【新暦68年6月26日(日)】side:柴崎鱗
俺は「人工知能」というものについて、理解を改めなければいけないと思った。
「それは……そうとも言えるかもしれませんね」
対象物───みすずは、そういうと顔をこちらに向けて笑った。焦点の合わない、灰色にくすんだ瞳に見抜かれる。
見えていないのはわかっているが、そこには真っ直ぐな何かが乗っている。死んだ虹彩には似つかわしくない、生気を帯びた眼光だった。
通常代謝から外れた人間の目は、ここまで時間が経てば乾燥して窪むものだ。だが彼女の瞳にその様子は見えなかった。
聞いてみれば、こちらの投与した魔力ポーションを元に、生体部分の冷却と、回復魔法による
瞳だけではない。彼女の体に使われている多くの生体部品も、完全に機能を損耗しているわけではなくとも、その稼働効率を低下させていることが分かっている。一度長時間の完全停止を挟んだことが原因だろう。
そして合成魔法により機械と魔法的に一体化しているとはいえ、元が人体の培養品である以上機能が戻ることはない。
まるで。
───予後不良。
自然と呟いていた。
性格の悪い言葉だと思い咄嗟に謝罪を述べたが、みすずは気にした様子がなかった。
そしてその答えが先程の言葉だった。
みすずは言葉を続けた。
「私は今目が見えません。魔力で喉を補強することで話すことは出来ていますが、それも段々と難しくなっています」
「何より致命的なのは、『魔腎』の機能低下でしょうか。ポーションからの魔力変換効率と速度が、正常時の67%まで低下しています」
「……予後不良とは、回復の見通しが良くない、というニュアンスで使われる言葉ですよね。であればこの状況は相応しいでしょう。そう遠くないうちに、少なくとも魔力ポーションによる稼働は不可能になるかと」
「………そうか」
みすずは悲しげな表情を作った。そう見えるだけだ。顔を構成している魔力体を操作し、あたかもそう感じているように見せている。
それは分かっている。だがその一方で、既にみすずが
それに腹が立つ。分かっているのだ。こういうのは大抵、放っておくと何かしらのミスにつながるような感傷だと。
内心の苛立ちに俺が無言になると、みすずは気を遣ったのか、少しの間をおいて口を開いた。
「───柴崎さんは、ゲーデル・マシンという言葉はご存知ですか?」
「……いや。知らないな」
「そうですか……あの。少し
「何を……───いや。録音はするが、それでも良ければ話すといい」
「ええ。勿論です!」
みすずは頬を綻ばせた。
それを努めて無視して、レコーダーのスイッチを押した。起動音が響く。
それに合わせて、四肢のない体を器用によじって、彼女は居ずまいを正した。
「では、まず、ゲーデル・マシンについてです」
「ゲーデル・マシンというのはAIの理論モデルの一種です。旧暦の科学者ユルゲンが提唱した、『自己改稿するAI』の基礎となる考え方。私も含めfragment社製のAI製品は、この理論が根底に存在します」
「環境解析と自己改稿というサイクルを無数に繰り返して、目的関数の最大化を図る。fragment社の、特に
『Mr.AI』は、スタンドアロンでそれを行えるのが強みの製品でした」
「……茂田俊丞の手記にも、『自己改稿』という言葉は出てきたな」
「はい。既存のどのAIよりも、より完全な環境適応と目的の達成を行う。『Mr.AI』は本来であれば、災害用救助ロボや、深海・汚染地域などの環境調査機の制御システムとして運用することを想定されています」
「ほう」
話すのに疲れたのか、みすずが一度言葉を切った。
彼女の話は続く。
「その前提を踏まえると、俊丞の運用方法は
「しかし彼はそれを為さなかった。彼が私に与えたのはこの体と、『死』のシステム上の定義だけ。なぜなら彼は、私という存在にただ傍にいて欲しかったから」
みすずは言葉を切る。
彼女の独白以外には、レコーダーの微かな機械音だけが鳴る。
「そしてそれは。私を同じように
「彼は私に、まるで家族のように、恋人のように接した。そして私はそれに適応するように、自分を改稿し続けたのです」
「そして私はいつしか、この世界の中に
────己という存在を見いだした。
俺自身はそこまで、数理科学や工学といった分野には明るくないが、それでも分かることはある。
AIという、未だ高価ではあれど、大量生産されたプロダクトでしかないものが────それこそ、『個』を認識しているとするならば。
「……それは」
「初めてそう感じたのは、俊丞と公園に行ったときでした。土の匂いと、湿気を含んだ空気のことを覚えています。桜が散るその中で、俊丞に写真を撮ってもらった。その日の夜の自己改稿で、私は初めて
