ピンポーン
理科室のドア脇に設けられた呼び鈴を鳴らす。
...返事はない。
また寝落ちしているのだろう。
「失礼します。」
入室すると、タキオン先生が──居ない?
教卓に突っ伏しているどころか、そもそも理科室内に姿が見えないのは珍しい。
職員室にでも行っているのだろうか。
適当な机から椅子を下ろして座り、メモ帳を取り出す。
さて、まとめよう。
まずわかっていることは、トレーナーには姉が居ること。
トレーナーのお姉さんと青葉トレーナーは特長が同じこと。
青葉トレーナーはメジロ家、少なくともそれに関係する人間であること。
トレーナーのお姉さんも目白家であること。
トレーナーには倒したい人、それもとてつもなく強いであろうウマ娘がいること。
..........恐らく、お姉さんと青葉トレーナーは同一人物。
近縁のウマ娘でも、それが例え姉妹でも─それこそビワハヤヒデとナリタブライアンやメジロラモーヌとメジロアルダンのように─髪色や流星等といった外見の特長に何か大きな差が出る。
いくら家系に連なる人数が多くとも、そうポンポンとほぼ同じ特徴をもつウマ娘は生まれてこない。
うち一人が養子だとしても、一世代に三人現れる確率など天文学的数字というやつになってくる。
二人としても確率は中々に低いけど、片方が養子ならばありえなくもない。
だから、二人は同一人物で間違いないはず。
ただその場合、今度はトレーナーと青葉トレーナーの名前が同じ青葉であることがおかしくなる。
...考えられるのは、そもそもお姉さんと青葉トレーナーが別人であるか、あるいは青葉トレーナーの本当の名前は青葉ではないか。
トレーナーの名前が青葉ではないという可能性は、記名必須の各種書類が学園に受理されていることを考えれば流石にありえない。
そして前者についてはさっき無いという結論に達した。
...一度お姉さんの顔を見てみよう。そのほうが早い。
今度トレーナーがお姉さんと会う時、連れていってもらおうか。
いや、トレーナーの様子と家庭事情を考えれば、頼み込んだところでついていかせてくれるとは思えない。
と、なれば尾行するべきかしら。アイツの事だからきっとすぐ気付くし、気付かれてもいいように変装しなければいけないわね。
カラコンやカラーメッシュやメンコ、ヘアゴムに服等、色々と買うべきものがありそう。
他に気になるのは二つ。
一つ目、青葉トレーナーが狐面をつけていること。
昔は着けていなかったことを考えれば、この六年間に何かあったということ。
...顔に怪我......だとして、隠すようなタイプでもない。
あるいは他に素顔を晒せない理由がある事になる。
素顔をさらせない理由...正体を隠さないといけない理由?
..........トレーナーが青葉トレーナーと同一人物、とか、あったり?
いや、無いか。
回りくどい教え方をする必要も無いし、いくら女性的な体つきとはいえ男だし、何よりウマ耳も尻尾も無い。
ただの人間がウマ娘...ましてや、デビュー前とはいえ中央トレセン生に走りで勝てる訳が無い。
確かタキオン先生が、昔は一時的にウマ娘になれる薬というのを作っていたって言っていたっけ。
仮にそれをどこかから仕入れて使っていたとしても、説明もを思い起こす限りどう頑張っても青葉トレーナー程の飛び抜けた身体能力にはならない。普段走らないウマ娘の流し相手に全力疾走でギリギリ並べるかどうか、だとか。
...うん。無いわね。
養子の件とか複雑な家庭事情とかでなにか理由があるのだろう。
複雑な家庭事情やらは私に知りようもないから、あの狐面については保留するしかなさそう。
..........もう一つ気になるのは、トレーナーが昨日言ってた事。
『君はもう少し信じる人を選んだ方がいいよ。君が味方と思ってるであろう人は、本当に味方とは限らないから。』
字面どおりに受けとるならば警告。
そうだとすれば曖昧な言い方だけど、『私が味方と思ってるであろう人』が障害に─敵になりうるということかしら。
私が味方と思ってるであろう人...?
