海の底から声が聞こえる
誰かが僕を呼んでいる
僕にはどうすることもできない
そうしたいはずなのに
そうする資格はない
またあそぼう
もうすぐあえるよ
またおよごう
ここでいっしょに
あいたい
わたしはまっている
ここで
きみを
ここで
ほのかに感じる左手の温もりで僕は目覚めた。
横を見ると椅子に座ったメロイズさんの頭が頭を僕の手にお辞儀でもしているかのように載せていた。彼女は随分長く寝ていたらしく、おかげで僕の手は若干痺れていた。声をかけようとしたけどうまく喉が開かず、錆びた器具を動かすような掠れた声しか出なかった。僕が起きたことに気づくと彼女は慌てて上体を起こし、枕元にあるタオルで僕の汗を拭った。
「すいません、起こしちゃって。」
いや、大丈夫と言おうとした時、僕がいる部屋が全く見覚えのないことに気づいた。自分の部屋より一回り広めで上品な雰囲気が漂よっていて、病院にしては華やかだった。ベッドの脇にある縦長の窓を覗こうと上体を起こしたが、腕に力が入らず起き上がれなかった。
「あまり無理をしないでください。随分眠っていたのでまだうまく立ち上がれないはずです」
「どれくらい眠ってたの?」
「二週間ほどです。先生を呼んできますね」
呆気に取られて返事ができず、部屋を出ていくメロイズさんの背中を見送った。
軍船を撃退したところまでは覚えているが、その後のことは全く思い出せなかった。そもそも自分が眠っていたことすら目覚めた時はうまく飲み込めなかった。短い明晰夢を見ている感覚だったから、二週間も眠っていたとはすぐに受け入れられなかった。ふと触媒のことを思い出して右手を確認してみた。一見普通の手のひらに黒々とした石がめり込むように埋まっており、やはりあの出来事は現実の出来事だったんだと痛感した。
しばらくするとメロイズさんがパリシェムさんを連れて来た。てっきりメロイズさんは医者でも連れてくるのかと思っていたので意外だった。彼は書類の束を抱えており、調べ物の最中だったようだ。
「おはよう、テラ君。具合はどう?」
「体は重いですけど、大丈夫そうです」
「随分眠っていたから、余程重症だったんだろう。しばらくは安静にするといい。眠っている間に何か変な感覚でもあったかい?」
「特に何も・・・ 夢を見ている感じだったので二週間も寝てたなんて実感が湧きません」
「ほう、夢というと?」
「うーん・・・何かに呼ばれる夢です」
「なるほど?」彼は手元の紙でメモを取っていた。なんだか被験体になったみたいでいい気持ちはしなかった。
「ところでここはどこですか? 港ではなさそうですけど」
「ああ、ここは僕が在籍しているクラファーティア大学だ。医務室をちょっと間借りしててね」
「ちょっと待ってください、クラファーティア? じゃあつまりここは・・・」
「そう、ゲルニア帝国のど真ん中だ。少し順を追って説明しなきゃいけないね。まず君が気絶した後、港から救助船が来て無事君の漁船は港に着いた。その後触媒が手にくっついた君を放置するわけにもいかないから大学に連れて行くことにした。君の父さんには申し訳なく思うよ。面倒ごとを持ち込んだ見ず知らずの人間に息子を連れて行かれるなんて僕でも怒るしね。」
彼の言葉は船の時と同じくどこか他人事を話すように無責任な喋り方だった。そんな調子で申し訳ないなんて言葉を使うから本人の意図に沿わず怪しさが言葉の節々に漂っているように思えてくる。
「それで港についてから3日後にここに着いて、君の手に引っ付いた触媒について色々調べ物をしていたわけさ。その間君は死んだように眠っていたよ。」
「死にかけてた人間に言う台詞ですか、それ?」
「すまないね、とりあえず、僕がなぜ追われていたのかを説明しようか。僕が連合国にいたのは、4年前に帝国と連合の共同研究が始まって僕がその責任者になったからだ。ちなみにディアはその時に助手にしたんだ。共同研究自体はいい経験だったけど、いきなり連合が共同研究を断りだしてね、僕は帰国しようとしたんだが、彼らが逃してくれなくて監禁同然の扱いを受けたんで、逃げ出したわけさ。」
「まさかその時にこれを盗んで逃げたんですか?」
「ちょっとした仕返しさ、まぁそのせいであそこまで追いかけたんだろうけど」
彼がその場のノリで触媒を盗む情景がありありと浮かんでくる。要するに僕がこんな目に遭ったのはほとんど彼のせいだ。愚痴がこぼれそうになったが、言葉を飲み込んで話を聞いた。
「まぁともかく、僕はその触媒が何なのかを研究していたんだ。長年とまではいかないが、大勢の魔術師や学者に協力してもらったおかげで正体の尻尾は掴めた。これが本題だ。4年前に大きな隕石が落下したのは知っているかい? 各地に散らばった隕石の欠片を分析した際、触媒と似た反応をすることが発見された。使い方は不明だが、欠片同士が共鳴することから触媒に似た性質があることが分かった。そしてその構成要素を調べたが、当たり前だけど地球の触媒とも構成要素が違っていて、地球にある岩や土すら性質が異なっていた。未知の物質なわけだ。だから研究はかなり難航していたんだが、連合に所属しているカリアーグ博士がある説を提唱した。『この隕石は大地に干渉する地球の魔術とは異なり、天体を動かす未知の力に干渉する魔術の触媒だ』と」
「・・・つまり?」
