔道具屋に新作のやつがあったんだよな。
従来とは違う製法で魔素結合を行っているらしくて、それをみすずに話したら、飲んでみたいって言ってた。
駅前……あーでも遠いか? いや、自転車で行けば一応往復で45分ちょい。いけるな。
「プレゼントだ」
照れくさい、でも喜んでくれたら嬉しい、みたいな。むずむずする気持ちを抱えて俺は一度駅前に向かうことにした。
外は曇りだった。空気は水分を多分に含み湿って、厚みのある雲が太陽の光を遮っている。
まぁ、六月の空模様といえばそんなものか。急ぎ自転車置き場へと向かった。
久しぶりに見た自転車は、最近めっきり乗っていないということもあり、全体に埃を被っている。
そっとサドルの表面を指でなぞると、黒い一本線がくっきり残った。その代わり指が汚れて黒くなった。あーあ。
チェーンを見れば、すっかり赤褐色に錆びついている。ついこの前見た時は綺麗だったはずなのに。最後に乗ったのはいつだったかなぁ。
少しの迷いを抱えつつも、引っ張り出して跨ってみれば意外と問題なく乗れそうだった。空気も少し不安だが、30分程乗り回すくらいならいけそうだ。
ペダルに足を置き、軽く踏み心地を確かめてから、ギアを一番軽いところにして漕ぎ出した。
走り出してみると、湿度が高いこともあり意外なほどに涼しかった。治ったばかりの腰を気にしながら、気持ち丁寧にペダルを漕いでいく。
十分休んだこともあって、体の調子自体は良好で、むしろ元気を持て余しているようにすら感じられる。
これでもかなり早く治した方、の筈なんだけどな。まるでずる休みをして、こっそり遊びにでも行っているかのような罪悪感と、くすぐったさが胸を襲った。
駅までの道。普段はバスで通り過ぎるだけの道だが、ゆっくりと風景を見ながら通り過ぎると、気になる店がいくつもある。
エスニックな雑貨屋、洒落た看板の喫茶店、ひっそりと佇む魔道具屋。この町に住んで長いというのに、どれも行ったことがない。
みすずとちゃんと傍にいられるようになったら、この町を一緒に散策してみるのも良いかもしれない。きっと楽しいだろう。
そんな妄想をしながら漕いでいると、あっという間に駅に辿り着いた。
店の前に自転車を停めて、少し上がった息のままに魔道具屋のドアを開ける。店内BGMがしっとりと流れる中、目当てのポーションはすぐに見つかった。
まるでどこかのカフェチェーンのように『新作!』という手書きのPOPを添えられ、綺麗に店頭に陳列されているのだ。
その露骨さにクスリと笑って、ずらりと並んだ先頭の一本を手に取った。
時間帯もあるのだろう。店内はかなり空いていてスムーズに買い終わった。丁寧に梱包してもらった紙袋を自転車のかごに入れ、あらためて帰路につく。
漕ぎ出す前にふと時間を確認してみると、家を出てからもう40分が経とうとしているところだった。
「えっもう?」
思わず声が漏れた。通り過ぎる通行人にぎょっとした目で見られる。
だがそんなことよりも、思ったより時間が経ってしまっていることへの驚きが勝った。
いや想定よりも時間がかかったな。景色を見ながらのんびりと漕いでいたのが原因だろうか?
遅れたからってどうということはないけど、なんか少しショックだ。老化で漕ぐ力が落ちていたりとかもするんだろうか。
とそこまで考えて、
そうだ。まだ若かったころ……というか通勤に自転車を使っていた頃通っていた、自宅から駅までの最短ルートがあったのだ。
行きの緩やかに婉曲した大通りを真っすぐいくのとは違い、人気のない裏道や住宅街を突っ切るそのルート。
バス通いに切り替えてからはとんと通らなくなった道だったが……そうだな、帰りは久々に通ってみるのもいいかもしれない。
と気まぐれに決めて、俺は大通りから一本隣の細い道に入った。
その後ろを。いつの間にか近くに停車していた黒のミニバンが、静かに追走し始めた。
☆
俊丞が通るのは、碁盤目状に整理された住宅街だ。
それを南西から北東へ右左折を繰り返し、細い裏路地を経由しながら抜けていく。そうすると、大きなカーブをとる大通りに沿って駅へ向かうよりも結果的に近道になる。
かつてその道をよく使っていた頃。朝俊丞が通る時間帯には、学生や同じような社会人がちらほらと見受けられた。
しかし今、時間は平日の正午。道は閑散としていた。
たくさんの家が並んでいる。ある家には洗濯物が干してあり、またある家には、大小の自転車が並べて置かれている。
そこには確かに生活感があるのに、しかし音としては全くの静寂に包まれている。
チリチリチリ、と油が切れかけたチェーンがから回る。その音が空間に響いているように感じられた。
俊丞の心内で小さな不安が鎌首をもたげた。それは例えば、お風呂で頭を洗う時に背後が気になるのに似た、嫌な感覚だった。
こんな平和な街で何があるわけでもないのに。自分の幼い部分と思いがけず向き合うことになって、俊丞の口からは自嘲の溜息が出た。
だが彼自身、以前と比べて自分自身の弱さに寛容に慣れている部分もあり、その本能に従ってみようと考えた。
バランスを崩さないように両手でしっかりハンドルを握り、振り返ってみる。
「うぉっ」
向けた視線の先には───俊丞自身は気づいていないが───先程と同じミニバンが走っていた。
ここに来るまでに誰もいなかったことから、てっきり無人だろうと考えていた俊丞は、小さく声を漏らしてしまった。
驚いた。顔を前に戻し考える。
実に静かな車だ。疎いのでよく分からないが、なんとなくのイメージで車は新しければ新しいほど静かなイメージがある。
特に電気自動車や魔導自動車のような、ガソリンを使わない車種は特に。
────あれ? でもさっきの車って、そんな新しいやつだったか?
俊丞の中で、先程ちらっと見た車には見覚えがあった。
名前もメーカーも分からない。だが小さいころに見たCMで見たような。
それだけではない。街中でもたまに見かけるし、職場に誰かが乗ってきていた気もする。
あれは。ガソリン車ではなかったか。ガソリンが燃える音や匂いと共に追い抜かれたような気がする。
確かめるために、俊丞はもう一度振り返る───そうだった。やはりその車には見覚えがあった。
似た形で、ガソリン車ではないものが出たのだろうか。なんてぼんやり考えて、今度はそのまま見てみた。
先程より彼我の距離が近づいているのか、今度は車内の様子が見えた。
ハンドルを握るのは男性で、助手席には女性が座っている。
二人ともこちらを見ているようだった。運転席の男の人と目が合う。
男はどこか焦ったような顔をした。力むような動作をする。
その顔になんとなく見覚えがあって───車が急に速度を上げた。
今度こそ嫌な予感が過り、俊丞は前を向き直る。
向き直って。足に力を込め───。
───きるよりも前に。加速したその車は躊躇することなく、後方から俊丞に突っ込んだ。
俊丞の体が飛び出す。自転車は前輪に踏みつぶされてひしゃげた。
一切の音もなく、静かに。茂田俊丞という男性は、この日を境に行方不明となった。