影なき刃   作:洟魔

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ストヘス区②

 

 アニが巨人になったことで、俺たちの最初の作戦は失敗した。

 だからこそ、速やかに次の作戦へ移らなければならない。

 

 俺たちはそのまま通路の奥へ進む。

 すると、そこには待機していた調査兵たちがいた。

 

「作戦はどうなった!?」

 

 切羽詰まった声が飛ぶ。

 それに答えたのはアルミンだった。

 

「失敗しました! だから次の作戦に移行してください!」

 

 だが、その言葉が終わるより早く――

 

 天井に、唐突に穴が開いた。

 

 次の瞬間、女型の足が勢いよく踏み抜かれ、待機していた調査兵たちはそのまま押し潰された。

 

「……ッ!」

 

 血と瓦礫が飛び散る。

 悲鳴すら、一瞬だった。

 

「女型のやつ……エレンが死んでもいいっていうの?」

 

 ミカサが低く言う。

 だが、アニの目的がエレンである以上、それはないはずだ。

 

 すると、アルミンがその疑問に答える。

 

「いや、アニは賭けたんだ。

 エレンが死なないことに賭けて穴を開けた……めちゃくちゃだけど、こうなったら手強い……ッ!」

 

「チッ……」

 

 思わず舌打ちが漏れる。

 そのくらい、状況は最悪だった。

 

 退路はない。

 完全に袋の鼠だ。

 このままここにいたところで、いずれアニに踏み潰されて全員死ぬだろう。

 

 唯一望みがあるとしたら――二次作戦通り、エレンが巨人化してアニと戦い、その隙に俺たちが地上へ出ることくらいだ。

 

 そこまで考えて、俺は横目でエレンを見る。

 

 エレンはすでに手を噛んでいた。

 だが――一向に巨人化する気配がない。

 ただ、噛み裂いた手から血が溢れているだけだった。

 

「くそッ! 何で……ッ、何でなれないんだよ!」

 

 エレンはそう言いながら、何度も自分の手を噛む。

 だが、どれだけ噛みついても巨人化の兆しはない。ただ、血が滴り落ちるだけだ。

 

 その様子を見ていたミカサが、エレンの傍に身を屈めて口を開いた。

 

「エレン……まだアニと戦うことを、躊躇してるんじゃないの」

 

「ッ!」

 

 エレンの肩が跳ねる。

 ミカサはその反応を見逃さず、さらに言葉を重ねた。

 

「まさか、この期に及んで……アニが女型なのは気のせいかもしれない、なんて思ってる? ……あなたはさっき何を見たの? 仲間を殺したのはあの女でしょ……まだ違うと思うの?」

 

「ッ! ……うるせぇな! 俺はやってるだろ!!」

 

 エレンはそう怒鳴って、再び自分の手を噛む。

 だが、それでも巨人化は起こらない。

 

(……そういうことか)

 

 巨人になれないんじゃない。

 なれないほど、迷ってる。

 

 仲間意識の強いこいつらしい。

 だが、今はそこを責めてる場合じゃねぇ。

 

 そんな中、アルミンが俺たちに向かって顔を上げた。

 

「作戦を考えた」

 

 俺とミカサが視線を向ける。

 アルミンは呼吸を整えながら、早口で続けた。

 

「僕とミカサ、ルカの内二人が、あの穴と元の入り口から同時に出る。そうすればアニはどちらかに対応する。その隙に、もう一人がエレンを連れて、アニがいない方から逃げて――」

 

(……なるほどな)

 

 これなら、まだ可能性はある。

 俺はすぐに口を開いた。

 

「入り口からは俺が出る。どうせこのままじゃ死ぬだけだしな。もう一人はどうする?」

 

「私が行く」

 

 ミカサが即答する。

 

 アルミンは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく頷いた。

 

「二人とも、危険な役目を任せてゴメン……じゃあ時間がないから、準備をお願い」

 

