初夏の空が茜色から印度藍まで、柔らかなグラデーションを描いてビロードの絨毯のように広がる。
しずかちゃんが手を振っている。少し息を切らしながら、駆け寄る。
バイトが少し長引いてしまった。
「マリーさん。来てくれたんだ。」
「うん。遅れてごめんね。」
「ううん。来てくれて嬉しい。」
しずかちゃんが頬笑む。
『みんなで集めればハッピーだッピ!』
楽しげにタコピーが飛び跳ねる。
『わふ、わふ。』
しずかちゃんがリードを持った事に気づいたチャッピーが、尻尾を追いかけるようにくるくると、輪を描いて回る。乱れた衣服を整えながら、私は言う。
「じゃあ行こっか。」
散歩の時間だ。
チャッピーを先頭に他愛もない話をしながら歩く。
閑静な住宅街を通り抜ければ、道の両脇に針葉樹林がまばらに生えただけの見通しの良い道路にでる。
田舎の夜道に街灯は数えるのどしかないが、暗闇の中だからこそ夜空に見える星の輝きは他では見られないほどだ。
「あの白くて少しまぶしいのが、デネブ、アルタイル、ベガで。」
私は夜空に指をさし、空中に絵を描くように星と星を線で結んでいく。
「マリーさん、もしかして夏の大三角のこと?」
「おお!さすがだね。
「理科でやったから。」
「そっか。月と星座は4年生でやるんだ。」
『しずかちゃんは物知りだっピ!僕が知らないことをいっぱい知ってるっピ!。」
「タコピーが知らなさすぎるだけだよ。」
「じゃあ、しずかちゃんが一杯教えてあげられるね。」
『ピッ!それは楽しそうっピ!』
「ふふっ、タコピーも同じ授業うけてるじゃん。」
『それもそうだっピ。じゃあ、僕もしずかちゃんが知らないタコピー星について教えてあげるっピ!』
「タコピー星って、タコピーみたいな生物がいっぱいいるのかな。」
『そうだっピ。たくさんのハッピー星人がいて、毎日ハッピーに暮らしてるっピ。ハッピーフルーツもたくさんなっていて美味しいッピ。しずかちゃんもいつか連れて行ってあげたいっピ!』
「私はいいよ。どうせいけないし。」
『心配しなくても大丈夫ッピ!ハッピー道具があれば、簡単だッピ!』
「あんまり魔法は信じてないけど、それもいいかな。チャッピーさえいてくれるなら、どこでも。」
『そうだっピね!お友達は大事だっピ!』
「マリーさんも来てくれる?」
「そうだね。一度は私も行ってみたいけど、やっぱり地球に帰りたいかな。」
『そうだっピか!でも、きっと楽しいっピ。』
「うーん。やっぱり私も住むのはやめようかな。」
「なんとなく。」
『そうだっピか?』
タコピー星について話していてふと、疑問に思う。
「ねえタコピー。タコピー星はどこにあるの?」
『タコピー星があるのはあっちのほうだっピ。』
タコピーが触手を遙か彼方へと向ける。
「いっぱい星があるからわからないけど、そうなんだ。」
「でも、たぶん遠いんだよね。タコピー星に行く途中で、私おばあちゃんになっちゃわない?」
『それは任せてほしいっピよ!』
そういって、タコピーは小さなカプセルを取り出して見せる。
『これは思い出カプセルだっピ。これは中にいれたものをそのままの状態で保存できるっピ。これなら、マリーさんが眠っている間にハッピー星に到着だっピ。』
「そ、そうなんだ。」
さらっともの扱いされると同時に、SFでみたような宇宙人要素を急に叩きつけられてなんとなく怖くなってしまった。
この話はやめよう。
そうこうしていると、町立南公園が見えてくる。
数日前の、事件現場。
「どうしたの?マリーさん。」
無意識のうちにじっと見つめてしまっていたのだろう。
「なんでもないよ。ただ、ここに来ると、思い出しちゃって。」
「ああ、まりなちゃんとの事?」
チャッピーが足を止めるのに合わせ、私達も足を止める。
私としずかちゃんの視線が合う。
「そう。あの時はごめんね。怖い思いさせちゃって。」
「ううん、それはいいんだ。」
しずかちゃんがしゃがむ。
そして、しずかちゃんは地面の草花の匂いを嗅いでいるチャッピーを優しく抱きしめるようになでる。
「だって、マリーさんが来てくれたから。」
「私、はじめてだったんだ。」
しずかちゃんは、チャッピーの毛の柔らかさを感じるように、そっと頬をくっつける。
それは、不安な夜に枕を抱きしめるように。
「あのね、ランドセルとか習字の作品とかに嫌な事、色々書き込まれた時。」
「あのね、みんなが鼻を押さえて『臭い』って私指さした時。」
「あのね、毎日同じ服を着てて汚いって言われた時。」
しずかちゃんが喋る。信じたくない内容を、淡々と。
タコピーのピンク色の手が伸びて、しずかちゃんの片手の指をそっと握る。
「だれも、どうすればいいか教えてくれなかった。」
