棺の帰還者(イモータルリターナー)   作:P-PEN

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永世の檻と峠の主

 

 

 念仏峠の廃寺跡は、朽ちた瓦屋根と苔むした石灯籠に囲まれ、そこだけ時間がねじれたようだった。廃屋の柱に刻まれた古い曼荼羅紋が、月光を受けて翳(かげ)を落とす。地表の亀裂からは、微かに冷たい風とは違う流れ――瘴気の脈動が立ち上っていた。

 

 「どうやら芹沢はこの峠を術式起点に設定したみたいだね。観測班から周囲の解析データが更新されている。皆、確認しておいてくれ」

 

 咎討の落ち着いた声が響く、激戦であってもまだ形代紙を誰も消費していない。事は僥倖だと言えた――もちろん、それは共闘した者たちの戦力あってこその話ではあるが。智麗が端末を持ち前へ出る。画面には、古代祭式の符文と地脈の干渉図が重なり合い、赤く光る結界結節の位置が示されていた。

 

 「芹沢は祭祀点を複数に分散しています。ここが主端――祝壇跡の中央。時間収束の痕跡が観測されます」

 

 斗稀弥が忌々しげに唇を噛む。

 

 「時間……停滞?そんなのが現実に起きるのか」

 

 童売が鼻歌のように口をすぼめる。京都弁でひとこと。

 

 「うちの古い本にも、こんなこと書いてはったわ。じっとしとったら、若者でも三日で十年分くらい老けるってな」

 

 斗稀弥は苦笑を漏らしたが、表情は引き締まった。現場の空気は重く、彼らの息は白く見えないが、体内の時間感覚だけが微妙にずれるようだった。

 

 儚は地面に指先を触れる。鴉神剣を柄に掛けたまま、彼女は眼前に広がる紋様をなぞるように視線を滑らせた。彼女の観測は戦術情報へと変わる。

 

 「永世結界は時間の層を“階層”として重ねる。各層は祭具で固定され、互いに位相差を持つ。核心を破らぬ限り、層は自己修復する」

 

 咎討が頷く。

 

 「破壊法は?」

 

 儚の声は冷たく、かつ簡明だった。

 

 「位相差を同期させる祭具の共振を崩す……恐らく、三種の神器を模した祭具のはず」

 

 直毘人は天狗面の表面を撫でながら、任務の段階が次に移った事を確認する。

 

 「そして、その祭具の配置場所に芹沢は居る可能性は高い。と言う事ですね」

 

 儚は短く頷いた。情報は既に作戦図へと落とし込まれる。咎討は特葬班の火力配置を調整し、智麗は浄化器と封印札の配置を指示する。童売は林帯へ入り、八本の腕で補助結界を成す段取りを確認した。

 

 咎討の号令で一斉に行動が始まる。特葬班は短時間で移動し、外縁の瘴気流出を停止させるため、祓串や札で外郭を封鎖。童売の結界陣が林を結び、地脈の迂回を遮断する。簡易的な結界の布陣を終えると、内部へ突入する軸を取った。

 

 だが、結界は“生きて”いた。入った瞬間、空気の粘度が変わり、足の運びがひどく重くなる。時計の針が一瞬遅れたように見え、遠くで誰かの笑い声が伸び縮みする。稀弥は手元のライトで計測を試みるが、端末が一瞬だけ映像を二重に映す。

 

 「同期誤差、五秒……いや、増大」

 

 智麗は即時通報する。彼女の顔には冷や汗がにじむ。

 

 風が止んだ。草のざわめきも、虫の声も、霧の揺らめきさえも――一瞬にして凍りついたかのように静止する。

 

 そして、山そのものが呼吸を始めた。

 

 湿った夜気の中、峠の岩肌がぬめりを帯び、赤黒い光の線が、まるで血管のように地表を這い始めた。それは地面の割れ目から滲み出る瘴気と混じり、やがて紋様を形作る。渦巻き、絡み合い、やがて――峠全体を覆う巨大な“結界陣”となった。光はまるで鼓動のように明滅し、そのたびに空気が押し出され、肺が圧迫される。誰もが無意識に息を浅くした。表面に浮かび上がる紋様は、まるで呪文を記した“皮膚”だった

 

  「……圧力型の穢結界だね」

 

 彼の言葉に、儚は小さく頷いた。直毘人が剣を構え、静かに周囲を見渡した。

 

 「術式としては、外部からの攻撃を拒み、内部を永続循環させる構造。

 もし閉じられれば、我々は“時の外”に置かれます。」

 

