俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します 作:パラレル・ゲーマー
決戦の日。東京の上空は、不自然なほどに分厚い灰色の雲で覆われていた。陽の光を遮断し、街全体を薄暗い帳の下に閉じ込めるかのような重苦しい空。だが、それは自然の気まぐれなどではない。ヤタガラスの術師部隊が、敵の拠点一帯を封鎖し、一般市民の目から隔離するために張り巡らせた、巨大な認識阻害結界の影響だった。
場所は、かつての大規模再開発地区跡地。今は廃墟と化した巨大な地下商業施設。その深部に、桐生と「鬼の手」は潜んでいる。
地上には、ヤタガラス、SAT-G、そして退魔師協会の精鋭たちが、静まり返ったアリの群れのように集結していた。黒い戦闘服、祓い清められた白装束、現代的な特殊装備と古式ゆかしい呪具が混在する異様な光景。だが、全員の目に宿る色は共通している。死をも厭わぬ覚悟。
佐藤健司もまた、その最前列にいた。身軽なトレーニングウェアに古刀を背負い、いつものように淡々とした表情で立っている。だが、その内側では魔力回路が最高出力で回転し、全身の感覚は研ぎ澄まされていた。隣にはニコラス・ケイジが愛用の拳銃を確認し、弥彦は無言で数珠を繰っている。
『……始まるぞ、猿』
脳内に、魔導書の低い声が響く。
『この空気。ただならぬ魔力が、地下深くでとぐろを巻いている。……奴ら、ただ待ち構えているだけではないぞ』
「ああ。罠だろうな」
健司は小さく呟いた。
「だが行くしかない。……あの中央の空間を制圧しない限り、東京が吹き飛ぶ」
正面には、地下への入り口である巨大な鉄の扉が、黒い口を開けて待ち構えていた。
インカムから、橘の声が全隊員に届く。
『これより、オペレーション・ラグナロク・ファイナルフェーズを開始する。目的は二つ。桐生の確保および「鬼の手」による蘇生儀式の阻止。……全員、生きて帰還せよ』
その言葉を合図に、デジタルカウンターのカウントダウンが始まった。
10 9 8 7 6 5 4 3 2 1……。
「―――0(ゼロ)! 総員突入ッ!!!!」
仙道の野太い咆哮と共に、SAT-Gの突撃隊が先陣を切って飛び込んだ。それに続き、弥彦率いる退魔師たちが結界を破壊する術式を放ちながら雪崩れ込む。健司もまた、【身体強化】を発動させ、一陣の風となって暗闇の中へと駆けた。
広大な地下エントランスホール。無数の鉄骨が剥き出しになり、瓦礫が散乱する荒廃した空間。そこに数百名の連合軍が、一気に展開する。敵の迎撃はない。静かすぎる。
(……おかしい)
健司の【予測予知】が警報を鳴らした。
(何かが来る……いや、既に発動している!)
その瞬間、空間が鳴動した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴオオオォォォォォッ!!!!!
地下全体を揺るがす地響き。天井が、壁が、床が、ありえない角度で歪み始める。コンクリートが泥のように溶け、鉄骨が飴のようにねじ曲がる。
そして、地の底から響き渡るような荘厳で、しかし狂気を孕んだ声が聞こえた。
『―――我が内なる宇宙(コスモス)よ、顕現せよ。【世界創造(ワールド・クリエイト)】』
パリンッ!!!!!
何かが割れるような澄んだ音が響いた直後。
健司たちの視界が、一瞬にして反転した。
上下左右の感覚が消滅する。重力が乱れ、空間が無限に引き伸ばされる。目の前にあったはずの柱が遥か彼方に遠ざかり、床だったはずの場所が天井へと変貌する。
それは、もはや地下施設ではない。
エッシャーの騙し絵のような終わりなき迷宮。無数の階段が空中で交差し、扉が宙に浮き、廊下が無限にループする異界の光景だった。
「うわあああああッ!?」
「なんだここは!? 壁が……!」
「総員、持ち場を離れるな! ……ぐわっ!?」
悲鳴と怒号が入り混じる。
空間の変質に伴い、突入した隊員たちは強制的に「配置転換」させられていた。足元の床が唐突に消滅し、別の空間へと滑り落ちていく者。伸びてきた壁に分断され、孤立する者。数百名の軍勢は、一瞬にしてバラバラに引き裂かれた。
健司もまた、例外ではなかった。
「―――くっ!」
彼の立っていた床が意思を持ったかのように垂直に立ち上がり、彼を奈落へと放り出した。
彼は空中で体勢を整えようとするが、重力が滅茶苦茶だ。上が下か、下が上かもわからない。
『猿! 【結界足場】だ!』
魔導書の叫びで我に返る。
健司は即座に足元に結界を作り出し、それを蹴って宙に浮いた。
