ラウンドトリップ・チケット 作:闇の三流記者
「そうか、私はこの世界でも、たくさんの人たちに支えられて走り切れたんだな」
目を潤ませ、かすかな笑みを浮かべながら、オグリがそうつぶやいた。
一九九〇年、有馬記念。
篠葉の記憶している通り、「つい一年前に見た有馬記念とは違う」、ライアン相手に逃げ切った奇跡の逆転劇。
オグリの目に涙がにじみ、それを受けてか、駿たち二階堂ファームの面々も鼻をすすったりしている。
「ねえ、オグリちゃんも引退は有馬だったんですか?」
「ああ、懐かしいな。けど、私のときはもう少しメンバーが濃かったな」
お茶を出してくれた女将さんの質問に、礼を言いながら答えるオグリ。
目の前にいる女の子がオグリキャップだということを、二階堂ファームの名物夫婦である岩坂夫妻は、不思議と自然に受け入れていた。
馬と生きてきた二人にとって、オグリを見るたびに感じる感覚が、言葉以上に真実を語りかけてきたのだろう。
「三年目、私はトレーナーに連れられて、いろんなところに行ったんだ」
目をつぶり、伝説と呼ばれたJCの後、海外に飛び出した軌跡をオグリは脳内で繰り返す。
初代チームシリウス、最後の一年間。
育ちの良い後輩もできたことで、篠葉は思う存分、好き勝手に世界を歩き回ることができた。
「フランスにオーストラリアでのレース、ドバイ、アメリカ。
最高のレースができた一年だったと思う」
「懐かしいな、検疫でJCに出られないからって、外国の有力馬が軒並み有馬に出てきたっけ」
「すごかったわよね〜。
オグリと戦いたいんだ、日本の皆さんお願いします、って」
サブトレの立場からメインに移ると同時に、オグリへの徹底的なケアをしまくったおかげで、中央三年目、篠葉がメイントレーナーとなってからのオグリは、故障とは無縁だった。
有馬こそイナリワンに譲ったが、そのレースへの貢献と熱の伝播が認められ、篠葉とマルゼンが海外経験を持っていたことも手伝って、オグリの中央トレセン三年目は海外挑戦から始まった。
ちなみに、このとき篠葉は「歴史を変えた」と、自分一人でテンション爆上げの祝祭を開催することになる。
「サンシャインフォーエヴァーに、オーストラリアで負けて一対一だからってフォークイン。
凱旋門組まで来やがって、あの時だけJCが完全に有馬の前哨戦扱いだったっけ」
「そうそう、タマちゃんとイナリちゃんに勝つんだって、現役復帰しようとしたブレーヴは欧州総出で止められてたらしいわね」
なつかしいなあ、とマルゼンと篠葉は楽しそうに語る。
「社長?」
「知らない名前だけど、オグリキャップとの戦績から考えると、ホーリックスとかの超一流馬が有馬に結集したみたいだね」
「外国馬が有馬って……あ、基本出てないだけで、JC優勝すれば出られるんだっけか?」
「いえ、俺らの世界では、外国馬の受け入れは結構早くなってますね。
マルゼンスキーのせいで」
「何よ、トレーナーくんがやろうって言ったからでしょ」
別にそんな特別なことはしていない。
ただ単に、「ダービー出られないんなら別で取ってきますわ」と、篠葉が勝手にセッティングして、チェスターヴァーズをステップに英ダービーをマルゼンと獲ってきただけだ。
日本の組織が外圧に弱いのは変わらないのである。
結果、チームシリウスの初ダービーは、篠葉の後輩に任せることになったのだが。
「すごかったなぁ、最後のタマとの競り合いは」
「私もエースやシービーと盛り上がっちゃったわ〜」
「あの、マルゼンさんは?」
「ダート限定で足を慣らしてたんだけど、解禁されてからは一緒にオーストラリア行って、短距離からマイルを荒らし回ってましたね」
「半年でG1級四つも取っちゃった。なかなかでしょ?