 「つまり――」

 

 斗稀弥が銃口を上げる。

 

 「このままだと、俺達もここごと“異界化”するってことか」

 

 儚が頷く。同時に、周囲の空気がびりびりと震えた。赤黒い光が山肌を這い上がり、空を覆う。空の星々がひとつ、またひとつと掻き消える。世界がゆっくりと――閉じていく。童売が顔をしかめる

 

 「結界よいうより、これは檻やねぇ」

 

 儚が鴉神剣を構え紅紫の瞳を、もはや隠しようがない程に感じる芹沢の気配の方向へ向ける。

 

 「“永世結界”。ここから先は、世界の外側――“界異の胎”です。」

 

 音が、光が、熱が、すべて歪む。瘴気が風を模し、影が心臓の鼓動のように明滅する。世界は、ひとつの生命体の内部へと変貌していた――峠は、もはや峠ではなかった。地と空の境界が消え、全てが“閉じた世界”として息づいていた。

 

そして、その胎動の中心で――

次の“界異”が、産声を上げようとしていた。

 

 

 

 

 夜は深く、念仏峠の石畳を冷たい風が擦っていった。月光は瘴気に曇り、竹葉の影は歪んで地面を滑る。あちこちに残された古い供物の痕跡、風化した数珠、苔むした石仏が、人の歴史と死の時間を繋いでいる。既に戦闘機動に入り、最も知覚が広い儚を先導に置き、疾走陣形に移行している一行が異界と化した念仏峠を疾走していた。

 

 「界異の接近を確認。前方上空、その後下です。谷筋を警戒」

 

 前方から飛ぶ報告を聞き、咎討が大盾を前に据え、ポリカーボネートと護符の多重層のドーム状の防御陣を展開する。その盾の後ろに続く、斗稀弥の灰色のコートの裾が湿った地面を掻く。童売はふわりと人形を抱え、八本の腕を揺らし、疲労を感じさせない優美な走りを見せていた。智麗は切り札である銀の矢の斬弾を確かめながら続く。

 

 上空からの気配が先に現れた。青白い光が、雲間を泳ぐように群れを成して段々と近づいてくる。羽鰓鬼(はさいき)——空を泳ぐウミウシ状の群れだ。羽ばたくたびに瘴気の雫を散らし、羽衣は微かな光を放つ。彼らは音を立てず滑るように接近し、触手で空気を攪拌して戦場をかく乱する。

 

 「儚君は攻撃せず先導に集中。童売ちゃんは左翼へ結界展開――迂回運動を制限するだけでいい。斗稀弥君と智麗君は交互射撃で群の密度を薄めるんだ。直毘人君は接近してきた相手を払ってくれ」

 

 咎討の指示は最小限の言葉で部隊を動かす。咎討の盾線が軸となり、童売の撒く祓札が羽鰓鬼の運動を制限し、斗稀弥の大口径祓具が群の中心を狙う。智麗が矢を放ち、符を纏った銀矢は群の幾つかを斬り裂いたが、羽鰓鬼の中は切り刻まれても瘴気を吸って再生する個体もいる。

 

 「ふむ……視界を奪い、刺胞で肉体を侵すタイプですね。海中なら脅威度が跳ね上がるでしょう」

 

 小声で直毘人は分析しながら、十拳剣の内で赤い灯が揺らめかせた。彼は燻る火を帯びた刃で、一体を薙ぎ払うと、炎は瞬時に羽鰓鬼の体表を焦がし、刺胞散布を未然に止める。

 

 鎧袖一触、羽鰓鬼の群れがしだいに崩れるのを尻目に一行は疾走。空の脅威を振り切った直後、地下からの脅威が襲いかかってきた。地鳴りのような低い振動が石畳を激しく揺らし、次いで球体状の棘が盛り上がる。棘海鬱刺——棘に覆われ、地面を穿くように動く一体が現れた。鈍重だが一度捕えれば致命的にのしかかる能力を持つ。

 

 「盾で受ける。一斉攻撃で仕留めるんだ」

 

 咎討は塔のように盾を据え、体を預ける。棘が盾面を叩き、衝撃が腕へと伝わる。斗稀弥はリボルバーを左手で支え、回転弾倉を一回転させて特殊祓串へ詰め換える。大型の祓串が飛翔し棘の根元を狙うと、棘が音を立てて砕けた。童売の人形が地に触れ、八本の手で禍々しい糸を絡める。札の結界が棘の周りに張り付き、棘の再展開を妨げる。先頭の儚が反転し、鴉神剣の切っ先を界異の背に向ける。エメラルドタブレットの微振動が剣身に伝わり、刃先から鋭い光線が伸びた──光は真っ直ぐ棘の集積点を刺し、瘴気を引き裂いたビームを上方に振る。界異はそのまま分断され地面へと崩れ落ちた。