「その石は四大元素ではなく、『第五元素(エーテル)』を操る触媒だってことだ。彼はそれを『宇宙魔術』と呼び、従来の魔術を地魔術と呼称することにした。最初は突拍子のないアイデアだと一蹴されたが、次第にそれが有力な説だということにみんなが気づいた。カリアーグ博士は第五元素にまつわる研究を始め、彼は隕石のことを『遺物』と呼ぶようになった。そして彼が研究計画における実質的なリーダーになった頃、連合が帝国の協力を断った。おそらく彼らだけでも問題ないと思ったんだろう。流石に反発はされたが、無理やり帝国の学者や魔術師を追い出して計画の主導権を握った。」
「じゃあなぜパリシェムさんは帝国に帰らせてもらえなかったんですか?」
「トラウスでいい。多分僕にはまだ利用価値があると思ったんだろう。元々カリアーグ博士の説は、僕の昔の論文から着想を得たらしいからね。」
「まだ話の全部は掴みきれてませんが、そんなものがどうして僕の手にくっついたんですか?」
「君は魔術を司る四大元素のことは知ってるね?」
「メロイズさんに軽く教えてもらいました。火や水のことですよね?」
「土と風もだ。これらは『生き物ではない』と言う点が共通している。魔術は基本的に植物や生物に干渉することはできない。これは『開闢戦争』が始まる前から魔術師達の常識だ。およそ二千年の歴史があるとされる魔術学の歴史においてこれが覆されたことはない。しかしその定説を揺るがす存在が空から現れた。遺物は生物に作用する触媒なんだ。あの船にいた時、僕は不完全な使い方したから船ごと空間を抉り取ったが、君が使った時は人間だけを消していたこんなの魔術はおろか手品でも出来っこない。おそらくその遺物の特性なんだろう。君が寝てる間に手を調べさせてもらったが、そいつは君の手に癒着している。引っ剥がすには周りの肉も切り取らなきゃいけないほどにね。まだ第五元素と生物間の繋がりは分からないが、少なくとも無関係ではないのだろう。正直この件は僕も今のところお手上げだ。だからこそここに連れてきたってのも君をここに来させた理由の一つだ」
「そういえばあの時、トラウスさんを襲った騎士っぽい女の人、なんで無事だったんですか? しかも僕みたいに苦しんでましたけど」
「そこも謎だ。第一あの子はフルアーマーで船から船に飛び移ってきた、あんな芸当ができる兵士なんて連合にいた頃でも聞いたことがない。おそらく連合の最新鋭の遺物研究による新兵器だと僕は考えてる。遺物が君に同化する時の共鳴や攻撃を防いだ点から見て遺物をなんらかの方法で使用しているんだろう。」
「そういえば僕、人殺してましたね」
「罪には問われないさ、少なくとも帝国にいるうちはね。」
あまりにもあっさりした返答に僕はどう返せばいいか分からなくなった。少なくとも僕がいた港では海賊の刃傷沙汰はよくあることだから覚悟はできてたけどいざ殺めてみればあっけなかった。あってしかるべき手応えも罪悪感もない。そのことをトラウスさんは分かった上でさらりと流したのだろうか。
「ともかく、君はしばらく家には帰れないことになった。そこで君を僕の監督下に置くことにしたんだ。君はもはや一国を動かす最重要人物となってしまったからね」
「じゃあしばらくはトラウスさんの弟子ってことでここに住むんですか?」
「そんな感じかな。でもただここにいるだけじゃつまらないだろう? だから君はこの大学の学生として過ごしてくれ」
「わかりま・・・学生?」
「ああ、僕が推薦して入学手続きは済ませておいたよ、この大学は良くも悪くも裏口入学した学生で蔓延ってるから、別にみんなも気にしないと思うよ」
「いやそうゆう問題じゃありませんよ! 僕なんか全く学もないし魔術のことも知らないのにいきなり名門大学に入れなんてそんな、そもそも学費とか・・・」
「学費は国が出すさ、それにうちの大学は授業に出なくても、特例として一年ごとに研究成果をまとめた論文を出してそれが認められれば単位をもらえるから、出たければ出てもいいし出なくてもいい。君の遺物を参考にして宇宙魔術に関する研究でもすればしっかり単位ももらえるさ、ちゃんと論文の書き方とかも手伝うから安心してくれ。最先端の研究だからきっと教授方も驚くぞ。ああ、ちなみにディアも入学することになった」
「はい?」とトラウスさんの後ろにいたメロイズさんが目をかっ開いて驚いていた。
「いやあの、そういう話では待ってください誰が入学するって?」
「ディア・メロイズ、彼女も亡命した身だから居場所を用意してやらないとだろ? それと正直に言うとね、こうしないと冗談抜きで君は監禁されるところだったんだ。というか今すぐされてもおかしくない。」
「あの、何で私も? 何も聞いてないんですけど」
「ちょうどさっき申請したばっかりだからね。君こそ魔術科の大学なんてピッタリじゃないか、才能を活かせるぞ」
「せめて事前に説明してくださいよ! そんなんだからボートで海を渡るなんてことになったんじゃないですか!」
今まで堅苦しい印象だったメロイズさんにしてはめずらしく表情豊かに怒っていた。正直僕もああやって言ってみたい。
「てなわけで、来月から正式に入学することになったから。準備してほしいものがあったらいくらでも言ってくれ、でもまだ君の容態は回復しきっていないから、無理せずゆっくりしてくれ、それじゃ!」
逃げるように書類の束を2、3枚こぼしつつ、彼は部屋から退散していった。そのこぼした書類を拾いつつ、メロイズさんがトラウスさんを追いかけていった。僕はただそれを見ているだけだった。
状況が好転したのか悪化したのか分からない僕は、とりあえずベッドの脇にある魔術関連の本を手に取って、今のうちに入学に備えようとした。
本のタイトルは『魔術の諸相』、著者はトラウスさんが度々口にしていたヴァリス・カリアーグという人だ。