ここは蝶屋敷。
蟲柱、胡蝶しのぶが居を構える私邸である。
鬼との戦いで傷ついた隊士を治療する医療施設で、体が回復した彼らが任務に復帰するための訓練も行えるリハビリの場所でもある。
また、鬼の被害に遭って家族を失った子供を受け入れて生活させることもある。
鬼殺隊専用の病院、兼訓練所、兼孤児院、更には憩いの場でもあるのだ。
そんな蝶屋敷に足を運ぶ者は多く、鬼殺隊の隊士だったり、隊士に刀を届けに来た刀鍛冶だったり、薬などの物資を運ぶ業者だったり、日々様々だ。
「ごめんくーださーい」
寒くなりつつあるこの日も蝶屋敷を訪れた者が一人。
玄関前で呼び鈴を鳴らす草慈は大きな背負いカバンと肩掛けバッグを持っていた。
程なくしてパタパタと足音が聞こえて玄関が開かれる。
「はーい。あ、草慈さん、いらっしゃいませ!」
「こんちはすみちゃん。今忙しくない?」
「大丈夫です! どうぞ上がってください」
「ありがとう。お邪魔しまーす」
出迎えた小柄な少女、すみの案内で屋敷に上がった草慈は慣れたように廊下を歩いた。客間に通されると、みんなを呼んできますと言って去ったすみを見送って荷物を下ろす。
相変わらずきれいなところだな~と考えながら部屋をじろじろ見回していると、やがて屋敷の住人達が現れた。
「こんにちは草慈さん!」
「こんにちは!」
「やあきよちゃんなほちゃん、こんにちは。久しぶりだね」
部屋に来た三人の少女、出迎えたすみと同じくらい小柄な子の二人に草慈が挨拶を返すと、その後ろから来た人物から声がかかる。
「お久しぶりです草慈さん。ようこそいらっしゃいました」
「こんにちはアオイちゃん。また来ちゃったよ」
「本日、しのぶ様は任務のために屋敷を離れております。主に代わりご挨拶申し上げます」
礼儀正しく一礼する少女は他の三人より年かさで、下の子を率いる自覚があるのだろう、責任感が強そうな雰囲気である。
そのアオイより一歩遅れて部屋に入る少女にも草慈は声をかけた。
「カナヲちゃんもこんにちは。元気にしてた?」
「……」
「よかったよかった。いい子にしてたんだね」
黙ったままの少女を見て何を感じたのか知らないが、草慈は勝手に納得したようで朗らかに頷いた。
おかしな光景ではあるのだが、彼がカナヲを相手にする時はこうして声をかけては無反応のままでいる姿を見て何故か嬉しそうにするのがお決まりのやり取りで、何度もそうする草慈を見ている少女達はいつものことだと流してしまう。
ただしアオイは他の子の面倒を見ることも自身の務めと心得ており、返事の一つもしないカナヲを見て小さく溜息を吐いた。
「すみません草慈さん。カナヲがいつも……」
「あーいいのいいの。それより、ほら、今日もお土産持ってきたよ」
「お土産?」
「何ですか?」
「おいしいの?」
話題を変えた草慈につられて三人娘が身を乗り出す。
草慈が蝶屋敷を訪れる時、彼は決まってお土産を持参する。来る前に買ってきた菓子などの他、たまにきのこや大根みたいな野菜だったり、一度は大物の鮭を差し入れたこともある。
どれも屋敷の住人や療養する隊士に振る舞われていて、そのおいしさにいつも外れがないことから彼のお土産は歓迎されていた。
「ふっふっふ、今日はすごいのだぞ~」
もったいぶるように言うと草慈は背負いカバンから取り出したものを高く掲げた。
「じゃじゃーん、ちょこれいと~」
「ちょこれいと?」
「わたし知ってます、お菓子だ!」
「あんまり知らないかも」
きよ、すみ、なほが声を上げると待ってましたとばかりに草慈は語り出す。
「これはチョコレートっていうお菓子だ。カカオの実を原料にして作るもので、ほんの少しの苦みがある上品な甘さがおいしいぞ」
