俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します   作:パラレル・ゲーマー

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第72話 少女と蛇口と競馬場

 あの運命の出会いから、数日が過ぎた。

 相田未来の世界は、一変した。いや、正確には、変わるための「扉」の前に、彼女は立っていた。

 Kと名乗った青年、佐藤健司に導かれ、彼女は「ヤタガラス」という組織の存在を知った。それは、おとぎ話でも、陰謀論でもない。この国の裏側で、自分と同じように人知れず力に目覚め、苦しむ者たちを保護し、導くための、現実の組織。

 未来は、迷わなかった。両親に全てを打ち明け、涙ながらに説得し、彼女はその扉を叩くことを決めた。ヤタガラスへの加入。それは、暗闇の中でただ溺れるだけだった彼女にとって、唯一差し伸べられた救命ボートだった。

 

 ヤタガラスでの手続きは、驚くほど事務的だった。秘密組織という物々しい響きとは裏腹に、そこはまるで市役所の一部署のような、静かで、整然とした空気が流れていた。彼女は、いくつかの書類にサインし、簡単なメディカルチェックと、そして能力の精密検査を受けた。

 検査官たちは、彼女が手袋を外して金属の板に触れた瞬間、脳内に流れ込む情報の奔流に顔を歪め、呻き声を上げる彼女の姿を、ただ淡々と、しかしどこか同情的な目で見つめていた。

 数時間後、彼女に正式なIDカードと共に、一つの「分類」が告げられた。

 

「相田未来さん。あなたの脅威レベルは、Tier 4と認定されました。能力特性は、『高精度の未来視・過去視。ただし、トリガー及びフィルタリング制御困難。接触した対象物の情報を、無差別に読み取る』……となります」

 

 それが、彼女の公式な評価。そして、彼女がこれから向き合っていくべき、課題だった。

 そして、その後日。

 未来は、ヤタガラスが用意した、特別な訓練施設の一室にいた。

 そこは、外部の音も、光も、匂いも、完全に遮断された、真っ白な部屋だった。彼女の能力が、余計な情報に惑わされないようにという、配慮なのだろう。

 部屋の中には、小さなテーブルと、二つの椅子。そして、彼女の正面には、あの人が座っていた。

 佐藤健司。

 今日から、彼は彼女の「特別指導官」として、能力制御の訓練を、マンツーマンで行ってくれるのだという。

 

「やあ、相田さん。……いや、未来ちゃん、でいいかな?」

 健司は、テレビで見せるキリッとした「預言者K」の貌ではなく、初めて会った時のような、穏やかで優しい笑みを浮かべていた。

 

「は、はい! 未来で、大丈夫です!」

 未来は、緊張で背筋を伸ばしながら、そう答えた。

 

「そっか。じゃあ、未来ちゃん。今日から、よろしくね」

 健司は、言った。

「早速だけど、まず、君の能力の制御を覚えようか。今は、触れる物すべてを、読み取ってしまうんだよね?」

 

「はい……」

 未来は、俯いた。その言葉だけで、あの情報の奔流の恐怖が蘇り、身体が小さく震える。

 

 健司は、その震えに気づいたのか、さらに優しい声で続けた。

「うん。それは、辛かったね。……でも、大丈夫。その力は、君を苦しめるためのものじゃない。……今日からは、それを嫌うんじゃなくて、逆に、君がその力を使いこなすために、自分から、積極的に使っていくんだ」

 

 彼は、テーブルの上に置いてあった、新品のペットボトルを手に取った。

「いいかい。まず、その能力を、『未来だけを見る力』に、限定してみる。過去と未来、すべてを見るんじゃなくて、意識して、未来だけを見るように、能力を絞るんだ」

「やれるかい?」

 

 その、あまりに真っ直ぐな瞳。

 未来は、ごくりと喉を鳴らし、力強く頷いた。

「……は、はい! やってみます!」

 

 彼女は、健司からペットボトルを受け取った。

 手袋を外した、素肌に触れる、ひんやりとしたプラスチックの感触。

 その、瞬間。

 ―――ザアアアアアアアアッ!!!!

