十和田が展望台の小さな広場で舞う。
この場所で彼とダイワスカーレットが遭遇してから数日。彼女が来るまで身体を動かし、それからトレーニングを観察するのが彼の日課になりつつあった。
ステップ、ハーフターン、カウンターターン、モフォーク、ウインドミル。
体幹、両腕両脚の可動域共に良し。この分なら、トレーニングの内容はいつも通りでいいか。
軽いトレーニングを済ませて、それでようやく丁度ダイワスカーレットがトレーニングをするぐらいの時間だ。
ウェイトを両手首に巻き、走りの振り方に近い動きでゆっくり筋肉を曲げ伸ばしする。
...もし自分がウマ娘に生まれてきていたら、あの頃はどうしていたのだろうか。
自明か。
トレセン学園を志望して...きっと、受かりはしなかっただろう。
もし家の力で入れたとしても、奇跡的に良くて未勝利。大方、未デビューか担当トレーナー無しかが関の山だろう。
そうしてあっさりと夢破れ、絶望して、学園を去るのだろう。
...いっそ、その方が良かったのかもしれない。
こうやって他の誰かを自分の夢に巻き込もうとするよりは、何倍かマシだっただろう。
.........もっとも、今更後の祭りではあるが。
本能が気配を察し、左足で
「...今日は随分と早いな。」
見晴らしが良いとはいえ、あまりにも町外れのこの展望台にはそう人は来ない。
来るならダイワスカーレットか実家関係の人間か。
足音が拾えている時点で前者なのは間違いない。
ボトルとタオルを両手に持ったダイワスカーレットが姿を現す。
こちらを見つけた彼女は呆れたような顔でため息をついた。
「...アンタ、暇なの?」
「ええ、まあ。
契約期間中、担当ウマ娘がいないトレーナーがすることはほとんどありませんから。
契約期間が終わってからはそうも行かなくなってしまいますが。」
契約の有無に関わらず忙しくなるだろう。
その点でも、彼女は重宝したくなる人材だ。
自分である程度トレーニングを組めるなら、自主トレーニングをトレーニングメニューに組み込んで時間を浮かせられる。浮かせた時間は偵察や他業務に回せば、よりやれることは増える。
それだけでも、誰だって喉から手が出る程の人材だ。来る日も来る日も担当契約を断り続けさえしなければ。
と、そういえば。
「...本日は随分とお早い到着ですね。
普段でしたら、月が昇る位のお時間になられますのに。」
ダイワスカーレットは重いため息をつき、複雑そうな表情で口を開く。
「..........先生に注意されたのよ。ハードワーク過ぎだって。
だから、色々減らすってだけ。」
その先生がトレーナー代理って所か。
まあ、好都合だ。
「...やはりそこは問題点になっていましたか。
でしたら、このようなものは如何でしょう。」
トレーニングメニューをまとめたノートを差し出す。
中身を見たダイワスカーレットは考え込むように顎に片手をやる。
「...貴女のトレーニングメニューを、低負荷高効率をコンセプトに組み直しました。
計算上、追加メニュー付の約75%の効果を維持しつつ、負荷は基礎メニューとほぼ同等にまで抑え込むことに成功しています。
各項目の横にある数字は3ハロン走の負荷を1とした時の相対的な負荷量をあらわした数字、貴女が普段使っている物と同じ基準です。
そしてこのメニュー案での負荷値の算出結果がこちら、貴女の現在の基礎トレーニングと同等の値です。」
彼女の手の中のノートを数ページめくる。
「更に、選抜レースで見た脚質を参考にスピードとパワーの強化練習の一部をスタミナ強化に変更、対ウオッカを踏まえた改良案を用意しました。
この案での負荷値の算出結果がこちら、貴女の現在の基礎トレーニングよりは大きいですが、十分誤差の範囲の値です。
..........如何でしょうか?」
ダイワスカーレットの口角が上がる。
どうやらお気に召したようだ。
「...アンタ、凄いじゃないの。」
「ありがとうございます...ですが。」
彼女に渡していたノートを取り返す。
「残念ながら、私は対価無しにこちらを提供するような善人ではありません。
...取引をしましょう。」
「...これが欲しかったら契約しろ、そういうわけね?」
トレーナーが学生相手に物で釣るなんて、と言わんばかりにダイワスカーレットは大袈裟に肩をすくめてみせる。
「はい。そういうことになります。」
「......二つ返事と行きたいところなのだけどね。
二つ程あるんだけど、いいかしら?」
反応は上々、このままだったら自分に決めてもらえそうだ。
「こちらにもございますので、質問を返してもよろしいのであれば。」
「いいわ。じゃあ一つ目。
アンタも素で話してくれない?
