「草慈、君を鬼殺隊の
「すんませーん、お断りしまーす」
バッサリと。
朗らかな笑顔を裏切るような、にべもない即答だった。
鬼殺隊本部、産屋敷邸。
深い森の奥にあるそこは人目を隠すようにひっそりと建てられており、道筋を知る者以外は容易に辿り着けない場所にある。
ここに住まう産屋敷一族は代々が鬼殺隊の当主を務めており、公に認められていないこの組織にとってここは心臓に当たる邸宅だ。
そんな産屋敷邸に呼び出された草慈が当主の産屋敷耀哉と相対して、ある通達を受けたのが事の始まり。
柱の任命。その大役を真っ向から断った形だ。
鬼殺隊に所属する鬼狩りの隊士には全部で十一の階級がある。
基本的には上から順に
完全実力主義の鬼殺隊であっても誰もが最下級の
そして十段階ある階級のさらに上、一般隊士とは別格の強さと扱いとして
いわゆる、組織の幹部ポジションみたいなものと考えてもらっていい。
無論、実力主義の組織で幹部なのだからその強さは一線を画しており、断じてお飾りで任じられる役職ではない。そのような者は端から鬼に食われて死ぬだろう。
人々を食い殺し、多くの鬼狩りさえも返り討ちにして殺す、そんな鬼ですらも山ほど葬る剣士、それが柱である。
そんな柱への任命。悪鬼滅殺を掲げる鬼殺隊の隊士としてはこの上ない誉れ。
実力と功績を認められ、この者であれば鬼殺隊を支えてくれるという信頼の顕れ。
そういう意味が込められた当主直々のお声がけを一切の躊躇なく断るという、人によっては叛意ありと受け取られかねない返答。
唐沢草慈にとってそれは平常運転であった。
「そうか……意志は固いようだね」
「はい。つーかお館様だって、俺が頷くとは思ってなかったでしょ?」
「実はそうなんだ。君は現状でとても満足しているようだしね」
「大当たり~。今すげえ充実してんの。毎日楽しいよ」
他に誰もいない一室で、当主と一対一で向かい合いながら草慈の態度は普段と変わらない。正座して姿勢こそよくしているものの、いつもの締まりのない緩んだ笑みを浮かべただらしない態度である。
他の隊士、特に現役の柱などが見たら不敬であると詰められかねない。
この草慈の態度に耀哉は何も言わない。敬意がないと思わしき言葉遣いも目くじらを立てるつもりはなく、彼の偽りない本音が聞けるならそれが嬉しいから。
「だけど、鬼殺隊の柱としての資格が草慈にあると思っているのは本当だよ」
柱になるためにはただ強ければいいわけではない。
階級
もしくは、鬼を50体以上討伐すること。
実力と生存能力の証明。鬼を討ち、人々を守るために戦う鬼殺隊で最高位に昇り詰めるには多くの修羅場を越えて相応の実績を上げなければならないのだ。
唐沢草慈は現在
鬼の討伐数はすでに80体を超えている。
さらに先日、十二鬼月である下弦の
実力も功績も充分。
この者は柱足り得ると当主が認めたからこそ任命するに至ったわけなのだが。
「資格があっても適性があるかは別の話ですからねー」
当の本人が綺麗に断ってしまったので何も言えなくなる。
「適性か……草慈が思う柱の適性とは何か、聞かせてもらえないかい?」
「んー、けっこう色々ぶっちゃけちゃうけど、いいですか?」
「構わないよ。何でも言ってほしい」
「じゃあお言葉に甘えて」
耀哉の許しを得た草慈は一つ頷くと、自分の考えを話し出した。
「まず言っとくと、柱を断った理由は二つあります」
「二つか」
「んで、ですね、俺が鬼殺隊にいるのは鬼と戦えるからですよ」
鬼と戦う。それは人外の敵に挑むということ。それも人間を餌と認識して捕食してくる天敵とも言うべき存在から人々を守ることを旨とする戦いである。
当然、その戦いは凄惨を極める。一つでも判断を誤れば命を奪われ、僅かなズレがあるだけで身体の欠損なんてことも容易にも起こりうる、文字通りの命懸けだ。
そんな戦いに身を投じるには並々ならぬ覚悟を求められる。隊士は多くが鬼の襲撃に遭い、それにより鬼への憎悪を募らせ、復讐を目的として入隊を志す。そうでなくても鬼による惨劇に心を痛めて、被害に遭う誰かを一人でも減らすために剣を取るのだ。
鬼への強い憎悪。鬼の被害を回避せんとする貴い決意。それらが鬼殺隊の意志の源だと言える。
