221年 9月
おれは諸葛亮たち臣下の進言に、りょ!と答えて蜀漢を建国。皇帝へと登ったが、目下の懸念は進軍してきている敵勢力の対応に追われる事になっていた。
そんな折に、孫権が魏に臣従の礼により呉王に封じられたとの一報が入る。孫劉同盟の終焉であった。
魏の計略、4方向からの魏軍並びに異民族の攻勢で手一杯、亡き曹操への恨みいっぱい胸いっぱいなのだ。ここに孫呉が敵に回れば荊州失陥の危機である。
という事で建国と同時に滅亡を迎えそうな、蜀漢の初勅はいのちだいじに。
どどどどどーすんの、どーーすんの??
おれは頬に手を当てウィンクしながら諸葛亮に訊ねる。
諸葛亮は4路は対策できている、と応える。西涼の彼方から迫る異民族・鮮卑と長安の魏軍は、漢中の馬超・魏延が。新野に攻め寄せる魏軍は荊州の関羽たち。また双方の援護に、上庸の法正が舵取りを誤る事は無いとも。
ただ、残る益州南部の南中方面は、異民族南蛮王・孟獲に加えて謀叛を起こしやがった南中建寧の豪族・雍闓に、張嶷と李恢が防戦一方で救援を求めに馬忠が成都にやってきた。
雍闓は選りにもよって、うちの建寧太守を殺害した上で文官・張裔を捕縛、呉に服属している交州の士燮に送りつけ、建寧太守を騙り孫権の臣下に成ろうとしていた。
仮に孫権がこれを認めれば、建寧は呉の領土という宣言になるため敵対は避けれなくなる。
その為、南中対処には諸葛亮と趙雲、馬謖が赴く事になった。南中出立に際して、おれは諸葛亮に疑問を投げかける。
そんな疫病対策で大丈夫か?
大丈夫だ、問題ない。
そう諸葛亮は応えた、不安である。念には念を入れようと思い、たまたま成都に居た医師・華佗に相談する。
一番いいのを頼む。
貰った薬を荊州から移って来ていた関羽の三男・関索と関銀屏ちゃん、鮑三娘の3名に持たせ、諸葛亮に黙って同行させておいた。序でに孟獲の妻・祝融と娘の花鬘に会う事があれば人相描きをして来るように申し伝える。伝説の火の神の子孫。わたし、気になります。
5つ目の侵攻になるかもしれない孫呉への対応は、諸葛亮たち参謀陣の方針は鄧芝を使者として同盟の再締結をすべきだと言う。
だから決して早まらないで欲しいと、諸葛亮はおれと龐統に忠言をして成都を旅立った。残されたおれと龐統は顔を見合わせる。
だが断る。
222年 春 夷陵の戦い-裏-
諸葛亮は早まるなと言っていたが、こちとら戦場で過ごしてきた人生なのだ。こんなとこで荊北と義兄弟達を見殺しにしようものなら死にきれん。牽制のみで済むかは別として脅しは必要だろう。
大義は魏軍と戦っている関羽たち救援のため。永安から江陵側に向かうルートを使い、襄陽に行く。
孫権へ使者を送り、途中の秭帰辺りで北進するから蜀軍通りますー、と事前に伝えて返事をもらう前に永安にて軍を興した。
永安での出陣に際して、龐統がホントにやるのー?みたいな視線を送ってきたが、内心は龐統たち荊州名士派閥の此度の軍に賛同する者は多い。自分たちの故郷が全て奪われる可能性がある、背に腹を代えられないという訳だ。
益州・荊州派閥問わず穏健派の何人かは丞相・諸葛亮の忠言通り、踏み止まるように諫言してくるので牢屋に入れる。出陣したら出してやるように衛兵に伝えた。そんな臣下の1人、秦宓は牢屋に連れて行かれるところだったが、少し気になったので声を掛ける。
今日の運勢どんな感じ?
末吉です、と秦宓は答えた。
出陣前に戦意が下がる様な事を言う奴はブタ箱行きだ!
おれはそう言い、秦宓は呂玲綺によって牢屋に投げ込まれた。
蜀軍・劉備
配下将・龐統、黄権、田豫、陳到、呂玲綺、高順、馮習他
司令官には荊南出身で入蜀の時から頑張ってた馮習に任せてみた。何処か抜けているが、指示されたことを遵守する男だ。龐統と田豫からは白い目で見られたが、最終的な軍権はおれだからまぁええやろ。
東進を始め、巫を抜けて秭帰に差し掛かる境の手前で孫呉の防衛部隊が待ち構えていた。総大将は陸遜。両軍将兵ともに戦いが本当に行われるのか、半信半疑のままに戦場にいる為、距離を取って舌戦に近い形でのやり取りとなる。
「蜀漢は何故此度の軍を興し、誰の許しを持って我等孫呉の領地を攻め入るのか!返答によっては一戦を辞さない覚悟されますよう!」
向こうは大将の陸遜が出てきた。こちらも司令官の馮習に一任してみよう。
「いま、我が国の領土である荊北の地が魏によって攻め込まれており、火急の時である為である。よって急がなければ取り返しが付かない結果とならない為に急いでいるのだ!」
ん?
「今のままではいけないのだ。だからこそ蜀漢は今のままではいけないと思っている!!」
馮習がどこかの防衛大臣みたいな構文を使いだした。