【空中浮遊】で体勢を制御し、近くの足場と思われる空中に浮遊する瓦礫の上に降り立つ。
周囲を見渡す。
先ほどまでの仲間たちの姿は一人も見当たらない。無機質なコンクリートの迷路が、無限に続いているだけだ。
「……なんてこった。部隊ごと分断されたか」
健司は息を吐き出し、油断なく周囲を警戒する。
「おい、魔導書。これは一体……? まさか幻術か?」
『……いや、これは現実だ』
魔導書の声は、深刻さを帯びていた。
『空間そのものを書き換え、新たな法則を持つ領域を作り出している。……Tier 1クラス……いや、下手すればTier 0に近い領域の【世界創造(ワールド・クリエイト)】系の術師だ』
「世界創造……!?」
健司は息を呑む。
空間を操るどころか、新たな空間を「創る」能力。神の所業に近い。
『だが安心しろ。この規模と複雑さだ。維持には莫大な魔力が必要になる』
魔導書は冷静に分析を続ける。
『術者が生身の人間なら、数分で脳が焼き切れるレベルだ。おそらく奴らが呪物を使って無理やり蘇生させた、過去の「大魔導師」クラスの亡霊だろうが……。完全な状態ではないはずだ』
『術式に粗がある。ここは無限の宇宙ではない。既存のアジトの構造をベースに、空間を継ぎ接ぎして拡張しただけの、いわばハリボテの迷宮だ。……長くは持たん』
『奴らの狙いは「時間稼ぎ」だ。儀式の準備が整うまでの間、我々をここで釘付けにし、各個撃破するつもりだろう』
「時間稼ぎか……」
健司は頷いた。
「なら、のんびり迷路解きをしてる暇はないな。最短ルートで、あの中央に行くだけだ」
彼の視線の先、遥か上空――迷宮の天井にあたる部分に、赤黒い光の渦が見える。おそらくあそこが術式の中心、桐生がいる場所だ。
「総員に告ぐ! 俺は無事だ! 各自、生存を最優先に! 目標を排除し、中央へ向かえ!」
インカムに向かって叫ぶが、返答はない。通信も遮断されているようだ。
「……まあ、やることは変わらん」
健司は【霊眼】を発動させる。因果の糸を手繰り寄せ、この迷宮の「正解ルート」を探そうとした、その時。
カツン、カツン、カツン……。
迷宮の静寂を破り、乾いた足音が響いてきた。
健司の前方、宙に浮く階段の向こう側から、一人の人影がゆっくりと歩いてくる。
それは予想外の人物だった。
金髪に派手なピンクのメッシュを入れた腰まで届くロングヘア。制服を着崩したルーズなスタイルに、派手なメイクとアクセサリー。どこにでもいそうな典型的な現代っ子――「ギャル」だった。
だが、彼女が纏う空気は異常だった。彼女の周囲だけ空間の歪みがさらに激しく渦を巻いている。
そして彼女の背後には、この迷宮の瓦礫が意思を持ったように浮遊し、彼女を守るように旋回していた。
「……誰だ?」
健司は警戒を強め、古刀の柄に手をかける。
突入メンバーに、こんな派手な身なりの少女はいなかったはずだ。
ということは――。
少女は風船ガムをぷぅっと膨らませ、パチンと割ると、気だるげに健司を見下ろした。
「あーあ。まじダリー。こんなとこまで飛んできちゃったしー」
彼女の声は、戦場の緊張感とは無縁の、のんびりとしたものだった。
「ねえお兄さん。ここどこか知らなーい? てか出口どこー?」
健司は【予測予知】を発動させた。
数秒後、彼女がどう動くか。
(……!?)
何も見えない。いや、未来の可能性が多すぎるのだ。彼女の周囲の空間自体が常に変化しているため、予知の「基準点」が定まらない。
厄介だ。
「……ここは敵のアジトだ。民間人が迷い込む場所じゃない」
健司は慎重に答えた。
「悪いが、俺も迷子でね。……そこを通してくれないか?」
少女は小首を傾げた。
「えー? 通すって……アタシ、ここで待機って言われてるんだよねー。桐生センパイに」
桐生。
その名前が出た瞬間、健司の全身から殺気が溢れ出した。
「……敵か」
「敵っていうかー、アタシ別に戦う気ないんだけどー」
少女はネイルを見つめながら、つまらなそうに言う。
「でもさー、ここ通そうとするとセンパイに怒られちゃうし? 給料カットされるし?」
彼女の目が健司を捉える。その瞳の奥には、ギャルの外見とは裏腹の、冷たく無機質な光が宿っていた。
「だからさー。……死んでくれる?」
言葉が終わるか終わらないかのタイミングだった。
彼女が軽く指を振る。
それだけの動作で、頭上の空間が裂けた。
そこから現れたのは、直径数メートルはある巨大なコンクリートの塊――石柱だった。
「潰れてよ♡」
―――ズドオオオオオオオンッ!!!!!
