それでも僕は堕ちてない by TS子持ち魔王系ネクロマンサー 作:いくさひと
春は権勢争いの季節である。明らかに不要な書類仕事は増えるし、蝿みたいな呪いが山ほど飛び交うし、陰謀は二、三同時進行で進む。暁を覚えずとか言ってられない、最低最悪のシーズンだ。
ヴィンセントとて権力はそれなりに欲しいから、あれこれ策略を練ったりもする。今日だって夜鍋してライバルを蹴落して来たのだ、寒気と目眩がするほど眠い。
【大書庫】の地下三十階で、グツグツ湯が煮えるのを待つ。四十路手前の三徹脳味噌をブラックコーヒーに漬けるとおっさんの死体が出来上がるので、マグカップにはオーツミルクをたっぷり注ぐ。尤もあまりに薄めすぎたカフェインに覚醒の効果はなさそうだ。
このままベッドに飛び込みたい所だが、今日も今日とて本業がある。講義の内容は完璧に頭に入れているから、資料がなくとも進行に問題はないはずだ。やれ風呂にでも入るかと彼は溜め息を吐きながら腰を持ち上げ──
──親愛なるヴィニー君へ
いつの間にか出現した机上の書簡に、眠気という眠気が吹っ飛んだ。
ペーパーナイフを探す余裕もなく乱雑に封蝋を破り砕いて、見覚えのある文字列をなぞる。差出人はあの薄情な同級生。随分前に行方を眩ませた旧友のものだ。
セレン・ユヒト。灰と煙に塗れた皮肉屋。厭世家の死霊遣い。人の挫折に興奮する偏屈野郎。煤色の薔薇のような見てくれを、台無しにして余りある屈折した本性。
あの忌々しい青春の最中、悪夢みたいに鮮烈な同窓のせいでヴィンセントの人生は捻じ曲がった。浮浪者の生まれから鬱屈と抗争が全てだった彼はあの女に散々コケにされ、その幼馴染には叩きのめされて、あらゆる辛酸を舐めたのである。
若輩の身で『賢者』なんて大層な地位を預かることになったのも、きっかけといえばコイツのせいで……
「……待て、落ち着け」
冷静になれ。それは学生時代の話で、あれから数十年と経っているのだ。もはやヴィンセントは貧民窟上がりの不良ではなく、立派な社会的地位を持つ一廉の学者である。
教師という地位を得てからは様々な問題児に出会してきて、その全てを叩きのめしてきた。唐突に行方を眩ませた同窓とて今ならフラットに捉えられるはず。
同時に学生時代の惨憺たる記憶が次から次へと脳裏を過り、彼は宙に中指を立てた。そうでもしなければ気が収まらなかったのである。
そして念の為に酒を用意し、気付けを予感しながら読み始めた手紙には。
──ヴィンセント、僕たちの関係に体裁は必要ないと思う。折り行って僕の息子について相談がある。
「体裁以上に必要なものがねえだろ……!」
早速ヴィンセントは薬を飲んだ。巫山戯んなテメー失踪してんだぞ。経緯とか謝罪とか近況とか、そうした不可欠な物を体裁とでも思ってんのか。息子がいること自体初耳だわ。
そもそも男と番って子を為すような、一般的な生態をしていたかも疑わしい。いや、自分で産んだとも限らないだろうか。
その辺で捕まえた野良犬を息子と呼び出しても不思議ではない奔放さが彼奴には見受けられていたし。
──腹を痛めて産んだ最愛の我が子だ。もう十二になる。
「いや産んでやがるな……」
だったら相手は誰なんだ。誰に女にされたんだ。事と次第によっては戦争が起きンだけど……。
提示された子の年齢を数えて、自らと同い年の筈のセレンの齢を数え、ここ数年の出来事を考える。少なくともセレンとの繋がりにおいて、当時の仲間連中はヴィンセントと同様の空白があるはずだ。隠している奴がいない限り。
どっと気が遠くなりながらも読み進めれば、セレンは我が子をリベディマキナ学園に入れたがっている事が分かる。
勤め人としてのヴィンセントにとっては結構なことだ。学園は閑古鳥が鳴きまくっている状態で、いつでも学生を募集中である。
かつて彼らが学生だった頃、狡猾に元『学園長』の本性が隠されていた時代には、この【大書庫】も生徒で溢れ返っていた。
元『学園長』は数千年を生きる人外であり、あらゆる国家の後ろ暗い成り立ちに関わっていて、その秘密を盾に多くの子供を蒐集したのだ。
卒業生を国家へ返す代わりに新たな入学生を集めるサイクルを繰り返し、彼女は様々な目的を達成した。
しかし巨悪は滅びるもの。元『学園長』は自らの内側に招き入れた蒐集物たちにより致命的な破壊を受けた。
彼女の討伐から諸国の王侯貴族たちは【大書庫】との関係を断ち、学園の権威も失墜した。そして多くの人がこの地を去って以降……【大書庫】は少数の訳アリが身を寄せる研究機関へと転身を果たした訳である。
