退魔の一族に転生した社畜、何が何でも定時退社したい 作:シャチテン
あれから、俺は隠密系の術を練習し続けた。
やはり実際に練習してみないと、わからないことは多い。
退魔の術は発動に失敗しても何も起こらないが、霊力は体内で消費される。
結果として、霊力を鍛えるなら霊力の汲み上げより術の発動を失敗させる方が早い、とか。
これは教本には載っていなかった内容だ。
おそらく霊力を使いすぎると体調が崩れるから、その危険を避けるために教本には書かれないのだろう。
加えて、そもそも霊力ってのはある程度成長すると頭打ちになる。
よっぽど才能が豊富でない場合は、成長して退魔の術を練習するようになる頃には伸ばす必要がなくなってしまうのだ。
そして、隠密系の術は幸いにも成功した。
術の感覚を掴むために慎重に練習していたから一ヶ月かかってしまったものの、今では庭で遊んでいる子どもたちに気づかれることなく読書ができるまでになっている。
大人たち相手に試すのはもう少し難しい術を覚えてからだな。
ところで最近、この退魔寮に幽霊が出るらしい。
幽霊は妖魔の一種だが、妖魔としての幽霊は実態を持っているから見つかればすぐに退治されるし探知に引っ掛かるはず。
なのでいわゆる「ガチ」の幽霊なんだとか。
木陰からこっちを見ている幽霊を見たとか子どもたちが言っていたらしい。
怖いねぇ。
なんて話を横耳に聞きながら、穏やかな日々を過ごしていた俺。
そんな俺の元に、一つの出会いがやってきた。
それは、俺の運命を変える出会いとなる。
「随分と、古臭い匂いがするわね、ここ」
――不意に、図書室の扉が開いて誰かが入ってきたのである。
聞き覚えのない声だ。
思わず手を止めて――霊力の鍛錬は止める必要がないのでそのままに――顔を上げる。
「まぁ、適当に一眠りする分には問題ない……ん?」
そこには、一人の少女がいた。
年の頃は八歳くらいか? 幼い子供だ。
俺より年上だということは解る。
だが、何よりも特徴的なのはその容姿。
長い黒髪は腰のあたりまで伸び、いわゆる姫カットみたいな前髪はなんとなく高貴さを感じさせる。
強い意志と、どことなく退屈そうな感情を綯い交ぜにした視線。
衣服はなんというか……巫女服みたいなノースリーブの和服だった。
退魔師の衣装って、たまにソシャゲのSSRキャラみたいになるんだよな。
なんてことを、ふと考えていると――
「何よ、アンタ」
じろり、と少女がこちらを見下ろしてくる。
読書をしたまま、手が止まっていた俺を。
ええと、この人は――もしかして、アレか?
明らかに高貴な雰囲気、どことなく神聖な空気感。
そして何より、明らか金のかかってそうな衣服。
だが、まずもって確かなこと、気にするべきことはただ一つ。
この少女が歳上であるということ。
一族経営極まりない退魔師の世界において、高貴そうな身分の年上とは、つまり。
「し、シツレイシマシタ!」
――上司だ!
俺は即座に立ち上がり、平身低頭。
深々と謝罪の意を込めて礼をする。
もしもこの少女が俺の上司になるかも知れない存在なら、俺は失礼な態度を取るわけには行かない。
社会人として、これは当然の行動だ。
上司、すなわち神。
この世において、会社の上司とは人の人生の帰路を左右する神に等しい存在であることは、もはや言うまでもないと思う。
そんな神である上司が善良であるかクソであるかで、社会人としての人生は簡単に決まってしまうと言える。
俺の場合、前世の上司はとんでもないクソだった。
パワハラモラハラセクハラは当たり前、自分の機嫌が悪ければ八つ当たりをしてくるし、仕事の指示は適当だ。
当然、わからないことがあったら聞けと言ってくるくせに、そのくらい自分で考えろのダブスタは基本装備。
まぁ、入ってきた人間が即座に辞める泥舟に長年掴まったままの人材なんて、俺みたいな抱え込みがちな社畜か、パワハラ上等の問題児しかいないに決まってるんだが。
「……ふぅん」
さて、もしかしたらこの度の人生において、俺の神になるかもしれない相手は、果たして俺にどんな反応を示すのか。
頭を下げたままの俺を、暫くの間観察した後少女は――
「貴方、名前は?」
「はっ! 宍戸ユキトと申します!」
俺に名前を問いかけてきた。
当然、俺は即座にひれ伏したまま返す。
すると――
「宍戸……? 宍戸ってあの、役立たずの宍戸? ああ、子どもがいるんだっけ」
その時、俺の思考に電流が走った。
一族を「役立たず」扱いされたことに怒りを覚えたのか?
