バッ。
トレーナーがノートPCを閉じる音が部屋に響く。
タブレットのレース映像から顔をあげると、トレーナーは書類や資料を引き出しに収めて、帰宅の用意を済ませていた。
「それじゃ、僕は出かけてくるから。
戸締まりよろしく。」
「そう、気をつけて行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」
トレーナーがドアの向こうに消える。
...階段を降りていく足音。
もう十分かな。
スクールバッグから変装道具を取り出す。
髪に流星の白いメッシュを仕込み、ツインテールを解いてより大きなローポニーテールに束ね直す。
カラーコンタクトを入れて目の色を赤紫に変え、地元の友人に借りた地方のジャージに袖を通す。
最後に、右耳にワンポイントのメンコをつける。
これで、流石のトレーナーもアタシだとは気づくまい。
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ガチャッ
トレーナー寮の何処かでドアの開く音を聞き、建物の陰から半身を出す。
やっぱりトレーナーだ...けど、何故か女装している。
昨夜と同じように髪を解いているのは解るけど、トップスもボトムスもレディースだ。
おまけにコスプレ用グッズでもつけているのか頭にはウマ耳が、腰からは尾っぽが生えている。
ヒトの耳はアクセサリーとウィッグで隠されて、パッと見はどこにでもいる普段着のウマ娘だ。この前の追跡の時に髪をほどいた彼を見ていなければ、アタシ自身誰かわからなかっただろう。
それほどまでに違和感なく別人だと言うのに、それが逆に胸騒ぎを引き起こす。
なんだろう、この胸騒ぎは。
トレーナーは一階まで降りてくると、駐車場に止めてあった黒いセダンに乗り込む。
まずい。
こちらの追跡はバレにくくなるが、あちらに高速に上がられたり長距離を移動されると持たない。
追跡相手としては一長二短だ。
それでも、まずは追わないわけにはいかない。
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追跡を始めてから既に2時間。
トレーナーが乗ったセダンは、郊外の方へ走っている。
..........おかしい。
そう、あまりにもおかしい。
2時間も追跡できていることが既におかしいのだ。
相手は車、だというのに追跡を振り切れるような速度も出さず、挙げ句には息が上がってきた頃にはコンビニに寄って小休憩を挟みだす。
私の体力やペースを把握した上で、私が追跡しているのを把握し、それを容認でもしていなければおかしい。
明らかに誘われている。それは間違いない。
だとして、どうして?
やがて、車は雑居ビルの下の駐車場につく。
何処にでもある雑居ビル。
学習塾が入っているのは侵入しやすくて都合がいい。
バレそうになっても塾生のフリができる。
...ただ、あるにしてはどこか静かな気もする。
トレーナーの背が階段に入る角を曲がったのを見届け、追いかける。
同じ角を曲がった──瞬間、世界がひっくり返る。
「──!!」
何が起きたか理解するより早く、地面に叩きつけられる。
投げられた。
背中の痛みが意外と少ないあたり、恐らく地面に叩きつける直前辺りに勢いを減らす程度の配慮はしてくれたのだろう。
「...やっぱり君だったか。」
見上げると、トレーナーと目が合う。
「えっと...?どなたかとお間違えでは?」
「バレてるよ。」
「私は二階の塾に通っている、レッド─」
「偽名があるのは都合が良いね。
さて、そんな君に面白い話をしてあげよう。
外にあった塾の案内は偽物で、ここにそんなものは無い。」
やられた、この建物そのものが罠だったのね。
...もう言い逃れはできない。というか、しても無駄か。
「...。」
「......いつから?」
さしのべられた手を取り立ち上がる。
「トレーナー寮まで着いてきた日。
あ、今日に限るなら家の鍵を閉めた時だね。」
今日の追跡のつもりで訊いたが、答えはそれ以上のもの。
...つまるところ、家を出た瞬間にはもうバレていたわけ?なんならこの間の追跡も。
どんな勘の良さよ。
「...アンタ本当に人間?
怪異の類いだったりしない?」
「まっこと残念ながら、ニンゲンやらせてもらってるよ。」
「というか、気づいてるなら何でわざわざここまで連れてきたのよ?