されど当時のヴィンセントのように出自不問の学び舎を必要とした孤児からすれば、かつての学園もそう悪いものではなかった。
そんな想いが心の何処かにあったので、ヴィンセント・ウォルフ教授はこの地の学び舎としての存続に尽くしている。
入学に必要な手続きを脳内でリストアップする。よく知った友人の子供を預かるとは何とも感慨深いもので、同時に何処か気恥ずかしい。
ヴィンセントは安堵していた。彼が知るセレンは危うい少女で、常に何処か投げやりだった。女として扱えば怒り狂って、男として扱えば複雑そうな顔をした。
卑屈と尊大が絡まって苦しそうに息をしていた。彼女の消失に取り乱すその幼馴染を慰めた際も、「やっぱりな」と一人納得していたほどだ。
そんな女が子供を得て、我が子の社会性を育むために学校へ通わせようとしている。なんかもう……それだけで感動である。なんだかんだで彼からすれば、セレンは出来の悪い
やってきた彼女の息子を、己は可愛く思うだろう。きちんと教えてやりたいし、正しく導いてやりたいと思う。
多くの生徒を送り出したヴィンセントはその度に関係が断絶した旧友たちを思った。彼らにしてやるべきだったことを、教え子たちに対してしてやろうと考えていた。
「俺はウェスパー。セレン・ユヒトの一人息子。常夜の帷の継承者で、いずれ死を克服する一人。……それで、アンタがヴィンセント?」
「先生を付けろクソガキ!」
だから
【旧世界における分類など、価値判断の役には立たない。老いも若きも、男も女も……貴賤、美醜、善悪だって本質の前では無意味なこと】
【キミもまたワタシが蒐集するに値する存在だ。喜びなさい、ワタシの書庫に留まることを許してあげる】
その女は無機質だった。強大だった。冷徹だった。その一方で愛情深かった。
世界が滅びに呑まれるくらいならば、全ての文明を保存しようと考えたのが彼女である。彼女の創造主が人間であったからだろうか、彼女は人間の知恵を愛していて、人間の営みを愛していた。
“哲学する機械”として造られた古代技術の結晶を、僕たちは『ソフィア学園長』と呼んでいた。彼女は平等で分け隔てがなく、貴族だろうと奴隷だろうと、学ぶ意思を持つ全ての者を自らの生徒として扱った。
彼女は人格と共に救世の資格を獲得した『勇者』であり、かつて世界を救ったヒトだった。世界の在り方を致命的に歪める、『堕ち者』と成ったヒトでもあった。
うん。所業は最悪だったけど、僕の性癖にはストライクな女だったなぁ。
システマチックな自律記録再現媒体が愛ゆえに狂っていったなんて、なんとも唆る背景である。ヴィンセントなんかは酷く同情してしまって、そのせいで貧乏籤を引いたのだけど。
最期は自分が知恵を愛してるのか人間を愛してるのか分からなくなってたのも
あの時だって案の定、美味しいところは全部幼馴染が持っていったし。「『勇者』としての先輩に引導を渡す」とか言って、臭い台詞がヒロイックで。ああいうのが主人公の器ってやつなんだろう。
……僕だって、昔はそれなりに頑張ってたんだけどな……。
ゆらりと意識が覚醒する。睡眠が必要ない肉体になって久しいが、僕は真っ当に人間様のつもりで生きているので、出来るだけ欲求らしきものは拾い上げることにしている。
寝覚めは少々悪かったが、ベッドでぐずぐずする時間は至福だった。傍に息子がいたら最高だったんだが。
「……なつかしい夢を見た」
「おはようございます、我が君。随分とお早いお目覚めなこと。まだ日の入り前ですのに」
「ん、そうだろ。最近、健康志向なんだ」
ググッとその場で伸びをして、シーツを捲りながらゴロゴロ転がる。転がるついでに紐だか布だか分からん寝巻きを脱ぎ捨てれば、「洗濯物はまとめてくださいませ」と注意されたから従った。
「お召し物です」
「要らん……」
差し出されたのは防御力が低すぎるイブニングドレスだ。スルーを決めつつガウンを羽織る。寝惚けてたら騙されると思われてるのかな、このメイド最近調子に乗ってるんじゃなかろうか。
ウチの領地は絶対王政であることを忘れているらしい。こっちはお前を死刑にだって出来るんだぞ。なあウェス……
「………。」
我が子がいない寝室とはこんなに寂しいものだったのか。子離れは僕には早過ぎたのかも知れない。
僕は膝を抱えて打ち拉がれたが、ヒラヒラを持ったセシルに追い立てられたので、仕方がなくシャワーを浴びた。
色がついてる……ありがとうございます