 俺とミカサはアルミンの言葉に頷き、それぞれフードを深く被った。

 そして、別々の出口を目指して走り出す。

 

 その時、背後からエレンの声が響いた。

 

「何で……何でお前らは戦えるんだよ!?」

 

 その声に、俺は思わず足を止めた。

 振り返ると、そこには蹲ったままのエレンがいる。

 

 少し先まで進んでいたミカサも立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 そして、静かに口を開く。

 

「仕方ないでしょ……世界は残酷なんだから」

 

 ミカサのその言葉を聞いて、俺は一瞬だけ今までの暮らしを思い返した。

 

 地下街。

 飢え、暴力、裏切り、死。

 どこを切り取っても、優しさより残酷さの方がずっと身近にあった。

 

(……ああ、その通りだ)

 

 世界は残酷だ。

 今さら否定できるほど、綺麗なものだけを見て生きてきたわけじゃない。

 

 ミカサはそれだけ言い終えると、踵を返して穴の方へ向かっていった。

 

 俺は、未だにその場へ座り込んでいるエレンへ一瞬だけ視線を向ける。

 だが、すぐに気持ちを切り替えた。

 

(今はやるしかねぇ)

 

 俺も元の入口へ向かって駆ける。

 時間がない。アニが動く前に、こっちが先に仕掛けるしかない。

 

 そして――

 

 入口から立体機動で外へ飛び出した、その瞬間。

 視界の端で、先程までエレンとアルミンがいた場所をアニが踏み潰していた。

 

「クソッ……」

 

 思わず悪態が漏れる。

 俺は急いでその場所へ向かった。

 

 幸い、アニは穴の方から出てきたミカサへ意識を向けている。

 今なら問題なく近づける。

 

「おい、エレン! アルミン!」

 

 そう呼びながら瓦礫の山へ駆け寄る。

 すると、崩れた石に埋もれ、木の棒が身体に刺さっているエレンの姿が見えた。

 

「……ッ」

 

 だが、息はある。

 死んでいないと分かった瞬間、胸の奥の張りつめていたものが少しだけ緩んだ。

 

 俺はすぐにアルミンの姿を探そうとする。

 その時――

 

「ルカ!」

 

 後ろから声が飛んできた。

 

 振り向くと、そこにはアルミンが立っていた。

 

「無事だったか、アルミン」

 

「うん、僕は少しエレンと位置が離れてたからね。偶々立体機動で脱出出来たんだ」

 

 アルミンはそう言うと、そのままエレンの元へ駆け寄る。

 

「エレンは僕に任せて、ルカはミカサの所に行ってあげて」

 

「ああ」

 

 短く返し、俺はすぐにその場を離れた。

 そして、そのままミカサのいる方へ向かって飛んだ。

 

 ミカサの元へ向かうと、すでにアニ――女型の巨人と交戦していた。

 周囲には調査兵団の増援も何人か来ている。だが、状況は良くない。

 

 兵が一人、女型へ斬り込む。

 だがアニは飛んできたワイヤーを掴み、迷いなく引いた。

 軌道を狂わされた兵はそのまま壁へ叩きつけられる。

 後続も同じだ。

 飛び込むたびに動きを読まれ、次々と地面に落とされていく。

 

(チッ……完全に見切られてる)

 

 俺はすぐにミカサの傍へ移動し、短く告げる。

 

「エレンは生きてる。アルミンが見てる」

 

「……そう」

 

 ミカサはそれだけ返すと、視線を外さずに女型を睨み続けた。

 余計な感情は挟まない。だが、その返事だけで十分だった。

 

「行くぞ」

 

「ええ」

 

 先に動いたのはミカサだった。

 正面から一気に距離を詰め、アニの意識を強引に引きつける。

 

 その隙に、俺は逆側から低く回り込む。

 狙いは膝裏。機動力を削げば、市街地への誘導が楽になる。

 

 ミカサへ向けてアニが腕を振り抜いた瞬間、俺は死角から踏み込んだ。

 刃を滑り込ませ、膝裏を断つ――はずだった。

 

(……ッ!)