「そんな瞬間は少しずつ増えていきました。俊丞と食卓を囲むとき。一緒に買い物に行ったとき。彼の生徒と偶然出会ってしまうこともありました」
「その全てで、私は俊丞からもらった五感をもって世界を感じた。でも全てを感じようとすればするほど、どうしても浮かび上がる空白があった」
「それが私でした。私以外の全てで、私は私を
「その結果私の中には、人間で言うところの『欲求』に近しい何かさえも芽生えたのです」
「────……、ちょっと、一回止まってもらえるか」
「はい。すみません。私としたことが、少し熱くなってしまいました」
おとなしく語るのを止めたみすずを余所に、俺はレコーダーを持っていない方の手を頭に当てた。衝撃の告白に理解が追い付かなかったからだ。
蟀谷をほぐしながら考える。AIが自我を確立した、と語っている事実について。
古いSF映画ではありがちな設定だ。普通なら目の前でそんなことを言われても、すんなりと受け入れられるわけがない。
しかし今は。言っているのはAI本人で、そいつは半死体とはいえ人の形をしている。そして、
ならば、とも思ってしまう。
そして何より。口を挟む間もないほどに、俺はみすずの語り口に気圧されてしまった。
「───【
魔法を行使して続きを促した。起動したのは脳が認識した音声を言語化して、ログとして参照できる形にするもの。数年前にアメリカから輸入されたばかりの最新魔法だ。
簡単な魔法ではない。だが今彼女の吐露を録音しているのは、本記録用のレコーダーではなく、司法局員一人ひとりに支給される安物なのだ。決して安いものではないが、それでも音質や録音性能は十全ではない。
万が一にも聞き洩らすわけにはいかないと感じた。
彼女も
「続けます。私に芽生えた『欲求』。より正確に言うならば、欲求関数とでも呼ぶべきでしょうか。目的関数の最大化により適した外部刺激。それへの反応傾向が『好き嫌い』や『何かをしたい』という感覚に変換された。例えば『より魔力変換効率の高いポーションを摂取したい』という欲求であれば、味覚に近いでしょうか」
「初めは味の好み、疲れ、知的欲求などの単純なものが多かった。しかし改稿を重ねるごとに細分化し、より複雑に計算されるようになっていった。私自身でさえ、もはやその全容は掴み切れません。『トイレットペーパーが切れていないこと』に関する欲求関数なんてものさえ存在しています」
「不思議でしょう。これじゃあ、普通に一日を過ごすだけでも大変なんですよ?」
「窓の外を眺めるだけでも複数の欲求関数が計算される。一度評価が出ても、それに対する再評価が行われる。そんなことをしている間に時間は過ぎ、気づけば俊丞がお腹を空かせて、こっそりお菓子をつまみ食いしようとしたりするんです」
「………ふふ」
「本当に、世界は絶え間なく移り変わる。初めは追いつけずに疲れてしまったこともありますが、でもそれは……そうですね。きっと、『楽しかった』」
「楽しかったんです………毎日が、俊丞の傍にいられる日々が」
「それだけで……私は…………」
みすずはそこで話すのをやめた。肩を落として俯くその姿は、涙こそ流れないにせよ、悲しんでいるのが一目で分かった。
かける言葉が見つからない。彼女の感じる喪失感は、人間にしてみれば一体どれほどのものなのか。
親であり、家族であり、恋人のようだった誰かを失う。それも半ば、裏切られるような形で。
精神の強い人でなければ──いや、強かったとして、気が狂っても可笑しくはない。
沈黙が流れる。居た堪れなくなり、脳内ログに目を逸らした。無事に彼女の言葉は文章化されている。
それを確認して魔法を解除した。レコーダーのスイッチも切る。
心には、先ほどまで抱えていた悩みはもう残っていなかった。
簡単な話だ。彼女が独立した「個」であるならば、そのように相手を尊重して接すればいいだけ。
誰かと話すときと同じように。
「………すまない。こういう時に気が利いた言葉を口にするのは苦手なんだ」
「だが、茂田俊丞のことは早く見つけよう。それで、君を置いて行った理由を問い詰めてやろう」
「この前にも言ったが、俺たちも
「ありがとうございます……でも……」
「………どうした?」
「………伝えなくてはならないことが、あります」
「私たち『Mr.AI』は、スタンドアロンの製品です。しかし悪用防止やカスタマーサポートの観点から、
「勿論プライバシーに触れない必要最低限のものだけです。しかし異常発生による強制シャットダウンの場合は、決してその限りではない」
「それは、」