時は大正。後の日本で庶民に広く知られるチョコレートも、この時代ではなかなかの高級品なのである。
蝶屋敷では何も特段慎ましい生活を心掛けているわけではないが豪華な上流階級を気取っているつもりもないので、普段のおやつにしても平凡なもの、煎餅や団子みたいなありふれた菓子を食べている。
そこに登場した高級なお菓子、それも甘いものだと聞いて全員(一人を除く)は目を輝かせた。
鎖国していた江戸時代の一部の資料にチョコレートのことが『しょくらあと』なる呼び名で記載されていたことが後世では確認されており、明治時代にはチョコレートが日本へ伝えられたと公式記録にも残されている。
そして大正時代はチョコレートを日本で一から作るための工場が建てられたりした頃で、当時はまだ高級品だったのは確かだがこのあたりから徐々に人々に親しまれていった。
なおこれはまったくの余談なのだが、チョコレートと始めとして多くの菓子を世に送り出す企業の一つに明治という会社がある。
この会社、てっきり明治時代に創業したから明治と名乗ったのかと思いきや、記録を調べると創業はなんと1916年、つまり大正5年。明治ちゃうんかい。
実際に明治時代に創業した菓子会社は森永製菓だった。こちらは1899年、つまり明治32年。いやそっちなんかい。
チョコレートついでに作者が調べて若干混乱した、どうでもいい話である。
閑話休題。
掲げた小箱を開いた草慈はテーブルに置く。一口大に小分けされたチョコレートが中に並んでおり、彼に勧められて少女達が一つ抓んで口に入れると、
「「「甘~い!」」」
全員(一人を除く)が一斉に喜びの声を上げた。
草慈自身も口に入れ、ほろ苦さとそれを大きく上回る甘さが口内に溢れる感覚に笑みを深める。このおいしさを彼女達に伝えられて嬉しい。
ここで草慈はもう一つの荷物、肩掛けバッグに手を伸ばした。
「甘くておいしいだろ~。実はこれをもっとおいしく食べる方法があるんだ」
「え、何ですか?」
「もっとおいしいの?」
「方法って?」
口の中でチョコレートを転がしながら訊ねる三人娘の前でこれ見よがしにバッグから大きな瓶を出す。透明な瓶の中には乳白色の液体がなみなみと入れられているのが見えた。
「それは、牛乳ですか」
「ああ。前に任務関係で知り合いになった牧場からいただいてきた新鮮なやつさ。それに、ほら。カバンの中、触ってみ」
「中? わ、冷たい」
「藁と氷を詰めて簡単な保冷箱にしたんだ。すごいだろ」
「あの、牧場からいただいてきたって、草慈さんが直接受け取ったんですか?」
「そだよ。今朝行ってきた」
「……わざわざそんな遠くまで?」
「別に俺の足ならそこまででもないし、訓練代わりにちょこっと走っただけさ」
なんでもないように言う草慈だが、アオイとしては恐縮してしまう話だった。
寒くなってきた時期とは言っても、こうして氷を保冷材として使えるくらい採取できる地域は限られる。知り合いの牧場とは北部の地域か。そこから走ってきたのか。
鬼殺隊の隊士が常人とは比較にならない身体能力の持ち主とは言え、どれだけの距離を走破したかは想像に難くない。
せめて待たせてはならないと急いで厨房へ行き、持ってきたお茶に使うものとは違う湯呑みを用意する。人数分持ってきたそれに草慈が牛乳を注いでみんなに配った。
「それで草慈さん、牛乳でどうするんですか?」
「チョコレートと順番に食べるんですか?」
「ここに何か入れるんですか?」
「これはねー、一緒に口に含んで食べるんだ」
「「「一緒に?」」」
「飴と違ってチョコレートは噛めば簡単に砕ける硬さをしていてね。口に入れてすぐ牛乳を一口含んでから噛み砕くと、口の中で牛乳と混ざっていい感じに味わい深くなるんだよ」