「どうすればいいか、分からなかった。」
まりなちゃんがチャッピーの頭のてっぺんを優しくなでる。
「だれも、私を助けてくれなかった。」
チャッピーが気持ち良さそうに目を細め、まりなちゃんの方へと視線を上げる。
「でもね、まりなちゃんの時はね、違ったから。」
チャッピーに注がれていたしずかちゃんの視線が、すっと私を見据える。
「マリーさん、あのね。マリーさんが来てくれた時、期待したの。もしかしてって。」
「マリーさん、あのね。マリーさんがしずかちゃんの右手を止めてくれた時、安心したの。もう痛くならないかもって。」
「マリーさん、あのね。マリーさんが私を助けてくれたって気づいた時、私とっても嬉しかった。」
「だからね、ありがとう。マリーさん。」
しずかちゃんが笑う。
だから私も嬉しくなる。私も自然と微笑む。
「そうだったんだね。それなら、私も嬉しいな。」
徐に、手を伸ばす。
私はしずかちゃんの頭を優しくなでる。
しずかちゃんはされるがままに、私に頭を預けてくれる。
「しずかちゃんはお礼が言えて偉いね。」
「ありがとうが言える人は好かれるよ。ありがとうが言われた人はとても嬉しいからね。」
しずかちゃんがコクリと頷く。
「たった今、気づいた事があるんだけどね。」
「さっき、タコピー星に住むかどうかを考えたんだけど、なんとなくそれはしなくてもいいって思った。」
「それは多分ね。マリーさんがタコピー星に住まないって言ったからなんだと思う。」
「マリーさんともうあえなくなるのは、なんとなく嫌だなって。」
納得がいったかのように、タコピーがぽんと触手を打つ。
『そういう理由だったんっッピ!?』
『しずかちゃんはお友達のマリーさんと離ればなれになるのは寂しかったんだピね!』
「友達……。私とマリーさんは、友達、でいいのかな。」
少し困ったようにしずかちゃんが私をみつめる。
「一緒にいて安心した気持ちになったり、楽しい気持ちになったりする人なら、きっともう二人は友達だよ。」
「私はしずかちゃんとおしゃべりする事は楽しいけど、しずかちゃんはどうかな。」
「私も、楽しいよ。マリーさんと一緒にいる時間は、悪くないって気がする。」
「じゃあ、よろしくね。しずかちゃん。」
「うん。まりーさん。」
『ハッピー星では、名前を知り合ったら、もうお友達だッピ。!』
タコピーの言葉にしずかちゃんが首をかしげた。
「私、タコピーの名前分からないよ。」
『でも、僕はしずかちゃんの事をお友達だって思ってるッピ!?』
「ごめん、ごめん。そんなにうろたえないでよ。私もタコピーの事、変な友達だって思っているよ。」
『変でも、お友達になれて嬉しっピ!』
タコピーがしずかちゃんの手を握って感動している。
少しの困惑に、温かさをのせてしずかちゃんが言う。
「タコピーは、いつでもタコピーだね。」
『僕はいつだって、僕だッピ!』
「そっか。」
こうして私とタコピーはしずかちゃんと友達になった。
私達はまだまだ出会ったばかりだけど、それでもこのわずかな今までの価値が認められたようだった。
私とタコピーは確かに前に進めている。
絡まった糸を一つずつでもほどくことができている。
そう思えたから、また進める。
立地的に高台になっており、見晴らしのよい公園の端。
町を一望できるその場所で足を止めた私達を不思議がるように、チャッピーが「わん」とないた。
「いこうか。」
私が言う。
「うん。」
『お友達とのお散歩の続きだッピ。』
しずかちゃんとチャッピーが答える。
歩きながら思う。
私とまりなちゃんには、多少なりとも関係性が育っていると言えるだろうと。
だとするなら、少し、踏み込んでみたい。
私はしずかちゃんに幸せになってほしい。
少なくとも、今、君が苦しみを抱えているなら、解決のお手伝いをしてあげたい。
そうだ。私は所詮他人だ。
苦しんでいるのは、しずかちゃんで私ではない。
だから、その内面の苦しみを取り除く事ができるのはしずかちゃんだけだ。
私にできることは、その手助けをすることだけ、ひいてはそんな彼女の話をただ聞いてあげる事だけだ。
ただ、もし私が彼女の手助けをするとして。
彼女はこの現状をどうしたいと思っているのだろうか。
どんな事を考えていて、どんな事に困っていて、どんな希望があるのだろう。
支援は、支援される人に気持ちに添ってこそ、有効だ。
いじめに苦しむ不登校児童を無理矢理教室に通わせて、不登校を解消したと支援者が考えたところで、支援の対象者の苦しみが増すだけだ。
だからね、しずかちゃん。
君の事が知りたいんだ。
君は、これからどうしたい?
元ネタは「先生、あのね。」です。
次回、アセスメント。
明日の18時に投稿します。