影なき刃   作:洟魔

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対人格闘

 

 

訓練場に木靴の音と掛け声が響いていた。

今日は対人格闘。好きに二人組を作っていい、との教官の声に、皆が一斉に相手を探し始める。

 

俺はといえば、輪の外に出て、壁際に腰を下ろしていた。

「相手がいないから仕方なく休んでる」――そんな顔をして。

実際にはただ、体を動かす気分じゃなかった。

 

(……どうせ殴り合いごっこだ。街で喧嘩してた連中の方がまだマシだな)

 

内心で悪態をつきながら視線を横へずらすと、すでに誰かがそこにいた。

背を壁に預け、組んだ腕を崩さず目を閉じている。

 

「……お前もサボりか」

思わず声が漏れる。

 

アニ・レオンハート。無表情に近い横顔は、俺が声をかけたところで特に驚きもしなかった。

「サボりって言うより……やる気が出ないだけ」

淡々とした返事。

 

俺は小さく笑った。

「同じようなもんだろ」

 

彼女は小さく肩をすくめるだけで、会話を終わらせるように目を閉じ直す。

だが不思議と、この沈黙は居心地が悪くなかった。

 

しばらくして、俺はなんとなく口を開いた。

「……そういえば、お前が戦ってるとこ、見たことねぇな」

 

アニはうっすらと片目を開けて俺を見た。

「見たいの?」

「軽く、な。暇つぶしだ」

 

わざと気楽に返すと、彼女は短くため息をつき、壁から背を離した。

「……いいけど、怪我しても知らないよ」

 

 

互いに距離を取って構える。

周りは他の組の訓練に夢中で、俺たちに気づいている者はいない。

 

一歩、アニが踏み込む。

低い姿勢から繰り出された蹴りを、俺は腕で受け流した。

予想以上に重い。小柄な体格のどこにこれだけの力が潜んでいるのか。

 

「へぇ……」

俺は思わず声を漏らす。

 

次の瞬間、アニは体をひねり、俺の足を払ってきた。

だが俺も地下街で身につけた癖がある。

咄嗟に重心を後ろへ流し、地面に手をついて転倒を回避した。

 

「なるほど、噂通りだな」

「……何の噂?」

「強いって話だよ」

 

俺の言葉に、アニは薄く笑ったように見えた。

次いで、容赦なく回し蹴りが飛んでくる。

俺は身をひねって紙一重で避け、その足首を掴もうとした――が、逆に体を軸にしてもう一方の足が迫り、反撃を強いられた。

俺は腕を振り上げて迫る足を逸らし、そのまま彼女の重心を崩そうと狙った。

だがアニは掴まれる寸前に身体を縮め、回転を利用して再び蹴りを繰り出す。鋭い踵が俺のこめかみをかすめ、風圧で髪が揺れた。

 

「……チッ」

思わず舌打ちする。下手に力で押さえ込めば逆に体勢を崩される。

 

すかさずアニが間合いを詰め、低い姿勢からの足払いを狙ってくる。

俺は後方に飛び退き、膝を沈めて反撃の構えを取った。

 

(やっぱり蹴りが中心か……だが、踏み込みは読める)

 

次の瞬間、アニが地を蹴って再び突っ込んでくる。

俺も真正面から踏み込み、互いの腕が絡んだ。短い間、拮抗した力がぶつかり合い、土の上で足音が響く。

 

力任せに押し切るか、それとも技で崩すか――ほんの数秒の均衡。

俺はわざと力を抜き、アニを引き込もうとしたが、逆に彼女が俺の腕を取り、肩口に重心を乗せて投げを仕掛けてきた。

 

「……!」

土煙が上がりかける寸前、俺は体をひねって受け身を取り、そのままアニと距離を取る。

 

互いに一撃を決めきれず、睨み合う。

すぐに次の手を出せる状態だったが、無言のままどちらも動かなかった。

俺は浅く息を吐き、肩の力を抜く。アニも同じようにわずかに構えを解いた。

 

「……まだやるか?」

俺が問いかけると、アニは無表情のまま小さく首を横に振った。

 

「無駄だね。決着はつかない」

 

その一言で、互いに一歩ずつ下がる。

土の上に刻まれた無数の足跡と、擦れた靴の跡だけが、短い攻防を物語っていた。

 

俺もアニも、致命的な隙を晒してはいない。もし続けても、延々と膠着が続くだけだろう。

 

「……引き分け、か」

口に出すと、アニはほんの僅かだけ口元を歪めた。笑ったのか、ただの気のせいかは分からない。

 

だがその瞬間、俺の中でひとつ決めたことがあった。

 