しかし、目の前でへらへらと笑う彼は違うと答える。
「だって普通に生きてたら絶対できない体験じゃん」
鬼の存在は一般には秘匿される。
あまりにも人の世の理屈から外れた存在は世界を混乱させる原因になりかねない。
発生も、被害内容も、生態も、鬼とは世界を乱すものだから。
この世界に鬼が生まれてから約千年。鬼とそれを倒す鬼狩りはずっと社会から隠されてきた。
つまり、この世界でただ普通に生きている人間は襲われでもしない限り鬼と関わることはない。鬼と関わった時点でその人間は凄惨な将来を送ることが確定するようなものだ。
そんな事態を少しでも減らすため、そしていつか根絶させるために活動しているのが鬼殺隊なのである。
その鬼殺隊に所属しながら草慈は臆面もなく言う。
「こんな楽しいこと、他にないって」
にこにこと明るい声音で語る草慈は言葉通り楽しそうだ。
凄惨な、一歩間違えれば命を落とすような、狂気がまかり通る戦場へ身を投じるのが楽しいと、彼は笑顔で言い切った。
「楽しいかい、鬼との戦いが」
「これが普通じゃないってのは自覚してますよ。でも俺はそういう考えで鬼狩りしてるんだ」
「その動機が君の士気の源なのか」
「そうそう。他の隊士が鬼への復讐だったり、人を守りたいだったり、まじめな理由で戦ってるのは偉いと思うよ。でも俺って自分本位でさあ、自分の楽しみを追求しがちなのよね」
あっはっはと笑う草慈は特に気後れしている様子はない。
他の隊士が戦う理由を崇高なものだとして尊敬すると言いながら、それらとは全くそぐわない自分の在り方を引け目に思うでもなく、全てを肯定した上で胸を張る。
人生で今が一番充実している、そう言わんばかりに。
「で、話を戻しますけど」
「今言ったことが柱を断ることに関係しているんだね」
「そう。柱ってさ、全ての隊士の上に立って、みんなを率いるでしょ? それは組織がそいつの能力を認めて良い立場に昇進させる代わりに、そいつに今まではなかった義務を課すって意味もあるじゃん」
鬼殺隊の中で一際大きな存在感を持つ柱。その役目は多く、責任は重い。
鬼殺の業務が一般隊士以上に多いのは当然。集められる鬼の情報の整理と把握、報告などの事務も大切な仕事。さらに現場では隊士の統率や、もしもの際は身を呈して若手を守ることも求められる。
無辜の民を鬼から守るだけでなく、鬼殺隊という組織を支える文字通りの柱として他の仲間までも守らなければならない。
そういう責務を担うからこそ柱は様々な特権を有し、隊士達から尊敬されるのだ。
「俺、そういうの無理だもん」
その責務を草慈は厭う。
どうせ自分では柱の義務を果たせない。だったら最初から断るのが誠意だと。
「できないかい」
「うん。無理。できないね。仮に目の前に鬼と人がいてどっちか選べってなったら、俺は鬼を選ぶよ。鬼を斬りに行って人は置いていく。それが俺が鬼狩りをする意味だから」
いざ選択を前にして悩むのは、刹那の判断を強いられる鬼殺の現場では致命的だ。
そういった判断の遅れを鬼は見逃さない。
人の命など鬼にとっては吹けば飛ぶほどのものでしかない。それに気を取られて殉死した隊士がどれだけ多いか。
草慈はその判断に遅れることはない。自分が何を選ぶかなんて分かっている。
鬼を斬る。それが楽しいから夜の闇へ飛び込むのだ。
彼が鬼狩りに励むのは鬼を殺すため。楽しいから。
救援要請に応じるのはより多くの鬼と戦うため。楽しいから。
人々を守ることになっているのは結果論でしかない。自分本位という発言の通り、自分の楽しみのために鬼殺隊にいる。
それが唐沢草慈にとっての原動力なのである。
「俺のことが隊士達の間でなんて言われてるかくらい知ってるでしょう?」
「……柱になってほしくない隊士、か」
「みんなも分かってるんだよ。俺が上官になっちゃダメな人間だって。あ、言っとくけど別にそういう噂に反発して断ったわけじゃありませんからね。ここまで説明したのはマジの本音だよ」
もし自分のような資格があっても適性がない人間が柱に就いてしまったら。
鬼殺隊を支えるはずの柱が、逆に鬼殺隊を揺るがせてしまいかねない。
それが分かるから草慈は断ったのだ。
