史上最速で捨てられたシルバー 作:ねるねるねるな
「ふぅ……やっと一息つける……」
パエトーンの体を抱えながら何とか逃げ込んだ廃ビルの最上階。
幸い、ここに逃げるまであの治安官が持つ馬鹿げた形の銃に被弾することはなかったが、単純にここまで一気に階段を駆け上がった事による疲労が体を蝕んでいた。
日々のトレーニングで多少の衰えは誤魔化せると思っていたが、やはりそれは思い込みに過ぎなかったらしい。
もしくはただの希望的観測か。どちらにせよ同じことだ。
私達二人がどの時点で治安官に補足されていたかは定かじゃない。
しかしながら、私がしくじったらしいことだけは明白だった。
「いや、これは明らかに僕のミスだ。イオのせいじゃない。僕がもっと周囲を警戒しておけば、少なくともこんなことには─────」
そう慰めてくれるパエトーンだが。
やはりこれは私の失態だ。
そもそも私が衰退期のホロウの中にある依頼を選んだのは、エーテリアスとの遭遇を警戒してのこと。
実際、パエトーンの良質なナビもあってエーテリアスに遭遇することはなかったのだから、その時点で私は警戒心の振り分けをエーテリアスから他の脅威へと切り替えるべきだったのだ。
「ほんと、ダメなエージェントでごめんね。パエトーン」
ボンプを胸に抱きながら謝った。
パエトーンはボンプの短い手足をバタバタと動かしながら、「胸が当たって!?」とか言っていたが、胸に抱いてるのだから当たるに決まっていた。
よし、柔らか温かボンプボディから謎のエネルギーを充電したところで、そろそろ意識を切り替えよう。
過ぎたことを悔やんでいても仕方がない。
私達は未だにこの窮地を脱していないのだから。
出せる限りの速度であの治安官の追跡を振り切ったとはいえ、それでもあのレベルの治安官なら私の痕跡を辿ってこのビルに行き着くだろう。
他の有象無象ならここに逃げ込んだ時点で話は終わっていたが、あの治安官ではそう事は上手く運ぶまい。
もちろんこの推測は直感の域を出ないが、不思議と当たっている確信がある。
身近な例を挙げるならそれこそアンビーのように。
原点のゼロでありながらそれ以降の数字を無価値にしてしまうような才覚。
他者が何十年かけて積み上げたものを一足飛びで駆け上がってしまうような異能。
言うなればS級エージェント。そういう類の者に狙われてしまったことが、私にとって最大の不運だった。
いや、不運ってか。普通に本気でヤバくないこれ?
♢
「逃げ込んだ先はビルの中ね……あんな恥も外聞もない逃げ方をしておきながら、最後に取る手段が籠城って……よほど後先を考えていないのね。あのレイダーは……」
目先の事象に囚われ刹那的に行動する典型的ホロウレイダー。
それが今のところ朱鳶が下した、イオに対する評価だった。
何せあの慌てっぷりだ。
こちらが声をかけた途端、イオは手に持っていたスコップを投げて隣にいたボンプを掴み、即座に逃走を開始した。
それは一見、逃避行動として最適なものに見えるけれど、そもそも朱鳶の側としてはまだ事情を聞く段階で、捕らえようともしていないのに。
それであの反応は過剰を通り越して異常だ。
そんなに後ろめたいことがあったのだろうか。
あの多機能そうなマスクといい、腰の両脇に一本ずつ差した双剣といい、引っかかる点は他にも多々あるが、それはわざわざ今思考せずともよい。どうせ捕まえればわかることだ。
スイッチを切り替える。
あらゆる思考のチャンネルを閉じ、犯人が籠城しているであろうビルに突入した。
踏み込んだビル内にはまだ人の気配が濃密に残っている。
朱鳶の予想した通り、このビルは追跡を躱す為の中継地ですらなく、本当にただ体力が無くなった為に立ち寄った場所らしい。