立場が下の筈のアタシが素で、上の筈のアンタが敬語ってのもね。
それに、そうしてくれた方がこっちにとっても都合が良いし。」
......気づかれていたか。
まあいい、そこで印象が悪くなる相手でもない。
自分の中のスイッチを一つ切り替える。
「...君のそれは自爆が原因だろ。
いつから気づいていた?」
「覚えてるかしら?アタシのノートを見た時、アンタは『折れるぞ、これ。』って言ってたの。
アンタのさっきまでのが素なら、『これでは足が折れてしまうのではないでしょうか?』とかなんとか言うでしょ。少なくともあんなぶっきらぼうな言い方にはならないわ。
後はアタシも同じだもの。わかるわよ。
それにそもそも、素でその言葉遣いってどんな名家のお坊ちゃんよ、って話だし。」
...抜かった、まだまだ自分も詰めが甘い。
「...次どうぞ。アタシのは最後にした方がいいから。」
「...なら、先に失礼させてもらうよ。
...君は僕に誰を重ねていた?
あ、答えたくなければ黙殺で構わないよ。」
ハァ~とため息が場に響く。
「...アタシの方もバレてるのね。
ま、あんなに叫びを聞かれたら当たり前かしら。」
ダイワスカーレットは空を見上げ、数秒の後口を開いた。
「..........小学生の頃、近所のウマ娘のお姉さんに走りを見てもらってたのよ。
ケンカ別れしたきり、もうすぐ六年になるわ。
アンタとあの人は雰囲気も言っていた事もそっくりでさ。どうしても重なっちゃって。」
遠い昔を懐かしむような顔で、ダイワスカーレットはそう言った。
「...悪いことを聞いたね。」
「別にいいわ。もう昔の事だし。...他は?」
「今のところはそれぐらいかな。」
「そう、ならアタシの番ね。」
ダイワスカーレットの表情から笑顔が失われる。
「...ねぇ、アタシはアンタにはどう見えているの?」
「どう、とは?」
「...アタシは負けたのよ。
地元で速かったからって調子乗って、
トレセン学園に入って本物の才能と直面して、
虚勢張ってでかい態度とって、
必死に努力して、
その結果惨めに負けたのが今のアタシよ。
アンタは、そんな偽物の才能しか持ってない私を過剰評価して求めている。
その過剰評価の理由がわからないのよ。」
本物の才能、か。
それを、君が言うのか。
姉さんやあの子と同じ、光に照らされている側にいる君が。
カッと衝動が沸き上がるのを、喉元でこらえる。
「...まず一つ、生涯何にも負けたことのない人間なんか居ない。その相手が人であれ、現象や病、概念であれ。
そんなものは才能の否定にはなり得ない。
事実、かの皇帝、シンボリルドルフさえ、三度は敗北している。
二つ、少なくとも僕は惨めだとは思ってない。」
「なぐさめなんか─「《font:58》慰めなんかじゃない!」
慰めなんて高尚なものであるものか。
「...選抜レースは確かに負けた。それは事実だ。
でもね、ハナ差だよ。実力─要は努力も才能も並べるだけなければこうはならない。
並べる事、それがどれ程の事なのか君は理解していない!天才や秀才になんて並べないんだよ!!!凡才には!!!」
いつの間にか叫んでいたことに気づき、咳払いする。
「......すまない、少し声が大きくなりすぎた。
...君の叩き出した結果が全ての答えだろう。
3位とは6バ身差、それ以降の後続とは10バ身差。
並んだ君で惨めなら、君で偽物なら、彼女達はなんだ。
トレセン学園に入れなかった者達はなんだ。」
私は、なんだ。
「僕に過剰評価をやめろと言うのなら、君こそ自分を過小評価するのはやめるべきだ。
過度な謙遜は、誰かへの侮辱にもなりえるよ。」
ダイワスカーレットはうろたえたように数歩後退り視線をあちこちに迷わせ、それから言葉を噛み締めるように小さく何度か頷く。
「..........。
過大かはさておき、アンタがアタシを評価してるのはわかったわ。
それで、アンタは本当にアタシでいいの?