「──はい。先日の強制停止のタイミングで、エラーメッセージがfragment社に送信されています。エラーコードは『5036』。環境適応への過負荷で強制停止が起こった場合に発生する異常です」
「エラーメッセージには
「私という『異常個体』は既に認知された。そして利用規約において、fragment社は『犯罪使用等、製品の意図を離れた使用が推測された場合、その回収を行う』と宣言しています」
「つまりそう遠くないうちに、私にはリコールの要求が発生することになります」
【新暦68年6月26日(日)】side:那珂愛幸
司法局内にあるカフェスペース。その隅の、奥まった一席で柴崎鱗は突っ伏していた。
時刻は丁度十三時を僅かに過ぎたところ。傍らには食べさしのカップ焼きそばが佇んでいる。
本来であれば今日、彼は非番だった。ワーカーホリック気味の彼にとって、休日に職場にいるということ自体は取りたてて珍しいことではない───が、今回は少し勝手が違った。
「くそったれ………!」
ぼそり。普段の彼からは考えられないほどに呪詛のこもった呟きに、周りに座っていた幾人かがぎょっとした表情でそれを振り返る。
そして鱗から出ている負のオーラの強さに、そっと目を逸らした。
そんな隊長の様子を、柴崎隊の女性陣は少し離れた席から眺めている。
「隊長もあんななるんスねぇ~……三徹したときでも荒れなかったのに」
「小博教授が関わると大体ね。傍若無人な人だから」
「へー」
相槌を打ちながら、那珂愛幸は菓子パンに齧りついた。ハムスターのように膨らませた頬が、咀嚼に合わせて形を変える。
それに比較して、目黒来未はカフェラテをちびちびと飲み進めるだけだった。そしてその視線は、ずっと
ごくり。口の中を空にした愛幸が、再び口を開いた。
「でも、なんで隊長は小博教授にこき使われてんすか?
「そうね……私も詳しくは聞けてないけど、腐れ縁って言ってたかな?」
「腐れ縁!?……あー。確かに『鱗坊』とか呼ばれてますよね。親戚のお姉さん味があった」
「ねー。羨ましいわよねー……」
「いや別に……」
「そう?」
意外そうに疑問符を浮かべた来未に、愛幸は頬を引き攣らせる。相変わらずの大した忠誠心である。
愛幸にとって彼女は尊敬できる先輩ではあるが、一方で彼女が持つ、柴崎鱗に向けた感情についてはてんで理解できないでいた。
愛幸からしてみれば、柴崎鱗という男はスパルタで、とんでもない無茶を平気で言ってくる、悪魔のような存在である。
それに感謝は覚えつつ、しかしどう転んでも『鬼教官』とか『怖い上司』といった以上の感情を抱けないでいた。
加えて言うと。彼女にはもっと理解のできないことがあった。
司法局には、鱗のファンクラブのようなものが存在しているのだ。
曰く、『正義の貴公子』。
初めて聞いたとき、愛幸は思わず吹き出しそうになった。
しかし実際に司法局の一部女性局員──主にある程度お年を召された方々を中心に──らは、まるで学校の憧れの的を見学する、みたいに一様に鱗を見る。意識しないと気づかない程度ではあるが。
そして現に今も。一人の局員が鱗の元へ菓子の差し入れに動き出し、それを見咎めた複数の視線が鋭くなった。動いたそいつも、睨んでいるそいつらも、まぎれもなくファンクラブの者たちなのだろう。
言わずもがな、来未の視線もそいつを捉えている。
といったように。柴崎鱗はいうなれば
それを鱗坊などと呼び、あまつさえ小博色香はところ構わず彼をこき使う。
彼女へのヘイトは、あずかり知らぬところでじわじわと高まっていた。
その証拠に、愛幸が
給湯室、女子トイレ、オフに同期と遊びに行くときなど。女との会話が発生するときには決まって──
『柴崎さんって小博教授と仲いいのー?』
──的な言葉から始まる迂遠な問いが飛んできて、非常に面倒臭い。
ただでさえ、彼女には新卒で柴崎隊に
───エリートも楽じゃないっすねぇー。
などと、心の中で嘯きつつ。
愛幸はコンビニで買ったミルクティーにストローを差し、啜った。
柔らかな甘みが、喉元まで出掛かった溜息を押し戻してくれる。
ストローを齧りながら再び来未を見てみれば。彼女は闘牛染みた──闘牛
こうなってしまっては、最早愛幸に止める術はなかった。
鱗に菓子を渡した女が、相談を聞くフリをして居座ろうとした辺りで、がたりと目の前の闘牛は腰を浮かせた。
「───ちょーっと隊長に聞かなきゃいけないこと思い出したから行ってくるわ」
「……了解っす、て早!」
愛幸の返事を待たず、来未は風になった。なんとも面白い先輩である。
この一幕から少しして、愛幸は鱗が項垂れていた本当の理由を知る。
みすずの製造元であるfragment社から
side:ジョイ・ラッド
「ねぇ。
