そうして現在、ソーマと恵は連絡の取れなくなった水戸の住所を尋ねる為、丼物研究会の研究室へと足を運んでいた。
元とはいえ、水戸郁魅は丼物研究会に所属していた。ソーマとの食戟に敗北した事が契機だったが、手続き上きちんと入会書類を水戸は提出したはず。そこに住所の記入欄があるかどうか、聞き出したいところだ。
そうして、一縷の望みを賭けてソーマは丼物研究会の主将、小西の下を訪れた。
が、
「ゆ、幸平ぁ~……!!」
「なんでまた萎れてんすか」
小西自慢のリーゼントは、下を向いていた。
◇
小西寛一。遠月学園高等部2年、丼物研究会の主将。
ソーマが知っていた小西と比べて、随分と出世したようだ。以前に小西から自慢気に見せつけられた彼のリーゼント頭は未だ健在らしい。
丼物研究会自体も、どうやら健全に活動できているようだった。その部の姿に、ソーマは表情を和らげる。
中等部の頃、ソーマはよくこの丼物研究会に入り浸っていた。入会した訳ではないが、丼という料理ジャンルは定食屋のメニューには必ず一品は存在するものだ、ソーマが興味を抱くのも自然のなりゆきだった。
それに、やけに上流階級の人間が多い遠月学園の中にあって、この丼物研究会はいかにも庶民的な空間が作り上げられていた。ソーマとしても、中々に居心地のいい研究会だったことを覚えている。
そして、ソーマと水戸郁魅が食戟をしたきっかけもまた、丼物研究会だった。確か、ソーマが丼物研究会によく姿を見せていた事から、丼物研究会は薙切えりな派閥に目を付けられてしまった、という経緯だったことは覚えている。
小西に泣きながら縋られた事も、今思えば懐かしい。
「いやー、ここも変わんねぇな」
「笑えばいいさ、俺なんて……後輩から託された事もまともに成し遂げられない俺なんて……」
「先輩が白くなって萎れてる!?」
感慨に浸ることも悪くはないが、横で広がる慌ただしい空間を無視するのもいよいよ限界の様だ。
ソーマは小西へと振り返り、「それで」と話を切り出した。
「結局なんで小西先輩は萎れてるわけ? また薙切んとこの連中が何かやってきたのか?」
「……いや、そういう訳じゃねぇ。むしろ、うちは絶好調さ。この前も学外コンテストで良い成績を残せたしな」
「ああ、それは田所からも聞いた。やったじゃん、小西先輩」
すると、小西は「まぁな」と肩を竦めて見せた。照れ隠しにしては分かりやすい仕草だったが、後輩の前で面子を保とうとする先輩の気持ちは理解できる。
だが、すぐに小西の表情は曇り始めた。眉端を下げ、先程までの萎れた状態へと戻ろうとしている。
「はいストップ。こっから萎れんのは禁止な」
「わ、悪い……どうしても、話しづらくてな」
「別に話の内容で小西先輩を責めたりしねぇって。俺達仲間じゃん、信じてくれよ」
ググっと小西のリーゼントが持ち上がっていく。手で支えている訳でもない、謎の原理で髪が上へ逆立っていく様子は見ていて面白い。
「幸平……」と呟きを漏らして、小西は表情を明るいものへと変えた。良くも悪くも、分かりやすく影響されやすい人だ。
眼光に力を宿し、小西は「少し長くなる」と前置きを置いて口を開いた。
「まず前提として、丼研は幸平の派閥の傘下に入ってる。新聞部の記事でも大々的に幸平創真派閥の中枢、ってな見出しで取り上げてもらったからな。お前らも、それは知ってると思う」
「へぇ、そうだったのか。知らなかったな」
平然と言い放つソーマに、小西がズッコケた。
「知らなかったのかよ!」
「創真君は新聞読まないから……」
かつて、やたらと新聞部の大見出しを飾っていたにもかかわらず、周囲からの注目に無頓着だったソーマの姿を思い出し、恵は苦笑を溢した。
丼物研究会が正式に幸平創真派閥の傘下を名乗り始めたのは、正にソーマと水戸郁魅との食戟後の事だ。それまでは、ソーマとえりなの派閥争いには関わらない中立を保っていた。
その事を知っていたからか、ソーマは小西の話を聞いて首を傾げた。
「でも、なんで俺の傘下に?」
「決まってんだろ。丼研は、幸平――お前に助けられたんだ。恩返しくらい、したいって思うのが普通だろ」