 やはり、来た。

 情報の、津波。

 原油が採掘される中東の灼熱の光景。タンカーで運ばれる、海の匂い。化学工場での、複雑な生成プロセス。ボトリングされ、トラックに積まれ、コンビニの棚に並び……そして、今、自分の手の中にある、という「過去」。

 同時に、この後、自分がこれを飲み干し、ゴミ箱に捨てられ、リサイクル工場で粉砕され、新たな製品へと生まれ変わっていく、無数の「未来」。

 その、過去と未来が、ぐちゃぐちゃに混ざり合い、彼女の意識を、再び飲み込もうとする。

 

「う……っ!」

 未来は、呻き、ペットボトルを取り落としそうになる。

 その時、健司の、静かで、しかし、芯の通った声が、彼女の耳に届いた。

 

「頑張って。……未来を、意識するんだ」

 その声は、情報の嵐の中で、彼女を繋ぎ止める、唯一の錨だった。

「過去の、ノイズは、無視しろ。……これから、このペットボトルがどうなるのか。その、未来の光景だけに、意識を集中させるんだ。……君なら、できる」

 

 未来は、歯を食いしばった。

(未来……未来だけ……!)

 彼女は、必死に意識を、一つの方向へと向けた。

 脳内で、逆流してくる過去の映像を、無理やり押し流す。

 やかましい、過去の声を、振り払う。

 そして、ただ一点。

 これから、起こるであろう、未来の光景だけを、見つめる。

 徐々に、徐々に、脳内のノイズが、薄れていく。

 そして、ついに。

 彼女の視界は、一つの鮮明な光景だけを、捉えていた。

 ―――自分が、このペットボトルを飲み干し、空になったそれを、部屋の隅にあるリサイクルボックスに、投げ入れる光景。

 それ以外の、過去の映像は、完全に消え去っていた。

 

「……で、出来ました……!」

 未来は、荒い息を吐きながら、顔を上げた。

 その目には、涙と、そして、確かな達成感が浮かんでいた。

 

「うん。よく、やったね」

 健司は、満足げに頷いた。

「じゃあ、次は、その逆だ。今度は、過去に、焦点を絞るんだ。このペットボトルが、どうやって作られ、ここまでやってきたのか。その、過去の道のりを、辿るんだ」

 彼は、続けた。

「未来よりも、情報量は大きくなるけど……頑張って!」

 

「はい!」

 未来は、再びペットボトルを握りしめた。

 今度は、もう、恐怖はなかった。

 自らの意志で、情報を「選ぶ」という感覚を、彼女は確かに掴んでいた。

(過去……過去を、辿る……!)

 彼女が、そう念じた瞬間。

 再び、情報の奔流が、彼女を襲った。

 だが、今度の彼女は、その流れに飲まれなかった。

 彼女は、サーファーのように、その流れの中から、自らが求める情報だけを、巧みに拾い上げていく。

 工場の喧騒、トラックの振動、コンビニの店員の、退屈そうな顔。

 その全てが、一つの物語として、彼女の脳内で再構築されていく。

 

「ふー……。出来ました……!」

 数分後。未来は、完全にそのペットボトルの「半生」を、読み解き終えていた。

 

「よし。上出来だ」

 健司は、心から感心していた。

 この少女の、才能は、本物だ。

 自分ですら、これほど短時間で、情報のフィルタリングをマスターすることはできなかっただろう。

「じゃあ、いよいよ、最後のステップだ」

 健司の声が、真剣な響きを帯びる。

「過去と未来を、見れたように……今度は、**『現在』**だけを見るんだ」

 

「現在……?」

 未来は、不思議そうに聞き返した。

「現在って……今、こうして、私がペットボトルを持っている、この状態のことですか?」

 

「そうだね。……もっと、正確に言うと」

 健司は、言った。

「**『能力がない状態』**を、指す。……つまり、このペットボトルに触れても、過去も、未来も、何も視えない。ただの、プラスチックの容器として、認識する。……これで、君は、完全に、その力を制御出来るはずだ」

 

 それは、彼女が、この半年間、最も渇望してきた状態。

「普通」の、日常。

 未来は、ごくりと喉を鳴らし、力強く頷いた。

「はい!」

 

 彼女は、再びペットボトルを握りしめた。

 そして、意識を、集中させる。

(視るな、視るな、視るな……。過去も、未来も、視るな。……ただ、現在だけを……。これは、ただの、ペットボトル……)

 彼女は、必死に自己暗示をかけた。

 だが。

 

「う……っ!」

 彼女の脳裏に、勝手に、どちらかのヴィジョンが浮かび上がってくる。

 過去の、工場の光景。

 未来の、リサイクルされる光景。

 その二つの情報が、シーソーのように、彼女の意識を揺さぶる。

「オフ」に、できない。

 