 

 「私の手番が無いのは楽と言うべきか、或いは残念というべきしょうか」

 

 「私は矢が節約できたと思う事にします」

 

 フォローに回っていた智麗と直毘人の動きが無為という訳ではないが、それはそれとして残念そうな声を上げた。しかし、直ぐに異変を察知し、仮面の奥で眉を顰める。

 

 峠道が、震えていた。風が吹いたのではない――空気そのものが「圧縮」されていた先行する儚が腕で隊の疾走を制した。紅紫の瞳が夜の奥を射抜く。

 

 「……止まって――“来る”」

 

 何かが、音を追い越して近づいてくる。

 地面の小石が浮き上がり、竹葉が垂直に立つ。

 次の瞬間、山肌が裂けた。音よりも早く。

 

 紫電の閃光が峠を貫いた。

 空気が膨張し、鼓膜が遅れて軋む。

 全員が一瞬、世界から切り離されたような感覚に襲われる。

 

 「……ッ圧縮波!?」

 

 智麗の声が遅れて届く。声も時間の向こう側から引きずられるように響いた。視界の端を、何かが走り抜けた――老婆。いや、老婆の“形をした風圧”。

 

 四つん這いの姿勢のまま疾走するその影は、もはや人のものではなかった。脊椎に埋め込まれた金属フレームが、赤熱したピストンの光を瞬かせる。焦げた鉄色の肌の下で燃料管が脈打ち、瘴気が噴き上がる。下半身にはバイクの車輪とエンジンが融合し、背骨とともに回転している。彼女が走るたび、空間が悲鳴を上げる。空気がちぎれ、世界がひとコマ遅れる。

 

 「……音じゃない。あれ、“風圧”そのものが人の形をしてる」

 

 智麗が呟く。その声すら、現実に届くまでのタイムラグが生じていた。老婆――《ターボババア》都市伝説の中でしか語られなかった怪異。“音速で走る老婆を見た者は、一拍遅れて死ぬ”と噂された、因果災害の実体。この念仏峠に巣食う厄介な界異の出現であった。

 

 全員が即座に動きを止めた。咎討は盾を前に出し、防御姿勢を取るが――その行為すら、時間の歪みの中では無意味だった。ターボババアの疾走が、空気の層を「記録」に変えながら通過していく。

 

 そして――通過。

 

 その瞬間、風が全員の皮膚を剥いだような錯覚が走る。

 爆音が遅れて炸裂し、鼓膜が内側から殴られる。

 世界が一瞬、遅れた。

 動作も、思考も、呼吸も、一拍分だけ。

 

 「く……っ、視界が、歪んでる……」

 

 智麗が矢を握りしめる。矢羽根がわずかに残光を引き、まるで時間が延びているようだった。儚が低く呟く。

 

 「討伐対象ではない。無視しろ」

 

 老婆の影が遠ざかるにつれ、峠全体が微かに収束していく。アスファルトは融解し、焦げた地面が蒸気を上げる。空気の層がまだ再構成を終えず、視界は幾重にもブレた。残されたのは、「走り抜けたという痕跡」そのものだった。

 

 静寂の中、紫黒の尾が峠の先に伸びている。そこからは、かすかに嗤い声が聞こえた。機械と肉が混ざり合うような軋み音の中に、老婆の笑いが滲む――嗤いながら、世界を追い抜いていった。

 

 数秒後、誰もがようやく“時間を取り戻した”智麗が膝をつき、息を吐く。

 

 「……あれが、噂の“因果遅延”……本当に存在してたなんて……」

 

 儚は表情を変えず、ただ前方を見据えた。

 

 「存在ではなく現象に近い。あれは“観測されること”そのものが形を成したもの。それが走るのは、過去と未来の狭間。我々は今を保たなければ、世界の外側に置き去りにされる」

 

 咎討が頷き、盾の角度を整える。

 

 「了解だ。視るな、追うな、呼吸を合わせるな。全員、このまま峠を突破するよ」

 

 一行は再び、峠の奥へと進軍した。焦げた風が後ろを撫で、時間の残響がようやく消えていく。ターボババアはすでに遙か先へと走り去っている。その行く先は、芹沢が築いた檻の彼方へと続いていた。

 

 

 

 

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