頭をボリボリと掻きながら、小西は立ち上がった。普段は頼りない風貌の彼だが、丼への情熱は本物だ。だからこそ、小西は丼物研究会の主将に選ばれたのだろう。
グッと拳を握る彼は、いつになく気迫に溢れている。
「まぁ、それに俺は元々薙切えりなが気に食わなかったからな。丼をあからさまに見下しやがって! だから俺は、薙切えりな派閥に対抗するためにも、お前の事を担ぐって決めたんだ!」
「そっか……まぁ、そう言われると悪い気はしねぇな」
庶民代表、なんて肩書を背負うつもりは毛頭無いが、それでも誰かから応援されるというのは心地いい。応援なんて無くとも、自身の実力の全てを発揮する事に全力を注ぐ、そこに変わりは無い。
けれど、自身の料理を楽しみに待つ客の姿を見ると、料理人としては気合が入るというものだ。つまりは、そういうことである。
「それじゃ、話を戻すぞ。つまり、俺達丼研が幸平の派閥に入ることを表明した直後に、水戸がここに入部してきたわけだ。これに関しちゃ、完全に俺が悪い。どう考えても、発表する時期が悪すぎた。完全に勢いに乗せられちまった」
「で、でも丼研はほとんど創真君側の勢力って見られてたし、仕方なかったんじゃ……」
「いや。周囲からの認識と、俺達からの認識は違う。そこを一致させるようなことを新聞使ってまで宣言しちまったんだ。俺が悪い」
つまり、小西達丼物研究会が幸平創真派閥を堂々と名乗り始めた時期と、ソーマに敗北した元えりな派閥となった水戸郁魅が丼物研究会に入部する時期がちょうど重なってしまったという事か。
確かに、小西の言う通りタイミングが悪い。いや、良すぎるとも言える。派閥情勢に関しては人一倍敏感な新聞部の事だ、きっと面白がって時期を調整したのかもしれない。
小西が新聞部にネタを持ち込んだのも、彼の口ぶりから察するとソーマと水戸の食戟直後の事だったはず。それが、水戸郁魅の丼物研究会に入部する際には記事として世に出回っていたということは、新聞部は一晩で記事を書き上げ、新聞に載せたという事になる。気合の入り様が半端じゃないな。
いや、もしかすると既に記事を用意していたのかもしれない。恵の発言から、丼物研究会がえりな派閥に狙われたのも、既に世間から丼物研究会は幸平創真派閥だと認識されていたが故の結果らしい。ならば、新聞部がそれらしい記事を予め下書きしていたとしても、不思議ではない。
「ただまぁ、それでも俺達は上手くやれてたよ。部員の中には、元とはいえ薙切えりな派閥の奴を受け入れるなんて、って声もあったが、なんとかなった。多少はギクシャクしたが、水戸は段々と丼研として認められるようになっていった」
丼物研究会の研究室。つまり、今ソーマ達が居る室内に視線を巡らせる
先程まではソーマ達を歓迎し、新しく考えた丼のレシピ集を笑顔で見せてくれていた部員達の姿は、既に消えている。主将である小西が話し始めた瞬間、皆空気を読んでか、別室に移動したのだ。
ただ、空気を読んだにしては、動きが早過ぎる。段々と部員一人一人が徐々に去っていくのではなく、皆が一斉に消えていったのだ。訓練された軍隊ですら、命令無しではここまで統率された動きはできまい。
「そんな折だ。幸平、お前が薙切えりなに食戟で負けて、遠月から消えた。そこから、薙切えりなの取り巻き共が暴走し始めやがった」
ピクリ、とソーマが眉を上げる。
「ここで、か」
「この事は流石に知ってたか。そう、奴等はところ構わず食戟を仕掛けてきた。そこに、お前の『退学取り消し』ってな餌をぶら下げてな」
一色に聞いた通りだ。薙切えりな派閥の暴走、それが原因でソーマ派閥の生徒が多数退学に追い込まれている。この事は、どうやら今の遠月では周知の事実らしい。
学園の意図と関係なく、30人もの生徒が退学になるなど滅多にあるものではない。遠月は確かに学生達をふるいにかけ、合格水準に達しない者には容易に退学を言い渡す程の超競争性を秘めた学園ではある。だが、それはあくまでも一握りの玉を極めるが為の遠月の方針であり、断じて生徒同士の諍いを生み出す事を狙ったものではない。
