俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します   作:パラレル・ゲーマー

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第25話 猿と漫画喫茶と技名

 佐藤健司の日常は、もはや「日常」という言葉が持つ穏やかな響きからは、かけ離れたものとなっていた。

 表の顔は、テレビという巨大な舞台で人々の心を鷲掴みにするカリスマ預言者「K」。その裏では、ヤタガラスという国家の秘密組織と契約を結び、まだ見ぬ任務に備える見習いエージェント。そして夜になれば、忌々しい魔導書の指導のもと、人知を超えた魔法の習得に明け暮れる孤独な修行僧「猿」。

 いくつもの顔を使い分け、いくつもの世界を渡り歩く。その綱渡りのような日々は、彼の精神を確実に摩耗させていたが、同時に、かつての彼が想像すらできなかった高揚感と充実感をもたらしてもいた。

 

 特に、先日の「手相占いロケ」の反響は、凄まじかった。

 放送後、健司のXのアカウントには、「私も過去を見てほしい」という切実なダイレクトメッセージが、一日、数百件単位で殺到するようになった。その一つ一つに、それぞれの人生の喜びと悲しみが詰まっている。彼は、その全てに目を通すことはできなかったが、自分に向けられる人々の期待の重さを、改めて実感していた。

 

 だが、そんな華々しい表舞台とは裏腹に。

 彼の魔法の修行は、今、大きな壁にぶち当たっていた。

 

「……はぁ……」

 

 その日の夜も、健司は、新居の無駄に広いリビングの中心で、深々と溜息をついた。

 彼の視線の先には、数メートル離れた壁際に置かれた、段ボール箱がある。

 中身は、まだ荷解きしていない冬物の衣類だ。

 彼がこの一週間、来る日も来る日も、挑み続けてきた憎き標的。

 

 健司は、右手の人差し指と中指を、ぴんと伸ばす。

 その指先に、意識を集中させる。

 彼の脳内には、もはや鮮明にイメージが浮かんでいた。

 工業用の、レーザーカッター。

 あらゆる物質を、原子レベルで焼き切り、断ち切る究極の刃。

 その概念が、彼の指先に収束していくのを感じる。

 指が熱を帯び、空間がわずかに陽炎のように歪む。

 ここまでは、完璧だ。

 触れたものを切り裂くという、斬撃魔法の第一段階は、もはや完全にマスターしている。

 

 問題は、ここからだ。

「――飛ばす」。

 この、あまりにシンプルで、あまりに難解な第二段階。

 

「……いけ……っ!」

 

 健司は、歯を食いしばり、その指先を鋭く、段ボール箱に向かって振り抜いた。

 彼の意志の力で、「斬る」という概念そのものを、空間に射出する。

 そんな、イメージ。

 

 ――ブンッ。

 

 彼の指先から、何か見えない力の塊が放たれたような感覚は、あった。

 だが、その力は、数センチも進むことなく、虚空に霧散していく。

 数メートル先の段ボール箱は、もちろん、びくともしない。

 そこには、何の変化もなかった。

 

「……くそっ……!」

 健司は、悪態をついた。

 これで、もう何度目の失敗だろうか。

 百回か、千回か。

 もはや、数えるのも馬鹿らしくなるほど、彼はこの虚しい素振りを繰り返していた。

 

『……おい猿。また、無駄な風を起こしているのか』

 脳内に、直接響く魔導書の呆れ果てた声。

 

「……うるさい! ……うーん、斬撃を飛ばすイメージが、全然出来ないんだよな……!」

 健司は、頭を掻きむしった。

 触れて切るという感覚は、もう完全に理解した。

 だが、「飛ばす」という感覚が、どうしても掴めない。

 彼の脳は、そのあまりに非常識な行為を、拒絶しているようだった。

 

『……ふん。まあ、そうだろうな。斬撃の射出は、攻撃魔法の中でも屈指の難易度を誇る。貴様のような猿の脳みそでは、イメージを構築するだけでも一苦労だろう』

 魔導書は、そう言いながらも、その声にはどこか楽しそうな響きがあった。

 

「……じゃあ、どうしろって言うんだよ。何か、他に方法があるのか?」

 

『うむ。あるぞ』

 魔導書は、待ってましたとばかりに言った。

『……しょうがないな。貴様は、どうやら教科書だけでは学べないタイプの猿らしい。……ならば、実践的な参考書を見に行くしかあるまい』

 

「……参考書?」

 

『そうだ。立て、猿。……漫画喫茶に行くぞ!』

 

「……えぇ?」

 健司は、思わず素っ頓狂な声を上げた。

 漫画喫-茶?

