遠月学園中等部3年生――幸平創真。   作:花のお皿

10 / 13
改めて、また

 

 ソーマの料理を完食した後、一色は静かに箸を置いた。

 

 その指先には、わずかに余韻が残っているようだった。

 

 目を閉じ、深く息を吐く。

 その呼吸は、まるで一皿の物語を心に刻み込むような、静かな祈りにも似ていた。

 

 そして、暫くの間を置いてから――

 

 一色はゆっくりと目を開けた。

 

 その瞳には、濁りのない清々しさが宿っていた。

 口元には、清らかな笑み。

 

「――創真君、僕の負けだ」

 

 その言葉は、潔く、そして誇らしげだった。

 

 料理人としての誇りを持って、敗北を認める。

 それは、勝者への最大の敬意でもあった。

 

「約束通り、君に遠月十傑第七席の座を――」

「一色先輩も、凄い品っすよ」

 

 続けられた一色の言葉に被せるように、ソーマが口を開いた。

 その声には、真っ直ぐな感情が込められていた。

 

「丁寧に下処理がしてある。火入れも最適だ。何よりこの香り……こんな料理、俺には作れねぇ」

「何を言ってるんだ、創真君。君なら」

「だから」

 

 だから、と喋ろうとした一色を黙らせるように、ソーマは強く言った。

 

 その言葉には、確かな意志があった。

 

「だから、この食戟――引き分けって事にしませんか」

 

 笑みを浮かべてそう告げるソーマに――

 幸平創真という、勝ち負けにこだわり続けた正真正銘の負けず嫌いの発言に、一色は耳を疑った。

 

「……創真君」

「一色先輩。俺を助けようとしてくれた事、ありがたいっす。でも、この程度で折れる程、俺は柔じゃないっすよ」

 

 強気に、歯を見せて笑うソーマに、一色は目を伏せた。

 

 その笑顔は、無謀で、無鉄砲で、だが確かに眩しかった。

 だからこそ、諭すように一色は語った。

 

「……これから、君がやる食戟は君だけの勝敗では収まらない。君が負ければ、他の生徒達が責任を負う可能性がある。その重圧に、君は耐えきれるのかい?」

「耐えきれるとは言えないかもしれないっすね。俺だけじゃ、手が回らない事もあるかもしれない」

 

 ソーマは自分の掌を見つめた。

 料理人として、少しは誇れるようになった自分の手。

 

 だが、この手では全てを守ることなどできない。

 

 それこそ、一色の言っていた他の生徒達を全員守り切るなんてことは、不可能だろう。

 

「でも、俺は独りじゃない」

 

 断固として言い切ったソーマに、一色は目を見開いた。

 

 その言葉は、確かに届いた。

 

「皆が居る。俺の料理を、美味いって言ってくれる奴らが居る」

 

 胸を張る。料理人としての誇りを胸に、胸を張る。

 

「俺が背負ってるのは、責任なんかじゃない。他の奴の『退学』でもない」

 

 違和感があった。

 『ゆきひら』に居た頃には無い違和感が、背中にあった。

 

 ソーマに着いてきた皆の手が、ソーマの背中を支えていた。

 

 それが、違和感の正体だった。

 

「俺は、皆の期待を背負ってる。皆が皆、俺の料理に期待してくれてる」

 

 グッと手を握る。

 

「――上等ッ! ってなもんじゃないっすか! 嬉しいどころか、尚更腕が鳴るってもんですよ!」

 

 その握り拳を掲げて、ソーマは太陽のように笑った。

 その笑顔は、周囲の空気を一瞬で変える力を持っていた。

 

 一色は目を焼かれたように瞑目し、心の奥で葛藤を抱えながら忠告を続けた。

 

「……期待は時に、とてつもない重圧に変わる。そうなったら」

「――そうなったら」

 

 一色の言葉を遮る声。それは、ソーマの声ではなかった。

 

「俺達の出番、なんだろ? 幸平」

「……伊武崎!?」

 

 続いた言葉に、今度こそソーマは振り向いた。

 

 調理室の入り口。そこには、目元が前髪で隠されている少年――伊武崎が立っていた。

 いや、彼だけではない――極星寮の全員が、そこには控えるように集まっていた。

 

「なんで、皆まで……」

「そりゃあんだけ騒いでたら起きるよ。幸平、声おっきいもん」

 

 驚いたように目を見開くソーマに呆れるように、吉野が答える。

 

「何の相談もしないで勝手に責任背負ってるつもりになってたら、ぶん殴ってたけどな!」

「自分の責任は自分で取るっつの! んで、お前の責任もついでに一緒に背負ってやるよ! 漢だからな!」

 

 青木と佐藤が力こぶを作って、力強く吼えた。

 

「漢だからじゃないでしょ。それじゃ、私達が一緒に背負えないじゃない」

 

 榊は、腰に手を添えて胸を張る。

 

「その通りさ。理由は、漢だからじゃない。だって僕達は――」

 

 丸井は眼鏡をクイッと指で強調し、

 

「創真君と同じ、極星寮なんだから!」

「先に言われたっ!?」

 

