俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します   作:パラレル・ゲーマー

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第110話 猿と神と絶望の祭壇

 地下深くに広がる広大で無機質な空間、「大空洞」。

 かつてこの国の地下開発の夢の跡地と呼ばれた場所は、今、人類の歴史を終わらせる儀式の祭壇へと変貌を遂げていた。

 

 空間の中央には、直径五十メートルにも及ぶ真紅の魔法陣が展開され、その中心から天を突くように立ち昇る赤黒い光の柱が、この世界の法則そのものを侵食するように脈動している。

 その禍々しい輝きの下、宙に浮遊する能面の男――桐生は、まるで自らの玉座でくつろぐ王のように静かに瞑想していた。

 

 彼の周囲を衛星のように旋回しているのは、京都で強奪された十数点の特級呪物たちだ。

 呪われた仮面が泣き叫び、血塗られた槍が震え、怨念の詰まった壺が不快な共鳴音を奏でる。

 それぞれの呪物が放つ、濃密で吐き気を催すほどの瘴気が桐生の肉体へと絶え間なく流れ込み、彼を人ならざるモノ、あるいは新たな「神」へと昇華させていく。

 

「……遅かったな、ヤタガラス」

 

 桐生の口から発せられた声は、もはや個人の声帯から出る音ではなかった。

 それは数千、数万の亡霊たちが一つの喉を使って同時に怨嗟を吐き出しているような、重層的で聞く者の魂を直接削り取るような響きを持っていた。

 

 彼はゆっくりと目を開けた。

 能面の奥の双眸は黒く塗りつぶされ、ただ一点、深紅の輝きだけを宿している。

 彼は眼下に集結した満身創痍の健司たちを見下ろした。

 その視線には敵意すらなく、ただ絶対的な強者だけが持つ冷淡な憐憫だけが浮かんでいた。

 

「儀式は最終段階だ」

 

 桐生は自らの左腕を――かつて人間の腕だった異形に膨れ上がり、血管が脈動する紫紺の「鬼の手」を掲げた。

 

「鬼の手、数多の呪物、そしてこの東京という巨大都市の地下に眠る膨大な霊脈。……その全てが、今、私の『器』を満たそうとしている」

 

 ズウウウウウ……ン。

 

 彼の言葉に呼応するように空間全体が重苦しく鳴動した。

 ただ魔力を解放しただけで大気の密度が変わり、重力さえもが歪んでいく。

 

「ふざけるなッ!」

 

 SAT-G部隊長・仙道が、腹の底からの咆哮を上げた。

 その全身からは、限界まで高められたTier 1の闘気が湯気のように立ち上っている。

 彼の後ろには、生き残った数名の隊員たちが、恐怖に震える足を必死に踏ん張り、銃火器を構えている。

 

「神だか悪魔だか知らんが、ここで終わらせるぞ!」

 

 仙道の合図と共に、日本が誇る対能力者戦闘のプロフェッショナルたちが一斉に動き出した。

 彼らは自らの生命力を弾丸に込め、魔術障壁を貫通する特殊弾頭を嵐のように桐生へと撃ち込んだ。

 

 同時に、退魔師協会のエース・凛が地を蹴る。

 彼女の手にする霊剣は白銀の輝きを極限まで高め、空間すら断ち切る一閃を放つ。

 弥彦もまた懐から無数の呪符を放ち、桐生の周囲の空間を拘束しようと試みる。

 奏はありったけの式神を召喚し、物理的な質量攻撃を仕掛ける。

 

 物理、魔術、霊力。

 ありとあらゆる属性の必殺の攻撃が桐生という一点に集中した。

 その破壊エネルギーの総量は、東京の一区画を灰にするのに十分なものだった。

 

 だが。

 

「―――無粋だ」

 

 桐生は、ただ指を一本、軽く振っただけだった。

 

 ドンッ!!!!

 

 凄まじい衝撃音が地下空間に響き渡った。

 だがそれは攻撃が命中した音ではない。

 見えない壁に弾かれ、全ての攻撃が空中で霧散し、その余波が逆に襲いかかってきた音だった。

 

「ぐあああっ!?」

 

 SAT-Gの隊員たちが紙吹雪のように吹き飛んだ。

 彼らが撃ち込んだはずの弾丸は、彼ら自身に跳ね返り、防弾ベストごと肉体を貫通する。

 

「くっ……! なんだ、この障壁は……!?」

 

 凛の斬撃は桐生に届くことすらなく、刀身から火花を散らして弾かれた。

 その反動で、彼女の手首が悲鳴を上げる。

 