 

 アニは読んでいた。

 ミカサへ意識を向けたまま、身体をわずかに浮かせて俺の斬撃を浅く外す。

 

 刃は入った。だが浅い。

 

 次の瞬間、足が真上から落ちてきた。

 

「チッ!」

 

 咄嗟に横へ跳ぶ。

 直撃は避けたが、砕けた石畳の破片が頬を切った。

 

 血がつく。浅い。問題ない。

 

 このまま二次作戦に固執する意味はない。

 地下での捕獲は失敗した。なら、市街地で女型を捕らえる三次作戦へ移るしかない。

 

 俺とミカサは互いに目配せし、徐々に街の奥へ女型を誘導しようと動き始めた。

 だが、その時だった。

 

 ドォォォォォン!! 

 

 轟音。

 アニが女型へと変身した時と同じ、空を裂くような落雷が走る。

 

「……ッ!」

 

 思わず振り向く。

 

 その直後――

 

 オォォォォォ!! 

 

 巨人の雄叫びが響いた。

 

 蒸気の向こうから現れたのは、巨人化したエレンだった。

 全身に怒りを漲らせたまま、一直線に女型へ突っ込んでくる。

 

「エレン……!」

 

 ミカサが息を呑む。

 俺も目を見開いた。

 

 そのままエレンは女型へ体当たりし、二体の巨人は激突した勢いのまま、壁や建物をなぎ倒しながら市街地へと侵入していった。

 

 ――どうやら、吹っ切れたようだな……。

 

 俺はそう思いながら、激突した二体の巨人を見据えた。

 

 エレンに突進されたアニは、そのままの勢いで教会へ倒れ込む。石壁が砕け、屋根が潰れ、内部にいた住民たちは悲鳴を上げる間もなく下敷きになっていった。

 

 アニはすぐに立ち上がると、今度は壁の方へ向かって走り出した。エレンも咆哮を上げ、その背を追う。

 

 俺とミカサ、そして増援の兵士たちも、一定の距離を保ちながらその後を追った。下手に近づけば巻き込まれる。だが、離れすぎれば見失う。最悪の距離感だ。

 

 やがて建物の密度が少し薄い場所へ出ると、アニがぴたりと足を止めた。振り返り、エレンへ向き直る。

 

 そして――あの独特な構えを取る。

 

(来るぞ……)

 

 エレンは迷いなく殴りかかった。だが、アニはそれを真正面から受けることなく、硬質化した肘でガードする。

 

 鈍い音。

 その瞬間、エレンの拳が、嫌な音を立てて歪んだ。

 

「チッ……」

 

 まともに殴り合えば分が悪い。

 訓練兵の頃から、エレンはアニに勝てなかった。今さら少し腕を上げたところで覆る差じゃない。しかも相手は、巨人の身体まで使い慣れてやがる。

 

 その後も街を壊しながら戦いは続いた。エレンは何度も食らいつき、殴り、押し返そうとする。だがアニは硬質化を格闘に組み込み、最小限の動きでそれをいなしていく。

 

 肘で受け、膝で逸らし、関節を狙って壊す。

 

 無駄がなさすぎる。

 

 深手を負わせたいエレンの攻撃は決定打にならず、逆にエレンの方が一撃ごとに損傷を増やしていった。

 

「このままだと……」

 

 横を並走していたミカサが小さく呟く。俺も同感だった。

 

 エレンは戦えてはいる。だが、押してはいない。あれじゃ時間の問題で削られる。

 

 だったら俺たちが入るしかない。そう思って足場を探すが、ここは平地に近い。建物の高さも中途半端で、立体機動の軌道が安定しねぇ。無理に飛び込めばアニに読まれて終わりだ。

 

(クソッ……!)