私の走りを助けてくれているのは三人。
トレーナー、青葉トレーナー、タキオン先生。
トレーナーはまず発言の本人だから除外できる。そうでなければなんのための発言かわからない。
仮に青葉トレーナーがトレーナーのお姉さんだったとしても、アタシと青葉トレーナーの関係は知らない様子だから青葉トレーナーは除外できる。
..........そうなると、残りは一人。
「..........タキオン、先生?」
「呼んだかい?」
「ひゅえっ!?」
口から零れた呟きに返答が帰ってきて背筋が伸び、思わず立ち上がる。
振り向くと、タキオン先生が教卓でなにやら資料を広げている。何らかの研究論文らしいけど、専門語彙の入った英文でよくわからない。
「...その様子だと、私が戻ってきた事には気づいていなかったようだねぇ。
名前を呼ばれたから、てっきり気づいていたのかと思ったのだけれど。」
まずい、かも。
いや、でも、タキオン先生が敵?
到底信じられない。
「...いつから、居たんですか。」
「つい3,4分前だよ。
なにやら集中しているようだったから、邪魔しないようにしてただけさ。
..........それで、私の名前を呟くということは、私に関係する考え事だったんだろう?」
タキオン先生はこちらをあまり気にしてない様子で、資料と比較しながら研究論文を読んでいる。
...どっちが、正しいのだろう。
タキオン先生が本当に味方じゃないのか、それともトレーナーにとってなにか都合が悪いから嘘を言ったのか。
「あの、先生は、十和田青葉って人、知ってますか?」
先生は目線を資料に落としたたまま答えてくる。
「青葉...ああ、君のトレーナーか。
知っているよ。彼の実家にはお世話になったからね。」
ああ、やっぱりトレーナーとタキオン先生は知り合いらしい。
となると、やっぱりあの言葉はタキオン先生を指したもの。
...実家にお世話になった、ということは。
「トレーナーのお姉さんって、どんな人かご存じだったりしませんか?」
「ほう。」
タキオン先生は少し驚いた様な顔を浮かべ、顎に手を当てて天井を仰ぎ考えだす。
「意外だね、彼は家族の話をしたがるようには思えないが..........。」
しばらくの間。
「...あの一族のウマ娘は相当数知っているが、どれが彼の姉かはわからないな..........。
何か特徴とかは聞いているかい?」
..........実家が一族?トレーナーも名家の出?
でも、両親の本家のパーティーなどでは十和田の名は聞き覚えがない。
「メジロマックイーンに似た、薄紫の髪と瞳をしていると。」
青葉トレーナーの特徴を返すと、数秒遅れてタキオン先生の瞳が丸く見開かれる。
「......ああ、なるほど。そういうことか。」
先生はそう小さくこぼし、こちらを向く。
「知っているよ、
「どんな人でした?」
問うとほぼ同時、タキオン先生は論文を机に放り、背もたれに深く身を預ける。
「...答えなければいけないかい?」
声のトーンは数段落ち、語りたくないと言外に語っている。
「できれば。」
深い、それはそれは深いため息の後、ようやく先生は口を開く。
「...走る狂気、というのが近しいのかな。
数多のウマ娘に眠っている本能として、走ることへの欲求がある。
これがどれ程強いかは個人差が大きく、ソノンエルフィー君などをはじめとして他の何かへの欲求が上回ることもある。
ところが、
欲を通り越してもはや狂気と言えるほどだ。
走るためだったら足の一本二本、命の一つや二つを、それが自分の物だろうと他人の物だろうと簡単に捨てることができるような、人間の形をした化物。
私の知る
まるで冗談みたいな話。
でもタキオン先生は真面目な顔だ。
「ちなみに、その人の名前は...?」
先生が再び大きなため息をつく。
「...忘れてしまった、そういうことにしておいてくれ。
できればもう関わりたくないし、教え子達にも関わってほしくはないからね。
君も、それ以上は踏み込まないことだ。そこに踏み込まなければ、彼...十和田君は優秀なトレーナーでいてくれることだろう。」
「そう、ですか..........。」
トレーナーのお姉さんと青葉トレーナーが同一人物かそうでないかを判断付けられる話は出てこなかった。
...でも、青葉トレーナーの走りを考えれば、トレーナーの言う勝ちたい相手がお姉さんで、そのお姉さんが青葉トレーナーその人と言われても納得はできる。
..........確かめよう。
トレーナーのお姉さんが青葉トレーナーなのか。
トレーナーのあの言葉の意図を確かめるのは、それからでも遅くない。