 割り込んだ恵に、決め台詞を奪われた。

 

 仰天する丸井に、締まらねぇなとソーマは笑う。

 心底、安堵したように、笑う。

 

「……お前等、本当に馬鹿なんだな」

「「「幸平/創真君に言われたくない!!」」」

 

 心外だと言わんばかりに揃って声を上げられて、ソーマは首を傾げつつ、笑った。

 

 すると、背後からすすり泣くような声が聞こえて、振り向く。

 

「……う、うぅ」

「一色先輩?」

 

 顔色を伺うようにソーマが声をかけると、一色は伏せていた顔を急に上げた。

 

 その目尻には、大きな雫が溜まっている。

 

「うわぁああああああああああ!!」

「――!?」

 

 そして、一色は決壊した。

 

「美しいっ! 美しいよ皆ぁあああああ!! 皆の友情の美しさに、僕は今感動しているぅうううううううう!!」

 

 豪快に泣き喚く一色は、憚ることなく感情を爆発させていた。

 

「ちょちょ、一色先輩!?」

「何で泣くのよ……さっきまで真面目モードだったのに」

「長く持たないんじゃないか、あのモード」

 

 吉野がギョッと目を見開き、呆れるように榊がため息を吐く。

 ジト目で泣き続ける一色を眺めるのは伊武崎だった。

 

「……皆、冷たくないかい?」

 

 涙を拭いながら顔を上げた一色の声は、どこか子供のように寂しげだった。

 

 だがその言葉に、極星寮の面々は一斉に視線を向ける。

 その視線は、優しさよりも呆れと不満が混じったものだった。

 

 実に不満気な視線だった。

 

「一色先輩が勝手に幸平を守ろうと全部背負おうとするからです」

「一色先輩も幸平も、一人で戦おうとするなよ。俺達は足手纏いか?」

 

 青木と佐藤が腕を組み、眉を吊り上げて言い放つ。

 その言葉には、仲間としての誇りと、料理人としての意地が込められていた。

 

 ソーマはその言葉に、ニヤリと口端を上げる。

 

 その笑みは、どこか照れくさそうで、でも心底嬉しそうだった。

 

「ンな訳ねぇだろ。最初っから手伝ってもらうつもりだったよ」

「こっちも、最初っから手伝うつもりだったぜ」

 

 伊武崎の言葉は、静かでありながら力強かった。

 

 その声には、極星寮の“芯”のような重みがあった。

 

「……伊武崎、そんな男前だったっけ?」

「ちょっと幸平君、忘れたの? 伊武崎君は、クールに見えて熱い男の子なのよ」

「そうだった。悪いな、伊武崎」

「……変な事を吹き込むな、榊」

 

 ソーマがニヤニヤと笑いながら榊に同調すると、伊武崎は視線を逸らして小さく舌打ちする。

 その照れ隠しのような仕草に、周囲はさらに笑みを深める。

 

 極星寮らしい、温かくて騒がしい空気がそこにあった。

 そして一段落してから、改めてその場の全員がソーマに向き直る。

 

 その空気は、先ほどまでの騒ぎとは違い、静かで、真剣だった。

 全員を代表するように、恵が一歩前に出る。

 

 その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。

 

「極星寮は、創真君の派閥に全面協力するよ!」

「……ありがとな、田所。皆」

 

 ソーマの声は、少しだけ震えていた。

 

 胸に灯る熱い想いに突き動かされて、自然と感謝の言葉がこぼれた。

 

 そして、唯一黙ったままの先輩の下へ、目を向ける。

 その姿は、どこか寂しげで、でも誇り高かった。

 

「――創真君」

「一色先輩」

 

 互いの名を呼び合って、視線を交わす。

 

 その瞬間、空気が静かに変わった。

 

 一色は、ゆっくりと頭を下げた。

 ソーマに向けて、誠意を見せるかのように。

 

「済まなかった。君の覚悟を、見誤った。そしてどうか、僕にも君の助けとなることを、許してほしい」

 

 その言葉には、料理人としての誠実さと、先輩としての悔いが込められていた。

 どこまでも健気に後輩を助けようとしてくれる一色の姿に、ソーマの目頭が熱くなる。

 

 考えるまでもなく、ソーマは口を開いていた。

 

「許すどころか、こっちから頼み込むつもりでしたよ、一色先輩」

 

 己の手を差し出して、ソーマは笑う。

 その笑顔は、まるで春の陽射しのように眩しかった。

 

 一色もまた、差し出された手を見つめて、小さく微笑んだ。

 その瞳には、感謝と決意が宿っている。

 

「これからも、よろしくお願いするっす!」

「……ああ、よろしく頼むよ。創真君っ!」

 

 グッと、強く握られた両者の掌は熱かった。

 

 情熱に満ちた龍虎が、再び手を取り合った。

 

 その瞬間、極星寮の空気が一つになった。

 騒がしくて、温かくて、どこまでも真っ直ぐな料理人たちの絆が、確かにそこにあった。

 

 そして、これから始まる新たな戦いに向けて――彼らは、共に歩き出す。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。