「なるほど。よく言ってくれたね草慈。言いにくいこともあっただろうに」
「いえいえそんなことは。もう一つの理由に比べたら大したことないし」
顔の前で手を振って、何てことはないと言う草慈。
当主による任命を真っ向から断るなど、普通の隊士なら恐縮してとてもできないことだろう。こうして朗らかに断じてしまう彼がおかしい。
そこで耀哉はまだ草慈が理由を半分しか語っていないと思い直す。
「理由は二つあると言っていたね。そちらも教えてくれるかい」
「簡単な話、先のない組織で出世しても仕方ないなって思ったからですよ」
続けて草慈が口にしたもう一つの理由。
それを聞いた時、初めて耀哉は表情を変えた。
あからさまに雰囲気を変えたわけではない。ただ、ここまで穏やかな雰囲気でいた彼がほんの少しだけ眉を歪めた。
たったそれだけの変化でも、鬼殺隊の要である当主としてはまず見せない表情だ。
「ちと訊ねますけど、お館様は鬼殺隊がいつか鬼舞辻無惨を倒せると思います?」
「……ああ、思っているよ。我々の刃は必ず無惨に届くと信じている」
それは鬼殺隊に連なる者達が常に心に宿す信念。
鬼の始祖、鬼舞辻無惨を滅ぼす。それが全ての鬼を根絶させるただ一つの道。
人類の未来を守る、その使命を背負うからこそ彼らは剣を手に取るのだ。
しかし草慈はそれを笑い飛ばす。
「俺は無理だと思いますね~」
変わらずへらへらと締まりのない笑みを浮かべて。
鬼殺隊の一員でありながら、背負う使命を一笑に伏す。
「だって全員が本気じゃないんだもん」
「君にはそう見えるかい?」
「はい。まあ中には本気で考えてる人もいるけど、こういうのって参加してる全員が本気で取り組まないと意味ないし」
「ふむ、草慈がそう思うようになった理由を教えてくれないかな」
「いいですよー。言うだけ言って終わりになる話でもないしね」
鬼殺に臨む全ての人を嘲笑うような内容にも関わらず、片や穏やかに、片や朗らかに、声を荒げない二人は対話を続けた。
「鬼が生まれて千年くらい経って、それを倒すために鬼殺隊が創設されて、それからずっと鬼狩りの活動は続いてきたんですよね」
「ああ。我々の戦いが途切れたことはない。人知れず社会の裏で続いていたよ」
「だとしたら怠慢っつーか、やっぱり本気だとは思えないのよねー」
鬼殺隊の活動は言ってみれば人類の守護である。
その歴史を草慈は笑う。よりにもよって当主の前で。
「人類を一人の人間に見立てて考えた場合、鬼ってのは突然生まれた病気みたいなものだ。体内で悪さする病原菌を殺すために白血球があるように、鬼を退治するために鬼殺隊がいる。それ自体は自浄作用が働いたとしていいことだよ」
草慈の説明は淀みない。言うべきことをただ言うだけのような、もう決まったことを述べるだけの気負いのない口調だった。
「体内で病原菌を殺せば病気は治る。それと同じように鬼を、この場合は鬼舞辻無惨を殺せばそれ以上鬼は増えないだろうから自然と消える。それができなかったのは何故か──
「囲む?」
「どんな病気も初動が肝心って言うでしょ。病気が発生、発見されたらそれ以上広がらないように囲んで、病原菌の動きを阻まないといけないんだ。未知の病気であればなおさら、感染する人を増やさないようにね」
風邪に例えてみよう。
風邪を引いてしまった人がいるとする。
その人が普段通りの生活を送れば、風邪の菌を周囲に拡散させてしまうだろう。
実際には熱や頭痛などで普段通りの動きはしにくくなるが、よほど酷い症状でもなければ無理を押して行動することもできてしまう。
そうさせないために風邪を引いた人は休ませて安静にさせるものだ。誰かと接するにしても時間を少なく、マスクを付けたりなどして接触を制限させるはず。
このようにして感染を抑え、二次被害を防ぐものである。
鬼は病気。
鬼舞辻無惨は病原菌。
感染を広げないために囲んで動きを制限しなければならなかった。
それができてないのは何故か。
「千年前の当時がどういう状況だったのか想像するしかないけど、鬼殺隊が創設されて、鬼狩りが始まって……最初はそうだったかもしれないけど、政府公認の組織じゃなくなったのが痛いかな。いや、昔なら幕府公認と言うべきか」