トレーナーくんに差しの走りを教えてもらってからは、も〜ハマっちゃって!」
「やっぱり、マルゼンスキーは差し脚だったのか……!」
悔しそうに駿がテーブルに拳を叩きつける。
早すぎて速すぎた馬――そう呼ばれたマルゼンスキーの本来の走りを見てみたいというのは、元馬喰としての偽らざる気持ちだった。
ウマ娘世界は時系列が入り組んでいて、なおかつ年齢よりもトゥインクルシリーズ参加時期で同期とみなされることも多い。
そのため、駿たちのいるこの世界と、ある程度篠葉の前世に近い競馬史を持つ世界では、違いも多い。
だが、話していることは共通して「馬のかけっこ」だ。
レースの展開、速かったライバル、走り方、考え方――すべてがお互いの刺激となって、話はどんどん弾んでいく。
説明下手とはいえ、かなり丁寧な食レポができる程度には国語力もあるオグリを、マルゼンがうまく補佐し、二人のウマ娘と二階堂ファームの面々は楽しい団欒のひとときを過ごした。
「?……トレーナー? 何をしてるんだ?」
「いや、俺の予想通りなら多分……よし、3色ケーブルだ。
これなら……着いた」
駿たちの見ているテレビは、地デジ対応前後の機材という、篠葉たちからしてみれば一昔、二昔前の代物。
それでも海外に出たときにはそういう機材しかなかったり、規格対応の都合などもあったため、ケーブルは多種多様なものをキープしている。
重力が等しい以上、回り回って電圧や規格も似たようなものだろうという篠葉の読みは正しかった。
「おお、これは」
「あら、懐かし〜。
タマちゃんとの最初の有マね」
篠葉たちの言葉に、居間にいた全員が上体をテレビに向けて前のめりになる。
彼らにとっては1988年の有馬。
それをウマ娘たちが走っていた。
まだ篠葉がオグリのトレーナーを完全には請け負いきれていなかった時期。
チームシリウスのメイントレーナーによって管理されていた頃の走り。
今のオグリからすれば少々雑で、それでもまぶしい領域の差し合い。
思わず目を細めて眺める。
勝敗は、何度も見た通りにオグリキャップの初勝利。
画面の中、大歓声が弾け、スピーカー越しに駿たちにもビリビリとその場の熱が伝わってきた。
「まあ、こんな感じでウマ娘という種族がレースしてるような、そんな世界なわけです」
「なんかすげー世界だな」
「世界史とかどーなってんすかね。
つーか、アイドル兼ねてるとか、一丸さんたちの元会社がほっとかなさそう」
衝撃に呆けながら、ため息のように漏らす熊三郎に健。
一方、ウマ娘の歌い踊る姿に駿は感極まりすぎて、半分泣きながらテレビに見入っていた。
「それで、オグリちゃんたちはお家に帰れそうなの?」
「それなんですよねえ。
モヤっとこっちにきた感じなんで、きっと帰るときも似たようなもんだと思うんですけど……」
チラリと篠葉が駿を見る。
ウマ娘のコールアンドレスポンスをマルゼンに教えてもらいながら、テレビ前ではしゃぐ姿は社長というには純粋すぎる。
少なくとも、オグリにもマルゼンにも害意はないだろうと篠葉は判断した。
「食料はまあ、圧縮素材とトレセン学園学園長特製の超促進野菜もあるんで、場所さえあればなんとかなると思うんです。
なので……社長!」
「え、あ、はい!
何かな、篠葉さん」
一目惚れした女にコーレスを教えてもらっていたという、ちょっと特殊な幸せを満喫していた駿に、篠葉が声をかける。
ほんの少しだけ強い声に、岩坂夫妻と健、オグリ、マルゼンも篠葉を見る。
「俺たち三人を、短期で雇ってくれませんか。
報酬として、どこかの空き地を使わせてもらえれば、多分しばらくはなんとかなると思うんです」
篠葉の真剣な視線に、駿も真剣な表情に変わり、脳内でそろばんを弾き始める。
未来のものに思える資材に、知識。
もし株価や未来の情報ももらえるなら、二階堂ファームという会社としても採算は取れるか――そう結果を算出する。
「オグリもマルゼンも、人より力はありますし、オグリに至ってはウォームアップで500キロくらいならベンチしますから」
「え、いえいえ! さすがにオグリキャップに肉体労働させるとかは……」
「あぁ、まあ、やべえわな」
「違う世界のオグリキャップだとしても、なんか恐れ多いっすよね」
「む、そうなのか? 田舎にいたときはよく米作りの手伝いなんかもしてたんだが」
肉体労働どんとこいなオグリに、逆に恐縮してしまう熊三郎と健。きっと、ここに他の社員がいても似たような反応をしただろう。
「あ、それなら……これならどうかしら」
ぽん、と手を叩き、マルゼンが声を上げる。
「私とオグリちゃんで、ミカヅキオーくんのレース相手になってあげるの!」
「採用で」
思わず駿が答えてしまう。
年末、有馬に向けてどんどん調子を上げてくるミカヅキオーに、ついて来られる馬が今のところ二階堂ファームには用意できない。
本気で走らせることはないにしても、本気一歩手前にしてくれる馬すら、今のミカヅキオーには存在していない。
もし練習相手として引っ張ってくるとしたら、有馬記念の賞金をごっそり払うことになるレベルの馬が必要だというのは、駿たちの悩みの種でもあった。
「いや、駿ちゃん!? 確かに足は速えみてえだが、女の子だぞ!?」
「あ、そ、そうだった……つい……」
反射的に答えてしまった自分に恥じらい、頭をかく駿。
しかし、篠葉はオグリに問う。
「オグリ、どうだ?」
「ん、あぁ。
柵越しにちょっと歩いただけだったが、行けるな。
多分、ぶつかったとしてもミシェルの方が衝撃はでかいと思う」
あっさりというオグリに、二階堂ファームの面々はぽかんと口を開けた。
競走馬との併走を、人型の生き物が怖がっていないということに、改めて常識の違いを感じたようだ。
「とりあえず、明日の早朝はお手伝いさせてください。
で、軽く併せ馬として行けそうなら、それもおつきあいさせてもらう感じでいきましょう」
にっこりと笑い、混乱する駿たちを押し切る篠葉。
なし崩し的に、数日分の宿を確保してみせたのだった。