197年 夏
許昌への道中、陽が落ちてきたので適当に野営する。
関羽は山に焚き木を取りに、張飛は川に水汲みに、おれは兵たちとカバディをする。
カバディ、カバディ、、、と連呼していると伝令が思わぬ来訪者を告げる。
「御目通りいただき、ありがとうございます。劉備様」
呂玲綺が単身訪ねてきたのである。呂玲綺の登場に周囲の者たちが殺気立つが、話を聞く事を伝え、人払いと限られた重臣を召集させる。
要点を掻い摘んで話すと、呂布が陳宮に唆され徐州を奪った事への謝罪だった。罪悪感があったのだろう、彼女は城を抜け出してきたのだ。
他の臣下はさておき、おれ自身は特に思う事は無いのだが、、、
徐州を治める大任は誰かに譲ろうと考えていたと、適当にフォローしておく次いでに、この度の件は曹操の計略だろうという推則を述べる。事前に陳宮と相談ないし対策できれば良かったのだが、小沛に寄るたび避けられていた。これも仕方の無い事である。
陳宮は呂布の軍師であり、1人で謀略を預かる臣・謀臣だ。きっと主君の為、呂布軍の身内とすら仲良くなってはいけないのだろう。たまたま陣営が一緒になっただけで勢力が統一されてはいなかった。
一緒に下邳に帰ろうと言ってくれたが、おれは固辞した。一度分かたれた道、覆水盆に返らずだ。事の顛末を知ったとて、呂布陣営も此方の臣下達も互いを信じ抜く事はもう出来ない。どこかで軋轢が生まれ同士討ちが起きれば、それこそ二虎競食の計となるだろう。
だが、水はまた汲めば良いとも言う。また違う形でやり直せるだろう。なので、このまま仲違いしたと思わせ機を窺うため献帝と曹操のいる許昌に向かうと伝える。
呂玲綺は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の曹操を除かねばならぬと決意した。呂玲綺には劉備の考えがわからぬ。呂玲綺は、呂布の娘である。なんでも腕力で解決させてきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。ぷんぷんだ( *`ω´)
ということで、あまり責めないであげて欲しい事。この話を呂布たちにも伝えてねー、と頼んどいた。
わかりました。と言いながらも不満げな呂玲綺だが、ゴルシに跨り夜の闇に紛れて去っていった。
ここがあの曹操のハウスね!
豫洲・許昌。曹操が保護し遷都させた献帝の都に辿り着き、さっそく庇護を求めるため謁見請う。
徐州とられちゃったよおおおぉ、たすけて!たすけて!とパッションで曹操に懇願すると、豫州の譙に拠点を持たせてもらえた。
豫洲では新たに陳羣と陳到を迎え入れる事が出来た。陳羣の家系は後漢の名臣だったので、うちの内政はすべて丸投げした。36協定など無いのだ。
陳到も勇将であり調練を主に担ってもらう。今まで張飛が兵を無暗に扱く事が多かったので頼もしく思う。暴力行為はコンプラ的にアウト、張飛の命に関わる。
あれやこれやと過ごしていると、豫洲・汝南を黄巾残党が占拠していると報告を受ける。黄巾狩りの劉備として名を上げた自負もある、我等3兄弟に見つかったのが運の尽きだ。新兵を率い、無法者をあの世にボンボヤージュさせに出立した。
汝南平定は速やかに終わり平和を取り戻した!
元黄巾党・周倉と廖化が仲間になった!
とりあえず周倉と廖化の希望もあり、関羽の側仕にさせようとしたが、賊出身の奴は嫌、と断られてしまった。二人が可哀想なので汝南の治安維持をしっかり成し遂げたら、改めて召抱えるようにと約束させた。
またある時、酒場にて教育ママの相談に乗ることになった。なんでも息子が反抗期で剣客になってしまい悩んでいるそうだ、単家(庶民)ゆえ勉学に励んでほしい一心で厳しく接してしまったと嘆いていた。闇に電流走る。これはいかん!
さっそく張飛を連れて、ドラ息子の所へカチコミに行った。お前のような母親を泣かせる奴は儒教の風上にもおけん、成敗してくれる。ドラ息子は撃剣を修めているようで小癪にも抵抗してきたが、元服したばかりのような小僧に負けるわけもなく、勉学に励むと約束するまで張飛と二人で袋叩きにした。後にボコボコになった息子を母が慰める感動のシーンがあったと追記しておく。
親子は学問が栄える荊州に旅立つ事になった。当初は息子一人を荊州に向かわせ弟子入りさせる予定と聴いたので、それはいけない親子は一緒にいるべきです!と熱弁し路銀を多めに用立てさっさと出発させた。旅立つ親子におれは全力で自分のため、手を振ったのだ。
197年 10月
豫洲で迎える初めての冬、献帝の臣下・董承が来訪してきた。
「劉備殿・・・貴公も漢室に連なる御身なれば、どうか陛下のため、ともに我らと立ってくれませぬか?」
董承の持ってきたそれは献帝が血でしたためた曹操誅滅の密勅だった。
おれの思惑よりも数年早い曹操暗殺計画が始まってしまった。