鬼殺隊は政府非公認の組織である。
大正時代にもなって夜な夜な刀を振り回して鬼を退治する団体、まともな人間ならそんなものを認めるわけがない。当たり前だ。その人間はまともなのだから。
しかしながら鬼殺隊が狩る鬼とはまともな存在ではない。まともではない鬼を退治して回る鬼殺隊もまともではいられない。
故に、まともな人間の世界を治める政府とは袂を分かつしかなかった。
草慈はそれを誤りだと言う。
「昔の鬼殺隊は何が何でも幕府なり政府なりと繋がりを作ってたくさんの支援を受けるべきだったんですよ。病気を囲む。病気を殺す研究をする。そのために絶対必要な人手、頭数を揃えるためにね」
資金面は産屋敷一族の方々が何とかしちゃったみたいだけど。
そう続けて何がおかしいのか、あひゃひゃひゃと笑う草慈。
静かに聞く耀哉は黙したまま。
「まあ過去の鬼殺隊もそんなことする余裕がなかったのかもしれませんよ? 俺が今ああだこうだ言ったのが筋違いな的外れなのかもしれない。でもね、過去があるから現在がある。鬼殺隊の歴史がそのまま鬼狩りの歴史だ。それがどうです」
「どう、とは?」
「千年で見つけられた鬼を殺す手段が、太陽光、日輪刀で首を斬る、全集中の呼吸」
指を立てて数えた草慈が耀哉を見やる。
「たったこれだけ?」
立てた三本指をひらひらと振って草慈は笑った。
「少ねー、どう考えても少なすぎる。千年もの間、鬼殺隊は何やってたんだよ。鬼になった人を元の人間に戻す薬だったり、鬼を殺す毒だったり、そういう方面の研究はてんでやってないじゃん」
人手があれば、多様な発展ができただろう。
鬼について調べて、鬼の研究ができて、鬼への対抗手段がもっと見つかったはず。
人手があれば、多くの地域を把握できただろう。
隠、藤の家紋の家、協力者を通じて広い範囲で鬼を追い詰められたかもしれない。
人が何らかの事業を為すに当たって、頭数は絶対に無視できない問題だから。
それがなっていないと草慈は断じる。
へらへらと、緩い笑みを浮かべながら。
「全然本気じゃない。お館様、あなたがどんなに本気でも組織が本気になれてない。本気で取り組む人の数が少ない。上司の目的意識を末端まで共有できてない組織は遠からず停滞する。鬼を相手にする鬼殺隊が停滞するとはすなわち鬼に後れを取るってことだ。現に鬼殺隊の活動っていつも手遅れになってから始まるでしょ?」
そうして鬼に殺される犠牲者が生まれ、辛うじて生き残った者は復讐を志し、憎悪の一念で己を鍛え上げた隊士は鬼との戦いに臨み、その多くが殉死していく。
誰も彼もが鬼を殺すことに傾注してしまい、真の意味で鬼を滅ぼす=根絶させるために何をすればいいか考察する者が現れなかった。
だから本気じゃないと草慈は評するのだ。
しかしながら今に至るまで鬼殺隊が消えず、鬼狩りの活動を続けてきた歴史があることもまた事実。繋いできた鬼殺の意志は途絶えず、これからも鬼を討つ刃が消えることはない。
耀哉はそう確信している。
「それでも私は信じているよ。我らの刃はいつか必ず鬼舞辻無惨に届く。奴を討つその時まで鬼殺隊の歩みが止まることはないと」
「あー、残念ですけど『いつか』なんて悠長なこと言ってられる時間もありませんよたぶん」
そんな耀哉の決意すらも草慈は笑い飛ばした。
「時間がない……どうしてそう思うんだい?」
「んとね、これも少し話が長くなっちゃうんだけど、今言った本気じゃない鬼殺隊がどうして今まで存続できたかって、これきっと鬼の方も本気じゃないのよ」
鬼の方、つまり鬼舞辻無惨が本気で鬼殺隊と戦っていない。ここまで色々語ってきた草慈がそう判断していることが耀哉は気になった。
他の隊士では考えが及ばないところまで彼は気付いている。しかも鬼殺隊にとって耳が痛いことを当主の自分に対して臆面もなく口に出してみせる人間だ。
「それも聞かせてくれないか。鬼の動向にも理解が及ぶなんてすごいことだ」
「はは、鬼みたいなケダモノの動きなんて分かりゃしませんよ。ただ鬼舞辻無惨のことなら、事実を前提として推察できなくもないってくらいでさ」
草慈の方もやはり口を閉ざす気はないようで、楽し気な声色を変えることなく続けた。