チョコレートに馴染みのない彼女達は飴と同じように口内で舐め転がして食べており、噛み砕いて食べるという発想がなかったようだった。
なので実際に草慈がやってみせる。チョコレートを口に放り込み、牛乳を少し口に含む。そのまま口内でパキポキと噛み砕き、もごもごと混ぜるように口を動かす。
おいしさに自然と表情が緩み、ニコーっと笑顔になる草慈。
そして見ていた少女達に向けて、ほらほら真似してみて、と手で示した。
はしたない食べ方だと思ったのか若干躊躇する様子を見せたものの、すみが手を伸ばすのにつられてなほもきよも同じように食べ出す。
注意するべきか悩んでいたアオイは止める前に三人が動いたことで諦め、横でじっと見つめていたカナヲを促して同じように食べてみた。
「「「おいしい!」」」
三人娘が大喜びではしゃぐ横でアオイは目を見開く。
ほろ苦い甘さのチョコレートと、まろやかな甘みのある牛乳。口内で溶けて混ざることで優しい甘さが口を満たす。思わず口元を押さえてしまうおいしさだった。
隣で同じように食べるカナヲはやはり表情を変えないのが寂しいところだが。
そうしてお土産のチョコレートを食べる一同だが、箱は小さく中身は限りがある。
当然すぐに食べ切ってしまい、ややぬるくなったお茶を啜ればおやつ時間は終了となった。
「ごちそうさまでした、草慈さん」
「「「ごちそうさまでした!」」」
「はい、お粗末様でした。喜んでもらえてよかったよ」
お互いに頭を下げて、この場はお開きとなる。
傍らに置いた日輪刀を手に取った草慈が立ち上がってアオイに話しかけた。
「じゃあアオイちゃん、この後また道場の方に行くね」
「今日もありがとうございます。草慈さんが訓練を見てくださるとみなさんのためにもなりますので、我々も感謝しています。しのぶ様もまたお礼を言いたいと仰ってました」
「前にも烏で手紙もらったけど、俺が好きでやってることだから別にいいのに」
「そうもいきません。あなたも任務がない日はお休みしたいでしょうに、こうして他の隊士の指導をしてくださって、とても助かってるんです」
「ほんとに気にしなくていいのにな」
話しながら背負いカバンと肩掛けバッグ、使った湯呑みなどを厨房に持っていく一行。
後ろの三人娘がおやつの感想を言い合っているのを微笑ましく思いながら、草慈は続けて聞く。
「今いるのは何人?」
「訓練をしている方は4名です。安静が必要な2名の方はまだお休みになっています」
「そかそか。後でそっちにも顔出すよ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
厨房に着いて荷物を置くと、草慈は三人娘の方へ振り返った。
「さて、すみちゃん、なほちゃん、きよちゃん。覚えてるかな」
「「「はい」」」
「おやつを食べたら?」
「「「歯磨き!」」」
「その通り!」
お決まりのやり取りをして、両手を胸の前で構えた草慈に向かって少女達も両手を掲げて手のひらを打ち合わせる。
ぱちん、ぱちん、ぱちん、と三人合わせていぇーいと笑う草慈は当然のようにアオイの方にも手を向ける。
「アオイちゃんも、ほら」
ヘイカモンカモン!と誘ってくる草慈に、こういうところはちょっと苦手かも、と思いつつも特に拒む理由もなく、気後れを顔に出さないようにして上げた両手を軽く打ち合わせた。
ちなみにカナヲにも同様に誘いをかけた草慈だが、ここでもやっぱり無反応を貫いた彼女を見てからからと笑った。
厨房の流しを使い全員がしゃこしゃこと歯磨きを済ませると、今度こそ草慈は道場に向かうことにした。
「ご案内します」
「どーも」
みんなは業務に戻るようにと言いつけたアオイは草慈の先に立って歩く。
