かつて、現代魔法学の祖であるヴィシュランティはこのような説を唱えた。
『子どもが発現させる魔法適正は、その子が1番初めに興味を持ったもので判断できる』
つまり、赤子が初めて興味を持ったものが“水”ならば、その子は水属性の魔法への適性を持ち、興味を持ったものが“火”ならば、その子は火属性の魔法への適性を持つというのである。この理論の根底にある考え方は“魂”の存在に基づいている。
魂理論の提唱者でもあるヴィシュランティは、「生命の根源たる“魂”の性質は生まれた瞬間から一定の魔法的属性に傾いていることがある」と述べた。そして、魂に基づいていて発現する魔法適正は、その魂がどの属性に傾いているのかを判断できさえすれば幼い頃から判断出来るとしたのである。そこで彼が提唱したのが所謂『初期興味論』だ。
子どもがある属性のモノに興味を持つのは、その子の魂の在り方がその属性に近しいからだと考えたのである。
しかし、当時の人々は彼の説を「そんなバカな話があるか」と一蹴した。なぜなら、当時は“魂”という概念自体に懐疑的な人間が多く、そもそも彼の理論が受け入れられる土壌が整っていなかったからだ。
だが、魔法学が発展した現代社会では、そんな初期興味論も常識となっていることは語るまでもない。幼い頃からその子の魔法適性が分かる、ということは魔法使いの価値が高まっている現代において大いに受容された。つい最近も、大国ローファン神聖王国では王子が蝋燭の炎を四六時中眺めていたことにより、「炎の王子が生まれた!」と沸き立っていた程だ。
このように現代では広く信仰されている初期興味論。これについて研究を深めていた1人の現代の魔法学者フィルシオ=ツァーレは、次のように考えた。
「魔法適性以外も幼い時から判断できるのでは?」と。
魔法以外の領域にも“天才”と呼ばれる人間は勿論存在する。
かの音楽の父グレゴリオは2歳の時からピアノを弾いていたという。かの英雄ルシカは5歳の時に竜の首を斧で両断したという。
そんな偉人らを、世の人々は天才と呼んだ。
ここに、フィルシオは思う。
彼らの魂は魔法適正の代わりに、音楽•戦闘能力に傾いていたのではないか、と。
ヴィシュランティの初期興味論は魂と魔法適正との繋がりについての論理だが、なにも魂が魔法適正以外に一切関わりがないとも限らない。それを証明するべく、フィルシオ=ツァーレは研究を始めた。
しかし、研究は難航した。身の周りに幼い子どもがいなかったのだ。
初期興味論は0歳から3歳までの間の子供を対象としている。だが、昔から周囲の人間とあまり関わろうとしてこなかった孤高の学者であるフィルシオは、その研究対象を得る機会が少なかった。
一時期は孤児院に行って孤児を拾ってくることも考えたが、出生不明、成長不良の子供は研究対象たり得ないとして諦めた。
そうして苦しい1年が過ぎた頃、事態は大きく変わった。
フィルシオに、娘が生まれたのだ。
研究を始める数年前に結婚していたフィルシオ夫婦は子宝に恵まれていなかった。子供を作ろうとしても、2年ほど成果がなかった程だ。
だが神は彼らを見捨てなかった。3桁を超える性行為の末、ようやく妻が命を宿したのだ。
それと同時に、神はフィルシオに試練も寄越してきた。
即ち、
娘の出産は難産だったのだ。もともとフィルシオの妻は病弱ということもあり、彼は出産が安全に終わるかどうかを心配していた。そしてその心配は的中してしまったのである。
それは嵐の夜だった。彼の家に来た産婆は「妻か子供、どちらかしか救えない」と言った。その言葉を聞いていた妻は、迷わず「どうか、この子を」と口にした。それを聞いたフィルシオの心はまさに張り裂けそうであった。
人付き合いが上手くない、むしろ嫌っているフィルシオが唯一心を許せる1番の理解者が彼女だ。
それを失うのは想像できないほど恐ろしく、怖かった。しかし、同時に彼女の子に対する願いを守りたいというのも真実だ。それにフィルシオも生まれてくる子供のことは心の底から楽しみにしていた。
だからこそ、彼は迷った。愛する妻を取るか、愛すべき子供を取るか。
そうして迷っているうちに————妻は死んだ。
フィルシオが決断するよりも先に、妻の命の炎は燃え尽きてしまったのだ。
幸い、娘は生きていた。産婆が力を尽くして何とか救い出して見せた。
そして、母親が死んだことなど知らない赤子が泣き叫ぶ姿を見たフィルシオの感情は、とても言葉にし難い複雑なものであった。
その子は自分たちが長年望んでいた宝だ。しかし、どうしてもその子が妻の命を奪ったように見えてしまう。
その子は自分が守らないといけない大切な存在だ。しかし、どうしても最愛の妻が死んだという事実が足を引っ張ってくる。
そんな複雑な気持ちが、子が生まれて数年してからもフィルシオの心を蝕み続けた。
そうして、運命の日が訪れる。
何の変哲もない、他愛のない日だった。
いつもと変わらぬ日。研究も行き詰まっていた退屈な日。そんな日に、フィルシオは娘が
「カリナ?」と投げかける声が一切届いていないのか、娘カリナは細い木製の棒を
「壊れちゃうだろ。やめなさい」という彼の制止は一度たりとも通用しなかった。
最初は「すぐに飽きるだろう」と思っていたフィルシオだが、数日でそれが間違っていたのだと気づく。その遊びはなんと1ヶ月以上続いたのだ。それに加えて、内容も少しずつ変化していった。
当初は人形を全体的に攻撃する程度だったのが、次の1週間は徹底的に人形の頭部を攻撃するものへと変わった。次の1週間は腹の辺りを入念に。
そしてその次は目をグリグリ
そんな様子を見ているうちに、最初は「子供特有の遊びだろう」と思っていたフィルシオの頭の中に別の考えが浮かび始めた。
「
一度そう思ってしまったのが彼の運命の転換点だった。
————彼はどこまでも学者だったのだ。
フィルシオは、妻が身籠ったと聞いた時に少しばかり「これで研究対象が手に入る!」と思ってしまった。とはいえ、流石に自分の子供で研究するのは憚られ、やはり別の対象を探そうと決めたのも事実である。だが、その炎の
その炎に薪を
一度でも「カリナは研究対象として最適かもしれない」と考えてしまったフィルシオの頭は、常にその考えに支配されてしまった。
未知への探究心、即ち知識欲が。知識の奴隷たる魔法学者の本性が。そしてカリナへのほんの僅かな悪感情が。
それら全てが「カリナを研究し尽くせ」と彼の頭に語りかけてくる。そのせいで、ただでさえ穏やかでなかった彼の心中は更に荒らされた。
———かくして。
これがフィルシオ=ツァーレという男の本性だったのか。それともナニカが彼を変えてしまったのか。
フィルシオは愛すべき娘カリナを研究対象とし、進むべきではなかった道へと歩み始めてしまったのだった。
———————それから14年後。
カリナが17歳の誕生日を迎えたその日。
フィルシオ=ツァーレは死んだ。
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