「端的に言うと、ここが日本でよかったねって話です」
「日本……それは土地柄、ではなく立地のことを言ってるのかい?」
「御明察。一言で分かっちゃうとは流石ですねえ」
耀哉の答えを聞いてパチンと手を打った草慈は得意気に話す。
「地図上の日本って小さな島国じゃないですか。周辺は海という物理的な障害で阻まれて大陸には容易に渡れないってのがポイントよ」
極東の島国。そう評される日本は世界的に見ても異質な国だ。
他国にはない独自の文化を育み、独立した政治を数千年続けてきた歴史がある。海の向こうを参考にしつつも自国に取り入れる際は日本の土地に合わせるように、歪みを抑えながら存続し、発展してきた。
それが可能だったのは、日本が周りを海に
「組織として見たら少数でしかない鬼殺隊がどうして千年間も鬼狩りを成立させられたか。それは少数でも何とかやってこれるくらい日本が小さい島国だからさ。鬼を探して東奔西走。いくら人手があっても足りゃしない。それでも鬼の活動範囲が小さな日本の中に納まってるから鬼殺隊だけでも何とか賄えてるわけですよ」
世界的に見れば小さな島国でも、人間からすれば広大な日本の地。それを人力で捜索するとなれば途方もない労力を注がなくてはならない。
悪い言い方になるが、古臭い手段ではすぐに限界が来る。
鬼殺隊の活動は基本的に人力だ。
情報収集のための地域住民への聞き込み。足取りを追うための目視。存在を気取るための個人による気配探知。
その情報のやり取りにしても、口頭による伝達、鎹烏による手紙が基本。
一般人より遥かに身体能力が優れる人員だろうがどこまで行っても人間の力だ。
その人力でも追えるくらいに鬼の数と分布が収まっている。それは言い換えると、病気の発生が意図して抑えられているようなもの。
「無惨は積極的に鬼を増やそうとしていない。やろうと思えばもっと手広くできるのに、何らかの理由で生み出す数も範囲もあえて抑えている節がある。そういうことだね」
「奴さんの頭の中なんて知ったこっちゃないけどね。日本に拘りがあるのか。もしくは何かを、誰かを探してるのか、考えても仕方ない。けどおもしろいと思いません? 鬼を病気として見たら、自分から広がらないでいてくれてるんだ」
先ほど草慈が説明した、鬼を病気として、鬼舞辻無惨を病原菌として見立てて考えると。
「鬼舞辻無惨は自発的にこの囲まれた環境に甘んじてくれてるってことですよ。病原菌のくせに動かず、感染も抑えて、この日本という小さな島国に自分から閉じ籠って
コケコッコーと結んだのがツボにでも入ったのか、自分の膝をバシバシ叩いて草慈は笑う。
余程おもしろいようで、ひーひーと腹を抱えて。
「でもそれがいつまでも続く保証はない」
そうして身を屈めて笑う姿勢から一転して草慈は耀哉を睨め上げた。
「黒船来航を契機に江戸時代と同時に鎖国が終わり、富国強兵の名目で明治政府は海洋貿易を推し進めた。海を越えた他国とのやり取りが一気に増えて人も物も流通が加速した。変化の流れは止まらず、ついには日清戦争にも日露戦争にも勝利してみせるほど日本は世界に存在感を示した」
にやつく笑みを浮かべながら、その瞳は爛々と光を湛えている。
それは危ういようであり、誘うようでもある、不気味な存在感。
「日本を取り巻く環境は急速に変わっている。そんな中で鬼舞辻無惨の気がいつ変わるか分かったもんじゃない。何しろ昔とは比べ物にならないくらい海を渡れる機会が増えてるんだ。そして一度でも国外に出て向こうで鬼を作ってしまえば、もう鬼殺隊の手に収まる事態じゃなくなる」
感染爆発。日本とは違って地続きの大陸で病気が広がり始めたら、殺菌の手法すらろくに知られていない外国で広がれば、未曽有の大被害が生じるだろう。
冗談ではなく、人類滅亡に繋がりかねない厄災になって。
最悪なのはそのさらに先。
海の向こうで鬼が生まれ、増えた後にどうなるか。
「人間とは愚かなもので、そういう問題が起こった場合に解決を図ったり対策を取ろうとする一方で責任の所在を求めるものでして。発生が日本関連の船や港を通じて日本に通じていることはすぐ分かるでしょう。日本政府は血眼になって鬼について調べる。すると鬼より先に同じ人間の鬼殺隊に行き着く」