「……出来ません……!」

 未来は、悲鳴に近い声を上げた。

「常に、どっちかが、見えてしまって……!」

 

 その、絶望の言葉。

 だが、健司は、少しも動揺していなかった。

 彼は、静かに、しかし、きっぱりと言い放った。

 

「いや、出来るはずなんだ」

 彼の声には、絶対的な確信が、宿っていた。

「今の君の能力は、暴走状態だ。だから、常に蛇口から水が出続けている、状態なんだよ」

 

「蛇口……?」

 

「そう。蛇口だ」

 健司は、立ち上がると、未来の前に立った。

 そして、彼女の目を、まっすぐに見据えた。

「君が、今やるべきことは、その奔流と戦うことじゃない。……その、大元にある、『蛇口』を、締めるイメージを、するんだ。……もう、水は十分だ、と。……今は、必要ない、と。……その、蛇口を、ゆっくりと、右に回すイメージで……もう一回、やってみて」

 

 蛇口を、締める。

 その、あまりにシンプルで、あまりに具体的なイメージ。

 それが、未来の、混乱した脳内に、すっと染み渡っていった。

 彼女は、こくりと頷いた。

 そして、三度、ペットボトルを握りしめる。

 

 彼女は、目を閉じた。

 彼女の、心の中に、一つの蛇口のイメージが浮かび上がる。

 そこから、過去と未来の情報が、ごうごうと音を立てて、流れ出している。

 彼女は、その蛇口のハンドルに、自らの意志の手を、伸ばした。

 重い。

 錆び付いて、固まっている。

 だが、彼女は、諦めなかった。

 健司の、声が聞こえる。

『君なら、できる』

 

 彼女は、渾身の力を込めて、そのハンドルを、右へと回した。

 ―――ギギギギギ……。

 嫌な、音を立てて、ハンドルが、わずかに動く。

 奔流の勢いが、少しだけ、弱まった。

 もっと。

 もっと、強く。

 彼女は、歯を食いしばり、さらに力を込める。

 ギギ……ギ……。

 流れは、徐々に細くなり……やがて、ちょろちょろという、か細い流れに……そして、ぽたり、ぽたりと、雫に変わり……。

 

 ―――ついに、止まった。

 

 静寂。

 未来は、恐る恐る、目を開けた。

 そして、彼女は、泣いていた。

 彼女の手の中にあるのは、もはや情報の塊ではない。

 ただの、ひんやりとした、プラスチックの、ペットボトル。

 何の、ヴィジョンも視えない。

 何の、声も聞こえない。

 ただ、そこにあるだけの、モノ。

 それが、どれほど、素晴らしいことか。

 

「……や、やった……」

 未来の、口から、震える声が漏れた。

「……制御、できました……!」

 

「よし!」

 健司の、満面の笑みが、そこにあった。

「やったね! これで、能力制御、出来たね!」

 

 その、心からの祝福の言葉に、未来は、子供のように、声を上げて、泣いた。

 それは、半年ぶりに流す、喜びの涙だった。

 

 訓練を終えた後、健司は、すっかり元気を取り戻した未来に、次のステップを提案した。

 

「じゃあ、その力を、どんどん使いこなそうか」

「……競馬に、行こうか」

 

「競馬、ですか?」

 未来は、きょとんとした顔で、聞き返した。

「えーと……。競馬は、したことなくて……」

 

「ハハハ。大丈夫。パドックで、一番になる馬を、当てるだけだよ。練習だ」

 健司は、悪戯っぽく笑った。

 それは、かつて彼自身が、魔導書と共に歩んだ道。

 今、彼は、その道を、自らの弟子と、共に歩もうとしていた。

「これから、毎日、競馬に行こうか。……あっ、でも、お金は賭けないでね。能力の精度が、落ちるから」

 

「は、はい!」

 未来は、元気よく返事をした。

 その顔には、もはや恐怖の色はなかった。

 そこにあるのは、自らの新たな可能性への、期待と、そして、目の前の頼もしき師への、絶対的な信頼だけだった。

 彼女は、少しだけはにかみながら、言った。

 

「競馬……。ウマ娘、とかでしか、知らないです」

 

 その、あまりに現代っ子らしい言葉に、健司は、思わず、吹き出してしまった。

 彼の、新たなる「師」としての日々は、こうして、少しだけ騒がしく、そして、どこまでも温かく、始まろうとしていた。

 彼の、本当の戦いは、まだ始まったばかりなのだから。

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