最終巻No.431の続きを、命削って全力で書いたらこうなった(全年齢版) 作:練乳グラブジャムン
※SIDE 緑谷
お風呂は大きく、内風呂に加えて露天風呂があった。
せっかくだからと露天に入ったが、とても心地よい。
意識していなかったが、日ごろの疲れが溜まっていたのだろうか。
疲労がお湯に溶けていくような感覚に、意図せず長い吐息が漏れる。
肌を触ると、自分のものではないかのようにスベスベしている。
本当に気持ちがいい。最高にいい温泉だ。
旅行を企画してくれた飯田君はもちろん、他のみんなにも楽しんでほしかった。
こうしてお風呂場で話すのも楽しそうだし。
また企画して、今度こそ、みんなと来たいと思う。
ふと、左手を見やる。
今日一日、麗日さんとずっと繋いでいた手。
自分の身体にも関わらず、そこだけ浄化されたかのような、大切なものになったような錯覚を覚える。
この後部屋に戻れば、おいしい料理がやってくる。
そして、風呂上がりの麗日さんがやってくる。
湯上り姿の麗日さん。
きっと日中とはまた違って、魅力的なんだろうな。
――その瞬間、下腹部に血流が集まる気配を感じた。
無意識だった。
生理現象とはいえ、情けなくなってくる。
なんでこんな無駄に元気なんだ。
落ち着け、落ち着け、緑谷出久。
さすがに男湯の大浴場で股間を大きくするのはマズい。
いや、股間を大きくするのは、どこであってもマズい事には変わらない。
だがその中でも、男湯という場所はマズさの限度を超えている。そんな気がする。
他人からしたら超怖い存在だぞ。
深呼吸して心を落ち着かせる。
でも左手の温もりが思い起こされると、そして麗日さんの浴衣姿を思い描くと、どうしようもなく緊張してしまう。
そして、そんなつもりは無いのに、股間が元気になっていく。
本当に勘弁してほしい。
このままじゃ風呂から出られなくなるぞ。
苦心した末に、ふと、まわりの男性客を見ることにした。若い人もいれば、お年寄りもいる。
そして、失礼を承知で……ちらり、ちらり、と、その男性器を見る。
幸いここは男湯だ。
利用客の数だけ男性器が見られる。自分には全く興味のないソレが。
数多くの男性器をチラ見していくうちに、自分の股間からは力が抜け、平常時の姿に戻ってくれた。
一息ついて、落ち着く。
自分がノンケであることに感謝した。
あとは余計なことを思い出す前に、さっさと上がることにしよう。
再び股間がそそり立ってしまったら、出る頃にはのぼせてしまう。
身体を拭き、脱衣所で扇風機の風を浴びながら、心を落ち着けた。
麗日さん。
僕のヒーロー。
そして、大好きな女の子。
傷つけたり、怖がらせるなんて論外だ。
優しくしたい。誠実でありたい。
誰より大切にするために。
※SIDE 麗日
最高のお風呂だった。
全身がスベスベになって、お肌が蘇ったように感じる。
本当なら、もっとゆっくり、時間ギリギリまで入っていたかった。
しかし、もっと優先することがあって、少し早めにお風呂を出ていた。
脱衣所で浴衣を纏い、鏡の前で気合を入れる。
手元にはいくつかのメイク道具が並んでいる。
普段なら、お風呂上りはすっぴんだ。
だが、今日は違う。
