俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します   作:パラレル・ゲーマー

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第94話 猿と無想と最後の一撃

 静寂が戦場を支配していた。

 佐藤健司は、ゆっくりと息を吐き出した。体内の魔力の流れが完全に停止している。まるで自らの身体の一部をもぎ取られたかのような、深い喪失感。だが、その喪失感と引き換えに、彼の他の五感、そして第六感が、異常なまでに研ぎ澄まされていくのを彼は感じていた。

 

 風の匂い、アスファルトの冷たさ、そして目の前の敵から放たれる純粋な殺意の波動。

 その全てが、これまで以上に鮮明に、彼の魂に直接流れ込んでくる。

 

(……なるほどな)

 

 健司は、自らの内に起きた変化を冷静に分析していた。

 これまで彼の脳のリソースの大部分は、常に【予測予知】という未来の情報処理に割かれていた。だが今、その最大の武器が封じられたことで、彼の脳は初めて「現在」という瞬間に、その全ての処理能力を集中させていたのだ。

 

 世界がスローモーションに見える。

 いや、違う。世界の速度は変わらない。俺の思考速度が加速している。

 予知ではない。純粋な反応と直感。

 斎藤会長が言っていた「リズム」の世界――その入り口に、彼は今、立っていた。

 

「……面白い」

 

 能面の男が、低い声で呟いた。彼は抜き放った小太刀の切っ先を、健司の喉元へとまっすぐに向けた。その構えに、一切の隙はない。

 

「魔力を封じられてなお、その気迫。……その眼、気に入った。……ならば、こちらも敬意を表し、この一撃で終わらせてやろう」

 

 その言葉と同時だった。

 能面の男の姿が掻き消えた。

 いや、違う。幻影でも転移でもない。純粋な身体能力のみによる、神速の踏み込み。

 健司の加速した思考ですら捉えきれない、絶対的な速度。

 

 彼の脳裏に「死」の二文字が浮かんだ。

 

(―――速いッ!)

 

 小太刀の冷たい切っ先が、健司の喉元へと吸い込まれるように迫る。

 もう避けられない。

 その絶望的な瞬間――健司の身体が勝手に動いた。

 

 思考ではない。本能。

 MMAジムで、何万回と繰り返した、あの地味で退屈な反復練習。

 相手の踏み込みに合わせて、半歩下がりながら身体を捻る――パリー。

 彼の左の手のひらが、まるで吸い付くかのように小太刀の刀身を外側へと受け流していた。

 

 ―――キィンッ!!!!

 

 甲高い金属音。

 健司の手のひらと小太刀が火花を散らす。

 彼は無意識のうちに、【身体強化】の応用である「硬化」を、その一点にのみ発動させていた。

 魔力そのものは封じられている。だが、すでに発動準備が完了し、脳内で待機していた「型」を、最後のトリガーで無理やり引き出したのだ。

 それはもはや魔法ではない。彼の肉体に染み付いた、技術(アート)だった。

 

「なっ!?」

 

 能面の奥から、初めて純粋な驚愕の声が漏れた。

 自らの必殺の一撃が、素手で受け流された――その事実に、彼の思考がコンマ数秒、硬直する。

 

 その僅かな、しかし絶対的な隙間。

 それこそが、健司が待ち望んでいた「ジャズ」の瞬間だった。

 

「―――もらった」

 

 健司の声は、どこまでも冷徹だった。

 彼は小太刀を受け流したその勢いのまま、さらに一歩、踏み込む。

 能面の男の懐。そこは、刀という武器が最もその威力を発揮できない、絶対的な死角。

 ゼロ距離。

 

 そして、健司の右の拳が放たれた。

 それは、もはやただのストレートではない。

 斎藤会長と共に、血と汗の果てに編み出した、彼だけの必殺の型――『無刃』の奥義。

 彼は、その技にまだ名を与えてはいなかった。だが、その拳には、彼の全てが込められていた。

 

