シャーレの建物の表口は施錠されていなかった。
ここに私が来る事から逆算してあえて施錠しなかったのか、それとももうすでに敵の手に落ちているのか……。いやしかしこの建物に入った瞬間も、廊下や部屋を通り過ぎる時も、一切人の気配なんて感じなかった。この建物は連邦捜査部という肩書に相応しく、図書室や普通の教室、射撃場やらが存在した。そのほとんどが自動ドアで、幸いにもそこはしっかり施錠されていた。
私はそれ以外の部屋を一つずつ制圧しようと壁に寄って立ち、そっとドアノブに手を掛けた。しかし一部の部屋は自動ドア同様にしっかり施錠がされていた。そんな中一つだけ、施錠されていない部屋があった。中に入っても誰もおらず、当然のように気配も感じない。どうやら一番乗りは私のようだ。
地下室の場所は詳しく聞いていなかったが、他の場所がしっかり施錠されていて道が無い事。表口の自動ドアおよびこの部屋が施錠されていないということは、この部屋内に例の地下室が存在するということに繋がる。警戒しつつ周りを見渡し、それらしい扉を見つけた。ゆっくり手を掛け、ドアノブを回す。やはりと言うか、抵抗無く回り、扉が開く。明かりも何もついていないこの建物は、外の太陽光のみで照らされているだけである。だが地下室はその光すらも届かない暗い……はずなのにどこか光の照らす物を…いやそう感じただけかもしれない。ゆっくりゆっくりと階段を降り、それらしき部屋が眼前には広がる。
「はは、これはこれは想像以上だな」
本当に連邦生徒会長がこの私に託したのか、それは見た事も聞いた事もない機械が鎮座している。とても大きいな、お手頃か等身大サイズの銃しか扱った事ない私にとっては荷が重すぎるのではないか?
それで……ワカモを待ち伏せするんだったな…。
恐らく今回の主犯は連邦生徒会に何らかの仕返しをすると読み、シャーレの重要なものを壊すだろうと踏んだ。それが何なのかは分からなかったが、今鎮座している機械を見て理解した。よし、ならここからはーっと…階段下がいいな。今ここは恐らく電気がついていない……完全に真っ暗闇ではないが、それでも誰かを視認するのは難しい明るさだ。
「ここで登場するのが…これだな」
私はスカートのポケットに隠し持っていた
コツン…コツン…
と足音が聞こえてくる。
足取りがリンやその他生徒達より遅く、どこか軽い。ワカモで間違いないだろう。しかしここまで爆発音や銃声等は聞こえなかった。彼女も私同様、シャーレの建物において何が重要な物か分かっていないのだろう。彼女は私に一切気付かず、鎮座している機械の前まで来た。気が付かないのも当然だ。何故なら彼女は自分こそ一番乗りでここに来たと思っているだろうから。
「うーん……これが一体何なのか、まったく分かりませんね。これでは壊そうにも…」
当然と言えば当然か。私は大人で、彼女は生徒。子どもの彼女でこれが重要なもので、これを壊そうとは普通考えないものだ。
ん……?どうして私は理解したんだ……?まあ…今はいいか……。彼女が機械に気を取られているうちに、そっと近づき……。
「ワカモ……だな?」
彼女の脳天に狙いを定め、銃を突きつけた。しかし彼女は私の声や銃に一切驚くことなくゆっくりと振り返った。
「……あら?」
「大人しくここから立ち去れ。そうすればお前の事は見逃してやる」
私の役目は彼女をこの一件から退かせる事。もう一度矯正局に送るとかいう真似はしない。
「あら、あららら……?」
だがここに来て何故か、彼女から殺意らしきもの…もしくは悪意らしきものが一切感じられない。
「あ、ああ……」
狐のお面をしているから表情が分からないが、何か物凄く取り乱しているように感じる。私はそんな彼女に釣られないように表情を崩さず、かと言って威圧しないようにしていた。
「し、し……失礼いたしましたー!!!」
一応私の思い通り、彼女はここを立ち去った。……一目散に。
「なんなんだアイツは……」
彼女の焦り急いで立ち去る音が過ぎ去った数分後、一人の足音が聞こえてきた。ワカモではない、敵意も何も感じられない。無線機での報告は無かったが、私が単身乗り込んで地下に居るからあえてしなかったのだろう。
「お待たせしました」
