それは昼過ぎだった。
外の空気はやけに乾いていて、太陽は鈍く光っていた。
そこへ、馬の蹄の音とともに急報が届いた。
――捕獲していた二体の巨人、ソニーとビーンが殺害された。
報せを聞いた瞬間、ハンジの顔から血の気が引いた。
俺たちは急いで馬に乗り、現場へと向かった。
風が顔に刺さる。
馬を走らせながら、胸の奥で不穏なざわめきが広がっていく。
巨人を――誰が? 何のために?
現場に到着したときには、すでに辺り一面に熱気が立ちこめていた。
拘束具は引きちぎられ、残されたのは――白く焼けた骨。
巨人の体はほとんど蒸発していて、すでに形を留めていなかった。
「……くそっ」
誰かが小さく唸った。
そのすぐそばで、ハンジが膝から崩れ落ちた。
「……あぁぁぁ!! ソニーィィィ!! ビーィィィィィィン!!!」
頭を抱え、巨人の骨に縋りつくように叫ぶ。
「嘘だと……嘘だと言ってくれぇぇぇぇえ!!!」
その声が、焼けた空気の中に溶けていった。
誰も、その背中に声をかけられなかった。
――ハンジの巨人への執念は、狂気と紙一重だ。
俺はそれをただ静かに見つめていた。
やがて、現場を後にしようとしたときだった。
エルヴィンがエレンの背後から静かに近づいていき、耳元に何かを囁く。エレンの表情が一瞬で固まった。戸惑いと混乱が入り混じる。
数秒の沈黙の後、エルヴィンはゆっくりと離れた。
そして今度は俺の方へ歩み寄ってくる。
その目には、いつもの冷静な光が宿っていた。
「……君には何が見える?」
「……」
「敵は、何だと思う?」
まるで、心の奥を試すような口調だった。
このタイミングでその質問――
すぐに浮かんだのは、戦場でも巨人でもなく、人間の影。
「……裏切り者、だろ?」
言葉が自然に口を突いて出た。
エルヴィンの眉がわずかに動いた。
ほんの一瞬、驚いたような表情を見せる。
だがすぐに、いつもの沈着な顔に戻った。
「……後で、リヴァイと共に私の元へ来てくれ」
そう言い残し、馬に乗って去っていった。
(裏切り者……)
あの言葉が、胸の奥で重く響く。
巨人を殺したのは誰だ――その答えを見つけるまでは、落ち着けそうになかった。
───────
巨人殺害の報せが広まった後、訓練兵全員に命令が下された。
“立体機動装置の点検を受けろ”――それが命令の内容だった。
どうやら、被検体の巨人を殺した犯人をあぶり出すつもりらしい。
犯行に使われた可能性のある装置を調べるということだ。
訓練兵たちはひとつの大きな建物に集められ、順番に点検を受けていた。
当然、巨人が殺された時にリヴァイ班と一緒にいた俺には受ける義務はない。
だが――頭の硬い憲兵どもは、そんな例外を認める気などさらさらなかった。
「関係者であっても例外はない。命令だ」
そう言われれば、従うしかない。
(まったく……融通が利かねぇ連中だ)
仕方なく列に並び、点検の順番を待つ。
室内は息が詰まるほど静かで、誰もが緊張していた。
鋼線の音、ガスの点検音、そして検査官の無機質な声だけが響いている。
ふと横を見ると、アニの姿があった。
淡々と前を見ていたが、どこか虚ろな表情をしている。
その隣にはアルミンが立っていた。
「……アニ、もう平気か?」
思わず声をかけると、彼女は少しだけこちらを見て小さく笑った。
「……ルカ。ああ、平気さ。変なところ見せたね」
「ああ。ならいい」
それ以上は何も言わず、俺は前を向く。
けれど、アルミンがすぐに口を開いた。
「ねぇ、ルカ……エレンはどうしてる?」
「エレンか? ああ、平気だよ」
(まぁ、今朝までは死にかけてたな)
「そっか……ルカもエレンと同じ班なんだよね?」
「ああ、そうだ」
「だったら、エレンを気にかけてやってくれないかな?