夢とか望みとか言ってたじゃない。」
...いつか、言わなければいけないことだけれど。
今は、少しだけ。
「越えたい人が居るんだ。
越えなきゃならない人が居るんだ。
一度目の挑戦で。」
無駄な希望を抱くぐらいなら、その一度で終わりにしてしまいたい。
「その人と戦うのであれば、舞台は中距離か長距離。
この二区分では間違いなくウオッカよりも君の方が有利だ。
それに、前も話したけれど僕の得意分野は前方脚質だ。
その点でも、君が一番丁度良い。」
「...そう。」
「君ならGⅠを、最高峰の『一番』を手にできる。
君にはそれだけの才能がある。
君はそれに足るだけの努力を重ねている。
後は、君がそれを認めて手を伸ばすだけだ。」
ダイワスカーレットと、目線を合わせる。
「...アタシは、また昨日までみたいなハードワークを勝手にやりだすかもしれないわよ?」
彼女は顔を背ける。
「その時はそれに合わせて基礎メニューの負荷と時間を調整する。」
「ト、トレーニングメニューだって!納得できないところがあればケチつけるわよ!?」
声が、震えている。
「その時は納得できるまで懇切丁寧に説明するよ。
こんなでも中央のトレーナーだからね、それぐらいはできる。」
「.............!」
「知っていることが断片に過ぎないのは事実。
それでも、少なくともここしばらくは君の事を知るようにしてきた。
だから、何も知らないなんて言わせない。」
まっすぐ、彼女に右手を差し出す。
「...契約しよう、ダイワスカーレット。
僕は君を一番のウマ娘にして君の夢を叶える。
代わりに、君には僕が勝ちたい人に勝つことによって、僕の願いを叶えて貰う。
互いに、互いの願いを叶えるんだ。」
「...思ったほどのウマ娘じゃなかった、とか絶対言うんじゃないわよ?」
「冗談でも言うものか。これでも見る目は肥えてる。
君となら叶えられる。そう確信できるだけのものはもう見せてもらった。」
「...はぁ、呆れた...。」
ダイワスカーレットは大きなため息をつく。
「...アタシ、変な奴に.........」
下を向いて、その表情を伺うことはできないが、泣いていると言うことはかろうじてわかった。
...こういう時、姉さんならどうするだろうか。
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「...落ち着いた?」
スカーレットの呼吸が落ち着いた頃合いを見計らって、彼女から身を離す。
「ええ。
...みっともない所見せちゃったわね。
肩、ありがとう。」
若い子の支えになるのも大人の仕事、なんて姉さんなら言うだろうか。
「...気にしなくていいよ、泣きたくなる時ぐらい誰にだってある。」
「ありがとう。
..........さっきのお誘い、受けさせてもらうわ。」
ダイワスカーレットがこちらに手を差し出す。
「改めて...ダイワスカーレットよ。スカーレットでいいわ。
これからよろしく。」
「十和田青葉だ。好きに読んでもらって構わないが、敬称付きでも下の名前は避けてもらえると助かる。
これからよろしく。」
その手を取る。
数秒の間が空いて、どちらからともなく手が離れる。
「契約書とか必要書類なんかは既に揃えてあるから、中央校舎2階の226号室まで...明日の放課後で問題ないか?」
「問題ないわ。特に予定も入りそうに無いし。」
「良かった、ならこれを渡しておく。」
トレーナー室関係の鍵束を差し出す。
「トレーナー室と書類棚の鍵だ。
多分僕の方が到着するのは遅いはずだから、君が持っているといい。」
ダイワスカーレットは鍵束を受け取ると、ジャージのポケットに仕舞い込む。
「たしかに受け取ったわ。
それじゃまた明日。トレーナー。」
「ああ、それじゃ、また。」
ダイワスカーレットの背を見送り、振り向いて両肘を柵に置いて学園を一望する。
気がつけば日は沈んでおり、学園の各所を照らす光が輝いて見える。
「...姉さん。貴女の言ってたことが、少しだけわかった気がします。」
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ダイワスカーレットの背中を見送ってしばらく経ったが、いまだに左足の
..........つまり、それが示すのは。
「...人が黄昏ているのを無言で観察するとは悪趣味ですね。
どなたか存じ上げませんが、姿を現してください。」
ザッ!
「...全く、ひどい言い草じゃないか。」
茂みを突き破って、一人のウマ娘...と呼ぶには少しばかり年を重ねた女性が姿を現す。
懐かしい顔だ。
「..........これはこれは、悪趣味な方ではなくて悪趣味の権現でしたか。
お久しぶりです、ドクター。如何されました?」
軽く睨むと、彼女は飄々とした笑みを浮かべる。
「先生で頼むよ。丁度今年からトレセン学園に再就職したんだ。中等部の理科、高等部の生物の講師としてね。
...それで、君の事はどれで呼べばいいんだい?」
「十和田で結構です。
貴女が学生に教育する立場とは、トレセン学園の人材不足も深刻みたいですね。」
「お互い様だろう。君こそトレーナーになったとは驚きだ。
学園の採用部門は随分と杜撰みたいだね。
これでは悪い指導者に学生達が毒されてしまうよ。」
それを、貴女が言うか。
「なら早々に辞職されては?」
「冗談じゃない。訳有ってここにいるのは私も同じだよ。
さて、本題だが...これを持っていきたまえ。」
差し出されたフラッシュメモリを受け取る。
「これは?」
「スカーレット君の現時点での筋力など各種データだ。
担当になる君にはあった方がいい品だろう。」
ダイワスカーレットの指導者、先生とやらはよりにもよってこの人か。
「..........何が目的でこれを私に?」
「決まっているだろう?私の望みは今も昔もウマ娘の可能性の果てを見ることだよ。
彼女にはそこにたどり着く可能性が十分にある。」
裏は...まあ、有るか。
有るだろうが、表の方が主目的なのは変わらずだろう。
なら、とりあえずはひと安心だ。
「...相変わらずですね。」
「お互い様だろう。
...あの子のことを頼んだよ。
失礼する。」
「それでは。」
先生─アグネスタキオンの去っていく背中を見届け、帰路についた。