 

 アニはエレンの懐へ滑り込むと、低い姿勢から体重を乗せた蹴りを叩き込んだ。エレンの巨体が大きく傾き、そのまま地面を削りながら吹き飛ばされる。

 

 土煙が上がる。

 

 吹き飛ばされたエレンは、建物にぶつかり続けながらようやく止まると、そのまま座り込んで動かなくなった。

 それを確認したアニは、すぐに壁の方へ走り出す。

 

「逃がすわけねぇだろ……ッ!」

 

 俺は追おうとする。

 だが、その直後――

 

「ウォォォォ!!!」

 

 さっきまで座り込んでいたはずのエレンが、突然立ち上がった。

 咆哮を上げながらアニへ向かって走り出し、追いついた勢いのまま飛びかかって地面へ押し倒す。

 

「エレン……ッ」

 

 ミカサがそっちへ向かおうとするが、ハンジがすぐに制した。

 

「よせ! 今のエレンにお前が認識できるかどうか」

 

「無理だろうな……」

 

 俺も同意する。

 あいつの目はもう完全に据わっていた。今のエレンに見えているのは、目の前の敵だけだ。

 

 アニは押さえつけられたまま、必死にエレンを引き剥がそうとする。

 だがエレンはその顔を掴み、そのまま握り潰そうと指を食い込ませていく。

 

 蒸気が噴き、アニが低く呻く。

 

 ――次の瞬間。

 

 アニは雄叫びを上げながら肘鉄をエレンに叩き込み、強引に身体を引き剥がした。

 そのまま指先を硬質化させると、壁へ向かって一気に登り始める。

 

「ッ、やっぱりそっちか!」

 

 俺は反射的にワイヤーを撃とうとした。

 だが、それより早くミカサが動いていた。

 

 一直線にアニへ迫ったミカサは、壁に突き刺さっていた両手の指先を一閃で斬り落とす。

 支えを失ったアニの身体が、壁から剥がれ落ちた。

 

 そこへ――

 

 エレンが飛び込む。

 

 地面へ落ちてきたアニにそのままのしかかると、腕を大きく振り上げ――叩きつけた。

 

 轟音。

 アニがうなじを守ろうと差し出した腕ごと、首元が吹き飛ぶ。

 その代わりに、勢い余ったエレン自身の腕ももげた。

 

「……ッ!」

 

 そこまでやるか、と息を呑む。

 だがこれで、あとはアニをうなじから引きずり出すだけ――のはずだった。

 

 なのに、エレンは止まらない。

 

 我を失っているのか、露出したうなじへ顔を近づけ、そのまま喰らおうとしていた。

 

「まずい、中身も食われるぞ!」

 

「エレンよせ!」

 

 ハンジとジャンの叫び声が飛ぶ。

 

「チッ……世話のやけるッ」

 

 俺は舌打ちし、そのままエレンの元へ飛び出した。

 

 だが、その間にエレンはすでにアニのうなじの肉を噛みちぎっていた。

 裂けた肉の奥から――アニ本体が露わになる

 

 俺はそのままエレンの元へ飛び込んだ。

 だが、露わになったアニ本体の姿を見た瞬間――思わず言葉を失う。

 

「……」

 

 アニは、泣いていた。

 両目から、はっきりと涙を流していた。

 

 その顔を見た瞬間、胸の奥が嫌な音を立てる。

 けど、立ち止まってる暇はなかった。

 

 次の瞬間――アニの身体が光り始める。

 

「ッ――!」

 

 嫌な予感が走る。

 そしてその予感は外れなかった。

 

 アニの身体は、さっき見た硬質化とよく似た水晶に包まれていく。

 透明な結晶が一気に広がり、露わになっていた本体を閉じ込めた。

 

 同時に、エレンの身体がアニの巨人と融合し始める。

 

「ッ! ……クソ」

 

 舌打ちと同時に、俺はエレンのうなじへ飛びついた。

 このままじゃエレンまで取り込まれる。

 

 刃を振り下ろし、うなじの肉を斬り裂く。

 蒸気が噴き上がり、熱気が顔を叩いた。

 