途中のコンビニで言えば良かったじゃない。」
「あくまでも今日気付いてたのは誰かが監視─もとい、追跡していた事。
走り方から君だとは思っていたが、もし君じゃなかったら面倒事を起こすことになるからね。
君だとしても、君じゃなかったとしても、人目の少ないこんなところまで誘い込んだ方が都合がいいから。」
都合がいい理由...なんて、始末するとかしかないわね。
......漫画かアニメか小説でもあるまいし。
「ただのトレーナーが心配するようなことじゃないでしょ、それ。」
「ところがどっこい、事実は小説より奇なりなもので。
教え子や他のウマ娘に逆恨みされたり、
だから、大抵のトレーナー養成学校のカリキュラムには追跡に気づいたり撒いたり、倒したりできるようなあれやこれやが入ってる。」
意外とトレーナーというのは過酷な職業らしい。
「わざわざここで対応したのは、ここが合流地点だからでもあるけど。」
合流地点...お姉さんとの?
ふと、トレーナーの背後、階段の踊場に黒服が四人立っているのに気づく。
「大変お待たせ致しました。彼女が招待客です。」
黒服の方を振り向きもせず、トレーナーがそう言う。
アタシでは視界に入ってようやく気づいたのに、トレーナーは平然と察知していたらしい。
ああ、これじゃバレるのも当然ね。
コツ、コツ、コツ、コツ。
小さな足音と共に、水色の髪をした女性─ウマ娘が階段を下ってくる。
顔には見覚えがある狐面。青葉トレーナーと同じものだ。
でも、髪の色はトレーナーの姉のそれではない。
じゃあ、誰?
トレーナーは片膝をついて、彼女に対して最敬礼の形を取る。
「
「十和田とお呼びくださいと申し上げておりますでしょう。お久しゅうございます。
彼女が
こちら、ダンシングステージさんだ。
詳しいことは言えないが、取り敢えずどこぞの名家のお嬢様と覚えておけばそれで良い。」
「ご紹介に預かりました、ダンシングステージと申します。以後、お見知りおきを。」
トレーナーの紹介に続いて、女性が一礼する。
「ダイワスカーレットです。よろしくお願いします。」
礼を返して、トレーナーの方に向き直る。
「トレーナー、話が見えないのだけど。」
「君の探し人、見つかったよ。
この人だろう?」
そう言うと、トレーナーはスマホをこちらに差し向ける。
画面には、見覚えのある狐面、見覚えがある相貌、見覚えがある髪色。
青葉トレーナーその人が映し出されている。
「今はドレトノートと名乗って地下レースに出走しているらしい。
彼女らに着いていけば、その会場に行けるよ。」
「...なら、普通に教えればよかったのに。」
「そうしようと思って、今日姉と会う前に色々話し合う予定だったんだよ、本当は。
君がついてきたから今の状況になったわけ。」
少し呆れたような口調でトレーナーはこぼす。
その後ろで、ダンシングステージさんはクスクスと笑う。
「良いではありませんか。
貴方からすれば、今此処でこの件は私どもに移管した方が都合が良いでしょう?」
「...それは、そのとおりですが..........。
依頼するのであれば後日...」
パン、と女性─ダンシングステージが手をたたく。
「では決まりです。
本件は
異存はありますか?」
「...いえ。」
彼女はさらりと恐喝に似た宣言をすると、振り向いて部下に指示を出す。
「皆さん、車にご案内してください。
青葉、貴方には少々お話があります。」
「では、こちらへ。」
階段にいた黒服が、駐車場の方へ先導しようとする。
トレーナーに視線をやると、少し苦い表情で頷く。
「大丈夫だ。この人達は信頼はできる。
まかり間違っても君に危害が加わるようなことはない。」
そうは言われてもすぐに信用はできない...けど。
青葉トレーナーの事がわかるなら。
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「お待たせ致しました」
10分ほど遅れて、ダンシングステージがリムジンに乗り込んでくる。
「出発前に、少々お話を。
これから向かう先は、正直にお話しすれば犯罪の温床です。
まず場所の秘匿の為、窓は一時的に不透過にさせていただきます。
また、現地では他の方と会わない場所に案内させていただきますが、万が一地震などの緊急事態の拍子に出会うことになってしまったとしても、間違っても名乗らないように。
何か適当な偽名をご用意ください。」
犯罪の温床、場所の秘匿、偽名。
どこをとってもまともな所には思えない。
なんで青葉トレーナーはそんな危なさそうな所に?