まだこれから人と会う。
それも、一番好きな人に。
三奈ちゃん達に教えてもらった、すっぴん風メイク。
今までそんな用が無かったから、やってこなかった。
ほとんど練習出来ていないが、やるしかない。
別に、何か期待しているわけじゃない。
でもデク君には、少しでも良い自分を見てほしい。
ちょっとでも綺麗だと、可愛いと……そう思ってくれたら、嬉しいから。
それに……昼間に褒めてもらった分、風呂上りにメイクを落としたらガッカリされた、なんていうのも、困るし。
化粧水。それから乳液。ここまでは普段と一緒だ。
十分浸透したら、つけたまま寝れるパウダーで肌を整えて。
まつげにマスカラ。
眉はパウダーでふんわりと。
ナチュラルカラーのリップ。
……上手く出来てるかな。
綺麗だなって、可愛いなって……思ってもらえるかな。
ガッカリだけはされたくない。
顔を右に左に傾けてよくチェックする。
……うん、たぶん大丈夫。
というか、これ以上どうやったらいいか分からない。
荷物をまとめて、お風呂を後にし、部屋に戻る。
デク君のいる方ではなく、女子部屋の方だ。
荷物を置きに来ただけだった。
用が済んだらすぐに隣の部屋に移動する。
タオルを物干しにかけ、化粧品などをキャリーケースに戻していく。
携帯で時間を確認する。
もう18時になる、そろそろ行かないと。
だが同時に、携帯を見たからこそ思い出す。
壁紙をまだ変えていなかった。
憧れがカタチになった写真。
最高に幸せだった瞬間。
あの写真に設定しない理由なんて何も無い。
設定画面を開き、写真を選ぶ。
クレープを食べたときの、デク君との最高のツーショット。
すっごく優しい笑顔をしたデク君と、幸せいっぱいの私。
これを見るだけで温かい気持ちになる。
自然と顔が緩んでしまう。
荷物の片付けは済んだ。
携帯の設定も終わった。
もう行こう……と思った、その時だった。
ふとキャリーケースの隅に、持ってきていた勝負下着の袋が目についた。
さっきも目にした袋。
今日はもう用が無いもの。
なのに何故か、その袋に目が止まる。
(将来、緑谷とそういう関係になれたら、どうする?)
何故か、買った時の会話が頭に蘇る。
(ガッカリされてもいいの? キレイだねって、喜んでもらいたくないの?)
そんなの、褒められたいし、喜んでほしいに決まってる。
(一個だけ。お茶子が一番キレイになれるやつ、探そ?)
あのとき選んだ、一番いいと思うもの。
でも、今日はその日じゃない。
まだ付き合ってもいないんだ。
こんな下着に用なんか無い。
夜の女子会で、みんなに見せるだけ。
それで盛り上がって、ちょっとからかわれて、でも皆に褒めてもらって。
ちょっと自信をもらって、終わる。
そのために準備したはずだった。
それ以外の理由なんか無かった。
でも、なぜか色々と、不思議な事が重なって。
今ここにいるのは、デク君と私の二人だけだ。
そっか、二人っきりなんだ。
……二人っきり。
ドキッと、胸の奥が小さく跳ねた。
……なんで?
(将来、緑谷とそういう関係になれたら、どうする?)
(ガッカリされてもいいの? キレイだねって、喜んでもらいたくないの?)