つくづく私よりこいつの方が有能だと思い知らされているような感じがするね。別に嫌ってわけじゃないけどさ。リンはここにワカモが居ないと思っているからか、ワカモの事についてはとりあえず聞いてこなかった……が。
「……?何かありましたか?」
「いや、なんにも」
彼女を捕まえるつもりは一切なかったなんて言ったら捕まえた組織である連邦生徒会に何か言われる気がする。まあ私は〈作戦を変更する〉としか言わなかったからな。……それを危険視したリンが気付いていないとも思わないが。
「…そうですか。ここに、連邦生徒会長が残したものが保管されています」
そう言って彼女はデスクの上に埃無く置いてあった一つの物を手に取った。
「幸い、傷一つなく無事ですね。……受け取ってください」
「これ……?」
いやちょっと待て。連邦生徒会長が残した物って
「タブレット端末……これが連邦生徒会長が先生に残した物。『シッテムの箱』です」
シッテムの箱……。私には存在しない……存在しない記憶のはずだ……。だがこの名前…どこかで…。
「普通のタブレットに見えますが、実は正体の分からない物です。製造会社も、OSも、システム構造も、動く仕組みの全てが不明。連邦生徒会長は、この『シッテムの箱』は先生の物で、先生がこれでタワーの制御権を回復させられるはずだと言っていました」
連邦生徒会長は……私を知っている……?いや、私を呼んだのは連邦生徒会長だ…。当然と言えば当然だが……。
「私達では起動すらできなかった物ですが、先生ならこれを起動させられるのでしょうか……」
「……」
正直、そんな事を言われても、だ。私にはまったく身に覚えのない機械だし、触れた事も当然無い。前職で見なかったというわけではないが、私がそっち方面に疎いのも事実だ…。
「……では、私はここまでです。ここから先は、全て先生にかかっています」
邪魔にならないようにと、リンは私から数歩距離を置いた。だが、私にはこれをどうすればいいのかわからなかった……。はずだった……。
『シッテムの箱』に付いていたボタンを一度押した。
フォンッ……!
近未来的な感じの音が鳴り、青を基調とした画面が浮かび上がった。
システム接続パスワードをご入力ください。
「パスワードか……」
分からなかった。
分からないはずだった。
だがその時、私の脳裏には二つの文章が浮かんだ。
突然だった。
私はその文章は聞いた事も無いはずだし、知らないはずだった。
だが今この瞬間、まるで元から私は知っていたかのように……。
その文章は止まることなく、私の口から出てきた。
"我々は望む、七つの嘆きを"
"我々は覚えている、ジェリコの古則を"
接続パスワード承認。
現在の接続者情報は神田アリス、確認できました。
『シッテムの箱』へようこそ、神田アリス先生。生体認証及び認証書生成のため、メインオペレートシステムA.R.O.N.Aに変換します。
その瞬間、私の意識はそのまま水の中へ潜るような感覚に包まれ、眩い光が私の身体全体を包み込むように感じた。光を抜けると、そこは一つの教室に、一人の少女……。青色に包まれ、床からその先まで、水があたり一面に広がっている不思議な教室。そしてその机には、これまた水色の少女が机うつ伏せで眠っていた。
「くううぅぅ……Zzzz……。むにゃ、カステラにはぁ……いちごミルクより……バナナミルクのほうが……」
ははっ、これはこれであり…かな?私の世界では見てこなかったとても不思議でどこか現実的じゃない場所。
「えへっ……まだたくさんありますよぉ……」
随分寝言の多い子だな。このまま見てみたい気もするが、私はこの子に用がある……起こしてみるか。
「おい、起きろー」
「うにゃ……まだですよぉ……しっかり噛まないと……」
「……おーきーろー」
「あぅん、でもぉ……」
随分深い眠りに付いている…のかもな…。それじゃあこの子の夢見るお菓子のように、もちもちしてそうなほっぺをツンツンつついてみた。
「うぅぅん……むにゃ……んもう…ありゃ?」
外部からの直接攻撃が効いたのか、むくりと起き上がり、この子は目を覚ました。
「ありゃ、ありゃりゃ……?え、あれ?あれれ…?」
なんだよ…私のツンツン攻撃がそんなに良くなかったのかな…上手く手加減したつもりだが…?
