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――午後三時。
境界対策課の庁舎から歩いて十分ほどの繁華街に、季節限定メニューを掲げるス〇ーバックスがあった。ガラス越しに見える店内は、仕事帰りの学生や、休日を楽しむカップル、パソコンを広げた社会人でにぎわっている。そのどこにでもあるような喧騒の中に、二人の姿は、やや場違いなようで、しかし意外と自然に溶け込んでいた。
「……鼎さん、本当に来ちゃいましたね」
由良来はカフェの看板を見上げながら、緊張したように肩をすくめた。制服姿のまま外に出るのは任務時以外は少し気恥ずかしい。けれど、今日は例外だった。
「あなたが誘ったんでしょう?」
鼎は落ち着いた声で応える。彼女は肩掛けのカバンひとつを持ち、秋物のチャルコールグレーの上着を軽く羽織っていて、オーバーサイズの上着が禍々しい篭手を隠していて、シックなフレアスカートから覗く細い足を包むダークブラウンのショートブーツが、全体のシルエットを引き締まったものにしていた。こうして人混みに混ざると、一見ただの大人びた少女のようにも見える。だが、その瞳には変わらず芯の強さが宿り、鼎の纏う静かな気配は周囲のざわめきに揺らぐことがなかった。由良来には、その揺るがない姿が少し眩しい。
「……はい。でも、こういうのって、任務以外で出歩いていいのかなって、ちょっと……」
「いいのよ。上に報告する必要はないわ。人間だって、休まなきゃ」
鼎の言葉に、由良来は小さく笑みをこぼした――鼎の訓練狂いは、特葬班のニュースを見て調べた人間には有名な話だ。休暇を含めても彼女が自主的に境対外に任務と訓練以外で出た記録はない。
「……ですよね。じゃあ、今日はちゃんと“普通の女子高生っぽいこと”します」
二人は自動ドアを抜け、暖かな空気とコーヒーの香りに包まれた。平日昼間とくれば、流行りのカフェであろうとも人でごった返したりはしない。展開の席には適度な空がある。カウンターには「季節限定:パンプキンスパイスラテ」の看板。鮮やかなオレンジ色に描かれたかぼちゃと、シナモンやクローブのイラストが秋の空気を運んでいた。
「……パンプキンスパイスラテ、ですか」
由良来はメニューを見て目を輝かせる。
「私、こういうの飲んだことなくて……ちょっと高級そうで」
〇ターバックスは別に高級店ではないが、缶コーヒーやペットボトルコーヒーオンリーの生活ならば高級ではあるかも知れない。尻込みする由良来を見て、鼎は目を優しく細める。
「ふふ。せっかくだし、試してみましょう」
鼎は財布を取り出し、迷いなく注文を口にする。
「パンプキンスパイスラテ、トールを二つ」
レジの店員が笑顔で復唱する。
「トールサイズお二つですね。ホイップは通常でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
会計を済ませた鼎に、由良来が慌てて手を振った。
「えっ、鼎さん、払っちゃったんですか!?私、出すつもりで……!」
「今日は私の誘いじゃなかったかしら?」
「そ、それは……!でも……」
由良来がしどろもどろになると、鼎は落ち着いた笑みを浮かべて首を振った。
「いいのよ。こういうのは、気持ちだから」
その言葉に、由良来の胸がじんわりと熱くなる。孤独で過酷な任務からの帰還だったが、何も聞かずにただ“友人”として接してくれている事実が嬉しい。カップを受け取り、窓際の席に腰を下ろす。白いホイップの上に振りかけられたナツメグの粉が、ふわりと香る。かぼちゃの柔らかな甘みと、シナモンやクローブのスパイシーな香りが重なり、まるで焼きたてのパンプキンパイを思わせた。
「わあ……いい匂い……」
由良来は両手でカップを抱え込み、うっとりと目を細めた。
「ちょっとドキドキしますね。甘そうだけど、スパイスって大人っぽい感じ」
「ええ。一口、飲んでみて」
由良来はそっとストローをくわえ、一口吸った。瞬間、目を丸くする。
「……!あ、あまっ……でも、不思議。シナモンが後から来て……なんか、体が温かくなります」
鼎も一口吸い上げ、ゆっくりと舌に広がる風味を味わう。
「……想像よりも柔らかいわね。甘さの奥にあるスパイスの刺激が、後を引くわね」
「鼎さんは、こういうの飲み慣れてるんですか?」
「いいえ。こうして“普通の店”に来ること自体、ほとんどないから。……でも、悪くないわ」