「それと、これを。」
青葉トレーナー、そして彼女自身のそれとよく似たデザインの狐面が手渡される。
「これも外さないように。
偽名と仮面と変装、これだけで身元に近づくことは難しくなります。
それが、万が一のその後、あなたを守るための盾になります。」
顔まで隠さないといけない。いよいよまともな所ではなさそうね。
トレーナーは信頼できると言っていたけど、騙されていたりするんじゃないかしら?
アタシが装着するのを待って、彼女が再び口を開く。
「繰り返しになりますが、これから向かう先は犯罪の温床となってしまっております。
万が一の事が起きる可能性はゼロにはなり得ません。
ここが分水嶺となるのかもしれません。
出発して、よろしいですね?」
...再三に渡って確認してくるあたり、一応は善良寄りなのかしら?
「..........わかればで構いません。
一つ、聞かせてください。
青葉トレーナー...えっと、ドレトノートさんは、なんでそんな危険なレースに?」
「.............。」
しばらくの無言。
なにやら思案しているというのは見てとれるが、その内容までは伺い知れない。
やがて、何か合点が行ったように空気が代わり、彼女が口を開く。
「...ああ、私の伝え方も悪かったのでしょうね。
偽名と仮面、今となっては身を守る為の物に成り果ててしまいましたが、元を辿れば逆なのです。
正しく言うなら、犯罪の温床だから偽名と仮面が必要になったのではありません。偽名と仮面が必要だったから、犯罪の温床に成り果ててしまったのです。 」
偽名と仮面が必要な理由が先にあったと?
「...あの子から、何か体の事について聴いていますか?」
あの子。普通それなりに年下の親しい人を差す三人称。
つまるところ彼女はおそらく青葉トレーナーの親や兄姉か、あるいはそれに並ぶような間柄。
「...一応、トレセン学園の入学はできないとかそのようなことを。」
声や立ち振舞いからおそらく20代前半から半ば。
青葉トレーナーは6年前に中学二年生だから今は大体20歳。
年齢差から母親は無い。姉か従姉妹。
つまり、彼女も目白家。
...なら、まだ信用できるか。
「...そう、トレセン学園への入学ができない。
それは言わずもがなレースへの道がほぼ絶たれている事を指します。
普通は勝負にならず、ただ選考を長引かせたり枠を取るだけだったりと、邪魔でしかありませんから。 」
よくある話だ。社会人になってから競技に飛び込むウマ娘が少ないのも、ピークアウトのみならずその問題もあるからだ。
「...普通ならば、そこで諦める話です。
ですが、あの子は諦めなかった。
いや、諦められなかった。
しかし、進むことも出来なかった。
夢という呪いが、憧れを突き付け続けた。
夢という呪いが、現実を突き付け続けた。
進む道は始めから無く、帰り道は既に腐り果てた。
だからこそあの子は、なんでもないただ一人の個人として、レースを求めた。
自分が何者だとしても、ただ一人のウマ娘として走れる、そんなレースを。
身体や精神機能に障害がある者でもいい。
過去に罪を犯した者でもいい。
たとえ、現在手配中の犯罪者でもいい。
どんな理由を抱えていても、それらを一切無視して走れる、そんなレースを。」
タキオン先生がああ評する訳だ。
レースのために、どれだけの対価を浪費しているのだろう。
「そんなレースならば、もしかしたら、億に、いや兆に一つ憧れの舞台を超えたレースになるかもしれない。
そんな、夢の八つ当たりの為に。」
きっと、それでも夢の枷は外れなかったんだ。
だからああして、私に夢を託しに来た。
「仮面も偽名も、参加者同士はもちろん運営にも参加者の正体を解らなくするため。
正体が解らなければ、誰か特定の個人の出走を妨害することもできませんから。
その目的自体は叶いました。
......まあ、結果それはレース賭博やら闇取引やらの違法行為の隠れ蓑になってしまうことになりましたが。 」
なるほど。話はわかったし青葉トレーナーならやりかねない。一応の納得はできる。
信じてよさそうかな。
「...端的にまとめますと、危険なレースにあの子が出場しているわけではありません。
あの子が出場しているレースが、その特性を悪用されて危険になってしまっているというのが実態です。」
「...なるほど。
お答えいただきありがとうございます。
出してくださって構いません。」
「では、出発しましょう。」
彼女はテーブルに固定された受話器をとると、前方の壁の向こうの運転手に合図を出す。
一瞬の後、窓ガラスが全て真っ黒になり、静かに車は走り出した。