服を着ることは自分の美を隠す侮辱だ

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衣服の不要性について

 

――朝。

 目覚ましのベルが鳴るよりも早く、俺は目を開けた。

 

(……朝か)

 

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、まるで自分を照らすために存在するかのように眩しい。

 ゆっくりと布団をめくり、俺は立ち上がる。

 

 いつも通りのルーティン。

 シャツを手に取り、袖を通そうとする――が、手が止まった。

 

(……待てよ?)

 

 腕を組み、鏡の前に立ち尽くす。

 そこに映るのは、完璧に整った輪郭。均整の取れた筋肉。世界が生んだ奇跡的なバランス。

 

(俺ほど美しい存在に、わざわざ布なんて纏わせる意味があるのか?)

 

 静かにシャツを畳み直し、鏡越しに己を見据えた。

 続けてブリーフにも手をかけ、ためらいなく脱ぎ去る。

 

(オシャレは引き算とも言う ……。ならば究極の美は、すべてを削ぎ落とした“裸”だろう)

 

そう悟った瞬間――俺の中で、世界のルールが書き換わった。

 

 

――階段を下りてリビングへ。

 母はエプロン姿で皿を並べ、父は新聞を広げ、妹はスマホをいじっていた。

 そこへ颯爽と――裸のまま現れる俺。

 

「おはよう、世界」

 

 壮大に言い放ち、トーストをかじる。

 

「ちょっとアンタ!? 朝っぱらから何やってんのよ!」

 

 母がひっくり返りそうな声を上げる。

 だが俺は動じない。

 

「母さん……分からないのか? 服を着るなんて、俺のこの肉体美に対する侮辱なんだ」

「侮辱じゃなくて公然わいせつよ!」

 

 新聞をぱたりと閉じ、父が低く唸る。

 

「せめて下は穿いてくれ。ご近所に見られたら、私は何て言ったらいいんだ」

「父さん、俺は世界と直に触れ合っている。それこそが、本物の生き方だ」

「生き方よりもまずは服を着てくれ」

 

 スマホをいじっていた妹も顔を上げる。

 

「お兄ちゃんさ……、通報されるよ?」

 

 しかし俺は、パンを飲み込み、真剣な目で家族を見回した。

 

「お前たちはまだ理解していない。だがいつか気づくだろう。俺は――裸でこそ完璧なんだ」

 

 母と父と妹は顔を見合わせ、声にならないため息をもらす。

 だが俺はそんなことお構いなしに、朝日に向かって片手を掲げる。

 

「美とは俺だ。俺は美そのものだ……!」

 

 いつもと同じようで全く違うリビングに、俺の宣言が響き渡った。

 

 

――朝の通学路。

 制服姿の生徒たちに混じって、ただ一人、裸の俺が歩いていた。

 

 周囲の視線が突き刺さる。

 驚き、困惑、時に恐怖すら孕んだ目線。

 けれど俺にとって、それは称賛の証にしか見えなかった。

 

(……ほら見ろ。人は美に惹かれずにはいられない。俺の選択は、間違っていない)

 

 朝日が住宅街を照らす。

 その光を背に受け、俺はまるでステージを歩くように胸を張った。

 ランウェイなど比べものにならない――この通学路こそが、俺の舞台だ。

 

「……見ろ、世界が俺を凝視している」

 

 心の中でそう呟くたび、誇らしさが身体を満たしていく。

 

 すれ違う主婦が目を逸らし、幼児を連れた母親が慌ててその瞼を覆う。

 学生たちは息を潜め、笑い声はなく、ただひそやかなざわめきが広がっていく。

 

(恐れるな、人々よ。これは冒涜ではない。これは――人類にとっての“真実”だ)

 

 そう言わんばかりに信号待ちで立ち止まり、両手を広げて空を仰ぐ。

 その瞬間、すれ違った誰かの震える声が耳に届いた。

 

「……誰か、警察呼んで!」

 

 赤信号が青に変わる。

 渡りきった先には、すでに制服姿の警官二人が待ち構えていた。

 

――制服姿の警官が、わずかに眉をひそめて近づいてきた。

 人混みのざわめきが遠のき、朝の通学路に妙な緊張が走る。

 

「……ちょっと、君。こんな格好で外を歩かれては困るよ」

 

