212年 春 劉備の入蜀
益州南進を画策する張魯への備え、という名目で劉璋の要請を受諾し、おれ達は入蜀を果たす。
同行させる将は重臣ではなく、黄忠・魏延・霍峻など荊州で仕え始めた者たちを主軸とした。今後は挙兵〜流浪までの臣、荊州からの臣だけでなく、益州派閥の力関係も生まれてくるだろう。新しい者に軍功を上げさせ、派閥権力の分散をしていかないといけない。関羽たち重臣ばかりに頼るわけにはいかないのだ。
また新人育成の為に、関羽の子・関平と馬謖を連れて行く。
馬謖は諸葛亮に師事していたが無理やり参加させた。頭も良く、想像力や機転は効くが、実行力・想定と推測が甘いところがある。参謀の龐統と法正にチクチク、チクチク指摘を受けてもらおう。お前ゼッタイ山登るなよ!せめて水源確保してから登れ!
ちなみに、入蜀時に劉璋を見限った者は複数いた。
張松・法正・孟達・李恢が仲間になった!
孟達が、劉璋をいつ攻めるのか気安く問いかけてくる。
ふむ、どうしよかな。
おれ達は江陵を出発、益州の入口・永安を通り、劉璋軍と張魯軍の境界にある梓潼を目指す。張松は一足先に劉璋のいる成都に報告に向かった。
永安の都市は荒れており、統治している大守が不在だったので、これ幸いと頂戴する。実効支配してしまえば後はどうとでもなるのだ、荊州にいる陳到を呼び寄せて任せよう。あいつ防衛戦上手いから孫呉とやり合う時の備えを今から準備していく。
おれ達は到着後、歓迎の宴に参加する予定だ。
龐統と法正が宴の時に劉璋を暗殺しちゃえばいいやん!と進言してくるが、さすがにそれは益州の民心に悪影響では?おれ達これまで正義の味方でやってきてるし、、、
さっそく魏延に暗殺を指示した!
宴の催しに演武を披露するのを口実に、そのままやっちまえ。
謁見した劉璋は一言でいえば優柔不断だが良い奴。しかし、乱世では好まれないという事だろう。暗愚より暴君が求められる、世知辛いなぁ。
暗殺失敗しちゃった!
というか、実行できなかった。
魏延むっちゃ警戒されてたわ。宴の最中、劉璋の側に常に老将・張任が控えていた。なんかずっとこっち注視している奴もいたし、、、中止だ。
だれあれ?黄権?ほーん優秀じゃん。
まぁ、座れよ魏延。何やらせてくれって?意見か?
所感でいいか?ここは大人しく民心掌握から地道にコツコツ始めていこう。
やっぱり暗殺なんかしちゃダメって、劉備玄徳思うワケ。
213年 7月
この1年、劉璋からさっさと張魯と戦えと催促される度に、のらりくらりと避け続けてきたがそんな事をするのにも限界がきてしまった。
劉璋配下で内通者である張松たちが進めていた益州乗っ取り計画が露呈してしまったのだ。張松は実の兄に密告され処刑となる。
張松の死を知ったおれ達は、予定よりも早く成都への南進を開始すると同時に伝令を出し、永安方面から張飛・趙雲・諸葛亮の3名に成都への西進を指示した。ただし、行軍はゆっくりと、と条件付きで。
永安から成都への進路上には江州という都市があるため、其方を攻略しだい成都を挟み撃ちにする。
荊州の守りは関羽に任せ、補佐に徐庶および田豫・呂玲綺たち重臣がいる。関羽と相性が良い徐庶がいるので、名士たちの諫言も届く事だろう。関羽と徐庶の相性が良い理由は、またいつか。
そんなこんなでやって来ました、成都攻略戦。進路上には2つの関所がある、まずは涪水関を落とす。
龐統が3つの策を提案してきた。
上策は敵の足並みが揃う前に急襲。中策はわりぃバレたから荊州に帰るわ、と涪水関の守将に告、挨拶に呼んだ時にヤる騙し討ち。下策は荊州に出戻りして永安から攻める正道。
ちなみに、中策の騙し討ちを選択した。
帰還するとの報告に油断していた守将2人は呆気なく処され、涪水関を簡単に占領できた。こういう時、仁徳()があるって風評は助けになるよね!
2つ目の関所は綿竹関、ここで龐統は死ぬ。
龐統は言う、劉備率いる本隊は街道から、龐統の別働隊は迂回して南の間道から綿竹関を南北で攻めれば、あっという間に終わると。
あかん。龐統フラグや。ちなみにおれの白馬貸したら十中八九で、あの世に羽ばたいてフライアウェイしてまう。
どう止めるべきか、、、
龐統の献策にどう否定するか悩んでいると、同行していた馬謖から思わぬ援護が入った。
「龐統殿が迂回される山峡の間道は、落鳳坡と呼ばれている様です。易の占いから見ても、あまりよろしくないのでは?」
そうだね!よくないね!
さすが山に詳しいな、MBTI診断に登山家あったらよかったのに。
ということで綿竹関は正面から攻め、江州側の張飛たちと足並みを揃える事になった。
綿竹関の前に陣営を構え、暫くすると江州を落とした張飛がわざわざ梓潼から迂回してやって来た。諸葛亮と趙雲は江州に残り、成都進軍の手筈を整えている最中らしい。
劉璋もあと少しで終わりよな、と余裕をかまして酒盛りしていると、そんな時に限って横槍が入る。
益州の北、漢中より張魯に降った西涼の錦・馬超が攻めてきた。