「違う! ただの障壁じゃない!」

 

 弥彦が血を吐きながら叫ぶ。

「因果を……ねじ曲げている! 攻撃が『届かなかった』という結果だけを、強制的に確定させているんだ!」

 

「遊びは終わりだ」

 

 桐生が冷徹に告げる。

 

「私の前に立つ者は、等しく『無』へと帰すがいい」

 

 彼の背後、赤黒い光の柱の中から巨大な幻影が立ち上がり始めた。

 それは、伝説に語られる「酒呑童子」そのものの姿。

 天を突くような双角、爛々と輝く眼光、そして世界そのものを呪うかのような圧倒的な瘴気の奔流。

 

 幻影が、その手に握られた金棒を一振りした。

 ただそれだけだった。

 

 物理的な接触はない。

 ただ、圧倒的な「質量」を持った殺意の波紋が空間を伝播しただけだ。

 

 だが、その威力は核爆発の爆風に等しかった。

 

「がはっ……!」

 

 仙道の鋼鉄の肉体が、まるでボロ雑巾のように吹き飛ばされ、コンクリートの壁にめり込む。

 弥彦の展開していた多重結界は、ガラス細工のように砕け散り、奏の式神たちは絶叫と共に消滅した。

 

「K君、逃げろ……!」

 

 崩れ落ちた瓦礫の下、下半身を挟まれたニコラス・ケイジが、口から血の泡を吹きながら叫んだ。

 その目には、絶望の色が濃く滲んでいた。

 

「奴は……もう人間じゃない……『災害』だ……!」

 

 健司は震える膝を両手で押さえつけ、何とかその場に立ち尽くしていた。

 【結界魔法】で作り出した多重障壁の最後の一枚が、パラパラと砕け散る音が聞こえる。

 

 周囲を見渡せば、仲間たちは全員戦闘不能。

 あるいはすでに息絶えているかもしれない。

 

 立っているのは自分一人。

 

 目の前には完成しつつある絶対的な「悪意」と、それを従える「神」。

 

 勝てる気がしない。

 

 【予測予知】をフル稼働させ、あらゆる未来の可能性を探る。

 斬撃、呪文、奇襲、特攻。

 数千、数万のシミュレーションが脳内を駆け巡る。

 

 だがその全ての結末に映し出されるのは、無残に引き裂かれた自分の死体と「THE END」の二文字だけだった。

 

(……くそっ、ここまでかよ……)

 

 絶望が黒いインクのように彼の心を塗りつぶそうとする。

 足が竦む。

 逃げたい。

 今すぐ背を向けて、この地獄から逃げ出したい。

 そんな本能的な恐怖が、彼の理性を侵食していく。

 

「ほう。まだ立つか、猿」

 

 桐生が宙からゆっくりと降りてきた。

 彼が地面に足を着けた瞬間、周囲の空気が凍りついたように重くなる。

 

「貴様のそのしぶとさだけは褒めてやろう。ヤタガラスの秘蔵っ子、『預言者K』」

 

 彼は能面の奥から健司を見据えた。

 

「だが無意味だ。貴様の予知で何が見える? 自身の死か? それともこの国の終わりか?」

 

 桐生は一歩、また一歩と、死刑執行人のように近づいてくる。

 

「私の儀式はあと数分で完了する。東京は呪いの都となり、私はその王となる。……貴様らはその礎となるのだ」

 

 健司は唇を噛み切った。

 鉄の味が口の中に広がる。

 

「……誰が……礎になんかなるかよ……!」

 

 彼は震える声で反論した。

 

「俺たちは……まだ負けてねえ……!」

 

「負けていない?」

 

 桐生は心底愉快そうに笑った。

 

「周りを見ろ。誰も動けん。貴様一人で何ができる?」

 

 彼はゆっくりと鬼の手を伸ばした。

 その異形の掌が、健司の目の前で握りしめられる。

 

「……死ね」

 

 空間が歪んだ。

 

 桐生の意志一つで、健司の周囲の重力が通常の数百倍にまで跳ね上がる。

 見えないプレス機に押し潰されるような圧力。

 骨がきしみ、内臓が悲鳴をあげる。

 

 意識が遠のく。

 視界が狭まっていく。

 

 ここで終わるのか。

 

(いや……嫌だッ!!!!)

 

「―――うるせえッ!!!!」

 

 健司は魂の底から絶叫した。

 

 神の意志? 知るかよ、そんなもん!

