それでも僕は堕ちてない by TS子持ち魔王系ネクロマンサー 作:いくさひと
『ディスカッション初級』『読解:極星教教典』『はじめてのネクロマンシー』『異文化理解のタブー』『多文化共生/スクラップ・ラウンド』……
地下12階の一角に堆く本が積まれている。実践的な実用書からある聖典の解説書、数十年前の学術論文、果てはガイドブックまで。
その中央には小柄な少女が収まっており、書物はそれを覆う形だ。宛ら超巨大地下回廊たる大書庫をミニチュアにしたようである。
されど精密に設計されたリベディマキナとは異なり、この知の塔は突貫工事だ。サイズの異なる書物が不安定に積まれており、全く建築基準を満たしていない。
案の定バランスが崩れる。人工的なネオンブルーの瞳は書面上に囚われたまま未だ崩壊に気付いていない。少女が本の下敷きになる、その寸前だった。
「ベラ」
「……?」
スッと背後から伸びた腕が、本の塔の倒壊を抑えた。少女・ベラは顔を上げて丸眼鏡越しにその人を見る。
己を見下ろすその人は、
「セブンティーン先輩。こんにちは」
「こんにちは。この本はもう読み終わったのかな」
「読み終わった」
「それなら彼女に片付けてもらっても構わないね」
「構わない」
鸚鵡返しの返事であったが、しかし青年は意にも介する様子がない。
セブンティーンと呼ばれた彼は至極温和に微笑むと、傍にいた司書へ『読解:極星教教典*1』を渡した。頂上にいた重量級が消えたことで、解放された本が次々に棚へ戻っていく。
セブンティーンはまた笑んだ。彼はスケッチブックを小脇に抱えていて、顔には土をつけていた。
「講義の時間じゃないのかい。ヴィンセント教授はどこに?」
「先生は同級生の所にいる」
「君はどうしてここに居るの?」
「罰則が終わったから」
「どうして罰則を受けたんだい?」
「喧嘩をしたの」
「喧嘩?」
「そう」
「そっか……」
会話は終わったと言わんばかりにベラは顔を下げ、無言で『ディスカッション上級』のあらすじを開いた。セブンティーンは微笑んだまま、曖昧に困った顔をした。
元より聞かれたことにしか応えない少女である。相対する青年は「多分その情報収集生かせてないよ」と思ったが、結局何も言わずに黙った。
代わりに『ぼくのともだちはドラゴンです』という絵本を近くの棚から引っ張り出し、壊れたバベルの跡地に置く。
それより今は、今日のモチーフを探したい。次のスケッチは何を描こうか。良い感じに前衛的で、目新しくて堕落的で、心にビビッとくるような……なんか……そんな感じのやつ……。
「仲直りできると良いね」
セブンティーンはまた微笑んで、階下へ降りる階段へ向かう。ベラは本から目を離さぬまま、「うん」と一つ呟いた。
なおその後、彼は鼾をかく首無し騎士という世にも奇妙なモチーフを発見し、その非現実的芸術感性から独特な絵画を書き上げるのだった。
果たしてその日の午後、二人の最下級生はやや固い面持ちで対峙していた。かたやいつもの無表情のベラが、明確に緊張した面持ちのウェスパーに手を差し出す。
『ぼくのともだちはドラゴンです』に則り、「ドラゴンくん」が「にんげんくん」にそうしたように、彼女は前腕……もとい、右手を差し出した。
「嫌なこと言ってごめんなさい」
「……」
ウェスパーはやや口籠もり、後ろ手に持っていた本を取り出す。それからベラの手を握り、完全に修復された一冊の本を渡した。
『西の涯【墓所街】に関する考察』。
「……本、返す。俺もごめん」
「!」
リベディマキナ最下級クラス名物・初めての「ごめん」が流血沙汰にならずに終わり、先生は胸を撫で下ろした。
「これで勝ったと思うなよ、ヴィンセント・“メイガス”・ウォルフぅ……!」
「はーい、クラーク教頭、脈を測りますからね。あんまり興奮しないでねェ」
数度打ち鳴らされたゴングは試合終了を告げると同時に、職員会議終了の合図でもあった。ヴィンセントは拳に巻いたネクタイを外し、ぺッと血の混じる唾を吐く。
対戦相手のクラーク教頭は御歳68の高齢だが、だからこそ人を全力で殴ってくる。狂犬みたいなジジイであった。
「今年の最下級生は随分大人しいのねェ。怪我もしないし異常気象も起きない。本当に良い子たちだわァ」
地下25階に拠点を持つ保健医のレディ・コーラルが笑った。彼女は今日とて殴り負けたクラーク教頭の前に腰掛け、彼の瞳孔を確かめている。
縒れたネクタイを整えるヴィンセントは昨年を思い出し……思わず空笑いを浮かべてしまう。去年の新入生の一人は氷雪の精霊の血を引く少女だった。
彼女が感情を乱したせいで大書庫は摂氏〇度を記録し、蔵書に霜が降る大惨事が起きたのだ。
「あのセレン・ユヒトの息子が良い子な筈があるかッ!後足で砂をかけリベディマキナを
のんびりとした女医の言葉にクラーク教頭が青筋を立てる。これで高血圧に陥ったことがないのだから、彼の全身を巡る血管は精神性と同様に極めて強靭なのだろう。が、周囲の教師たちは緩い様子で彼を宥めた。
