219年 7月
荊北・襄陽への侵攻は江陵より始まった。
襄陽の守将は曹仁。上庸にいる法正の報告より、曹操の増援も確認されている。新野側の足止めを孫呉がしている間に、おれ達は当初の計画通り北上して曹仁の立て籠る樊城を包囲戦にて攻略する。江陵の留守は田豫と龐統に任せた。
劉備軍
本陣・劉備、徐庶
中央・関羽、左翼、呂玲綺、右翼・張飛
配下・関平、周倉、廖化、高順他
曹操軍
大将・曹仁
守将・満寵
増援・于禁、龐徳
樊城包囲戦では連日の大雨もあり漢水が荒れまくったため、孫呉水軍の補給線阻害が期待できない結果となった。その代わりに陸遜からは包囲占領の際に水攻めが有効なので、河川の堰き止めの工兵を申し出てくれた。
樊城周辺は遊水地のため雨が降ると水浸しの場所が多い。まぁ今回は兵力的には此方が有利だから特に水攻めする機会はないかもしれないが、、、せっかくだからお願いする。
樊城の包囲が出来上がろうとするところで、敵援軍に于禁の七軍と龐徳が現れた。
こちらの包囲を突き破って樊城側に着陣されたが、間髪入れず鶴翼にて対応し、関羽・張飛の両軍で一蹴、敗走させる事ができた。
新野側の増援は孫呉が足止めしている筈だが、問題なく対処できたので良しとしよう。水攻めに合わせて周倉に龐徳が水没させられる機会も無かったのだ!
この襄陽の攻防もこれで終わりだろう、曹仁と満寵の堅守は凄まじかったが包囲網が出来上がった時点で兵糧攻めで投了だ。
徐庶の指示で、于禁たちが敗走し樊城へ撤退するところを呂玲綺に追撃させ、勝利を決定づける事となる。
雨が強くなってきた、雨脚によって視界が悪い。この土砂降りの中で追撃戦を行っている呂玲綺の軍が薄っすら遠目に見える。あとで特製の餡饅でも振舞ってあげようかな。
そんな事を考えている時に伝令が駆け込んできた。
「江陵の龐統様より救援要請!孫呉の急襲を受けているとのこと!!」
このタイミングで裏切る?攻略完了後に江陵以南の譲渡も行われるのに。曹操と結託していたはずは無い、増援を素通りさせたとしても被害は甚大だ。それに元々の国力差がある、曹操軍は削らなければならない。
此方が始めから敗戦する可能性だってあった、その場合は荊南の譲渡は履行されない。故に、利を得るなら曹操軍を襄陽から追い出すのは必須・・・・一人勝ちを狙った?
考え事が止まらなくなっていると、徐庶が発言する。
今は攻略自体を取り止め帰還し、防備を固めるべき。との進言を受け入れ、即座に伝令を走らせるため兵を呼ぶ。
そうだ、攻略はまたやり直せる。今は大勢に影響が響かないように行動しよう。
全軍に撤退の指示を飛ばせ、追撃に出ている呂玲綺も呼び戻せ!それと
瞬間、怒号のような轟音が鳴り響く。
おれの眼に映っていた景色、龐徳の殿軍とそれを追う呂玲綺の軍勢が姿を消した。遅れて、地鳴りと共に水が流れる音が戦場を満たす。
漢水の堰を壊したな、陸遜!曹操軍諸共おれ達を濁流に沈める算段か!!
「鈴の甘寧、一番乗りだ!敵大将首いただく!!」
劉備軍、曹操軍双方が混乱したのと同時におれのいる本陣に急襲が来やがった。
周りには関羽も張飛もいない、相手は孫呉の最強だ。戦ったら死ぬことぐらいわかる。しかし、突然の奇襲に誰よりも早く思考し判断したのは徐庶だった。
徐庶は自ら剣を抜き、その撃剣でもって甘寧に立ち塞がったのだ。
馬鹿野郎が、何をしている!そんな声を投げかける間もなく、おれは側近たちに引き摺られ、その身を守られながら逃げ延びる事になる。甘寧と切り結ぶ徐庶の後ろ姿が雨に消えてゆく。
おれは落ち延びた先で関羽・張飛と合流することが出来たが、呂玲綺と高順が現れることはなかった。
その後斥候から徐庶は甘寧により討死。江陵は陥落、田豫・龐統両名も麦城にて戦死したと報告を受けた。
孫呉の江陵侵攻は呂蒙の白衣渡江によって行われた、龐統が孫呉の動きを読み切るも会談の時に刺客が城内に入り込んでいた事で、おれ達に伝令を発した時に殺害される。
残された田豫が奮戦し、内政官たちを逃がす時間を稼ぎはするも多勢に無勢。最後は壮絶な戦いにて絶命する。
襄陽攻略に出ていたおれ達は、事前の長沙・桂陽譲渡の保険により奇襲の兵力が減っていた事に加え、こちらの撤退ルート先の包囲網まで完成していなかったため、命が助かった。
後に孫呉は樊城を陥落させ曹操より襄陽を手中に収めた。そして荊南も。
ここに孫呉は残る新野を除き、荊州すべてを手に入れた。
都督が好戦派の呂蒙になっていた事も要因にあり、始めから一人勝ちを狙っていたのかもしれない。
襄陽攻略において、曹操軍を追い出す事は第一に、劉備軍が敗けそうなら助力して自軍の被害を出しても荊南を得る。だが、劉備軍が端から勝ちそうなら兵を温存して諸共葬り、荊州を得る。
そういうシナリオだったのだ。
おれ達は夷陵を通り益州・永安まで帰還。軍備を整える事になるが、立て続けに凶報が届く。
襄陽への援軍に向かっていた曹操が襄陽陥落の報を受け、急遽宛方面より上庸に侵攻。上庸は漢中からの援軍が間に合わず、重ねて守将の一人孟達が曹操軍に寝返ったため落城。最後まで防衛の指揮をしていた太守の法正は斬首された。