 俺は生きる。生きて、こいつをぶん殴る。

 それだけだ。

 

「魔導書ッ! 力を貸せ! 死ぬ気でいくぞッ!」

 

『……フン、致し方あるまい。……心中してやるよ、猿ッ!』

 

 健司は自らの魂の最深部、あの「扉」を蹴り破った。

 

【呪印】解放。

 

 かつて自らを飲み込みかけた、あの狂気の力を、今度は自らの意志で全て引き出す。

 

 ドオオオオオオォォォォォンッ!!!!!

 

 健司の身体から漆黒のオーラが噴水のように噴き上がった。

 その圧力は、桐生の重力干渉すらも押し返す。

 

 彼の筋肉が異常なまでに膨張し、皮膚の下で黒い紋様が荒れ狂う龍のように駆け巡る。

 瞳は白目を剥き、紅蓮の炎が宿る。

 

 ランク5。

 理論上の限界を超えた、自壊必至の禁断領域。

 

「オオオオオオオオオオオッ!!!!!」

 

 咆哮と共に、健司が床を蹴った。

 地面が爆発し、彼の姿が掻き消える。

 

 桐生の動体視力をもってしても、その動きは黒い線にしか見えない。

 

「なにッ!?」

 

 桐生が反応する間もなく、健司の拳が彼の腹部にめり込んだ。

 

『無刃』最終奥義・特攻。

 

 ガシャァァァァァァッ!!!!!

 

 衝撃波が大空洞を揺るがす。

 

 桐生の障壁が紙のように引き裂かれた。

 彼自身もまた数百メートル後方へ吹き飛ばされ、瓦礫の山に激突する。

 

「……馬鹿な……! 人の身で……この出力だと……!?」

 

 桐生は瓦礫の中からよろよろと立ち上がった。

 能面が半分砕け、その下の素顔――端正だが、今は苦痛と驚愕に歪んだ若者の顔――が露わになる。

 口からは黒い血が溢れている。

 

 だが、健司も無事ではなかった。

 

 一撃を放った右腕は反動でズタズタに裂け、白い骨が見えている。

 全身の毛細血管が破裂し、血の霧となって噴き出している。

 

 それでも彼は止まらなかった。

 

 壊れた腕を【再生魔法】で無理やり繋ぎ止める。

 脳が焼き切れるほどの魔力を消費し、さらに寿命そのものを代償にして。

 

「まだだ……! まだ終わらせねえ!」

 

「……ふん、認めよう」

 

 桐生は鬼の手で口元の血を拭った。

 

「貴様は強い。……だが神の肉体には届かんよ」

 

 彼は鬼の手に全ての魔力を集中させた。

 

 彼の背後の酒呑童子の幻影が、咆哮と共に健司に襲いかかる。

 

 二つの怪物が激突した。

 

 健司の黒い拳と鬼の爪。

 

 衝撃のたびに空間に亀裂が入り、現世と幽世の境界が曖昧になっていく。

 

 互角。

 

 いや、徐々に健司が押されていた。

 

 桐生の力は、無限に近い霊脈から供給されているのに対し、健司の力は自らの命を削って捻出している有限のものだ。

 

 一撃交わすごとに、健司の肉体が崩壊していく。

 

(……動け……! 動けよ、俺の身体……!)

 

 健司の意識が明滅する。

 視界が白く染まっていく。

 

 もう限界だ。

 次の一撃で確実に砕け散る。

 

「さようならだ、K」

 

 桐生がとどめの一撃を振り上げる。

 鬼の手が健司の心臓を掴み潰そうと迫る。

 

 誰もが目を覆った。

 

 終わりだ。

 日本は終わる。

 

 その瞬間だった。

 

 ―――ピキッ。

 

 戦場の喧騒を切り裂くように、小さく、しかし決定的な「異音」が響いた。

 

「……ん?」

 

 桐生の動きが一瞬止まった。

 

 彼の周囲を展開していた絶対防御の空間障壁。

 その「座標」の数値に、不可解なエラーが発生したのだ。

 

 それは彼自身も気づいていなかった。

 

 あの時、あのギャルの能力者・アリスが撤退するフリをして仕込んでいった、時限式の「バグ」。

 

「……桐生センパイには悪いけど、応援しようかな♡」

 

 あの一言と共に、彼の構築した完璧な迷宮のプログラム、その最も基礎となる部分に、小さな、しかし致命的な「ほころび」が生まれていたのだ。

 

(……今だッ!!!!)

 

 健司の薄れゆく意識の中で、魔導書が叫んだ。

 

 それはこの絶望的な戦局を覆す、たった一度きりの奇跡の勝機だった。

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