「なあ、アニ。お前の格闘……盗ませてもらえないか?」

唐突に切り出すと、彼女は目を細め、探るようにこちらを見てきた。

 

「理由は?」

 

「俺の戦い方は荒っぽいだけだ。あんたの技を知れば、地下街仕込みの喧嘩も少しは形になる」

 

「……地下街?」

アニの視線が揺れる。俺の出自に気づいたのか、興味を持ったのか――判別はつかなかった。

 

「なら条件をつける」

淡々と告げるアニの声に、俺は口角をわずかに上げた。

 

「条件?」

 

「……あんたの知ってる地下街のこと。憲兵団を目指す私には、上に行くための材料になる。情報と引き換えに、技を教える」

 

互いに視線を外さず、わずかな沈黙が落ちる。

そして俺はゆっくりと頷いた。

 

「悪くない取引だな」

 

互いに頷いた後、アニは立ち上がり、軽く髪をかき上げた。

「……じゃあ、まずは受け身から。倒され方を知らないと、格闘は身につかない」

 

そう言うと、無造作に俺の腕を掴み、体勢を崩して地面へ引き倒した。

だが痛みは思ったより少ない。背中から落ちても衝撃が逃げるように導かれていた。

 

「ほらな。力任せに受け止めるから潰れるんだ」

アニは淡々とした声で続ける。

 

俺はそのまま立ち上がり、もう一度構えた。

「……なるほど。じゃあ、今度は俺がやってみる」

 

何度か組み合ううちに、彼女の体捌きの癖や流れるような足さばきが、少しずつ俺の体に馴染んでいく。蹴りを受け流し、足を払われても即座に起き上がる。地下街で培った荒っぽい喧嘩に、ほんの少し“理”が加わっていく感覚があった。

 

ひと通り動きを確かめた後、アニは手を払うようにして言った。

「今日はここまで。……情報の続きは、また後で聞かせてもらう」

 

そう言い残し、何事もなかったように背を向けて去っていった。

 

アニが去ったあと、俺は軽く拳を握りしめ、まだ体に残る余韻を確かめていた。

蹴りの軌跡、体捌きの間合い、あの女の無駄のない動き――頭の中で反芻しながら。

 

(……思った以上に吸収できたな。だがまだ、完全には自分のものになっちゃいねぇ)

 

独りで構えを作り直し、何度か体を回して動きをなぞっていた、その時だった。

 

「……すごいね」

 

背後から声がした。

振り返ると、木陰にクリスタが立っていた。腕を前で組み、俺を見つめている。

 

「見てたのか」俺は眉をひそめる。

「……いつからだ?」

 

「最初から……じゃないけど、途中から」

クリスタは少し困ったように笑った。

「ルカが、誰かとこんな風に真剣に体を動かしてるの、初めて見た気がして」

 

「……盗み見とは趣味が悪いな」

わざとそっけなく返したが、彼女の視線が妙に真っ直ぐで、居心地が悪い。

 

クリスタは俺の手の甲や傷跡に目をやり、ふっと柔らかく微笑んだ。

「でも……やっぱり、強いんだね」

 

クリスタがそう言った瞬間、胸の奥が少しざわついた。

 

俺は視線を逸らし、拳を開いて握り直す。

「……強い、か。そんな格好いいもんじゃねぇよ」

 

クリスタがきょとんとした顔でこちらを見る。

 

「強くなきゃ生き残れない。ただそれだけだ」

思わず吐き出すように言葉が出た。

 

「そっか……」

クリスタは目を瞬かせたあと、ふっと柔らかく笑った。

それは俺が馬小屋で見た、あの自然な笑みと同じだった。

 

(……今日は、隠してないのか)

 

思わず口に出ていた。

「……今日は作ってないんだな」

 

クリスタは少し驚いたように目を丸くし、それから恥ずかしそうに俯いた。

 

一瞬、驚いたように目を丸くしたクリスタ。

けれどすぐに、その頬がほんのりと赤く染まる。

「……うん。なんか、そう言われると……嬉しい」

 

少し間を置いて、彼女は視線を落としながら続けた。

「だって……ルカの前では作らなくていいって、言ってくれたから」

 

クリスタはまっすぐに俺を見て、子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべた。

一瞬、息が詰まる。

――やっぱり、この笑顔は嘘じゃない。

 

「……なら、ずっとそうしとけ」

 

俺がそう告げると、クリスタは一瞬だけ目を丸くした。

だがすぐに柔らかな笑みを浮かべて、静かに頷いた。

 

「……うん。そうするね」

 

その言葉を最後に、会話は途切れる。

夜の空気が静かに流れ、互いの沈黙だけが残った。

 

 




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