そうなってしまった時、いったい誰が責を問われるか。決まっている。
鬼殺隊当主、産屋敷耀哉が槍玉に挙げられるのだ。
何故、鬼の存在を世間に隠していた。
何故、鬼の被害を公に明かさなかった。
人類全ての脅威と言っても過言ではない鬼への対処に何故、政府と協力しないで隠れるように細々と活動してきた。
人知れず人々を守り続けてきた鬼殺隊に理不尽な非難が殺到するのだ。
世界中から当主を責め立てられた鬼殺隊は瞬く間に取り押さえられ、隊士達は鬼狩りを続けられなくなる。日輪刀を始めとしたあらゆる資材は接収されて、援助している民間の支援団体も拘束される。
当然、その間も鬼の被害は世界中で拡散するだろう。ただでさえ後手に回っていた対応も遅れに遅れて、広大な世界へ散った鬼に、鬼舞辻無惨に追いつけなくなる。
一度そうなってしまえば、もう覆すことはできない。
「よしんば鬼殺隊が対応することになったとして、政府非公認のままやってきた組織が海外に出たところで鬼を捜索するどころじゃないでしょ。公的な後ろ盾もなかった組織が、文化も言語も違う土地で鬼舞辻無惨を追う~? 鬼を狩って人々を守る~? 無理無理。できるわけないって。そうなったらハイ終了、鬼殺隊の敗北でーす」
「……」
「だから言ったんですよ、先のない組織って。俺の勝手な予想だけど、後10年が関の山じゃないかな、現状を維持できるのは」
にこにこと。
未来の敗北を予言して。
草慈は明るく笑った。
「君は、一体何者なんだい?」
かつてない異質な存在を前にして、耀哉は静かに訊ねる。
「俺は読者ですよ。ただ物語を楽しみたいだけの読者。この世界に生きて一つでも多くの楽しみを味わいたい、どこにでもいる一人の読者です」
その耀哉へ、大仰に腕を広げた草慈は笑顔で名乗ってみせた。
暗黒の未来を予見しておきながら明るい表情を変えないまま朗らかに笑う彼は。
──はたして鬼と人、どちらに近いのか。
「ねえお館様。正直なことを言うとあなたには少し同情してるんです。産屋敷一族に生まれたことで呪いを回避できない体になり、鬼殺隊の当主でありながら自分だけが刀を振るえない。自分には何も非がないのに仲間と肩を並べて戦えず、もどかしくて仕方ないだろうなって」
「私が哀れに見えるかい」
「勝手に哀れんですみません。けどあなたは自分にできる戦い方で鬼殺隊を支えてるからそれでいいんです。隊士の中にはお館様のために戦うって人もいるし。柱とか。それだけ求心力があるのはあなたが行動してきた証だ。素直に尊敬しますよ」
にこやかな表情を変えないまま、今度は耀哉を称賛する草慈。
産屋敷家には代々、生まれた子供が病魔に侵される呪いがある。短命を余儀なくされ、まともに刀を振ることすら叶わないほど肉体が弱い。歳を負う毎に肌が変色して爛れていき、誰であろうと30まで生きられない。
そのような身の上でありながら心折れることなく当主として鬼殺隊を率い、多くの隊士から畏敬の念を向けられる耀哉は紛れもなく傑物だ。
多くの隊士が、多くの人が敬愛する当主。慕われるのは耀哉が彼なりに戦ってきた成果だと分かるから鬼殺隊はまとまっているのだから。
「でもきっとあなたは頭の隅っこで考えてはいる。もし、それが可能になる手段さえあれば、いざという時が訪れれば、他の誰でもない自分自身の手で鬼舞辻無惨をぶち殺してやりたいと。首一つになっても鬼という鬼を噛み殺してやりたいと」
その耀哉の心に、草慈は無遠慮に踏み込む。
穏やかな姿の奥の奥に揺るぎない憎悪があるのだと指摘して、
「是非ともそうしてください。鬼狩りの戦力はいくらあってもいい。始祖を討つためならなおさら鬼殺隊を構成する一片に至るまで本気になる必要があるでしょう。当主のあなたが率先してやれば隊士の士気も鰻登りだろうしね」
笑顔で草慈はそれを肯定した。
そう遠くない内に肌も肉も腐って動けなくなる運命が待ち受けていようとも、その身を鬼を討つ刃にせんとする意思を認め、背を押した。
「ありがとう草慈。君が私を戦う者と認めてくれて嬉しいよ」
「ええですって。実際あなたがいないと鬼殺隊が立ち行かなくなるのは事実なんだ。俺もお給料をもらってる身だし、これからもよろしくお願いしまーす」