 俺はそのまま躊躇なく手を突っ込み、エレンの身体を強引に引きずり出す。

 

 その後、アルミンとミカサが駆け寄ってきたため、俺はエレンを二人に引き渡した。

 ミカサは無言でエレンを抱え、アルミンはその顔色を確認しながら何度も名前を呼んでいる。

 

 俺はそこでようやく、アニの方へ視線を向けた。

 

 アニの巨人も、エレンの巨人も、もうほとんど骨しか残っていなかった。

 蒸気を上げながら崩れていくその中心で、引きずり出されたアニの身体だけが、あの水晶に閉じ込められている。

 

 そして、その水晶の前ではジャンが何度も刃を突き立てていた。

 

「クソッ! 何なんだよ! ここまできてダンマリかよ! アニ! ……」

 

 怒鳴りながら何度も叩きつける。

 だが、水晶にはひび一つ入らない。返ってくるのは、虚しい金属音だけだ。

 

 俺はその様子を見ながら、小さく呟いた。

 

「これがお前の覚悟か……アニ」

 

 答えはない。

 ただ、透明な殻の向こうで、目を閉じたアニが眠っているように見えるだけだった。

 

 やがて、アニの身体はそのまま地下へ運ばれることになった。

 俺たち調査兵団は、その後すぐに憲兵どもから事情聴取を受ける羽目になった。

 

 何を見たのか。

 いつからアニを疑っていたのか。

 巨人化の瞬間はどうだったのか。

 似たようなことを何度も何度も聞かれ、そのたびに胸糞の悪い言い回しで責任の所在を探られる。

 

 街を壊したのは誰だ。

 住民を巻き込んだのは誰だ。

 まるで俺たちが好きでこうしたみたいな口ぶりだった。

 

(チッ……)

 

 何度舌打ちを飲み込んだか分からない。

 だが、今ここで揉めても面倒が増えるだけだ。

 俺は必要最低限だけ答え、ようやく事情聴取を終えた。

 

 部屋の扉を開けて外へ出る。

 少し冷えた空気が、火照った頭をようやく冷ましてくれた。

 

 そこで、壁にもたれかかっていたリヴァイと目が合った。

 

「……終わったか」

 

「ああ。ようやくな」

 

 俺がそう返すと、リヴァイは一度だけ俺の全身を見た。

 傷の具合でも確かめてるんだろう。

 

「死に損なったツラしてやがる」

 

「そっちこそ、足引きずってるやつに言われたくねぇよ」

 

「チッ……相変わらず減らず口だけは達者だな」

 

 いつものやり取り。

 それだけなのに、妙に気が抜けた。

 

 リヴァイは壁から背を離すと、俺の横に並ぶ。

 

「エレンはアルミンとミカサが見てる。しばらくは問題ねぇ」

 

「……そうか」

 

「アニは地下だ。ハンジが張り付く」

 

 そこまで聞いて、俺は小さく息を吐いた。

 

 全部終わったわけじゃない。

 むしろ、ここからが本番だ。

 それでも今日は、とりあえず一つ区切りがついたらしい。

 

 リヴァイがちらりと俺を見る。

 

「で、お前はどうする」

 

「どうするも何も……少し静かなとこ行く。今日は流石に疲れた」

 

「珍しく素直だな」

 

「うるせぇ」

 

 そう返すと、リヴァイは鼻で笑った。

 

 俺はそのまま視線を逸らし、少しだけ遠くを見た。

 街はまだ騒がしい。

 だが、その喧騒の奥で、水晶に閉じこもったアニの顔が焼きついて離れなかった。

 

 そのままリヴァイと別れ、俺は人気の少ない通路を抜けて外へ出た。

 

 空は、もう夕方の色をしていた。

 赤く沈みかけた陽がストヘス区の屋根を斜めに照らし、崩れた石壁や砕けた煉瓦の影を長く引き延ばしている。

 昼間はあれだけ喧しかった怒号も、今はどこか遠い。代わりに聞こえてくるのは、瓦礫をどける音と、負傷兵の低いうめき声、それから――時折、泣くような市民の声だった。

 