だが、今の遠月は派閥争いに勤しむ生徒ばかりだ。ソーマが退学になっても尚、その色は変わらなかった。十傑評議会の議題に挙がらないとは思えないが、
「十傑がわざわざ1年生の派閥闘争に首を突っ込んでくる訳ねぇさ。教師連中も、どれだけ退学者が出ようと食戟自体を問題視する事は無かった。曲がりなりにも、きちんと手続きを踏んでの事だったからな」
「ほーん。相変わらず手回しが器用な事で」
「当たり前だ。薙切えりなに着いてく連中だぞ? 家柄は言わずもがな、そういう政争に関しちゃ俺達じゃ敵わねぇさ」
薙切えりな派閥は、ソーマの派閥とは違って上流階級の家柄出身の者が多数を占める。幼い頃から、家柄に沿った生き方を心掛けてきた者達だ。庶民上がりのソーマ達では、身の振る舞い方という点で彼女等には敵わないだろう。
だが、ここはあくまで遠月学園。料理こそが絶対の王国だ。だからこそ、解せない。
「小西先輩。薙切んとこの奴等は、俺の退学を取り消しにする代わりに、俺らの仲間に退学を賭けさせたんだよな?」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
「一度決まった退学を取り消すなんて、それこそ十傑の権力が無きゃ不可能だろ――薙切は、この事知ってたのかよ」
薙切えりな派閥とはいえ、末端の生徒に権力なんてない筈だ。どれだけ家柄が優れていようと、遠月は一生徒として彼等を扱う。一生徒である彼等に、遠月を去ったソーマを連れ戻せるほどの力は備わっていない。
にもかかわらず、彼等は幸平創真派閥に向けて、堂々と『幸平創真の退学取り消し』などという芳醇な香りを漂わせる餌を見せびらかしてきた。何らかの確証が無ければ、そのような物言いは不可能だ。
薙切えりなに予め話を通していたのか。だが、薙切えりなは――、
「この3か月、遠月に姿を見せねぇ薙切えりなにどうやって話を通すんだよ。それも、派閥の末端同士の小さい食戟に、あの女が興味を示すとは思えねぇな」
「やっぱり……なら、そいつ等は叶えられもしねぇ条件を掲げて、勝負を仕掛けに来てたってことかよ。無責任すぎやしねぇか、もし負けてたら――」
続けようとしたソーマの言葉が途切れる。
そうだ。もしも薙切えりな派閥の生徒の内、誰か一人でも敗北を喫していたなら、ソーマはもっと早く遠月にとんぼ返りしていたはずだ。
だが、そんな事は起こらなかった。幸平創真派閥のうち、約30人の生徒達が退学処分になった――それはつまり、少なくとも30回は『幸平創真の退学取り消し』を条件とした食戟が行われたということ。それら全ての食戟で、薙切えりな派閥は勝利を手にしてきたというのか。
「食戟の回数は全部で30数回。その全てが
「……派閥幹部は、関わってねぇんだよな」
「ああ。全部、平の生徒による食戟さ」
あり得ない。派閥幹部に任命されるような生徒とただ派閥に所属している生徒との食戟ならば分かる。学年の中でも頭一つ抜けた才能を持つ者だからこそ、彼等彼女等は幹部の座を与えられてきたのだから、彼等が相手では中等部を進学したばかりの生徒達では太刀打ちできないだろう。
しかし、彼等が関わっていないというのなら。共に中等部として学び、同じ時を過ごした者同士での争いだというのなら、そこまで実力差が出た結果になるとは思えない。これは、派閥関係ない道理だ。同学年内において、それも中等部から進学したての彼等彼女等の間で、大きな実力差がある事は通常あり得ないのだ。
表情を強張らせたソーマに、小西が一枚の新聞紙を手渡した。研究室の隅に畳んで置かれていたものだ。一度目に留まったが、さして気にするものではないだろうとすぐに意識から外したことをなんとなく覚えていたソーマは、自然と差し出された新聞紙を受け取り――真っ先に目に飛び込んできた大見出しに、目を見開いた。
「見ろ。その新聞記事、ひでぇもんだろ」
「……レシピの、裏取り引き?」
震える声が口から洩れる。
食戟に応じた幸平創真派閥の生徒達。彼等が食戟時に出した料理のレシピが全て、食戟相手であった薙切えりな派閥の生徒達に漏洩していたという事実が、その新聞には記載されていた。