もはや籠城ですらない。
朱鳶が到着するまでのタイムラグを使ってバリケードを作るとかトラップを用意するとか、そういう知恵すら回らないらしい。
なんて評価は、この瞬間までのものだが。
「……っ、痛っ」
朱鳶は不意打ちでも食らったかのような声を出したが、実際に負ったのは手のひらを軽く切った程度のダメージである。
何となく手を着いた壁に注視せねば気付かないような破片が、ささくれのように突き立っていた。
当たり方が相当悪かったのだろう。手袋ごと切り裂いて中の皮膚を掠めていた。
この時の朱鳶はこの現象を、ただの不運としか思わなかったが。
治安局支給の固い手袋さえ切り裂く程に
思えばそう認識してしまったことこそ、朱鳶にとって本気の不運だった。
例えば躓くように剥がされたフロアの床や、建付けが悪くなり開けにくい扉。その扉を開けた瞬間雪崩のように襲ってきたダンボールの山など、それら全てを不運で片付けるなど、いくらあのレイダーを侮ろうがやってはならない事だったのだ。
「──────!」
何とか三階までの探索を終え、いよいよ最上階に向かおうとしたところで朱鳶は足を止めた。
否、止められた。
その四階へ行く為の道それ自体を塞がれたのではなく、ただ単純にその足を止められた。
「機械のコード……よね?」
階段全体に散らばった様々な規格のコード。
引っこ抜くのが面倒だったのか延長コードすら巻き込んで、階段全体に蔦の如く散らされていた。
どうやらこのビルに入っていた会社は元々、デスクワークの多い職場だったらしいという情報は、ここでは全く必要のない無駄だ。
しかしあのレイダーへの評価は改めなくてはならないということは、今の朱鳶でも流石にわかる。
評価の改定基準はこの行為それ自体ではない。
別に階段で足を縺れさせられそうなコードをぶちまけるなど、それこそ幼児でもやるようなイタズラだ。
この場合恐れるべきはその行為の密度。
イタズラとしても足止めとしてもあまりに徹底的すぎるコレは、既に通常の範疇を超えている。
黒いゴム製の蔦に隠された階段に足の踏み場などある筈もなく。手すりにすら引っかけたコード群は、それぞれが緻密に絡まりあって解くことすら叶わない。
無理矢理踏んで進むことも、もちろん不可能では無いだろうが、それにしたって、その間に逃げられるリスクと上から攻撃されるリスクを孕んでいるのだから、そう簡単には試せない。
「エレベーターが使えない以上、ここ以外に道はないだろうし……完全にやられたわ……」
コレを未だに道と捉える辺り、朱鳶も大概変ではあるが、実際朱鳶にとってこれはまだ道以外の何物でもないのだから仕方ない。
そもそも上への道は何も物理的な壁で塞がれた訳ではないのだ。
階段という〝足場〟を使用不能にされただけで、上への道は開けている。
ならばわざわざ回り道をせずとも、他の接地面を足場に上へと登ればいい。
「ふっ!」
朱鳶は壁を足場に蹴るようにして四階の足場へと着地した。
着地した先には、どこで見つけたのか畳んだパイプ椅子を振りかぶった
「っ!?」
長年培われた反射か、咄嗟に防御体勢を取る朱鳶。
しかしそれすらイオの思う壷でしかなく、顔の前でクロスさせた両腕を片手で封じられ、イオは朱鳶の両腕を掴んだままコードだらけの階段へと豪快にダイブする。
「ちょっと、あなた本気で─────っ!?」
「舌噛むよ!」
依然として片手にはパイプ椅子を持ったままだ。
イオはそのパイプ椅子を足場にコードの山を避けたが、しかし道連れにされた朱鳶は当然、無防備にダイブする羽目になる。
朱鳶の身体は必然、ありとあらゆる電源コードに絡まりまくった。
