姫鬼   作:邪道キ

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主人公、漸く変身します


目覚めた異業

――――――<3>――――――

 

 肌を焼く痛みに反射で瞼を開けた。喉奥から声を漏らしながら腕をついて上体を起こす。容赦なく脳幹を刺す光に顔をしかめながら、顔に張り付いた違和感をはぎ取った。

 

 練習に熱中しすぎて寝落ちしたらしい。汗かよだれか、濡れてしわくちゃになった楽譜を伸ばす。記された音符は見えるがコレを見られたらどう思われるか。考えるのが億劫になった大夢は楽譜をまとめた。

 

「今、時間…」

 

 手元のスマホの電源を押す。デジタル表記が示す時間は8時を過ぎ、一気に頭がさえた。待ち合わせは8時半から、今からじゃ逆立ちしたって間に合わない。机の上を乱雑にカバンへ詰め込むと、飛び跳ねるようにソファから立ち上がった。

 

「気持ち悪い…っ」

 

 肌に張り付いた服を無理やり脱ぎ捨て。思わず離してしまったスマホを拾い上げ、会話アプリを開きながらタンスの中の下着を漁った。

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

『ごめん遅れる』

08:03 既読

『おk!先始めとく』

08:03

『焦んないでいいよ』

08:05

 

――――――――――――――――――――――――

 

 直ぐ既読が付いたチャットを片手に風呂に駆け込む。冷水で汗を洗い流し、服を着替えて荷物を取る。パンを口に押し込んで家の鍵を閉め、詰まりそうになる呼吸をなんとか取りながら電車に乗ったのは約束の時間だった。

 

 空いた席に座って息を整える。喉を上る朝食を駅の自販機で買った水で押し戻し、車内の電光掲示板を見た。目的地への時間を確認しながら自分の行動が思い起こされる。迷惑をかけないようにしたつもりが結局迷惑をかけている。己の愚に腰がどんどん沈み込んでいくのを感じながら早く電車が目的地へ着くのを祈った。

 

『次は────、────。』

 

 電車のアナウンスにずり落ちそうになった荷物を引き寄せる。長い時間をかけたように思えたが、電車の停止と同時に立ち上がる。改札を出て人込みを抜けるように走り出した時、街を異音が鳴り響いた。頭を揺さぶり、人々の危機感を煽るような警戒音。

 

「ノイズ警報…!?」

 

 昨日の今日で?驚く間もなく街の人々が動き出す。あるものは怯え、あるものは逸り、あるものは怒号を上げて。大夢は人の波に吞まれながら、流されないように大股を開いた。この騒ぎを聞いて、めぐみたちは無事なのか?

 

「スタジオ近くのシェルターの()────」

「────────ぇ」

 

 スマホの位置情報を見ているとか細い声が聞こえた。声の方へ振り返ると、青い服を着た男の子がその場に崩れ落ちている。見たところ怪我をしているようだ、大夢はスマホを閉まって男の子に駆け寄った。

 

「大丈夫?どうかした?」

「ひっぐ…おかぁさん…いたいよぉ」

「ころんじゃったか…親御さん、お父さんかお母さんは?」

 

 大夢の質問に男の子は首を振った。この騒ぎではぐれたらしい、このまま放っておいては、ノイズに会う以前に人に踏みつけられるかもしれない。大夢は荷物を投げ捨てると少年の手を取って背中に回した。

 

「ちょっと揺れるから、しっかり捕まっててね」

 

 両足を抱えるように持ち少年を背負って走り出す。地図は頭に入れた、人気が無くなってきた通りでスピードを上げる。ここから少し距離があるが、まだ間に合うはずだ。

 

 しかし抜けた先で見えたのは黒世界。空中を炭が舞い、阿鼻叫喚が掻き消えていく。一面死の世界を彩るのは、サイケデリックな異彩を放つ人ならざるものたち。

 

 のっぺりとはんぺんのような長い胴から生えた細い手足、頭のてっぺんから生えた二本の触覚が醸し出す愛嬌が、逆に生命の危機を揺さぶる。

 

 間違いない、ノイズ(認定特異災害)だ。

 

「うっそ!」

 