草慈とて何度も蝶屋敷を訪れているし彼自身も訓練に利用したことがあるのだから道場の位置など当然知っているのだが、客人を一人で行かせるなんて粗相があってはならない。
アオイも多少仕事を離れたところで問題ないので案内を買って出た。
それに、彼には聞きたいこともある。
「草慈さんは」
「ん?」
道すがら、口を開いたアオイの後ろで草慈は首を傾げた。
「よくこうして隊士の指導に来てくださいますが」
「うん」
「どうしてそこまで懇意にしてくださるのですか? 今ここにいる隊士の中に、あなたと縁の深い方がいるとは思えないのですけど……」
草慈はかなりの頻度で蝶屋敷に足を運ぶ。
彼が怪我を負った際は診察を受けたり入院することもあるが、それ以外の、任務に出ていない時の休暇などの自由時間を多く使ってここを訪れる。
不定期ではあるが平均すれば二週に一度、どんなに長く間を空けても月に一度は顔を出し、その度に何かしらの土産を差し入れてくれる。
そうして来る度に、その時入院している患者を一人一人見舞い、機能回復訓練に励む隊士の補助と称して指導役を申し出るのだ。
階級は
隊士には鬼狩りに専念してもらい、彼らの休暇は彼ら自身の鍛錬や体調管理のためのもの。そのためにも蝶屋敷の運営はここに務める自分達がやらなければならないことなのに。
「単純なことさ。俺がここを好きだからだよ」
即答が返り、俯きかけたアオイの頭が止まった。
「蝶屋敷はいいところだ。鬼殺隊にとってありがたい医療施設ってだけじゃなくて、全ての隊士にとって一つの『帰る場所』になっている。精神的な拠り所で、鬼なんていう暗い存在と関わり続ける人がちゃんとした人間に戻れる癒しスポットだ」
あ、スポットっていうのは場所って意味ね──補足して草慈は続ける。
「俺はね、蝶屋敷には蝶屋敷のままでいてほしいんだ。この素晴らしい場所がこれからも変わらずに活動を続けるために、少しだけお手伝いがしたいの。君らが自分の仕事に全力で打ち込めるように、俺でもできることをちょっと補助するくらい何てことないのよ。後はまあ、仲良くしてもらえたら嬉しいかなってくらい」
純粋な厚意による行いだと語る彼に、感謝と同時にやはりどうしても申し訳ない思いが否めないアオイであった。
草慈の存在は鬼へ立ち向かう鬼殺隊の中でも一際目立つ。それこそ柱に匹敵する存在感を持つと言っても過言ではない。
実力は言うに及ばず。彼の態度、とりわけ表情の明るさは日常的に死地へ赴く人間のものだとは信じられないほど朗らかで、否応なく周囲の者へ影響を与える。
任務先で草慈と肩を並べて戦った隊士の声は蝶屋敷にも届く。戦闘中の彼の表情、振る舞い、鬼への対応、それらを不気味に思う周囲の評価はどうしたって噂として聞こえてしまう。
草慈が何を思って鬼殺に臨んでいるのか。気になるのは確かだが、彼の心の内に踏み込むようなことをして果たして今までと変わらない応対ができるか、アオイには自信がなかった。
幸いにも彼は蝶屋敷とここの住人にとても好意的だ。活動に協力したいとの言葉に偽りは感じられない。本当にただ手伝いたい、ついでに仲良くなれたら嬉しい、その発言はそのまま受け取っていいのだと思う。
カナヲは内心でどう思っているか分からないが、少なくとも年少の三人はずいぶんと懐いているし、隠からの報告でも彼に関しては比較的印象の良いものを多く聞く。
何より屋敷の主であるしのぶが草慈を悪く言うところは一度も見たことがない。
アオイがあれこれ気を揉まなくても、彼の厚意は拒まなくていいもののはずだ。
それでもアオイは考えてしまう。
鬼殺隊に所属しながら、最終選別を突破しておきながら鬼に恐怖し、鬼殺の任務に出られず医療に従事する自分が認められるだけの仕事ができていないからこそ、草慈ほどの隊士の時間を使わせてしまっているのではないか。