もちろんそれだけで動きを封じられたとは思えないので、最終的には自身が足場に使ったパイプ椅子に朱鳶の体を括り付ける形で拘束した。
朱鳶を括り付けたパイプ椅子はコードの山の中心に投棄し、そこで更に電源コードで雁字搦めにした。ここまですれば流石に、怪力自慢のシリオンでもない限り一人で動くことは叶わないだろう。
それにあれだけの〝不運〟に見舞われた後だ。仮にここにいたのが朱鳶ではなく、あのガッツのある若きシリオンの治安官だったとしても、疲弊した状態でこの拘束を解けるかどうか。
「うおぉ……改めて見るとすっごい美人さんじゃん。それがこうしてグルグル巻きにされてるのは、なんかえっちかも」
「っ、!」
朱鳶にして見れば屈辱でしかないだろう。
格下だと侮ってさえいたレイダーにこうも出し抜かれ、あまつさえ生殺与奪を握られているという状況。
正に活殺自在。
生かすも殺すも。
与えるも奪うも。
イオの気分次第だ。
しかしイオは生殺与奪を握っている自覚すらなく、ただ無邪気にこう聞くだけだった。
「ねぇ、その状態でも増援くらいは呼べるでしょ? 外部に連絡するだけなら何とかならない? あっ、それかなんかボタン押さなきゃダメとか? じゃあ私押すから教えてよ」
朱鳶は当初、その言葉の意味を上手く咀嚼できなかった。
しかし時間をかけて読み解いていくと、どうやら身動きの取れない朱鳶を助ける仲間を呼ぶ手伝いをしようと言っていることがわかった。
否、たとえ言葉が分かっても意味は解らなかったが。
だって朱鳶を助ける仲間とはこの場合治安局の誰かな訳で、当然治安局は今の彼女にとっては敵な訳で。
そもそも手伝うも何も彼女がやったんだから彼女が解いてくれればいいだけの話で。
とまあそんな風に、朱鳶の頭は色々と前例の無い出来事を前にパンク寸前だった。
「あなたは……何者なんです?」
犯罪者相手には高圧的になる朱鳶の口調は、いつの間にか敬語に変わっている。
恐らく本人も意識はしていないと思われるそれは、しかし朱鳶のイオに対する印象を実に的確に表していた。
「何者って、治安官を助ける善人以外の何者に見えると?」
「許可なくホロウを探索するレイダー。治安官を縄で縛る犯罪者。……あとは何がありますか?」
「妹思いのお姉ちゃんとか? まぁ私だって一度も嘘を吐いたことない悪事もしてない前歴もないなんて言い張るつもりは流石にないよ。ただ今回に限ってはむしろ善人よりの行動をしてたつもりだから、捕まるのは流石になぁって思っただけで」
「……それを最初からちゃんと口で説明していれば、まだ酌量の余地もあっただろうに。これはもう立派な公務執行妨害ですよ?」
「それに関しては私もテンパってたの。エマージェンシーしてたの。察してよもう」
恥ずかしいのか投げやりにそう言って、イオは治安局の端末のボタンを押して、増援を要請した。
どうやらボタンを素早く二回タップするだけで、ヘルプの意味になるらしい。
この先使う機会のある知識かは分からないが、一応覚えておくイオだった。
「じゃあまたね……って、またねはおかしいか。もう会わないでね……いやこれはこれで寂しいな。普通にバイバイ」
絶妙に締まらない別れを告げて、イオは階段を下っていった。
途中でダンボールの中に紛れ込ませたパエトーンを回収しながら、何事もなくホロウから去り、依頼も達成した。
朱鳶の方も救援要請に駆けつけた〝先輩〟によってコードの山から解放され、浸食の心配もなくホロウから脱出した。
死者数ゼロ。エーテリアスさえ殺傷することなく。
イオと朱鳶、この先何度も繰り返されるイタチごっこの一回戦は、イオの貫禄勝利で終わるのだった。