 魔法の修行の途中で、いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

 

 健司は、わけが分からないまま、魔導書の指示に従うしかなかった。

 彼は、深夜だというのに、着古したパーカーを羽織り、マスクと帽子で顔を隠すと、マンションを抜け出した。

 煌々と、ネオンが輝く繁華街。

 その一角にある、二十四時間営業の漫画喫茶。

 薄暗い店内。

 独特の、インクと埃の匂い。

 健司は、受付でナイトパックの料金を支払うと、一番奥の、リクライニングシートがある個室ブースへと向かった。

 

 道中、健司は、スマートフォンのLINEで、魔導書にメッセージを送った。

 もちろん、声に出して話すわけにはいかない。

 

「おい、どういうことだよ、一体。なんで漫画喫茶なんだ?」

 

『決まっているだろうが、猿』

 魔導書からの返信は、即座に来た。

『お前のような想像力の欠如した猿に、「斬撃を飛ばす」というイメージを植え付けるためだ』

『いいか、猿。貴様が愛してやまない、その日本の「サブカルチャー」という文化。その中には、斬撃を飛ばすキャラクターなど、山ほどいるだろうが』

 

「……まあ、確かにそうだけど……」

 

『剣士系のキャラクターだと、尚更な。……例えば、『ONE PIECE』のロロノア・ゾロは、刀から斬撃を飛ばせるぞ? 例えば、『呪術廻戦』の両面宿儺は、指先から不可視の斬撃を飛ばせるぞ? 例えば……』

 

 魔導書は、矢継ぎ早に有名漫画のキャラクターの名前を挙げていく。

 その知識量は、もはや健司を遥かに凌駕していた。

 こいつ、いつの間にこんなに詳しくなったんだ。

 

「……いや、でも、それは漫画やアニメの中の話だろ? フィクションじゃん。……現実に、出来るんじゃねーの? って言われても……」

 

『馬鹿か、猿ッ!?』

 魔導書のテキストが、怒りのオーラを放つ。

『貴様が今やっていることこそが、漫画やアニメの出来事、そのものだろうが! 魔法なんて非常識な力が、現実に起きているんだぞ!? 今更、何を言っている!』

 

「……まあ、そうだけどさぁ……」

 健司は、ぐうの音も出なかった。

 確かに、言われてみればその通りだ。

 自分の身に起きていることの方が、よっぽど漫画じみている。

 

 ブースに到着した健司は、ふかふかのリクライニングシートに、深く身体を沈めた。

 そして、魔導書の指示通り、書棚へと向かい、指定された漫画を、ごっそりと抱えて戻ってきた。

『ONE PIECE』、『BLEACH』、『NARUTO』、『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』……。

 日本の少年漫画史を彩る、バトル漫画の金字塔たち。

 

 健司は、その漫画の山を目の前に、呆然としていた。

「……で、これをどうしろって言うんだ?」

 

『読め。そして、学び、盗め』

 魔導書は、簡潔に命じた。

『そのキャラクターたちが、どのように斬撃を飛ばしているのか。その所作、表情、気迫……そして何より、その「飛ばせて当たり前」という絶対的な確信。その全てを、お前の脳に焼き付けるんだ』

 

 健司は、もはや反論する気力もなかった。

 彼は、諦めて、『ONE PIECE』の第一巻を手に取った。

 それは、彼が小学生の頃、夢中で読んだ懐かしい物語だった。

 