「ふふ、そうだね。こちらこそよろしく頼むよ。色々話してくれてありがとう」
表面上は穏やかな雰囲気で二人は話を終えることにした。
傍らに置いた自分の日輪刀を取り、立ち上がった草慈は一礼して下がる。
「それじゃあお館様、俺はこれで。もうこんな風に話すこともないかもしれませんけど、何かあれば呼んでくださいな。柱にはならないけど任務ならいくらでもやりますんで」
「ああ、頼もしく思ってるよ。草慈も達者でいておくれ。君も私のかわいい子供なのだから」
「あはは、そういう耀哉ちゃんこそ養生してね。長生きしなよー」
軽い言葉で締めの挨拶を交わすと草慈は襖を閉じる。
あ~正座きっつ~足痺れた~とぶつぶつ零しながら去る足音を最後に、彼は屋敷を出ていった。
ふう、と吐息が漏れた。
耀哉としては珍しく疲れを覚える対話だった。柱合会議で柱の面々を前に話す時とは違う、一人の隊士に振り回されたと言ってもいい感覚は久しぶりに耀哉へ興奮を与えるものだ。
そう、興奮である。心臓の鼓動がいつもより大きく聞こえる。熱のような渦が脳内で蠢き、意味もないのに手足に力が入る。
当主として己を律して生きてきた耀哉が本当に久しぶりに感じた衝動だった。疲れにしても、どこか心地好さを感じた疲労である。
草慈が語った未来。その内容は鬼殺隊が絶対に回避しなければならないものだ。
事実を基にして考察すると彼の弁もあながち間違いではない。過去の鬼殺隊が積み重ねたものが今の自分達を作っており、その末にある敗北が間近に迫っているぞという指摘は無視できないものだ。
鬼舞辻無惨の動向は千年経った今なお謎に包まれている。奴の目的、判断の基準、行先の予測、何もかもが不明瞭。であれば無惨が突然活動を日本の外へ広げる可能性は充分にある。
そうなれば数の上では小規模な組織でしかない鬼殺隊ではどうにもならなくなる。草慈が語った通り、それは敗北と言える結末だろう。
しかし耀哉に焦りはなかった。
先見の明。産屋敷一族に代々備わる特殊能力とも言うべきその力が、耀哉に未来を予見させる。
かわいい子供達の戦いの行く末を垣間見る。
(無惨……お前は必ず、私達の代で……)
時が来れば命を擲つことも厭わない──草慈はこの覚悟を見抜いていた。鬼殺隊の当主として、千年続いた産屋敷の呪いを負う者の一人として、静かに心を定める。
(しかし、きちんと言葉にされると思ったより響くね)
先ほどまでのやり取りを思い出して一人微笑む。他の誰ともできない会話を思いの外楽しいと感じる自分がいた。
──唐沢草慈。
不思議な青年である。鬼殺隊に所属しながらああも明るく笑う人間は見たことがない。
鬼狩りにあのような喜悦を見出し、それでいて鬼を倒すべき敵だと認識している。
後にも先にも彼のような隊士は現れまい。
つい先日、冨岡義勇という隊士を水柱に任命した。草慈はその同期である。
最終選別をたった一人の犠牲によって越えたことで史上最高の突破率を記録した期待の世代であると同時に、基準に満たない実力で入隊したことで次々に殉死してしまう失望の世代でもある。
しかしその中から柱になり得る剣士が二人も現れたことで期待は現実のものとなった。
耀哉はこれを兆しだと捉えている。
今までにない変化が起こったことで今までにない未来が訪れる。この変化を契機にして鬼との戦いは新たな局面に突入するだろう。
その草慈だが、彼は最初から今のような性格だったわけではない。
ある任務に臨んだ草慈は鬼との戦いで死に瀕し、それ以来彼は人が変わったみたいに笑うようになった。まるで
元々は他と同様に鬼への憎悪を原動力に戦う、周囲と同じ様子の隊士だったとか。
あの笑顔も、戦いへの悦びも、未来を見据えた語りも、死を前にした彼に何かしらの意識改革が起こった結果なのかもしれない。
だがそれにしても。
(耀哉ちゃん、か)
あんな呼ばれ方をしたのは人生で初めてである。親しみが込められた口調に思わずくすぐったい気持ちを覚えた。
もし。
出会う場所が、立場が、時代が違えば。
彼とは遠慮なく語り合える友人にでもなれただろうか。
そんな詮のないことを考えた。
(あんな感じでよかったかな)