 身体の回転、地面を蹴る力、そして魂の重み。

 その全てのベクトルが、一つの点へと収束していく。

 彼の右の拳の第二関節――その一点に。

 

 ―――ゴッ。

 

 音は小さかった。

 だが、その衝撃は内側で爆発した。

 健司の硬化された拳は、能面の男の鳩尾に、深々とめり込んでいた。

 それは、ただの打撃ではない。相手の肉体の表面を貫通し、その内側――魂そのものを直接揺さぶる、浸透勁。

 

 能面の男の身体が、大きくくの字に折れ曲がった。

 

「……が……はっ……!?」

 

 彼の口から、空気が全て絞り出されたかのような呻き声が漏れる。

 その手から小太刀が力なく滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てた。

 彼が作り出していた、空間を歪める結界が霧散していく。世界が元の姿を取り戻した。

 

 能面の男は、そのまま糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。

 その衝撃で彼の顔を覆っていた能面がずれて、地面に落ちる。

 晒される、その素顔。

 それは健司が想像していたような、百戦錬磨の戦士のものではなかった。

 まだあどけなさの残る、十代後半の少年の貌。

 その目には、信じられないものを見るような驚愕の色と、そして自らの敗北を受け入れられない悔しさの色が浮かんでいた。

 

 静寂が戻る。

 健司は荒い息を吐きながら、自らの右の拳を見下ろした。

 じんじんと痺れている。だが、その痛みは心地よかった。

 

 勝った。

 魔法を封じられて。予知にも頼らずに。

 ただ己の肉体と技術だけで、あの化け物じみた強敵に。

 

「……ははは……」

 

 健司の口から乾いた笑いが漏れた。

 それは、彼がこの世界の裏側に足を踏み入れて以来、初めて流した、純粋な歓喜の涙の味がした。

 

 その劇的な決着の瞬間を、ニコラス・ケイジと漆黒のライダーは、ただ呆然と見つめていた。

 

「……信じられない……」

 

 ケイジの口から、呻き声が漏れる。

 

「……魔力を封じられて……なぜ……。あれは、ただの人間のはずだ……」

 

「……いいや」

 

 ライダーは静かに首を振った。

 ヘルメットの奥の瞳は、健司のその異様なまでの強さの本質を、完全に見抜いていた。

 

「……彼は『空っぽ』になったからこそ、勝てたんだ」

 

「空っぽ?」

 

「そうだ。……予知も魔法も、全てを失い……ただの空っぽの器になった。……だからこそ、彼の魂は研ぎ澄まされ……ただ目の前の敵を倒すという一点にのみ収束した。

 無想。……剣禅一如の世界。……あの若さで、その境地に足を踏み入れるとはな。……末恐ろしい男だ」

 

 その言葉は、畏敬と、そしてほんの少しの嫉妬の色を帯びていた。

 

 健司は、ふらつく足取りで、あの忌々しい呪符を剥ぎ取る。

 

 その瞬間。

 堰き止められていた魔力の奔流が、彼の体内に再び流れ込んできた。

 全身が活力を取り戻していく。

【身体強化】を発動する。だが、健司はもう、その力に溺れることはなかった。

 

 彼は、その場にいたヤタガラスのエージェントたちに、少年の身柄の確保を指示した。

 そして、振り返り、まだ呆然と立ち尽くしているケイジとライダーに向き直る。

 

 彼の顔には、もはや「預言者K」の仮面も、「猿」の卑屈さもなかった。

 そこにあったのは、一つの大きな戦いを乗り越え、自らの新たな可能性の扉を開いた、一人の戦士の顔。

 

「……助かりました。……二人とも」

 

 その静かな感謝の言葉。

 それが、この奇妙な夜の終わりを告げる合図だった。

 

 だが、健司は知っていた。これは終わりではない。本当の始まりなのだと。

 自らの魂のジャズを、奏で始めた彼の物語の。

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