エレン、いきなりのことで混乱してると思うんだ」
俺は小さく鼻を鳴らした。
「なんだか親みてぇだな、お前」
「え? そうかな……?」
「まぁ心配しなくてもいい。目に入る範囲で、死にそうな時は助けてやるさ」
「……頼むよ」
短い沈黙が流れた。
やがて、アニがぽつりと呟いた。
「やっぱりアンタは、調査兵団に入ったんだね」
「まぁな。そういうお前は憲兵団だろ?」
「私は、アンタやあの死に急ぎ野郎みたいに外への興味も、巨人への恨みもないしね」
「……確かに。お前はそういう奴だったな」
その後、アニは少しだけ目を伏せた。
しばらく沈黙が続いたあと、かすかに唇を動かす。
「……ルカ」
「ん?」
「アンタは……死なないでね」
その表情は、あの時のように淡々としていながらも、どこか不安げだった。
――後悔や迷いが、わずかに混じっているように見えた。
「……何だそれ」
そう言いながらも、俺は視線を外せなかった。
その目が、まるで何かを知っているように見えたからだ。
点検が終わり、アニやアルミンたちと別れて建物を出た。
日差しは傾き始めていて、影が長く伸びていた。
それでも、頭の中はずっと同じ言葉が反芻している。
――「アンタは、死なないでね」
何気なく言ったような、でも確かに“何かを知ってる”ような声。
あの時のアニの表情が、ずっと離れない。
不安、後悔……それに少しの覚悟。
ただの冗談とは思えなかった。
(何を……隠してる?)
考えれば考えるほど、胸の奥がざらついた。
アニが何かを背負っているような気がしてならない。
だが――それを問いただす資格が、自分にあるとも思えなかった。
そんな時だった。
「……おい」
短く、鋭い声が前から飛んできた。
顔を上げると、道の向こうにリヴァイが立っていた。
いつもの鋭い目つき。だが、少しだけ俺を見透かすようでもあった。
「……リヴァイか」
「どうした。何を考え込んでた?」
「いや、何でもない」
とっさに言葉を濁す。
余計なことを口にすれば、余計な詮索をされるだけだ。
「それより要件は団長のことか?」
リヴァイは一瞬だけ目を細めたが、すぐに表情を戻した。
「……そうだ。着いてこい」
それだけ言って、踵を返す。
俺は小さく息を吐き、彼の背中を追った。
廊下を抜け、石造りの階段を上がる。
足音が二人分だけ響く。
やがて、重厚な扉の前に着く。
リヴァイが一度ノックもせずにドアノブを回した。
「入るぞ」
そのまま中へ入り、俺も後に続く。
部屋の中は広く、静まり返っていた。
中央の机の前に座っていたのは――エルヴィン・スミス。
書類を脇に置き、ゆっくりとこちらを見た。
背筋を伸ばした姿勢に、威圧感と静かな知性が滲んでいる。
「来たか。こちらに座ってくれ」
落ち着いた声。
その一言だけで、場の空気が変わる。
俺とリヴァイは向かいのソファに腰を下ろした。
テーブルの上には、数枚の報告書と地図。
その端には、乾きかけたインクの跡があった。
「ルカ、君がここに呼ばれた訳は分かるか?」
エルヴィンの声が静かに、でもこちらの思考を削ぐように部屋の空気を引き締めた。
「あの昼間の質問に――裏切り者って答えたからだろ?」と俺は即答した。言葉が出た瞬間、自分でも驚くほど素直だった。
「そうだ」エルヴィンは頷いた。「君以外にも同様の質問を兵団内の人間にして回ったが、〈裏切り者〉と即答したのは君だけだった。その答えで、君が我々と似た考えを持っていると判断した。それがここに呼んだ理由だ」
一息置いてから、彼は再び口を開く。「では、裏切り者とは何だと思う?」
恐らく――と、俺は視線を少し落として言った。「エレンと同じ、巨人になれる人間――だろうな」
エルヴィンはその答えに静かに頷いた。「私も同じ考えだ。そこで我々は、その人物を見つけ出し捕らえたい」
「どうやって?」思わず声が荒くなる。壁外調査を使う? ――それは表向きの理由を超える、文字通りの賭けだ。
(普通に出て行って帰って来れる話じゃねぇ……全員が死ぬ可能性だってある)