歩きながら草慈は先の出来事を振り返る。
何人もの隠によって(産屋敷邸の場所の秘密を守るために自分の足ではなく目隠しさせられた状態でリレー形式で運ばれて)とある林へ来ると、隠の人に礼を伝えてからのんびり歩いていた。
薄暗いけもの道を歩いていると木々の隙間から陽光が差し込んできて目に痛い。少し寝不足気味かと考え、どこか適当な宿を見つけて今日は早めに寝ることにした。
その最中、耀哉との会話を思い出す。
鬼殺隊の当主とサシで話すシチュエーションなんて二度とないと思うとテンションが高まるあまりべらべらとしゃべってしまった。興奮するに決まってるじゃんあんなの。
この際だからとぶっちゃけたことに後悔はない。色々と話せて満足だし、すっきりした。あんな話、他の誰ともできないし。
それに合わせて思わぬ形で目的も果たせたので万々歳である。
草慈は自分の振る舞いをおかしいものだと自覚しつつもそれを間違っているとは思わない。鬼狩りに臨む姿勢は人それぞれ違って然るべきで、結果が伴ってさえいれば動機なんて何でもいいと考えている。
実際に自分は鬼を何体も斬って成果を出している。鬼殺隊への貢献は充分にやっているので柱を断るというわがままも認めてもらえたのだろう。
「それにしても、柱か~。まさか俺がね~」
鬼殺隊にいる人にとって憧れの象徴と言ってもいいポジション、柱。
その任命がそろそろ来るだろうと予期していたが、ああしてお館様から面と向かって告げられると感慨も一入というものだ。
(まあそりゃね、俺もけっこうがんばってるしね)
目覚めた時から立ち止まらず突っ走ってきた自覚がある。
ズタボロの体で辛くも鬼の首を斬って、蝶屋敷に運び込まれて、機能回復訓練を受けて、途中で体が弱すぎると気付いて、全集中の呼吸・常中を修め、併せて自分の体に合う草の呼吸を編み出して、そこからまた任務に、鍛錬に、療養に……
何気なく手の甲に浮かべた階級は
殺した鬼は数えていたから50体を超えていたのは気付いていた。
瞳に下陸と刻まれた鬼を斬った時はめちゃくちゃ興奮したのを覚えている。
それら全てが楽しくて楽しくて、ずっと笑って笑って笑いまくって。
いつの間にかここまで来ていた。
実に愉快。
とは言え
大筋は変わらないかもしれないが、他人に安心や満足を与えてしまうとそれが思わぬ気の緩みとなっていざという時の決断を鈍らせるかもしれないのだ。
なので自分が柱になるのはごめんである。
その断りと一緒に耀哉にはテコ入れというか、刺激を与えておいた。
安心するな。
現状に満足するな。
いつまでも続くと思うな。
あの指摘は鬼殺隊の当主ではなく、産屋敷耀哉という個人に焦燥感を植え付けるためのもの。
(彼には大切な役目があるからな)
物語の終盤。鬼舞辻無惨と直接相対することになった耀哉はある作戦を決行する。
もはや満足に起き上がることもできない、話すことさえ苦痛を覚えるほど弱った体で、気力一つで生き永らえている状態でも戦うために。
無惨を僅かでも足止めすることと、自身の死を以て鬼殺隊全体の士気を上げることを狙った壮絶な自爆作戦。
ファンの間では『産屋敷ボンバー』という通称で知られる一幕である。
家族まとめて爆炎に呑み込まれていく描写は、原作の漫画でも、放映されたアニメでも、観る者全てに圧倒的な衝撃を与えた。
そこに至るまでの作り込み。そこからの展開。余すところなく描かれた映像美。
感嘆は止まらず、絶賛が寄せられ、いざ最終決戦へと昂る流れは観ているこちら側すらも士気を上げられたようで、まるで自分が鬼殺隊の一員にでもなったと錯覚するほど感動的だった。
その一幕が、実際に起こるとしたら?
「見たいなぁ……!」
にいいぃぃぃ、と頬が釣り上がる。
期待と喜悦で表情が緩む。
本物をこの目で見れるかもしれない。想像するだけでワクワクする。
二次元の壁越しでは感じられなかったもの、それを感じられるかもしれない。
顔に当たる熱風を。
広がる土煙と火の臭いを。
鬼の始祖がすぐそこにいるという空気感を。
この身で直接。
「くふ、くひ、んふふふひひ……」
──ああ、楽しみで、楽しくて、仕方ない。
林の中を一人歩く草慈の笑いは止まらない。
この主人公、頭おかしい。