「まあまあ教頭、そのおかげで今年数十年ぶりに経営が黒字になったんですから。おかげで帝国の寄付も断れましたし」
「実際ウチじゃ近年稀に見る優等生世代でしょう。文字も読めるし計算もできる。例の少女とて言うまでもなく……」
「黙らんか!貴様らは研究費が増えて上機嫌なだけだろうが、金に目が眩みおって!」
「しかし教頭、アイツが
「黙れ一番の金食い虫!ヴィンセント・“メイガス”・ウォルフ!」
「機工学は金が掛かるんですよ……というか教頭、良い加減毎度フルネームで呼んでくるの止めてくれませんか」
ヴィンセントは苦笑する。ヴィンセント・“メイガス”・ウォルフ。“メイガス”とは『賢者』を示す称号であり、即ち一つの学術機関において学者筆頭に与えられる証明のようなもの。
教頭がその名に嫉妬を持つのは、【大書庫リベディマキナ】の全員が知っていることだ。しかし忌々しげにヴィンセントを呼ぶ時、彼は常にこの若輩の称号を呼ぶ。
「その名は誇るべきものだ。にも関わらず……ッ」
クラーク教頭は吐き捨てた。
「やはり貴様に『賢者』の称号は相応しくない。
「ッ教頭!」
出してはいけない禁断の名に、周囲がサッと血相を変える。レディ・コーラルすら顔を青褪めさせた中、ヴィンセントはそれを手で制し、諦念のまま溜め息を吐いた。
「俺だってそう思いますよ、クラーク
「貴様ッ……!」
激昂した教頭が立ち上がった瞬間、けたたましいベルが職員室に鳴り響く。
人間の本能に訴えかける高音は本来教員たちに警戒を訴えかける為のものであったが、哀しきかな、このリベディマキナにおいてそれは日常の象徴に他ならないのであった。
若手教員が立ち上がり、監視用の水晶にアクセスする。『遠見』の魔法がかけられたそれは、昨今ポピュラーになり始めた新しい魔道具であるが、便利である反面で扱いにコツが必要な為、年配のベテラン教員ほど使用を敬遠する傾向がある。
「場所は?」
「(地下)十五階。標本室です。今近くの『司書』も向かっていて……って、は???」
「どうした」
呆然とする若手教員を押し退け、ヴィンセントは『遠見』の水晶を見た。同時に現場に到着した一台の司書が映像による報告を職員室へ送り付ける。
地下15階。比較的重要でない生物標本を展示した標本室から顔を覗かせたのは、500年前絶滅したはずの『一角獣』であった。
『ぼくのともだちはドラゴンです』において。
「にんげんくん」と仲直りをした「ドラゴンくん」は、彼とより仲良くなるために自分の財宝を見せてあげ、黄金の腕輪をプレゼントするシーンがある。そして「にんげんくん」は大喜びし、二人はより仲良くなるのだ。
なおウッカリ者の「ドラゴンくん」は、大笑いした拍子に「にんげんくん」を灰にしてしまう……というのがこのブラックな絵本のオチなのだが、ベラはこの物語に倣い、同級生にお気に入りの場所を見せてみることにした。
【大書庫リベディマキナ】の成り立ちは、学術機関でも学園でもなく、とある女が作り上げた巨大な
例えばそれは絶版となった本であり、最早二度と現れない特殊体質の人間であり、或いは絶滅したと思われていた生物である。
地下十五階の標本室はまさにその極致であった。剥製、骨格、ホルマリン漬け。絶滅した生物だけを収め、様々な方法によって保存したその部屋は、一見非常に不気味な雰囲気をしている。
しかしベラはこの部屋が好きだった。かつて地上にこれらの生物が居たと思うと、なんだか心がソワソワとした。読んだことのない分厚い本を、目の前に広げられた心地がした。
「何だこれ。白い馬?」
「『一角獣』の剥製。五百年前に『亜人共和圏』の暴君が打ち倒された時、一本角の生き物は全て駆除対象になった。彼は片角の鹿獣人だったから」
「こっちは?」
「『夢喰い蛤』の貝殻。突然変異のクラーケンが生息域を壊してしまった。養殖も試みられたけど、新しい環境には適応できなかった」
「葉っぱ?」
「『世界樹の押し葉』。異常気象から偶然で銀色になった一枚みたい。再現性がないだけで、他は普通の葉と同じ」
「ふーん……」
同級生は気のない返事をした。あまり面白く無かっただろうかと思って、ベラは少し視線を落とす。
「なあ」
『猫を数十万匹食べた鼠』の巨大な骨格標本の前で、少年がベラに振り向いた。薄暗い標本室に溶け込んだ、真っ黒な前髪の下。爛々と金色の眼が煌めいている。
「あのさ———これ、動いてる所、見たくないか?」
ベラはとてもびっくりした。びっくりして、『はじめてのネクロマンシー』の来歴を思い出して、あの発売禁止本を書いた著者が死ぬまで投獄されたことを思い出した。一応、思い出しはしたのだ。
けれど。
「見たい」
「だよな。再構築、」
そこから先は大惨事である。ベラはその鋭い角の存在のせいで、『一角獣』の首の可動域が予想より狭いことを知った。