「せ、先生!?…こ、この空間に入って来たっていうことは…ま、ま、まさか神田アリス先生……?」
「…ああ、そうだよ」
見てるだけで面白い反応をしているな。私にもこんな時が存在したのだろうか…。
「う、うわああ!?そ、そうですね!?もうこんな時間!?」
メインオペレートシステムということは、一種のAIのはず……。だがこの子はとても人間味溢れるというか……それこそ今私はさっきの生徒達と変わらない一人の女の子と話している気分になる。今も慌てる自身を言葉で落ち着かせている。
「私はアロナ!この『シッテムの箱』に常駐しているシステム管理者であり、メインOS、そしてこれから先生をアシストする秘書です!」
メインOS……いくらそっち方向に疎い私でもわかる…。やっぱりこの子はAI……所謂人工知能に近いもののはずだ。
「やっと会うことができました!私はここで先生をずっと、ずーっと待っていました!」
「……寝てただけじゃなくてか?」
「あ、あうう……も、もちろんたまに居眠りしたりしたこともあるけど…」
「まあ、よろしくな」
その辺の謎は一旦今は置いておこう。今やるべき事をした後、落ち着いてからでも十分だ。
「はい!よろしくお願いします!これから先、頑張って色々な面で先生の事をサポートしていきますね!」
続けてアロナは、私の目の前に一本の指を持ってきた。
「形式的ではありますが、生体認証を行います♪」
「この指は?」
「……少し恥ずかしいですが、手続きだから仕方ないんです。さあ、この私の指に、先生の指を当ててください」
私はアロナに言われた通り、少したじろぎながらアロナの人差し指に私の人差し指をちょんっ…とくっつけた。
「うふふ。まるで指切りして約束するみたいでしょう?実は、これで生体情報の指紋を確認するんです!」
今私の居るこの空間がどういうもので、リンやユウカのいたキヴォトスの世界……。正確には私がここに居る間、少なくともリンには私がどう映っているのだろうか……。
「画面に残った指紋を目視で確認するのですが……すぐ終わります!こう見えて目は良いので」
……先ほど感じた違和感と共に、メインOSに視力の良し悪しがあるのだろうかと考えた。
「どれどれ……?」
私にはよく見えない……どころか全く見えない指紋を目視で確認しているアロナだが……。全く見えて無さそうな表情に見えるのは私だけだろうか?目を細めてるし、うーん…とか言ってるし。
「…はい!確認終わりました♪」
「本当に見えてたのか?」
あまりに何事も無かったかのように振る舞うから、思わず聞かざるをえなかった。
「うぇ!?も、もちろんですよ!私はスーパーアロナちゃんですからね!」
ふんすっ!…と胸を張って言うからこの話題はそのままにしておくか。それよりも私は、今ここで『シッテムの箱』を起動した経緯。連邦生徒会長が行方不明になり、キヴォトスにあるなんとかタワーを制御する手段がない事を話した。ついでに連邦生徒会長について聞いてみたが、アロナは連邦生徒会長についてほとんど知らないとの事だった。どうして行方不明になってしまったのか、もだ。
「……ですが、サンクトゥムタワーの問題は私が何とか解決できそうです」
「じゃあ、さっそくよろしく頼むよ。アロナ」
「はい!分かりました。それでは、サンクトゥムタワーのアクセス権を修復します!少々お待ちください!」
私の視点では何も起こらなかった。数秒後、目を閉じたアロナが、再び目を開けた時だった。
「サンクトゥムタワーのadmin権限を取得完了……。先生、サンクトゥムタワーの制御権を無事に回収できました。今サンクトゥムタワーは、私アロナの統制下にあります」
少なくとも今まで私が見てきた機械だと最も優秀になるなアロナは……。いや…まだアロナが機械ではない可能性……あまりに暴論ではあるがな……。
「今のキヴォトスは、先生の支配下にあるも同然です!」
そういえばふと思い出した。さっきアロナは、私の生体認証を確認したと言った。つまり私の過去……かつて私が殺し屋だった事も、全て知っているのか……?別に知られてまずいことではないが……その辺は機械だから気にしないのか…?
「先生が承認さえしてくだされば、サンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管できます」
サンクトゥムタワーの制御権……か。
「でも……大丈夫ですかね?連邦生徒会に制御権を渡しても……」
「ああ、大丈夫だよ」
いまだに名前の覚えられないタワーの制御権を持ったところでどうしようもないしな。それに、私はこの世界を征服する為に来たわけじゃない。
「分かりました。これよりサンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管します!」
数秒後、どうやったのか自分でもわからないが、私の意識はキヴォトスに戻されていた。『シッテムの箱』の空間……からいつ出たのか…。今出たのだろうか……まあ、こういうことにも慣れるしかないのかもしれんな。
リンにサンクトゥムタワー…だったか?その制御権を取り戻した事を伝えようとしたが、もうすでに彼女はどこかと連絡を取っていた。会話の内容は分からなかったが、彼女の話しぶりから連邦生徒会の誰かだろう。電話が終わり、彼女は口を開いた。
「サンクトゥムタワーの制御権の確保が確認できました。これからは連邦生徒会長がいた頃と同じように、行政管理を進められますね」
正直、私には何が何だかよく分からずじまいだ。
「お疲れさまでした、先生。キヴォトスの混乱を防いでくれたことに、連邦生徒会を代表して深く感謝いたします。ここを攻撃した不良たちと、停学中の生徒達については、これから追跡して討伐いたしますので。ご心配なく」
「まあ、別にそこの心配はしてねーけど…」
「そうですか……。それでは『シッテムの箱』は渡しましたし、私の役目は終わったようですね」
「……あ、もう一つありました。ついて来てください。連邦捜査部「シャーレ」をご紹介いたします」