俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します 作:パラレル・ゲーマー
無限に増殖するコンクリートの迷宮。その一角は、もはや原型を留めていなかった。
粉砕された石柱の残骸、切り裂かれた鉄骨、そして至る所に飛び散った鮮血。
それらが、ここで繰り広げられている戦いが、人間の領域を遥かに逸脱したものであることを、雄弁に物語っていた。
「―――あははッ! 斬るねぇ! マジチョー楽しいんだけどッ!!」
金髪のギャルが狂気じみた歓声を上げながら、虚空から無尽蔵に生み出した巨大な石の槌(ハンマー)を振り回す。
その一振りごとに、迷宮の壁が紙細工のように崩れ落ちる。
だが、その破壊の嵐の中心で、佐藤健司は紙一重で舞っていた。
「……くっ……! 笑ってんじゃねえぞ……ッ!」
健司は悪態をつきながら、迫りくる石槌を古刀の腹で受け流し、その勢いを利用して懐に潜り込む。
「【無刃】……接触ッ!」
彼の手刀がギャルの左腕を捉えた。
魔力を帯びた斬撃は、強化された彼女の肉体をやすやすと切断する。
鮮血が噴水のように舞い、彼女の左腕が宙を舞う。
普通ならば、これで決着だ。
だが。
「痛ったーい! 爪割れたじゃん!」
彼女は腕を失った激痛に顔をしかめるどころか、まるで爪が欠けた程度の軽い苛立ちを見せると、失われた肩の断面に右手をかざした。
ボコッボコッ!
肉が沸騰するように盛り上がり、骨が瞬時に形成され、数秒後には、そこには傷一つない新たな左腕が再生していた。
彼女は新しく生えた指を動かし、ニヤリと笑う。
「でもネイルし直しなのはムカつくー!」
お返しとばかりに、彼女の周囲の空間から、無数の鋭利なガラス片が出現し、散弾銃のように健司に襲いかかる。
「チッ……! 再生持ちかよ……! しかもあの速度……!」
健司は【結界足場】を展開し、空中に退避するが、ガラス片の豪雨は止まらない。
数枚が彼の頬と太腿を掠め、肉を抉る。
「ぐ……ッ!」
彼もまた、即座に【再生魔法】を起動する。
傷口が塞がり、新たな皮膚が形成される。
だが、その代償として、一瞬だけ魔力の供給が途切れる、空白の時間(OSクラッシュ)が生じる。
その隙を、彼女は見逃さなかった。
「隙あり~♡」
巨大な鉄球が、上空から健司を圧殺せんと落下してくる。
健司は決断した。
回避は間に合わない。ならば。
彼は自らの左腕を犠牲にした。
鉄球の下敷きになった左腕を、自らの右手刀で即座に切断。
激痛を意志の力でねじ伏せ、噴き出す血を魔力で止血しながら、彼は戦場を脱出する。
「―――!」
切断された左腕が鉄球に押し潰されて、赤い肉塊と化す。
だが、その時には、すでに健司は数メートル先に着地し、失われた左腕を再生し終えていた。
再生と破壊の応酬。
もはや人間同士の戦いではない。
不死の怪物同士が、互いの肉体を削り合う消耗戦。
健司の魔力メモリは限界に近い。脳が焼き切れそうだ。
だが、目の前の少女――彼女もまた涼しい顔をしてはいるが、その創造のペースはわずかに落ち始めていた。
物量で押すタイプの能力者は、魔力の消耗も激しいはずだ。
(ここだ。ここで畳み掛ける!)
健司は全てのバフをかけた。
【身体強化】ランク4。
【予測予知】最大展開。
【霊眼】起動。
彼の視界が、白と黒の世界に反転する。
彼女の周囲に展開される魔力の供給ライン、次に創造されるであろう物体の座標、そして彼女自身の思考のノイズ。
その全てが、光の線となって見える。
「終わりにするぞ……ッ!!!」
健司の姿が掻き消えた。
音速を超えた一撃。
空間そのものを斬り裂く、渾身の【射出型斬撃・斬】。
少女は反応した。
彼女は自らの周囲に、ダイヤモンドよりも硬い絶対防御の障壁を創造する。
だが、健司の斬撃は、その障壁の「分子結合の脆い点」を【霊眼】で見抜き、ピンポイントで貫通していた。
「うそっ……!?」
驚愕に目を見開く少女。
斬撃の余波が、彼女の身体を直撃する。
彼女の両腕が、肩の付け根から消し飛んだ。
轟音と粉塵が晴れる。
迷宮の一角が、完全に崩壊していた。
瓦礫の山の中、両腕を失った少女が、血だまりの中に立っていた。
だが、彼女は倒れていなかった。
そして驚くべきことに……彼女は笑っていた。
「うーん、強いね♡」
彼女は血まみれの両肩をすくめるような仕草をした(肩しか動かせなかったが)。
その声には痛みも敗北感もなく、ただ純粋な称賛と諦めの色が混じっていた。
「ここまでやられちゃあ、アタシの魔力もカツカツだしー。再生するのもメンドいしー」
彼女はぺろりと舌を出した。
「うーん、センパイへの義理は果たしたし、降参!」
そのあまりにあっけない幕切れ。
健司は構えを解くことなく、油断なく彼女を見据えた。