 落ち着いた声。だが、その裏に困惑と警戒が滲んでいた。

 伸ばされた手を見ながら、俺は一歩も退かず、胸を張る。

 

「――誤解しないでください。これは狂気でも反抗でもない。むしろ、礼節の極みです」

 

 警官の目がかすかに揺れる。

 周囲の視線が突き刺さる中、俺は堂々と声を張った。

 

「服は人を隠す。だが俺は――隠すべきものなど一つも持たない。

 この肉体は、神が造り上げた最高傑作。布で覆うことこそ、最大の不敬ではないか?」

 

 一瞬、静寂。

 風に揺れる木々のざわめきすら、俺を讃える楽曲のように聞こえた。

 

「世界に対して、俺は何も背を向けていない。

 だからこそ、堂々とここに立っている。――これが、俺の真実だ」

 

 警官は言葉を失い、唇を引き結ぶ。

 通行人たちは息を呑み、ある者は口元に手を当て、ある者はただ呆然と立ち尽くす。

 

 俺だけが、確信に満ちた眼差しを空へと向けていた。

 警官の視線が俺をまっすぐ射抜く。

 その冷静な眼差しを、俺は真剣に受け止めた。

 

「……君がどう思おうと、公共の場でのこの格好は――」

 

 言葉を遮るように、俺は声を張る。

 

「いいや、それは違う!」

 

 ざわめきが一瞬止む。

 俺は一歩、前へ踏み出した。

 

「確かに、世の常識では人は服を着るべきだろう。

 だが常識が必ずしも正義ではない。歴史を見ろ。

 かつては“空を飛ぶ”ことも、“海を越える”ことも狂気だと笑われた。

 だが今、それらは人類の進歩の象徴となった」

 

 俺は胸を張り、声をさらに強める。

 

「同じだ! 裸で歩く俺を狂人だと思うだろう。

 だが数十年後にはどうだ? “真に美しい者は隠さず歩むべきだ”――

 そう語られる日が必ず来る!」

 

 警官の口が固く結ばれる。

 群衆の中には、息を呑んだまま目を逸らせない者もいた。

 

「俺はその未来を切り拓く先駆者だ。

 恥じることも、隠すこともない。

 世界と真に向き合うには、この姿こそが正義なんだ!」

 

 手を伸ばして制止しようとする警官の腕を、俺は両手を広げて遮る。

 

「だから頼む。連行するのではなく――見届けてくれ。

 これは愚行ではない、革命だ。俺は……人類の、美の夜明けを示す者だ!」

 

 声は、誰に届くともなく空へと響き渡った。

 沈黙。

 その場にいた誰もが、言葉を失っていた。

 俺の声が通学路に響き渡った。

 朝日を背に、裸の俺は胸を張って立つ。

 誰かが、かすかに呟いた。

 

「……言ってることは、妙に筋が通ってる……のか?」

 

 場の空気が揺らぐ。

 一瞬だけ、「もしかしたら」と錯覚させる重みが言葉に宿っていた。

 

 しかし、警官の手が再び伸びる。

 その冷ややかな瞳は揺らがない。

 

「――だとしても、今の社会は君を許さない」

 

 肩に触れられる感覚。

 俺は抵抗せず、ただ真剣な眼差しを返す。

 

「……歴史は、常識を笑った者によって変わる」

 

 その言葉を最後に、俺の身体は群衆の中へ引き込まれていった。

 笑いとざわめきが再び広がる。

 だが、数人の目だけは、まだ俺の姿を追っていた。

 

 俺は連行されていった。

 だが、その光景を見ていた者たちの胸には、奇妙な違和感が残っていた。

 

 ――あの裸の青年は、本当にただの愚か者だったのか?

 

 時間が経つほどに、その疑問は人々の中で膨らんでいく。

 SNSには動画が拡散され、最初は笑いの種だったコメントも、やがて変わっていった。

 

「確かに、あそこまで堂々とできるのは凄い」

「服を着ること自体が常識って、誰が決めたんだ?」

 

 警察署から帰された後、俺の名は消えずに残った。

 ネットで、街角で、学校で――人々は噂した。

 

 いつしか俺は、呼ばれるようになった。

 

 「裸の賢者」 と。

 

 世間の嘲笑は、やがて伝説の序章に変わっていく。

 


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