 俺は足を止め、夕焼けに染まる街を見渡す。

 

 アニは捕らえた。

 だが、終わったわけじゃない。

 

 あいつは口を閉ざしたままだ。

 しかも、水晶に閉じこもって、自分ごと真実を封じ込めた。

 俺たちはようやく敵の尻尾を掴んだだけで、その全体像はまだ何一つ見えていない。

 

 壁を壊したやつらは何人いるのか。

 目的は何なのか。

 どこまでが敵で、どこまでが味方なのか。

 

 何も分からないまま、ただ一つだけはっきりしたことがある。

 

 ――敵は、壁の外だけにいるわけじゃない。

 

「……クソみてぇな話だ」

 

 小さく吐き捨てると、夕方の風が頬を撫でた。

 その冷たさに、ようやく頭の熱が少しだけ引いていく。

 

 ふと、広場の方に視線をやる。

 担架で運ばれていく兵士。血に染まった外套。瓦礫の下から引き上げられる遺体。

 今日一日で失われた命の数なんて、もう数えたくもなかった。

 

 エルド。

 グンタ。

 名も知らない兵士たち。

 巻き込まれた市民。

 

 ……その全部を踏み越えて、俺たちは前に進まなきゃならない。

 

 進まなければ、あいつらの死は本当にただの無駄になる。

 

 俺は無意識に、懐へ手をやった。

 そこにはもう、エルドの紋章はない。リヴァイに渡したからだ。

 だが、指先にはまだあの感触が残っていた。布を切り取った時の、妙に軽い手応えが。

 

「生きた証、か……」

 

 呟いて、自嘲気味に笑う。

 

 そんなものを大事に抱えて歩くなんて、昔の俺なら馬鹿にしていただろう。

 地下街にいた頃の俺なら、死んだやつは死んだやつ、それで終わりだと切り捨てていたはずだ。

 

 けど今は違う。

 

 守れた命がある。

 守れなかった命もある。

 その重さが、嫌でも胸に残る。

 

 ペトラの顔が浮かぶ。

 頭を撫でてきた時の、あの困ったような優しい笑み。

 オルオの馬鹿みたいな叫び声。

 エレンの、最後まで信じたがっていた目。

 そして――

 

 涙を流しながら水晶に閉じこもった、アニの顔。

 

 胸の奥がまた、鈍く痛んだ。

 

「……本当に、厄介なもんばっか残しやがる」

 

 誰に向けるでもなく吐き出して、俺はゆっくりと空を見上げた。

 

 夕日はもう壁の向こうへ沈みかけている。

 空の赤は次第に深くなり、群青へと溶けていく。

 昼と夜の境目――まるで、俺たちが立たされている場所そのものみたいだった。

 

 戦いは一つ終わった。

 だが、それは勝利なんかじゃない。

 壁の中に潜んでいた敵の正体を暴き、その一角を捕らえただけだ。

 

 俺たちはまだ、何も取り戻していない。

 何も終わらせちゃいない。

 

 それでも――

 

 ほんの少しだけ、確かに前へ進んだのだと信じたかった。

 

 この先に待っているのが、もっと残酷な現実だとしても。

 仲間だったやつが敵になり、信じていたものが崩れていく未来だとしても。

 もう目を逸らすわけにはいかない。

 

 俺は静かに息を吐き、夕焼けの街から視線を外した。

 

「……来るなら来いよ」

 

 壁の外の巨人でも。

 壁の中の裏切り者でも。

 人類の敵が何だろうと、もう関係ない。

 

 俺は俺のやるべきことをやる……それだけだ。




これでseason1終了です!
これからも頑張って書いていきたいと思いますので暖かい感想や評価お願いします笑

ヒロインは誰がいい?

  • クリスタ(ヒストリア)
  • アニ
  • ペトラ
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