 それから、数時間。

 健司は、我を忘れて漫画を読み耽った。

 ルフィの冒険に胸を躍らせ、ゾロの剣技に痺れ、一護の戦いに手に汗を握り、ナルトの成長に涙した。

 それは、もはや修行ではなかった。

 ただの、現実逃避だった。

 だが、その現実逃避こそが、魔導書の狙いだったのだ。

 

 夜が白み始める頃、健司は、数十冊の漫画を読破し、完全に燃え尽きていた。

 彼は、リクライニングシートの上で、ぐったりとしながら呟いた。

 

「……ふーん。……斬撃飛ばし、みんな普通に出来てるなぁ……」

「……俺に、出来ない理由は、なんだ……?」

 

 その呟きを、待っていたかのように、魔導書が口を開いた。

 

『……猿。ようやく、本質に気づいたか』

『そうだ。漫画の中の彼らにとって、斬撃を飛ばすことは、呼吸をするのと同じくらい、当たり前のことだ。……彼らは、それが「できる」という事実を、疑っていない。……だが、お前はどうだ? 心のどこかで、まだ疑っているのではないか? 「本当にできるのか?」と』

 

 健司は、何も言い返せなかった。

 図星だった。

 

『いいか、猿。理解しろ。斬撃は、飛ばせる。それは、この世界の理(ルール)だ。そして、お前に今必要なのは、その理を信じ込ませるための……“ジンクス”だ』

 

「……ジンクス?」

 健司は、聞き返した。

 その言葉を、聞くのは久しぶりだった。

 ソシャゲのリセマラの時に、魔導書が口にしていた言葉。

 

「でも、俺、もうジンクスなしで、予知とか身体強化とか、できるようになってるじゃん。……今更、ジンクス?」

 

『うむ。ジンクスとは、いわば補助輪なのだ』

 魔導書は、諭すように言った。

『魔法を熟達させ、それが当たり前の行為になった時、補助輪は不要になる。だが、新しい魔法を学ぶ時……特に、お前のようにイメージを掴むのが下手な猿にとっては、再び補助輪が必要になるのだ。そして、その補助輪は、魔法を熟達させても、決して無駄にはならない。それは、常にお前の力を安定させるための、重要なアンカーとなる』

 

「……なるほどな」

 

『斬撃飛ばしが出来ないなら、ジンクスの力を使う。……そのためのヒントが、まさに、お前が今読んだ漫画の中にある』

『なあ、猿。漫画のキャラクターは、強力な攻撃をする時、必ず何をする?』

 

 その問いに、健司はすぐに答えが分かった。

「……ああ。……技名を、言うな」

 

『そうだッ!』

 魔導書は、叫んだ。

『「ゴムゴムの、ピストル!」「月牙天衝!」「螺旋丸!」「水の呼吸、壱ノ型、水面斬り!」……。彼らは、自らの技に名前を与え、それを高らかに宣言することで、自らの意志を世界に刻み付けているのだ! あれこそが、究極のジンクス! 自己暗示であり、世界への宣言だ!』

 

 健司は、目から鱗が落ちる思いだった。

 

『だから、お前も技名を付けるんだ、お前の斬撃に。そして、ただ念じるだけでなく、それを声に出して叫ぶ。さらに、手で相手を切るという、明確な「動作」も入れてな!』

『「技名」という音のジンクスと、「動作」という身体のジンクス。この二つの補助輪を使えば、お前の脳も、ようやく「斬撃を飛ばす」という行為を、理解し、実行できるようになるはずだ!』

 

 健司は、興奮していた。

 これなら、いけるかもしれない。

 

『さあ、猿! 漫画を読み続けろ! そして、お前はもはや、ただの読者ではない! お前は、漫画の人物、そのものになりきるんだ!』

『そして、出来ないことこそ、なりきることで、「できる」と認識するんだ! お前はもう、佐藤健司ではない! 世界を救うヒーローであり、最強の剣士なのだ!』

 

 その、あまりに中二病全開の言葉。

 だが、今の健司の心には、その言葉が不思議なほど素直に響いた。

 そうだ。

 魔法なんて、非常識な力を使うのだ。

 頭のネジの一本や二本、外れているくらいがちょうどいい。

 