答えは否である。
「ご、ご存知なのですか!?」
「ふん、私を誰だと思っているの? この神浜ミサキが、木っ端の役立たずとはいえ一族の末席を汚す存在を忘れるわけがないでしょう」
名前を覚えているということ。
何せ外で遊んでいる子どもたちは、俺の名前すら覚えようとしなかった。
どころか、俺が宍戸家の人間だと知った途端、汚いものを見るような目でこちらを蔑んでくるのだ。
人として、見られていない。
対してこの少女は、明らかに俺とは身分のかけ離れた存在なのに、俺の家の名前を覚えているどころか、俺の存在すら認知している――
もしかして、この少女こそが本物の神ではないだろうか。
神浜ミサキ。
そうか、神浜ミサキというのか、この方は――
ああ、たしか聞いたことがある。
神浜家。
退魔の一族には御三家と呼ばれる者たちがいるのだが、神浜家はその中の一つだ。
そこに、神童と呼ばれる天才児がいる、と。
おそらく、この少女が――
「まぁ、いいわ。お前、ユキトと行ったわね。これから私はここで休む。一時間ほど寝るから、見張りをしなさい」
「や、休むのですか?」
「今日は父の付き添いで、この支部の視察に来たの。父は私に『視察の間は外で子どもたちと遊んでいなさい』と言ったわ。まぁ、外の子どもたちに私へのつなぎを作らせたかったのね」
そんな神浜ミサキは、八歳とは思えないハキハキとした口調で、言葉を紡ぐ。
まあそれは、自分も人のことはいえないのだけど。
転生者というある意味ズルをしている俺とは、その根底にあるものがかけ離れていた。
「でも、アレはだめね。子どもだからというのもあるけれど、自分のことしか考えていない。あの子どもたち、私に最初なんて言ったと思う?」
「ええと……申し訳ありません、どういったものでしょうか?」
「こっちが聞く前に自分の名前を紹介してきたのよ。我先にとばかりに、全然聞き取れなかったわ」
随分と、お嬢様は俺に色々と話してくれるな、と思いながらも寝るというのであれば複数の椅子が必要だろうと、俺は椅子を横に並べ始めた。
昔、会社に泊まることになったときを思い出すな。
それはそれとして、外の子どもたちは随分とお嬢様の気に入らないことをしたようだ。
それが失礼なのかどうかは、正直俺が退魔師の世界に疎いので何とも言えないが、少なくともお嬢様は気に入らなかったらしい。
「……何をしているの?」
「はっ、椅子を並べて簡易的な寝台を作っています。失礼だったでしょうか」
「…………いらないわ、寝るだけなら机に突っ伏して寝れば良い。そもそも、それだと貴方が座る椅子がなくなるでしょう」
「いえ、そういうわけには」
「……普段から、車中で寝るのには慣れているの。移動中くらいしか寝る時間もないし。だから、貴方はそのまま椅子を使いなさい。もともと自分の用事でここにいるのでしょう」
「――――」
俺は、その言葉を聞いた時、思考が止まってしまった。
どうして、こんなにもこの方が俺に優しくしてくれるのかがわからない。
普段から車中で寝るのには慣れている?
移動中くらいしか寝る時間がない?
だというのに、こんなにも俺を気遣ってくださるのか?
こんな、まだ上司と部下の関係ですら無い、俺を――見ず知らずの小童を――
そう思ったら、ふと――
「……何よ、貴方」
不意に、お嬢様に声をかけられる。
どことなく、怪訝な顔で、お嬢様は俺に問いかけてきた。
「なんでいきなり泣き出すのよ。ちょっと、私が何をしたっていうの?」
ああ、そうだ、俺は泣いている。
だって、俺は目上の人間にこれほど優しくされたことがない。
そしてそんな目上の人間が、車中でしか寝る時間を確保できないなんて――
「申し訳ありません、神浜ミサキ様……!」
「ちょ、フルネームでいきなりなによ……ミサキでいいわよ!」
「ミサキ様……!」
「ああもう、変な子ね……!」
それから俺は、一頻り涙をながし、ミサキ様の時間を奪ってしまった。
この不始末は、ミサキ様が睡眠する時間を確保することでしか、償う方法がないのだ――!