世界最強の“元・サボり魔”は、まず起き上がるところから始まった。 作:クソプライベート
集合ラッパが三回鳴っても、ジョンは起きなかった。
異常は静かに始まる。彼は毛布の中で、枕の下のメモ帳だけを手探りで引き寄せる。表紙には鉛筆で「怠惰の教範」とある。缶のプルタブが綴じ具代わりだ。
1ページ目。
・全力は最後の3%だけ使う
・“作業中”の道具は万能な身分証
・壊れているフリは、動かない理由になる
「スネーク!……いや、ジョン! 点呼だ!」
「……はい、後で」
ベッド下からほうきを引っ張り出し、肩に担いで廊下へ出る。
「清掃に回されてます」
眠そうな返答に、教官は半ば呆れ、半ば諦めて通す。使えない男は、なぜか見つからない。
*
ジョンが「怠惰の教範」を作り始めたきっかけは、在日部隊との共同訓練だった。喫煙所で自衛隊の陸曹が笑いながら言ったのだ。
「要領よくサボる陸士のことを、こっちじゃ“クソ陸士”って言うんだ」
なるほど、とジョンは思った。最小の動きで最大の“やってる感”を出す技術。それは、過剰な命令の洪水から身を守る術にも見えた。
帰隊後、彼は見聞きした小技を手帳に写し、軍務の隙間で試した。掃除機を担いで通れば、誰も怪しまない。工具箱を片手に歩けば、立入禁止の線がゆるむ。怠惰が擬態を生み、擬態が不可視をつくる。
*
「君、サボりの達人らしいな」
英国訛りの男——ゼロ少佐が笑った。
「効率です」
「どちらでもいい。必要なときだけ現れる。FOXには、その“最低限の天才”が要る」
彼は白い布片を机上に置いた。隅に草の汁が滲み、かすかに青い匂いがする。
「彼女の訓練で使う包帯だ。ザ・ボス。君の師になる人だよ」
その名を聞いたとき、ジョンは姿勢を正した。怠け者の背骨にも、敬意だけはまっすぐ通る。
ザ・ボスの訓練は静かで苛烈だった。
「生き延びるとは、余計を削ること」
彼女はそう言って、白い包帯をジョンの手に巻いた。
「必要なときだけ締める。必要なとき以外は、力を抜く」
ジョンは頷き、包帯の端をプルタブで留めてみせた。
「ズボラだが、理にかなってる」
彼女は笑った。
*
やがて任務の日が来る。
「ジョン。コードネームはネイキッド・スネーク」とゼロ。
「……服装のことですか」
「意味は任務で学べ。目的は一つ——亡命したザ・ボスの排除」
胃の底がひやりとする。
ジョンは手帳を開き、2ページ目に書き足す。
・やる気は貸し出し制(必要時のみ払い出す)
・罪悪感は折りたたんで胸ポケットへ
口癖が漏れる。「……まぁ、なんとか、なるっしょ」
*
密林の空気は重かった。スネークは動かない時間を増やした。昼は葉陰で体温を落とし、夕刻の一時間だけ移動する。
「なぜ進まん」無線が鳴る。
「暑いと足跡が増えるので」
怠慢の理屈は、結果として痕跡の希薄化に寄与した。交代直後の緩みだけを抜くルート設計は、“最小努力”思考の副産物だ。
銃のラッチが緩むたび、ポケットからプルタブが出てくる。破れたポンチョはモップ糸で縫い、靴紐は金具で噛ませた。
「本気で戦う気あるのか」
「あります。必要な分だけ」
*
風が白い匂いを連れてきた。花が一面に咲く草原。そこに彼女がいる。
「来たのね、ネイキッド・スネーク」
「来ました、ボス」
彼は時間を稼ぐように、手首の包帯をきゅっと締める。あの日の教え。必要なときだけ締める。今がその時だ。
「命令は時に嘘をつく」彼女の声は静かだ。「けれど、私が君の前に敵として立つのは本当」
「……了解」
怠惰は、決断の邪魔をしない。ただ余計な震えを捨てる助けをする。
短い撃ち合い。二人は倒れ、立つ。最後にスネークの銃がまたわずかに緩む。
彼はプルタブを差し込み、指でねじる。あの手癖のまま、銃口を戻す。
「誰に習った?」
「あなたに。……最小で、生き延びることを」
白い花がそよぎ、引き金の音は匂いに紛れた。
*
報告書は事務的だった。任務は完了。
彼は後に**ビッグボス(ジョン)**と呼ばれるようになる。だが机の引き出しの最上段には、相変わらず「怠惰の教範」がある。表紙の内側、白い包帯をそっと挟み直し、最後のページに小さく記す。
——全力で生きるのが下手だった。だから、最小で死なない術を磨いた。
命令と真実の隙間で、それだけが、あなたに届く唯一のやる気だった。
窓の隙間から風が入る。白い花の匂いが、かすかに。
「……まぁ、なんとか、なるっしょ」
その口癖は今、静かな誓いに変わっていた。
(了)