また、三奈ちゃんの言葉が蘇る。
まだデク君とは付き合ってもいない。
寝る部屋だって別々だ、ご飯を食べたら、この部屋に戻ってくる。
今日はその日じゃない。
心配しなくても、デク君は本当に優しい人だ。
天地がひっくり返ったって、女性に乱暴するような人じゃない。
過去一度たりとも、デク君に怖いことをされたことなんか無い。
今日だってずっと紳士的で、誠実で、優しかった。
デク君に何かされる心配は絶対に無い。
逆に自分から誘惑するなんてことも、絶対に出来ない。
自分にそんな勇気があったら、八年もしまっておかない。
だから、絶対に、今日はその日じゃない。
それなのに、何故か緊張する。
絶対に無いと、分かってる。
……だけど。
二人っきりなのは、間違いないんだ。
さっきより、一際大きく、胸が跳ねた。
頭の中で、勝手に冷静に現状が整理されていく。
昼間もずっと二人っきりだった。
でもあの時は、まだ誰かが来るんだ、という、賑やかな旅行への期待感があった。
もうすぐ誰かが来て、デク君と二人だけの時間は終わるんだと思ってた。
でも、それは覆った。
みんなキャンセルになってしまって、宿にもその連絡が入ってる。
もう絶対に誰も来ない。
ずっと二人っきり。
この旅行が終わるまで、もう誰も私達の間には入らない。
これからデク君の部屋に行く。
デク君が一人だけいる部屋に。
行かないという選択肢はない、行かなきゃご飯が食べられないんだ。
ちゃんと二人分用意してくれているんだ、全く食べないなんて選択肢もありえない。
そして、もし仮に……今夜、この部屋が空っぽのままでも……咎める人はおろか、それに気付く人も、誰もいない。
どうしよう、なにこれ、何でこんな事に……好きな人なのに。
いまの状況を自覚すればするほど、どんどん鼓動が早くなる。
冷静に状況を整理する自分と、その状況に混乱する自分がいて……
これから、男の子の部屋に行く。
大好きなデク君が、一人だけいる部屋に。
女の子である私が、一人で、こんな薄い浴衣一枚の姿で。
他に誰もいないのに。
あの部屋には、お布団が敷いてあって。
二人っきりなのに。
デク君と私、二人だけなのに。
心臓が早鐘を打って、爆発するんじゃないかというほど激しく動いている。
とんでもなく緊張してくる。
あり得ない。私は必ずこの部屋に帰ってくる。
今日はその日じゃない。絶対違う。
まだ付き合ってもいない。それどころか気持ちを伝えてもいない。
デク君は絶対に変な事をしない。
私にもそんな勇気はどこにも無い。
だから絶対に、絶対に、絶対に変な事にはならない。
ご飯を食べるだけ。
ちょっとお話するだけ。
それがどうやったら、私が部屋に戻ってこないなんて事態が起こるのか?
ありえない。
絶対にありえない。
分かっているのに、温泉で温まった身体が、なぜか入浴時より火照っていく。
勝負下着が入った袋から目が離せない。
なんで? いらないのに。
今日はその日じゃないのに……
こんな恥ずかしい下着なんて着なくていい……年頃の男女が二人っきり。
まだ付き合ってないんだから……他に誰もいない、誰も気がつかない、誰も止めない。
ご飯を食べるだけ……お布団が敷いてある部屋で、浴衣一枚で。
絶対にありえないのに……大好きなデク君と、ずっと二人っきり。
頭の中がぐるぐるして、考えがまとまらない。
目の前にある勝負下着の袋が巨大化したみたいに、ほかの物が何も視界に映らない。
そっと、周囲を見渡す。
当たり前だが、部屋の中には誰もいない。
その、誰もいないことを確認したかった。
誰もいない。
誰も見ていない。
今しかない。
もし着るなら今が最後のチャンス。
後悔してからじゃ遅い。
ガッカリされたら取り返しが付かない
誰にもバレない。
一番キレイになれるもの。
そんな言葉が次々と頭に浮かんでは流れていく。
おそるおそる、何かに導かれるように、キャリーケースから勝負下着の袋を手に取る。
かさっ、という小さな袋の音が、やけに響いた。
そのまま、そっと扉に近づく。
静かに、そうっと、慎重に、音がしないように。
部屋の鍵とチェーンをかける。
静かにドアノブを回して、絶対に開かないことを確認する。
広縁に向かい、窓の鍵を確認して、開かない事を確かめる。
更にカーテンを閉める。ついでに障子も閉めて、完全に部屋を閉じる。
更に更に、念のため、奥の部屋へ。襖も閉める。
