俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します   作:パラレル・ゲーマー

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第23話 猿と概念と斬撃魔法

 佐藤健司の新しい日常は、静かな狂気とでも言うべき、奇妙なバランスの上に成り立っていた。

 日中は、世間が彼に与えた「預言者K」という名の神輿に乗り、テレビ局の人間と次の番組の打ち合わせをしたり、X(旧Twitter)で当たり障りのない神託を呟いて信者たちの信仰心を維持したりする。その裏では、孤独にモニターと向き合い、もはや作業と化したデイトレードで、無感情に資産という名の数字を増やしていく。

 そして夜。全ての仮面を剥ぎ取り、ただの「猿」へと戻った彼は、この広すぎるマンションの一室で、忌々しい恩師である魔導書による地獄の個人授業を受けるのだ。

 

 その日の夜も、健司はリビングの床に散らかった大量の紙の残骸の中心で、膝を抱えていた。

 それは、彼がこの三日間ひたすらに挑み続けた、あまりに不毛な挑戦の惨憺たる結果だった。

 

「…………」

 

 健司は、虚無の表情で自らの右手を見つめた。人差し指と中指。いわゆるピースサイン。魔導書が言うところの「手ハサミ」。

 彼の目の前には、最後の一枚となったA4のコピー用紙が、ひらりと置かれている。

 

(……切れる、切れる、切れる……。俺の指は、刃物だ……)

 

 彼は、もはや数え切れないほどその自己暗示を繰り返していた。

 だが、結果は同じだった。

 彼の指が紙に触れた瞬間に、そこに生まれるのは鋭い断絶ではない。ただ、情けない抵抗だけ。紙はふにゃりと歪む。彼の指は、ただの肉と骨の塊のまま。

 

「……はぁ……」

 深い、深い溜息が彼の口から漏れた。

 三日間。

 来る日も来る日も、彼はこの狂気の沙汰としか思えない訓練を続けていた。

 だが、成果はゼロ。

 彼の指は、一度たりとも紙一枚切り裂くことはできなかった。

 

『……おい、猿。また溜息か。貴様の吐く息は、二酸化炭素と敗北主義で構成されているのか?』

 脳内に直接響く、魔導書の容赦のない罵倒。

 

「……うるさい。……もう、無理だろ、これ」

 健司は、力なくそう呟いた。

「三日だぞ。三日、やったんだぞ。……才能、ないんだよ、俺には。予知はたまたま上手くいっただけなんだ。……こんな攻撃的な魔法は、向いてないんだ……」

 

 弱音が、堰を切ったように溢れ出す。

 もはや、彼の精神は限界だった。

 予知のように、明確なフィードバックがあるわけでもない。

 ただひたすらに、「できない」という事実だけを突きつけられる。

 それは、彼の心をヤスリで削るように摩耗させていった。

 

『……才能だと?』

 魔導書は、心底呆れたように言った。

『……貴様は、まだそんな猿レベルの言い訳をするのか。いいか、魔法の世界に才能などという便利な言葉は存在しない。あるのはただ、「やるか、やらんか」、それだけだ』

 

「……やったよ! 三日間、ずっとやっただろうが!」

 健司は叫んだ。

 

『……ふん。ならば聞こう。貴様は、この三日間、何を考えていた?』

 

「何をって……。『切れろ』って……。俺の指は刃物だって……」

 

『……それだけか?』

 魔導書のの声が、少しだけ低くなる。

『……やはり、猿は猿だな。……思考が浅い』

 

「……何が言いたいんだよ」

 

『ヒントをくれてやる。……貴様は、「手」を「ハサミ」に「変えよう」としている。……そのアプローチが、そもそも間違っているとしたら?』

 

「……は?」

 健司は、意味が分からなかった。

 手でハサミを作り、それを本物のハサミだと思い込む。

 それが、魔導書の最初の教えだったはずだ。

 

『……まあいい。猿の脳みそで考えても、答えなど出るまい。……少し休憩だ。茶でも飲め』

 魔導書は、唐突にそう言った。

 健司は拍子抜けしながらも、その意外な優しさに甘えることにした。

 彼はよろよろと立ち上がると、キッチンで電気ケトルに水を入れた。

 

 スイッチを入れ、湯が沸くのを待つ。

 その数分間。

 健司は、ぼんやりとリビングの惨状を眺めていた。

 散らかった紙の山。

 その光景を見ているうちに、彼の脳裏にふと、ある記憶が蘇った。

 

(……そういや、最初、ハサミで切ったな……)

 

 訓練の一番最初に、魔導書に言われてやったこと。

 本物のハサミで、紙を切る。

 あの時の感触。

 ジョキリ、という乾いた音。

 刃が紙の繊維を断ち切っていく、あの抵抗感と、そしてそれを超える快感。

 あの時、俺は「ハサミ」を「使って」いた。

 当たり前のことだ。

 

 ……ん?

 待てよ。

「ハサミを使って」いた……?