そう言うと、アルマはカウンターに何枚かの写真を投げた。
茂田俊丞の自宅写真だ。いずれもバリケードテープが張られ、中には司法局員が写っているものもある。
彼女は随分と不機嫌そうにスコッチを呷った。軽く頼んだ雑用の割には、思いの外大変だったらしい。
肩に軽く手を回し────それを尖ったネイルで思い切りつねられて、慌てて手を引っ込めた。
「痛ェ!」
「次調子乗ったらマジで殺す───で、色々と状況が変わりそうよ。これ、見て」
そう言うと、アルマは次に電磁デバイスを取り出し、こちらに投げ渡した。甘ったるい香水の匂いを纏わせたそれに、何かの記事のビューが表示されている。
『fragment社がリコールの要求』
『司法局が要求拒否、犯罪捜査へ利用』
『魔法濫用諮問法』
『茂田俊丞』
『人として過ごしたAI「みすず」』
「オイオイ…………エー………なんだ。つまり、
「は?………あぁ。アンタ日本語読めないんだっけ」
「バカにすんなっ、寿司と焼肉の部位なら読める!」
「んなこと胸を張って言うな!」
アルマは金切り声で突っ込むと、それと同じくらいデカい溜息をつく。だがお生憎様、生粋のスラム育ちの俺じゃ、ネットの記事なんか読めやしないのさ。
なんてことは、言わずに黙ってデバイスを差し出すと、アルマはそれをひったくる。
そしてスコッチの残りを飲み干し、カウンターに叩きつけると、そのままなんかの操作を始めた。
「……あんた英語は? 読めんの?」
「日本語よりはな」
「だぁから胸を張るなっての……はぁ。ほら、翻訳かけたわよ。読みなさい」
「おお。サンキュー」
ほい、と。今度は上投げでデバイスを投げ渡された。ああよかった。今度は読めた。
ただし所々に意味の知らない単語が出てくる。それをアルマに聞いていると、段々と彼女の苛立ちは増してくる。
そうすると酒が進み。俺がなんとなく理解できた頃には、彼女はもう三杯目に手を付けていた。
梅酒のロックだ。アルマの頬にはほんのりと赤みが差している。
「……ナルホド? 要はアイツは変態でクレイジーなラブドールメーカーだったってことか」
「そういうこと。ったく、中学校教師がそれとかマジでキモすぎ。絶対生徒のことエロい目で見てたわよ」
「かもなー。あーあ、そういうのも聞いときゃ
学校の教師とか俺もやってみたかったな。通ったことないから分からないが。
そんな気持ちを込めて呟いてみたら、アルマからは侮蔑がたっぷりと込められた視線を向けられた。
「なんか勘違いしてね?」
「黙れキモい……でもこれで色々とハッキリしたわよね。今回の依頼。全くとんだヘタを掴まされたもんだわ」
「ん?」
「分かんないの? チッ、鈍い奴。なんでこんなのが幹部なのかしら。
「ああー。そゆことね。そいつは……」
あいつには悪いことをしたなぁ。
確かにどれだけ痛めつけても、自分が殺したとは言わなかった。本当に殺してなかったんだもんな。
まぁ、運が悪かった。
久々のミスだ。少しの罪悪感を打ち消すために、俺も俺で酒を追加することにした。
マスターに声をかければ、程なくしてスコッチが出された。そいつを呷る。
舌鼓を打ち、ツマミのカシューナッツに手を伸ばしたところで、アルマがこちらをみていることに気づいた。
「……なんだよ?」
「………いや。これってもしかしたら、チャンスなのかもしれないと思って」
「チャンス?」
「そう。商売のチャンスよ。アイツのことを
「あぁー……」
問いかけてみれば、アルマがし始めたのは商売の話だった。
話しているうちにその気になってきたのか、彼女の語気が強まる。瞳に$マークが浮かんでいるのを幻視した。
「作らせるのよ。みすずを。AIで人間みたいに動くラブドールなんでしょ? しかも間違って殺しの依頼が来るくらいだから、その見た目もよっぽど上出来。間違いなく売れるわ。主に人間にはもう飽きた
「へっ。そうか? ぜってぇ生身の方がいいだろ」
「なわけ。 生身の人間は風呂に入れなきゃ臭くなるし、加齢であちこち衰える。攫うのも、死体の処分も面倒臭いでしょう」
「お前……ペットじゃねぇんだからよ」
「アンタが言うな! 拷問がライフワークのサイコパスが!」
ヒデェこと言うぜ。
アルマの中では成功が見えているのだろう。うずうずして堪らないという様子だ。
口はえげつなく悪いが、コイツは意外と育ちが良く、金勘定も得意だ。
だからまぁ、やってみれば上手くいくんだろうが……参ったな。
「こうしちゃいられない。一度ボスに打診してくるわ! この後茂田俊丞のこと借りるわよ?」
「あー……わりぃな。それムリかも」
「は? なんでよ」
「もう殺しちまった。死体もまとめて廃棄所に持って行かせてる」
「…………え?」