自分以外に誰もいない、絶対誰にも見られない安全圏をつくる。
そこまでやってきて、そっと、勝負下着の袋を開いた。
「……いや、そういうんじゃないから。いや全然アレちゃうし」
何故か少し震えた声。
浴衣の帯を取りながら、誰にも聞こえない独り言が漏れる。
「別にな、期待しとるとか、そんなんちゃうねんから」
浴衣を脱いで布団に落とす。
デパートで買った、何の変哲もない下着を身に着けた、自分の身体に目を向ける。
なんとなく……色気も素っ気もないような気がする。
「ただな……その、困るやん」
さっきお風呂上がりに着たばかりの下着を脱ぎながら、独り言が続く。
「デク君も男の子なんやし、その……」
一糸まとわぬ姿になってから、勝負下着を手に取った。
何故か顔が茹だっていくのが、自分でも分かる。
「もしかしたらやけど、その……何がっていうと……えーと……その、何だろ……いや、困ること、あるやん」
おそるおそる、ショーツをあてがい、腰の横で紐を結ぶ。
手が震えて、うまく紐が結べない。
「も、もし、その…………そう! チラッと! チラッと、見えたりとか……そしたら、困るやん……うん! うん、うん、うん!」
手だけじゃなく声も震える。
紐が細い。本当にこれで良かったんだろうか。
「そうや、浴衣やもん。隙間から見えることもあるやん。なんか、チラ見えしとるような、そんな人いっぱい居るやん。湯上りの、なんや、自販機の前とか。だら~っとはだけて、下着見えとるようなオバちゃんとかおるやん。あー恥ずかしい。嫌やホンマ」
ブラに手を通す。手を後ろに回して、頑張って蝶結びを作る。
ホックじゃなくて紐で結ぶタイプだから難しい。
このやり方で合ってるんだろうか。
ズレを整え、手を下ろすと、レースがふわっと腰になびいた。
「チラッとでも、見えたときに……が、がっかりされたら……困るやん」
胸元から下、純白のレースがかけられた自分の身体を見ながら、何かとても悪いことをしているような気になってきた。
「いや、本当にちゃうよ? み、見せたいわけじゃないから。全然違うから。逆やで。チラッと見えたときに困るから、こうしとるんやで。期待とかそんなんちゃうし。ほんとちゃんちゃら可笑しいわ」
私はなぜ独り言などブツブツ呟いているのか。
なんでこんなに勝手に口が回るんだろう。
急いで浴衣を羽織る。
首元から足先まで、一分も隙間が無いように、しっかり合わせて。
絶対に見えないように。
「そうやて。これは、万が一、チラッと見えた時のためや。落ち着け私。チラ見えは完全には防げないから、仕方ないんや」
帯を締め、深呼吸。
心臓がバクバクしている。
緊張しすぎて、深呼吸した息が震えてる。
「万が一があるから、仕方ないんよ。備えあれば嬉し泣き、っていうやん。あれ違ったっけ? まあええか。とにかく、万が一、チラッと見えたときのためやから」
何かが間違っている気もするが、多分気のせいだ。
深呼吸を繰り返す。
吐く息が震えている。
ダメだ、まだ落ち着けない。
「そもそも、見せるつもりなんて無いし。期待とかしてないし。そんなんちゃうし」
そうだ、絶対に見られてはいけない。
こんな、えっちな下着を着ているところを見られたら、恥ずかしくて死んでしまう。
呼吸を整えながら、脱いだ下着をまとめて、キャリーケースに入れる。
行く前に忘れ物は、と部屋を見渡し、クローゼットから、茶羽織を取り出す。
生地の厚いそれを羽織ると、衣類が増えたせいか、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「……大丈夫、落ち着いた。うん、私は大丈夫」
まだ心臓が凄い動きをしている。
なんでこんなに緊張するんだろう。
ご飯を食べるだけ。
ちょっとお喋りして、それだけ。
デク君が私に乱暴なんて、するはずがない。
私にそんな勇気なんかあるわけない。
何も緊張する事はない。
意識するから、緊張するんだ。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
「……よし、ご飯食べよう」
電気を消し、部屋を出る。
扉を閉めるとき、ふと室内が目に入った。
誰もいない空気の冷たさと、明りの無い暗闇だけが、そこにあった。
何もおかしなことはない、至極当たり前のこと。
なのに、なぜか。
一抹の寂しさが、胸に残った。
―――― to be continued