 自分の「手が」「ハサミに」「なった」わけじゃない。

 俺という存在が、「ハサミ」という「道具」を「持っていた」。

 

 その思考が脳裏をよぎった瞬間、健司の頭の中で何かが閃いた。

 まるで、暗闇に一条の光が差し込んだかのようだった。

 

『……ほう?』

 魔導書の声が聞こえる。

『……猿の脳みそにも、ようやく火が灯ったか』

 

 健司は、沸騰したケトルのスイッチが切れる音も耳に入らないまま、リビングへと戻った。

 彼は再び床に座り込み、最後の一枚となったコピー用紙と向き合った。

 そして、彼は右手の指でチョキの形を作った。

 

 だが、彼の意識はもはやこれまでとは全く違っていた。

 

(……俺の「手」が、「ハサミ」に「なる」んじゃない……)

 

(……俺は今、「ハサミ」を「持って」いるんだ……)

 

(……この世界には存在しない。俺の意識の中だけに存在する、透明な「概念」としてのハサミを。俺は今、確かにこの手に握っている……)

 

 彼は、目を閉じた。

 そして、イメージする。

 彼の右手にオーバーラップするように存在する、一丁のハサミ。

 それは、彼が最初に使ったあの事務用のハサミだ。

 プラスチックのグリップの感触。

 金属の刃の冷たさ。

 その重み、質感、全てを彼はありありと思い浮かべた。

 

(俺が持っているのは、「手ハサミ」じゃない。「ハサミ」そのものだ)

 

 その絶対的な認識の転換。

 それが、引き金だった。

 

 健司は、カッと目を見開いた。

 そして、その「ハサミ」を握った右手を、迷いなく紙の上を滑らせた。

 

 ――スッ。

 

 音がした。

 いや、音はしなかったのかもしれない。

 ただ、健司の目にははっきりと見えた。

 彼の指が通り過ぎた後のコピー用紙が、まるでそこに最初から切れ目があったかのように、綺麗に二つに分かれていく光景が。

 

「…………うーん……」

 健司の口から、呻き声が漏れた。

 

「…………おっ」

 

「…………切れた……!」

 

 彼は、信じられないというように二つに分かれた紙の切れ端を手に取った。

 その断面は、まるで鋭利なカッターで切り裂いたかのように滑らかだった。

 三日間、何をしてもびくともしなかった紙。

 それが、今、確かに切れている。

 

『――猿! ……早いな!』

 

 脳内に響いた魔導書の声。

 その声には、健司が初めて聞く、純粋な驚愕の色が混じっていた。

 

「……うん」

 健司は、まだ夢見心地のまま頷いた。

 

「『手ハサミ』で切るのは諦めた。……だから、俺が『ハサミを持っている』物だと認識することにしたんだ」

 彼は、自分の発見を興奮気味に語った。

「だから、切れた。……だって、俺が持ってるのは『手ハサミ』じゃなくて、『ハサミ』だからな」

 

『…………』

 魔導書は、しばらく沈黙した。

 そして、やがてどこか感心したような声で言った。

 

『……うんうん。いいぞ、猿。……発想の転換。……それこそが、魔法の本質だ。「現実」を、自らの「認識」の下に捻じ曲げる。……貴様は無意識のうちに、その極意の一端を掴み取った。……素晴らしい』

 

 その手放しの称賛。

 健司は少しだけ照れくさかったが、それ以上に確かな達成感が彼の胸を満たしていた。

 

『……とにかく、一回切れたということは……お前の脳は、「切断」という成功体験を記録したということだ』

 魔導書は、すぐにいつもの教師の口調に戻った。

『……こんどはこうだ。その「ハサミ」のイメージを捨てろ』

 

「……は?」

 

『捨てて、ただ指先で紙に触れろ。そして、「切れろ」と念じろ。……触れるだけで、切れ』

 

 健司は戸惑った。

 せっかく掴んだ感覚を、捨てろと?

 だが、彼は黙って魔導書の指示に従った。

 彼は二つに分かれた紙の片方を手に取り、その断面に人差し指の先をそっと触れさせた。

 そして、心の中で強く念じる。

 

(――切れろ!)

 

 ――スッ。

 

 再び、音がした(ような気がした)。

 健司の指が触れた一点から、紙は音もなく裂けていった。

 

「…………うん」

 

「…………おっ」

 

「……切れた……」

 

『よしよし!』

 魔導書が、満足げに声を上げる。

『……触れるものを「切れる」と認識することには成功したな。……このステップは、合格だ!』

 

 その言葉と同時に、健司の全身からどっと力が抜けていった。

 三日間の疲労が、一気に押し寄せてくる。

 だが、その疲労感は心地よかった。

 

『……いいか、猿!』

 魔導書の声が、急に大きくなった。

『……貴様は今この瞬間、ただの「切断」の技術を学んだだけではない! 貴様は、「攻撃魔法」という概念そのものを覚えたのだ!』

 

「……攻撃魔法……?」

 