鼎は穏やかに微笑み、由良来も安堵の笑みを返した。
しばし、二人はラテを片手に秋の街並みを眺める。窓の外を行き交う人々は、誰もが自分の日常を生きていて、それは彼女たちの戦場とは無縁に思える。
「……いいですね、こういうの」
由良来がぽつりと呟いた。
「私たちがしてることって、ほとんどの人が知らないでしょう?でも、その人たちがこうして笑って歩けるのって……ちょっと不思議で」
「不思議、ね」
鼎は視線を外に向けながら答える。
「私たちが戦っているからこそ、この人たちは何も知らずに笑っていられる……そのことを、私は誇りに思うわ」
由良来ははっとして、ストローを咥えたまま黙り込んだ。胸の奥で、自分の小ささがまた顔を出す。
「でも……私なんかが、そんな役に立ててるのかな。路傍の石みたいに、ただ転がってるだけで……」
鼎はすぐに視線を戻し、由良来を見つめた。
「また、それを言うのね」
穏やかな声色の奥に、揺るがぬ強さが滲む。
「石は転がっても、そこに在り続ける。人に踏まれても、風雨に削られても、消えない……あなたがいるだけで、誰かの支えになる」
由良来は唇をかみしめ、俯いた。
「でも、私……強くないです」
「強いわよ」
即答だった。
「あなたは、自分で思うよりずっと強い。ただ、自分にそれを許していないだけ」
由良来は顔を上げ見返すが、直截に過ぎる鼎の視線に耐え切れず僅かに揺れて逸らす。鼎はラテを軽く傾け、ほんの少し微笑んだ。
「ねぇ、貴方が緊急出撃する前の事覚えてる?私が訓練に夢中になり過ぎて、お昼を食べれなかった時。貴方、わざわざおにぎりを作って持って来てくれたわね」
「あ、その……でも……味は、普通だったかも。私、ああいうの苦手で……みんなみたいに役に立てる自信、なくて」
彼女はそこで一度息を吐き、柔らかく微笑んだ。
「あなたのその差し出してくれる気持ちが、私の力になっているわ。だから――どうか、自分を見下さないで」
由良来の目が大きく開かれ、言葉を失う。胸に、温かいものがじんわり広がった。ラテのスパイスの熱が体を温めるのと重なるように。虚構の匂いが微塵も感じられない、直球の想いが直に伝わってくる。
「鼎さん……ありがとうございます」
小さな声でそう告げると鼎はただ頷いた。由良来はその率直な好意の視線に耐えられず、話題を変える。
「でも、このラテ……やっぱり甘いですね。鼎さんは平気ですか?」
「少し甘すぎるかもしれないわね。でも、スパイスが効いてるから後味は嫌じゃない」
「なるほど……。私、ホイップまで全部食べちゃいそうです」
由良来はスプーンでホイップをすくい、ぱくりと口に入れた。
「……おいしいっ!」
満面の笑みに、鼎は小さく笑った。
「あなたは本当に正直ね」
「えへへ……」
その瞬間だけ、二人の間から重苦しい影は消え、ただ普通の女子同士の会話が残った。
店を出る頃には、夕陽が街を黄金色に染めていた。部屋で飲むために一緒に買った紙カップを手に歩く二人の姿は、戦場の祓魔師ではなく、ごく普通の少女にしか見えなかった。
「鼎さん、また来ましょうね。次は……クリスマスの限定メニューとか!」
「ふふ。いいわね」
鼎の声は静かだが、どこか柔らかい。由良来はその響きに背中を押されるように、前を向いた。日常の小さな灯。それは、どんな戦場よりも尊い宝物だった。
由良来の心の奥から、不意にざらついた声が響いた。
《……甘ったるい。まるでオマエラの脆弱な日常を象徴するかのようだ》
「ひゃっ!?い、いきなり出てこないで!」
由良来は小声で叫び、慌てて口を押さえた。周囲の行き交う人は各々の事情に忙しいのか、彼女の奇行を見咎める者はいなかった。
《そのヘンな飲み物……かぼちゃなんてオレサマが時代に存在したか?人が刈り取った土の実を甘く飾り立て、これを飲み物と称すか。軟弱で愚かしいぜ》
「愚かしくないの!美味しいの!」
再び思わず声に出しそうになった所で、慌てて口を押える。何かを考えるようにアラハバキの声が、少しだけ沈黙した。やがて低く唸るように囁く。
《……カナエって言ったか、また強くなっていたな相棒。面白れぇじゃねぇか、相棒にしてはダチのセンスが良い――唯一オレサマより優れている所だ。褒めてやるぜ》
「へっ!?」
キョトンとする少女に、界異は言いたい事は言ったと口を噤んだ。常は煩い程にお喋りな“相棒”の沈黙は――しかし、心地悪いものではなかった。