「今度の壁外調査を利用する」エルヴィンは地図をゆっくりと広げ、指で森の奥を示した。「表向きはウォール・マリア奪還の試運転という形だが、真の目的はその人物の捕獲だ」
俺の頭の中で、森の影と穴塞ぎの光景が重なる。未知の“力”を持つ相手を相手にする
「リスクが高すぎないか?」俺は正直に言った。声に震えはなかったが、内心はざわついている。エレンを護りつつ、未知の敵を誘導して捕獲する。失敗すれば、何も残らない。
「確かにリスクは大きい」エルヴィンは否定しない。「しかし、その人物を捕らえ情報を集めなければ、人類は前に進めない。放置すれば同じ災厄が繰り返されるだけだ」
彼の言葉には理がある。だが理は、命を秤にかける言葉でもある。
「分かった。やるしかないか。それで、俺の役割は何だ?」俺は短く答えを求める。
エルヴィンは指で地図上の一点を示す。「君にやってもらいたいのは、目標を捕獲ポイントまで誘導することだ。そして可能であれば目標の戦闘能力の把握までやってもらいたい。今回、捕獲ポイントはウォール・マリア内の巨大樹の森の奥深くに設定した。そこで新兵器を使用して目標を捕らえる」
彼は続けて陣形を説明する。「リヴァイ班を含む精鋭は陣形の後列中央に配置される。荷馬車の中央列のみが森に入っていき、他は入口で待機する。それで目標以外の巨人を入口に固める企図だ」
「目標が森に入り、君たちリヴァイ班が接触するとリヴァイが音響弾を放つ。それが合図だ」
エルヴィンは地図の上を指でなぞりながら言った。
「ここからが君の役割だ。目標と接触してから捕獲ポイントまでの足止めと誘導を、君に任せたい。出来るか?」
言葉は短い。だが、その一言に込められた責任の重みが、部屋の空気をさらに引き締めた。
(任せる、か……。重いな)
胸の奥が少し熱くなる。だが同時に、背筋がまっすぐになるのを感じた。
「……分かった。やる」
そう答えてから、ふと頭をよぎる疑問を口にした。
「――エレンのことはどうするんだ? あいつは大人しく逃げるタイプじゃないだろ?」
その言葉に、エルヴィンはわずかに目を細める。
「エレンに関してはリヴァイに一任している」
リヴァイは椅子にもたれたまま、腕を組み、低く言った。
「俺が止める。……どんな手を使ってでもな」
その声音には、一切の感情がなかった。
そして俺に視線を向ける。
いつものように無表情――だが、その眼差しの奥に、ほんのわずかな熱が宿っていた。
「お前なら問題ねぇだろ。ルカ……生きろよ」
短く、それだけを言ってリヴァイは視線を地図へ戻す。
言葉はたった一言。それでも、鼓動が一瞬強く跳ねた。
(……ふっ、らしくねぇな)
思わず心の中で笑う。だがその言葉が、妙に心強く響いたのも確かだった。
エルヴィンは微かに笑みを浮かべ、ソファに深く座り直した。
「頼んだよ、ルカ」
俺は立ち上がり、まっすぐ団長とリヴァイを見据えた。
「……ああ、任せとけ」
エルヴィンとの話が終わり、俺とリヴァイは拠点へと馬で戻る。
夜風が冷たい。
蹄の音が一定のリズムで響くたび、草の匂いがかすかに鼻を刺した。
隣を並走するリヴァイは相変わらず無言で、月明かりの下、表情は読めない。
「なぁ、リヴァイ」
「……なんだ」
「今回の作戦、班の連中には話すのか?」
手綱を握るリヴァイの指が、ほんの僅かに動いた。
「アイツらには一切教えない」
「やっぱりな」
「余計な情報は混乱を招く。知る必要があるのは、実行する奴だけだ」
それっきり、会話は途切れた。
月に照らされたリヴァイの横顔には、何の迷いもなかった。
(……本当にあの人らしい判断だ)
俺は深く息を吐き、馬の首筋を軽く撫でた。
そのまま二人は言葉もなく夜道を進む。
遠くに、拠点の灯りがぼんやりと見えてきた。
ヒロインは誰がいい?
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クリスタ(ヒストリア)
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アニ
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ペトラ