『そうだ! 「何かを攻撃する」という意志の引き金(トリガー)。その引き方を学んだのだ! これは、予知や身体強化とは全く質の違う、第三の才能! つまり、貴様は今この瞬間、「攻撃魔法」を覚えることに成功したのだッ!!!』

 

 そのあまりに大仰な宣言。

 健司は少しだけ気圧されながらも、自分の指先を見つめた。

 この、何の変哲もない指が、攻撃のための武器になった。

 その事実は、彼の心を少しだけざわつかせた。

 

「……おー。……で、これ、何に使えるの?」

 健司は、最も素朴で、最も現実的な疑問を口にした。

 すると、魔導書は満面の笑み(のような気配)で、こう答えた。

 

『ハサミ代わりになるッ!!!』

 

「…………」

 健司は、沈黙した。

 そして、次の瞬間。

 

「ハサミ使えば良いじゃんッ!!!!」

 彼の魂からのツッコミが、虚しく響き渡った。

 

『猿ッ!』

 魔導書が叱咤する。

『魔法とは、既存の代替可能な物を、あえて魔法に置き換えるという訓練も大事なのだぞ! その一見無駄に見える行為の積み重ねが、お前の魔力の総量を増大させるのだ!』

 

「へーへー。分かったよ」

 健司は、もはや反論するのも馬鹿らしくなり、話を先に進めることにした。

「で、斬撃魔法とやらを学んだけど、次はどうするの?」

 

『うむ。よくぞ聞いた』

 魔導書は、満足げに頷いた。

 

『次は、難しいぞ』

 

「……だろうな」

 

『遠距離から、斬撃を飛ばすんだ』

 

「……飛ばす?」

 

『そうだ。いつまでも、触れて斬るなどというチンケな真似をしていてどうする。そんな、触れて斬るだけの斬撃は弱すぎて、全く使えん。出力も、どうせハサミ程度だろうしな。ヤタガラスの連中と渡り合うには、それなりの武器が必要だ』

 

 健司は、ゴクリと喉を鳴らした。

 話が、急に実戦的になってきた。

 

『これからの訓練は、二段階だ』

 魔導書は、具体的な訓練メニューを提示し始めた。

 

『まず第一段階。「威力」の向上だ。いつまでもハサミのイメージでは話にならん。これからは、ハサミではなく、カッターナイフ、包丁、日本刀、果ては工業用の切断機やレーザーカッターをイメージしろ。そして、紙ではなく、もっと硬いものを切る訓練をする。段ボール、ペットボトル、木材……。最終的には、鉄板を豆腐のように切れるようになってもらう。そうやって、どんどん裁断できる物の幅と硬さを増やしていくんだ』

 

 そのあまりに物騒な訓練内容に、健司は少しだけ引いた。

 

『そして第二段階。「射程」の確保だ』

 魔導書は続けた。

 

『弱い威力で良いから、まずはその「斬る」という概念そのものを、空間に飛ばすことを覚えるんだ。これは難しいぞ。だが、この「飛ばす」という技術は、今後、炎を飛ばしたり、氷を飛ばしたりといった、全ての射出系魔法の基礎となる重要な技術だ。覚えておいて損はない』

 

『……ただしだ』

 魔導書は、そこで少しだけ歯切れの悪い口調になった。

『……この「斬撃を飛ばす」というのは、数ある射出系魔法の中でも屈指の難易度を誇る。だから、まあ、あまりに出来なければ、先にもっと簡単な他の「飛ばす」魔法を覚えた方が良いかもしれんな』

 

 その弱気な発言。

 それは、逆に健司の心に火をつけた。

 

「……やってやるよ」

 健司は、呟いた。

「斬撃を飛ばすってやつをな」

 

『……ほう? 言うじゃねえか、猿』

 

「お前に『難しい』って言われたら、逆にやってみたくなっただけだ」

 健司は悪態をついた。

 だが、その目には確かな闘志の炎が宿っていた。

 

『……ふん。まあ、いいだろう』

 魔導書は、どこか嬉しそうに言った。

 

『さて。とりあえず、今日のところはそこまでだ。「切断魔法」の第一歩は習得した。……大きな一歩前進だぞ、猿。……今夜は、ゆっくり休め。……明日から、また地獄が始まるからな』

 

 その言葉を最後に、魔導書は沈黙した。

 健司は、一人リビングに残された。

 彼は、自分の指先を見つめる。

 それは、まだ何も変わらない、ただの指だ。

 だが、その指先には今、確かに世界を切り裂く力が宿り始めていた。

 その事実が、彼の心を震わせた。

 それは、恐怖ではなかった。

 武者震いだった。

 彼はこれから、もっと強くなる。

 その確信が、彼の全身を満たしていた。

 彼は、床に散らかった紙の残骸を片付け始めた。

 その顔には、疲労と、そして確かな満足感が浮かんでいた。

 彼の長く、そして果てしない魔法使いとしての道は、今、また新たな一歩を踏み出したのだ。

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