健司の頭上から、隕石のような質量の石柱が落下してきた。
予知はできない。だが、健司の反応速度はすでに超人の域だ。
彼は【身体強化】でバックステップし、紙一重で直撃を避けた。
石柱が、彼がいた場所に突き刺さり、足場ごと粉砕する。
『……座標指定型の【物質創造】系能力者か!』
魔導書が叫ぶ。
『無から有を生み出す希少な能力だ! しかもいきなりあんな質量のものを……! 猿! 気をつけろ、この女、タダモノではないぞ!』
健司は空中に飛び出し、新たな足場に着地した。
「マジかよ……。物質創造なんて都市伝説じゃなかったのか」
彼は冷や汗を流した。重力や斬撃といった「現象」ではなく、「物質」そのものを生み出す能力。それはエネルギー保存の法則すら無視する、神の領域に近い。
少女――敵の幹部候補と思われる彼女は、石柱が外れたことを見ても表情一つ変わらなかった。
「あーあ、外れちゃった。チョロいと思ったのにー」
彼女は再び指を動かす。
「特殊能力とか付与されてない、ただの石なんだけどねー。……ま、物量で攻めるタイプってことでよろ!」
彼女の背後の空間から、次々と新たな石柱が「生み出されて」いく。一本、二本、三本……。
まるで3Dプリンターのように、何もない空間から質量が出現する不気味さ。
『猿!』
魔導書が分析を終える。
『奴の創造物は、魔力でコーティングされてはいるが、本質的にはただの物理的な岩石だ! ……つまり』
「……斬れるってことだな?」
健司はニヤリと笑った。
「……じゃあ、こっちからも行かせてもらうぜ!」
健司は空中を蹴った。
【結界足場】を展開し、三次元的な機動で彼女に迫る。
「うそー、飛んでくるし! キモッ!」
少女は嫌そうな顔をしつつ、手をかざした。
彼女の周囲に浮遊していた瓦礫が、一斉に健司に向かって射出される。
無数の礫の嵐。
健司は、その嵐の中に自ら飛び込んだ。
右手の古刀に手をかける。
刀身に魔力を流し込み、その性質を「斬る」という概念に特化させる。
「―――【接触型斬撃】ッ!」
彼は、迫りくる瓦礫の一つ一つを、正確無比な剣閃で斬り払っていった。
カカカカッ!
コンクリートが豆腐のように両断され、粉塵となって舞い散る。
「えっ、ウソ? あれ全部斬っちゃうの?」
少女が驚きの声を上げる。
健司は止まらない。瓦礫の雨を突破し、一気に間合いを詰める。
「―――悪いが、手加減はできないぞ!」
彼は上空から彼女に向けて、必殺の一撃を振り下ろした。
少女は慌てた様子もなく、頭上に巨大な石柱を出現させ盾にした。
「ガード!」
ギィィィィン!!!!!
健司の刀が石柱に食い込む。
硬い。
確かに、ただのコンクリートではない。魔力によって異常なまでに密度が高められている。
だが。
「……硬いが、切れない強度じゃないッ!」
健司は吼えた。
彼は刀に込める魔力を一気に増幅させた。
「―――断てッ!」
ズバッ!!!!
巨大な石柱が、一刀両断された。
その切断面は、鏡のように滑らかだった。
少女は切られた石柱の間から、目を丸くして健司を見ていた。
「……マジ? 私の作品、壊しちゃうんだ?」
彼女の声には、恐怖よりも好奇心が勝っているようだった。
健司は着地し、彼女と対峙する。
「次は本体だ。……どいてくれ」
だが、少女は笑った。
その笑顔は無邪気で、そして底知れぬほど不気味だった。
「ふーん。強いね、お兄さん。……気に入ったかも」
彼女は両手を広げた。
その周囲の空間が、さらに大きく歪み始める。
「まあ良いや♡ ……じゃあ、サービスしちゃうね」
彼女の指が、五本すべて立てられる。
「―――石柱×5連(ごれん)♡」
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!!!
空間が悲鳴を上げる。
健司の前後左右、そして頭上。五方向の空間から同時に、巨大な石柱の先端が突き出してきた。
それぞれの太さは、先ほどの倍以上。
それは回避不可能な檻となって、健司を圧殺せんと迫る。
『猿ッ! 全方位だ!』
魔導書の警告。
だが、健司は引かなかった。
彼は刀を鞘に納めた。
そして腰を落とし、居合の構えを取る。
逃げる必要はない。
全て斬ればいい。
彼の瞳に、青い魔力の光が宿る。
【身体強化】ランク3。
【予測予知】演算領域最大展開。
「……来いッ!!!!」
次の瞬間、世界は轟音と粉塵に包まれた。
無限の迷宮の片隅で、規格外の質量と神速の斬撃が、真正面から衝突した。