 急旋回。すぐそばの路地裏を飛び込み、迫る魔手から逃げる。一瞬首を向けると、ノイズが一歩一歩踏みしめるようにこちらへ迫って来る。早くはない、だが数が多い。何より彼らに路地の細さなど問題じゃないのだ。

 

 路地を出た大夢の横から平べったいオレンジが横切る。咄嗟に身をかがめて躱すが、通りの建物からノイズの群れがにじみ出てくる。ヤツラは壁を通り抜ける、壁だけじゃない、あらゆるものをすり抜けて人だけを炭に変えて殺す。大人たちや世間から言い聞かされた常識に冷や汗をかく。

 

 だが大夢は止まらない。首にこもる力と背中のぬくもりが、さらに足を加速させる。

 

「近くのシェルターは確か…」

 

 記憶を掘り起こす。まだ満員になっていないシェルターはここから少し遠い。だが大夢は走った。ただひたすらに曲がり角で何度も体をぶつけながら、決して速度を緩めない。自然と体が伏せ、獣のような姿勢で街をかけ続けて、段々とあの平らな手を見なくなってきたとき、シェルターが見えた。

 

「あった!この子をお願いします!」

 

 未だ閉じていない事に安堵しながら、シェルターへ立ち止まり子供を下ろす。大丈夫か体を撫でるが本人はありがとうと笑いかけた。二人の逃避行はちょっとしたアトラクションになったらしい。

 

「あ、ママ!」

「早く!もう閉まるぞキミ!」

「こっちへ!」

 

 シェルターの中にいた人に急かされ、大夢は男の子に背に手を当てた。ノイズは一定時間たつと自らを炭に変える、シェルターの中でそれを待てば…と考えた時、視界の横から何かが横切ろうとした。

 

 反射的に男の子を押し出し、大夢は後ずさる。後ろへ後転しながら立ち上がり横切ったものを見ると鈍色の槍が振り注いでくる。ごろりと地面を転がって躱していくうちにシェルターはその扉を閉じてしまった。

 

 起き上がる大夢、周りには追いついた人型のノイズが囲い込んでいる。他のシェルターはもう閉じているだろう。閉じていなかったとしても、この包囲網を突破することは不可能。

 

「こんなもんか」

 

 恐怖は感じなかった。ただそこに自分を殺すものがある、その事実が頭の中にすっぽりと納まったように思えた。

 

 すとんと体が落ちる。反動ですすけた上着から巾着が落ち、中身が飛び出る。恩人の唯一の形見、鬼の面をあしらった奇妙な見た目の音叉。厳めしい鬼の顔つきを見て、あの人とは会えないだろうなという確信があった。

 

 そして鬼の音叉が震えているのにも気づかず。

 

 瞬間、世界は炎に包まれた。

 

――――――<4>――――――

 

「警報!?」

「マジか近いじゃん!シェルターってどこだっけ」

 

 スマホの位置情報からシェルターを検索しためぐみと藤二はすぐに動いた。荷物を置いて身一つでスタジオを飛び出す。人込みのなかでシェルターへ急ぐが思いのほか人が多く中々先へ進まない。背中にぶつかる痛みに顔をしかめながら顔を上げると、空に舞う炭がだんだん濃くなってきた。

 

「これ駄目だな、別んとこ行こう!」

「ヒロ出ないし!」

「もうシェルターに入ってんだろ!」

「お願いだから無事でいてよ…!」

 

 耳に当てたスマホの通知に苛立ちながらめぐみは藤二の背中を追う。連絡が取れない幼馴染を思うと胸が締まる思いだが、ヒロはシェルターに逃げ込んでいると言い聞かせて自分も生き残るべく走り出した。

 

 振り返れば鳥のようなノイズが青空を我が物顔で飛び回っている。優雅に青空を浮かんでいるようにも見えて腹立たしいが、立ち止まっていられない。そう前へ向きなおろうとした時、ノイズの一体が突然揺れた。

 

 突然の動きに思わず足を止めてしまう。藤二もつられて振り返ると、ノイズは首と思しき部位をゆらゆら揺らしたかと思えば身を翻し、こちらへ向けて落下し始めた。

 

「やばいやばいやばいやばいやばいやばい!」

 