 健司は、漫画喫茶を出る頃には、完全にその気になっていた。

 彼の足取りは軽く、その目には、根拠のない自信がみなぎっていた。

 

「よし!」

 自分のマンションに帰り着いた健司は、リビングの中心で仁王立ちになった。

『漫画を読み込んだな。よし、家で実験するぞ!』

 魔導書の声が、後押しする。

 

「さて。……まずは、技名を決めようか」

 健司は、腕を組んで真剣に悩み始めた。

 英語の、格好良い名前か。

 それとも、漢字の、厨二病っぽい名前か。

 

「……いや、シンプルが一番だ」

 彼は、決めた。

 

「『斬』。……これで、いこうかな、と」

 

『……まあ、猿の脳みそらしい安直さだが……悪くはない』

 魔導書の、許可が出た。

 

「そして、手で相手を切る動作も入れて……。……よし。それで行こう」

 

 健司は、再び、数メートル先の段ボール箱と向き合った。

 だが、今の彼には、もはや何の恐怖もなかった。

 彼の脳裏には、数々の英雄たちの姿が、焼き付いている。

 彼は、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 そして、自分が漫画の主人公そのものだと、心の底から信じ込んだ。

 

「じゃあ……やるぞ」

 

 健司は、右手を刀のように構えた。

 そして、彼が読み込んだ数々の漫画の記憶を思い出し、自分がそのキャラクターそのものであると、強く、強く認識した。

 

 そして彼は、叫んだ。

 腹の底から、絞り出すような声で。

 

「―――斬ッ!!!!!」

 

 その技名と同時に、彼は右手を鋭く、段ボール箱に向かって振り抜いた。

 手で、相手を切る動作。

 彼の全身全霊が、その一振りに込められる。

 

 その、瞬間だった。

 

 ――ヒュンッ!

 

 彼の指先から、今までとは比較にならないほど、凝縮された密度の高い何かが放たれた。

 それは、目には見えない。

 だが、健司には確かに感じられた。

「斬る」という、純粋な意志の塊。

 それが、空間を切り裂き、一直線に標的へと飛んでいくのを。

 

 ―――スパァァァァァァンッ!!!!

 

 乾いた、破裂音。

 数メートル先の段ボール箱が、まるで爆発したかのように、中身の衣類をぶちまけながら、綺麗に真っ二つに分かれていた。

 だが、斬撃はそこで止まらなかった。

 勢いを殺すことなく、背後のマンションの壁に到達し――。

 

 ―――ガリガリガリガリッ!!!!

 

 コンクリートを抉る凄まじい轟音と共に、壁に深々と、巨大な切り傷が刻み込まれた。

 白い壁紙がめくれ上がり、その下の石膏ボードが粉々に砕け散る。

 長さ一メートル、深さ十センチはあろうかという、無惨な傷跡。

 

「…………」

 健司は、自らが放った一撃の結果を、ただ呆然と見つめていた。

 

「……成功した……!」

 彼の口から、震える声が漏れた。

 

「……だけど、壁が……!!!!」

 

『……壁は、置いておいて!』

 脳内に、魔導書の興奮した声が響き渡る。

『……斬撃を飛ばすことに、成功したではないかッ!!!! 見たか、猿! あれが、お前の力だ!』

 

「でも、壁がッ!!!!!」

 健司の悲鳴が、虚しく響いた。

 このマンション、賃貸だぞ。

 修繕費、いくら取られるんだ。

 彼の喜びは、一瞬で現実的な恐怖に変わっていた。

 

 だが、そんな彼のちっぽけな悩みなど、魔導書には関係ない。

 健司は、ついに手に入れたのだ。

 遠距離から、敵を攻撃するという新たな力を。

 その事実は、彼の今後の運命を大きく左右することになる。

 

 彼は、まだ知らない。

 この不格好で、しかし、あまりに強力な一撃が、やがて彼を神々の戦場へと導く、最初の一歩となることを。

 ただ、彼の目の前には、無惨に切り裂かれた壁と、そして無限の可能性だけが広がっていた。

 彼の戦いは、また一つ、新たなステージへと進んだのだ。

 たとえ、その代償が、高額な修繕費だったとしても。

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