そんな劣等感が胸を刺してしまうのだった。
とは言えそれ以上話せることもなく、ありがとうございますと伝えた時には道場に到着してしまい、切り上げて本来の務めに戻る。
「みなさん、失礼します」
中で訓練に励んでいる者達へ、注目を促すために声を張る。
「本日、唐沢草慈さんが訓練の指導に来てくださいました。
「どもー、草慈君でーす。よろしくねん」
訓練中の4人の隊士が目を向ける中、草慈は慣れた風に道場へ上がった。
一礼してから入って刀と羽織を隅の方へ置くと、やはりニコニコと楽しそうな笑顔で場に混ざりに行く。
「唐沢さんお疲れ様です! またお会いしましたね!」
「よー、
「あはは……でも僕、階級上がったんですよ。ほら、階級示せ!」手の甲を見せる
「これは、あー、
「下から4番目ですよ。初めて会えた時は
「そーなんか。一番上の
「唐沢さんは階級を気にしたことないんですか?」
「気が付いたら
「強い人の意見だなあ……」
「つかお前早く常中を覚えろよ。あれができりゃ階級なんて一足飛びだぜ」
「動きながらだとこれがなかなか……戦ってると難しいです」
「ほーん。まあ後で訓練しながら見てやるよ」
「はい、お願いします!」
「おいっす
「……本当に来たよ。暇なのかあんた」
「暇を作って来てるんだよ。社会人は時間の使い方を自分で決めるもんだぜ」
「あんたみたいな異常者が社会を語るな」
「そうツンケンするなよー、任務では守ってやったろー?」肩を組む
「うぜえ……訓練の邪魔だけはするなよ」
「草の呼吸w肆の型──
「どわあああ!」五回転して床ベタ
「あっひゃっひゃっひゃ! 腕は治ってもバランス感覚が戻ってねえな!」
「クソが! こんなことで呼吸術使うんじゃねえよ!」
「続きは
「っんとにムカつくな……!」
「やーやー、
「お疲れ様です唐沢さん。今は俺と太刀永で
「へへん、8勝2敗でわたしの勝ち越しだよ」
「見ての通り、連敗中です……薬湯臭くてすみません」
「ほむり、どれ東、ちょっくら代われ。太刀永、俺ともやるぞ」
「いいですよ。噂の唐沢さんがどれくらいか勝負です」
「太刀永は速いですよ。大丈夫ですか」
「やりゃ分かるさ。東は合図よろ」
「負けませんよ」
「じゃあいきますね……用意……はじめ!」
「っしゃあもら──」
「だーれだ」後ろから目隠し
「──った、って、ええ!?」
(な、いつ動いた!? 机を挟んで向かい合った相手の背後に回り込んだ!?)
「だめだぞ太刀永。今机の上の湯呑みしか見てなかったろ。せっかく正面にいて視界に入ってるのに相手から意識を外したら意味ないじゃん。手を速く動かすだけじゃ訓練にならないぞ」手を外す
「は、はい……でも全然見えなかったんですけど」
(横から見ていてもどう動いたのか分からなかった……)
「それでも視界から突然相手が消えたら『相手がいなくなった』ことをすぐ認識して辺りを警戒できるだろ? けどそれも相手をちゃんと見てないとできないよな」
「それは、はい、そうです」
「まあそういう心構えができればお前は問題ないさ。ほれ次、東交替」
「あ、俺ともやるんですか」
「そりゃあ訓練だし。どれくらいで任務に戻れるか計らないと」
「太刀永以上に勝てる気がしないんですが……」
「鬼との戦いにそんなこと言ってられるか。俺が救援に行くまで保たせてみろ」
「……よろしくお願いします!」
見ている限り、大きな問題はなく草慈の指導は始められそうだ。
これなら自分まで見ていなくてもいいだろうと考え、アオイは黙って一礼だけして道場を出ることにした。
こちらが去ることに気付いた草慈が笑顔で手を振ってきたのに改めて一礼を返し、離れていた職務に戻った。