 藤二の悲鳴にめぐみは走り出す。しかし足はあらぬほうへ曲がり体が地面へ転がった。

 

 足首の痛みに悶絶しながら背後を見る。ノイズはどんどんこちらへ落ち、地面へ体の半分をこすり始める。ぶつかる、せめて身を縮こまらせて接触を避けようとしためぐみに轟音が迫る。だが目をつむっていくらかの時間、体に変化も起こらない。恐る恐る目を開けると、フライトノイズがめぐみの足先で止まっていた。

 

「っあ」

 

 呆気にとられるめぐみの前でノイズが崩れる。彩が黒く染まり風に舞い上がる。もう自壊時間が来たのか、めぐみは思い至ったその予想はすぐに違うと気づいた。

 

 見上げた炭の先、何かがノイズを踏みつけている。

 

 こげ茶の毛皮に覆われた赤い巨躯、手足に巻き付いた鎖、そして前へ突き出た首とこめかみから延びる鋼色の大きな角。その姿は正しく。

 

「お、鬼?」

「ァア…」

 

 底冷えするような呻りを上げ、鬼は此方を見下ろしてくる。人の数倍程の体から放たれる威圧(ねっき)にめぐみは息をのむ。人だけを襲うノイズ、だが今度はノイズに触れて平気な得体のしれない化け物?

 

 鬼は怯える彼女をしばし睥睨していたが、ビクと肩を震わせると背を向け炭の山を走り出した。

 

「ウウウウウウウウ!!!」

 

 ボンと炭が爆ぜる。跳躍した鬼は上空に漂うノイズに向けだんだん小さくなる。遠くで鈍い音が響いたと思えばノイズは身もだえるように震え出した。

 

 その動揺は隣へ、そのまた隣のノイズへ伝搬する。九の字に曲がったノイズの横っ腹から赤い炎が噴き出し他のノイズたちを焼き始めたのを見て藤二が思わず驚愕した。

 

「何だよ…ハリソン・フォ〇ドの怪獣バトル!?」

「混じってるし、アレは火ぃ吐かないし!」

「急ご急ご!立てる!?」

「ちょ、ちょっと無理!無理痛い、痛い!」

 

 叫ぶ二人の頭上で炎に巻かれたノイズがもつれ合ってビルに激突した。その風圧を身に浴びた二人は我に返ると、肩を寄せ合いながらシェルターへ駆け込んだ。

 

――――――<5>――――――

 

 テレビがつくように意識が浮上した。

 

「……?」

 

 光が痛い、胸が熱い。揺れる肩がろっ骨を動かして全身へ酸素を行き渡らせる。

 

(どこだここ?あ、何で俺…)

 

 未だ靄のかかる頭に手を当てる。確かノイズに襲われそうになって、それから…そこまで思い至ってふと手の変化に気づいた。

 

「え」

 

 変わっている。丸みを帯びた肌色から、とげとげしさを感じる紫へ。腕だけではない、肘から先は陶器のように白く、肩から胸へと白が行き渡っている。

 

「俺?」

 

 今、自分はどうなっているんだ?たじろぐ足にひんやりとした感触が走った。振り返ると配管から漏れたのか、水たまりが波紋を作っている。

 

 波紋が静まり光が大夢の姿を映すと、そこには白い体に紫の手足、のっぺらぼうに描かれた顔のような紫の縁取り、そして額から生える小さな角を持つ者。

 

 明らかに人間ではない、それはそう。

 

「鬼?俺…変わって」

「────動くなっ」

 

 凛とした声が響いた。振り返るとそこには一人の女性。

 

 流れるような青い髪と無駄のないスレンダーな体、切れのある澄んだ瞳が凛として華麗。

 

 白と黒が走るレオタードを染めるのは、彼女の髪と同じく薄群青。

 

 すらりと伸びる手足を覆うは、質素ながらも眩い銀色の装甲。そして踝から翼のように、鋭い刃が青天衝かんと伸びている。

 

「風鳴、翼?」

 

 

 

 

 

 

 

 この出会いが、少女少年たちが織り成す、壮大で儚く、だが繊細で力強い交響曲の前奏曲(プレリュード)、その一音目である。

 




変身しました、牛鬼に。

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