2000字です。
「すごい。雲母坂さんの方からとってもいい匂いがします。」
「マリーさんも料理は不慣れだって聞いてたけど、とっても上手ですね。マリーさんならすぐに上手につくれるようになりますよ。」
私は今、雲母坂まりなのママ。いわゆる、過去の母と同じキッチンで料理を作っている。
というのも、私達は料理教室の中でばったり出会ったからだ。
もちろん偶然ではなく私の意思だ。
今の時間帯は平日の昼間。しずかちゃんやまりなちゃんが学校に行っている時間帯だ。
その時間を有効活用しようと考えた結果、まりなママと繋がりを持つ事にした。
なぜなら、まりなちゃんのいじめの背景要因として家庭の存在があるからだ。
家庭の不和や母親から感情的に叱られた記憶は今の私にも生々しく残っている。
事故とはいえ、結果的に自分で手にかけた実の母親である雲母坂みどりと一緒に料理できるとは、感動もひとしおである。
こうなる未来もあったかも知れないという事。そうはならなかったという事。
私はほの暗い感情を胸の底に沈め、今の幸せな時間をあるがままに享受することにした。
私とママははすぐに打ち解ける事ができた。私がママとの関わり方を熟知しているのもあるが、同時に初心者として色々教えてもらうというスタンスをとることで、彼女の自己効力感を刺激する事ができたようだ。
私達は温かく湯気を上げる芋煮や山菜と味噌のおにぎりなどをお皿に盛り付けていく。
具材はすべてオーガニック食品のみでつくられており、ママも満足そうだ。
「「いただきます。」」
他の卓も配膳が終わったようなんで、合掌し実食。
「雲母坂さんの里芋、火の通り具合も完璧で口の中で溶けるみたいです。」
「あらまあ。マリーさんそんなに美味しかったですか?それは嬉しいですね。」
お互いに美味しいご飯を食べて、料理を褒め合えばママも自然と笑顔になる。
家にはない幸福を確かにここで感じられているようだった。
ママがこの手の類いのものに傾倒していく理由がうかがい知れた瞬間だった。
この後はつつがなく、片付けも終わり無事料理教室はお開きとなった。
エプロンを脱ぎ、帰り支度を整えているママと話をしながら私は狙い撃つ。
「きっと、こんなに美味しくて、体にもいい料理を食べられるなら旦那さんも喜ぶでしょうね。」
これは地雷だ。見えている地雷だ。
私はあえてそれを踏みにいく。
「そうよね。でも、あの人ったらひどいんです。夜ご飯をつくって待っていても、ありがとうの一言も言わないんです。」
よかった。予想の範囲内の反応だ。場合によってはどれだけ爆発するか予想しずらいからこそ、これは私にとっても危ない発言だった。
しかし、ママが愚痴を吐露してくれたおかげで私はこの問題を自然に知る事ができる。詳しく話を引き出すことができる。この問題に関与できる。
「雲母坂さんもこんなに頑張っているのに大変なんですね。この後お時間ありますか?私、雲母坂さんのお話もっと聞いてみたいです。」
「私でいいなら、是非ご一緒いましょう。」
そして、私達は私が事前に目をつけておいたカフェへと場所を変え雑談や家庭の愚痴の話に移っていく。
関係性作りにはささいなことからたくさんコミュニケーションをとることが大事だ。
この後の計画としては、私を導線として地域のママさん団体などに繋げて行くことでママの社会的孤立を改善されればと考えている。
具体的には「
つまり、私は人との繋がりをつくる事で彼女の感情の安定を図る心づもりだ。
これはいわゆる、カウンセリングというよりソーシャルワークの領域だ。
あくまで私の認識だがカウンセリングは医療の視点に立ち、個人に対するケアや治療、支援援助を行うのに対しソーシャルワークは福祉の視点に立ち制度を整えたり、活用したりなど環境を調整する事を通して困りを解決していく活動だ。
そして、雲母坂まりな、雲母坂みどり、久世しずかに対してはその両方が必要不可欠だ。
当人達がこれまでに受けているショックとそれに対する症状にはカウンセリング的なケアが。
当人達がそのような現状に追い込まれるまでに至った環境、背景要因には改善がそれぞれ必要だからだ。
すごくざっくりと纏めると個人、家庭環境その両方に適切な支援、援助が必要だという事だ。
私の専門はカウンセリングだ。でも、それだけじゃ不十分だ。
私は私のできる事をやる。今の私にはなにができるかな。
この活動は徹頭徹尾、自分のためにやることだ。だけどそれが少しでも、だれかの幸福に繋がればいいなと思う。
次話は明日の18時です。