その後、全員を一通りしごいて訓練を終わらせた草慈を今度は病棟へ案内し、軽く見舞いをしただけ(先の4人とは違い安静中の2人は明確に草慈への忌避感があった)で彼はすぐ切り上げて帰ると言った。
どうやら任務で戦闘中の彼を目の当たりにしたらしく、引きつった顔にはアオイの目にも察せる怯えが滲み出ていた。
厨房にカバンを取りに行った草慈は帰る前に教えておこうと言ってアオイにホットチョコレートなる飲み物を作ってみせた。
温めた牛乳に細かく刻んだチョコレートを少しずつ溶かして作る甘い飲み物。
まだ流動食しか受け付けない患者も、これなら仲間外れにしないでチョコレートを楽しめるだろうと草慈は笑顔で言った。
厨房から漂う甘い香りに湧き立った三人娘がきゃあきゃあ騒ぐ場面が、ざわついたアオイの心を癒してくれた。
帰り際。玄関先まで見送りに来た少女達に笑顔で手を振って別れた草慈と、一人だけ門まで見送るために共に外へ出たアオイ。
二人になり、門を出たところでアオイは頭を下げた。
「草慈さん、本当にありがとうございました」
「いいんだって。アオイちゃんは礼儀正しいなあ」
「いえ、いつも感謝していますけど今日は、その……あんなにたくさん持ってきてくださったとは思ってなくて……」
背負いカバンの中身がまさか大量のチョコレートだけとは思わず、厨房で彼がカバンから次から次へと取り出した小箱が山を作った光景はつい口をあんぐり開けてしまうものだった。
前述したように、この時代のチョコレートは高級品である。そして高級なだけに扱う店も、保管している量もそう多くない。
そんなチョコレートを大きな背負いカバンいっぱいになるまで買い漁った草慈はどれだけ都心を走り回ったのか。ただでさえ遠方の牧場まで足を延ばしたらしいのに。
金額のこと以外でもアオイとしては恐縮するしかない。
「なーに。さっきも言ったけど大したことじゃないよ。俺にとっちゃ鍛錬代わりの走り込みみたいなもんさ」
そんなアオイの顔を上げさせて、草慈は大したことないと笑うばかり。
それよりも、と彼は続ける。
「チョコレートって少量でも栄養価が高いんだ。暑い時期は溶けやすいから厳しいけど今の寒い季節なら携帯食として持ち歩けるから、退院して任務に行く奴らに一箱ずつ渡してやりなよ。きっと喜ぶぜ」
「はい、あの量が私達だけのものではないことは承知してます」
「それに小さくて甘いから、しのぶちゃんへの差し入れにもぴったりだ」
急にしのぶの名前が出てきてアオイは思わず彼を見上げた。
「あの子、最近食が細いんじゃないの? ただでさえやること多いのに蟲柱になってもっと忙しいんじゃないかね。せめて甘いもの食べさせてちょっとだけでも気を休ませてあげな」
「……本当に、色々とありがとうございます」
「いいってことよ。そんじゃあ俺はこれで。また遊びに来るねー」
言うだけ言うと空のカバンを手に草慈は走り出す。
ばいばいびー、と謎の言葉を残して去る後ろ姿へアオイは一礼して見送った。
不思議な人だと思う。実力だけでなく、彼の発言や態度は他の隊士とは明らかに違い、まるで別世界の住人のように浮世離れしている。
アオイは鬼殺隊以外の界隈にそこまで詳しくないが、それでも草慈が鬼と関わる世界にあまりにもそぐわない性質の持ち主だと感じた。快活な人や穏やかな人はいる。しかしあそこまで底抜けに明るく笑う人は見たことがない。
まとめると、
(変な人、ね……)
決して悪く言うつもりはないが、そんな評価になってしまうのは否めなかった。
草の呼吸、肆ノ型『絶倒崩壊』ぜっとうほうかい
剣技ではなく体技。打撃と投げ技を仕掛けて相手を転ばせ続ける一連の流れ。
(腹)筋を崩壊させて転がし回れ。