「……降参だと? 罠か?」
「ちがうってばー。もう疑い深いなぁ」
彼女は子供のように頬を膨らませた。
「アタシ、傭兵みたいなモンだし。契約以上のことはしない主義なの。足止めはしたし、アタシの腕2本分の仕事はしたでしょ?」
彼女の瞳には嘘の色はなかった。
いや、正確には「これ以上戦うのは割に合わない」という、徹底した合理主義者の色が浮かんでいた。
この女、本当に降りる気だ。
健司はしばらく彼女を睨みつけていたが、やがて深く息を吐くと、古刀を鞘に納めた。
「……いいだろう。見逃してやる」
彼は背を向けた。
ここでとどめを刺す余力も時間も彼にはない。一刻も早く桐生の元へ行かなければならないのだ。
「ありがとー、お兄さん♡ イケメン!」
背後からの軽薄な声を無視し、健司は【結界足場】を展開し、迷宮の上空へと駆け上がった。
空中移動しながら、彼は脳内の師に話しかける。
顔は険しいままだ。
「おい、魔導書……。気付いてるか」
『ああ。……当然だ、猿』
脳内に響く声もまた、深刻な響きを帯びていた。
『あいつ……全然本気じゃなかったぞ』
「……やっぱりな」
健司は唇を噛んだ。
最後の瞬間。
両腕を失った彼女の体内から、とてつもない魔力の奔流が立ち昇るのを、健司の【霊眼】は確かに捉えていた。
彼女にはまだ奥の手があった。
【物質創造】だけではない。おそらく、生物を生み出す【生命創造】や、空間そのものを変質させる、より上位の創造魔法を。
それを使わず、あっさりと引いた。
それが意味することは一つ。
彼女にとってこの戦いは、「遊び」でしかなかったのだ。
「……底知れねえな、この組織は」
「だが行くしかない」
健司はスピードを上げた。
目指すは迷宮の最奥。赤黒い光が渦巻くあの一点。
瓦礫の山と化した戦場に、一人の少女が取り残されていた。
彼女は口笛を吹きながら、失った両腕の断面に意識を集中させる。
ブシュウゥゥゥッ!
蒸気のような音と共に肉が再生し、数秒後には傷一つない白い腕が蘇っていた。
「うーん、さてと。……マニュキュア塗り直しだなぁ。ダリー」
彼女は再生した手で耳元のインカムに触れた。
この迷宮の結界すらも通じさせる、彼女独自の【通信機創造】による特殊回線だ。
「あっ、もしもし? 総長~!」
スピーカーの向こうからは、低い、しかし威厳のある男の声が応答した。
『……状況はどうだ、アリス』
「あー、それがねー。桐生センパイの企み、失敗するかも?」
彼女――アリスは、あっけらかんと言った。
『……仕留めなかったのか?』
男の声に、わずかな非難の色が混じる。
Tier 1の創造能力者である彼女が、たかが一人の侵入者如きに手こずるとは、男には想定外だったのだろう。
「えー? だって相当強いですよ、あのお兄さん」
アリスは自分の爪を光にかざしながら、心底楽しそうに言った。
「斬撃に再生に予知でしょ? それになんか最後の方、変なオーラ出てたし。……あれとマジでやり合うなら、アタシも『工房』ごと展開しないと無理だよ。……貰ったお金に見合ってませんし!」
彼女の論理は、どこまでもドライだった。
ビジネス。それが彼女の行動原理。
『……まあいい』
男はため息交じりに言った。
『深入りはするなと言ってある。……契約終了だ。では帰還しろ』
「はーい♡ りょーかい!」
アリスはインカムを切った。
そして彼女は、何もない虚空に指を走らせた。
彼女の指先から光の粒子が溢れ出し、空間に複雑な紋様を描く。
【ゲート創造】。
無から有を生み出す彼女の力は、物質だけに留まらない。
「移動」という機能を持った特殊な「扉」すらも創り出すことができる。
光の扉が空間に浮かび上がる。
アジトの外、遠く離れた安全圏へと繋がる出口だ。
彼女はそのゲートに足をかけた。
だが、ふと何かを思い出したように足を止めた。
彼女は振り返り、健司が消えていった迷宮の上空を見上げた。
彼女の脳裏に、あの少年の必死な形相が浮かぶ。
圧倒的な力を持っていながら、どこか危うげで、そしてどこまでも真っ直ぐなあの瞳。
彼女のような、生まれた時から完成されていた「天才」にはない、泥臭い「進化」の匂い。
「うーーーん」
アリスは悪戯っぽく笑った。
その笑顔は、先ほどの戦闘中には見せなかった、年相応の少女のような無邪気なものだった。
「……桐生センパイには悪いけど」
彼女は呟いた。
「……アタシ、あの猿君を応援しようかな♡」
彼女はウインクをすると、光のゲートの中へと姿を消した。
彼女が去った後の戦場には、静寂だけが残された。
だが、彼女が残した言葉――気まぐれな「応援」が、やがてこの戦いの結末を左右する、小さな、しかし決定的な「バグ」となることを、まだ誰も知らなかった。
迷宮の奥深く。
そこでは、人類の運命を賭けた最後の儀式が始まろうとしていた。