リムジンは不定期に右に左に曲がりながら進んで行く。
方向感覚を失わせ、場所の特定をされにくくするための手段なのかしら。
...なら、色々と気にするだけ時間の無駄かな。
「...そういえばダンシングステージさん、トレーナーさんとはどのようなご関係なんですか?」
「...少し、複雑な関係です。」
そう言って、彼女は左手の薬指を撫でる。
そこには、エメラルドの指輪。
政略結婚の相手─いや、トレーナーが最敬礼していたことを考えればあり得ない。
建前だけでも同等の立場にある人間の関係性とは思えないし。
「...あらら、その顔はバレバレみたいですね。
冗談ですよ、そもそも青葉...ええと、十和田は私を嫌っておりますし。
私と彼とはただの取引先です。」
「嫌い、ですか。」
そういう割には先程のやり取りにその気は無かったように感じる。
「彼の昔からの悪癖で、嫌いな人間には丁寧な口調で話すのですよ。嫌いであれば嫌いな程丁寧に。
曰く、嫌いな相手に失礼を働いて弱みを見せないようにと。」
つまり最敬礼が差すのは、最大限の嫌悪。
...アタシは...いや、契約の時にアタシが指摘するまではですます調だった。
アタシも嫌われて...はいるのかもしれない。
いや、きっとそうだ。アタシがため口を望んだからそれに合わせてくれているだけで。
トレーナーもダンシングステージさんも目測では20代前半だ。
ただ取引先というなら関わり出すのは最近のはず。どんなに早くても精々数年。
それだと、『昔から』と言うには浅すぎる。
「...そういえば、トレーナーさんとはどれぐらい前に知りあわれたのですか?
仲がよろしく見えたので。」
瞬間、ほんの、ほんの少しだけダンシングステージさんの顔が強ばった。
昔から両親の顔色を伺っていた経験がこんな形で生きるとは思わなかった。
ダンシングステージさんが小さくため息を吐く。
「..........最初に出会ったのはかなりの昔ですね。
元々は代々関係の深い取引先のご子息でしたから。
今はもう潰えてしまいましたが。」
目白家と家単位で密接な関係。とすると、十和田家はそれなりの家の筈。
...なら、やっぱり聞いたことがないのがおかしい。最近没落したにしても、昔何処かで聞いているはず。
政略結婚で名字が変わっている、とか?
トレーナーには十和田と呼ぶよう頼まれても青葉と呼ぶのも、その名字では呼び慣れていない...あるいは呼びたくないからと考えれば説明はつく。
「トレーナーさんについて、色々と教えていただけませんか?
丁度その『昔』について、とか。」
ダンシングステージさんは大袈裟に肩をすくめて見せる。
「...残念ながら、私の口からはなにも。
青葉もそれを望んでいないでしょう。
事実、青葉は貴女にまだその話をしていない様ですし。」
「私がこれまで聞かなかったからかもしれませんよ?」
ダンシングステージさんはクスクスと笑う。
「まさか。
ああ見えて秘密を知られることを何より恐れていますから、聞いたところで誤魔化されるだけでしょう。
丁度先ほど、目的をすり替えられた様に。」
先程...ダンシングステージさんとの合流。
青葉トレーナーの事で、姉のことを誤魔化された事か。
たしかに、トレーナーの様子を見ているとそうやって深入りは避けてきそうだ。想像に難くない。
「...否定は出来ません。」
「それに、世の中には知らない方が良いこともあるのですよ。
そう、例えるのであれば、そばにいる人の本当の生まれ─本当の父親など。無知は罪ですが、過度な知もまた等しく罪です。 」
トレーナーか青葉トレーナーの家庭環境になにかあるのかも知れないけれど、今一つ例えがピンと来ない。
とはいえ、言っていることはなんとなくわかる。この前青葉トレーナーがアタシに夢の内容を教えてくれなかったように、『知らない方が良いこと』というのは確かにあるのだろう。
「..........それに何より、余計なことを口走ってしまっては、私も貴女も青葉に何を言われてしまうか。
冥府から手を引かれてしまっては一族郎党まっ逆さまです。」
双方が昔を知るが故に、お互いにお互いが知られたくない話を握っている訳ね。
ましてや目白の取引先となれば名家同士、最悪没落寸前に至るようなネタの一つや二つを互いに握っていてもおかしくはない。
トレーナーの家系が解らないから、ダンシングステージさんが示唆した通り、もしかしたら
それどころか、トレーナーの側は既に没落してる側。
自分さえ覚悟が出来ていれば、反撃を恐れずに切れるワイルドカード。
トレーナーの身元が判明するまでは、本人に面と向かって聞く以外は危険か。
「...そうですね。」
「察しがよろしくて助かります。
...ああでも、一つだけ追加で教えておきましょう。これぐらいの事は許してくれましょう。」
ダンシングステージさんは一つ息を吐く。
「...先ほど私と彼とはただの取引相手と言いましたが、実はもう一つ。
同じ目標をもつ間柄でもあります。
..........彼の目標、『倒したい相手』が居ることは既にお聞きでしょう。
私も同じ目標を抱えています。
その相手こそが、あの子。
名を、ドレトノート。」
...トレーナーのあの言葉が指していたのは、やっぱり青葉トレーナーのこと。
......わからない。トレーナーは青葉トレーナーを知っていた。
なのに、私にはまるで最近ダンシングステージさんから聞いた様に振る舞ってきた。
なにかが、なにかがおかしい。
そんなことを考えていると、体に減速の慣性がかかる。
「...さて、そろそろでしょうか。」
直後、黒く染まっていた窓が透明を取り戻す。
何処かの施設の地下駐車場、といった印象。
やがて、出入り口前にリムジンが止まると、前半分に乗っていたのだろう黒服がドアを開く。
ダンシングステージさんに続いて降り、通路を進んでいくと、彼女は横道との分岐点の所で足を止めた。
「先に進んでいてください。私は少々人と合う必要がありますので。」
手で道の先の方を示す彼女に、正面から目線を合わせる。
「...危険な場所とお聞きしていましたが。
客人を先に行かせるのですか?」
ダンシングステージさんは臆することなく、真剣な表情で目線を返してくる。
「貴女は、青葉の目標にとって必要不可欠な大切な存在です。
その貴女を...今日話を進めた事にこそ文句はあれど、預けること自体には何の文句もなく預けた。
それだけでも、少なくとも青葉にとって私は十分に信用に足る相手であるとご理解いただけると思いますが。」
...それは、そうなのだけど。あれだけ念を押されてこの場に無警戒でいられるわけもない。
でも、言っていることを理解はできる。トレーナーは結構割りきりが強い方だ。そのトレーナーがすぐ任せた辺り、大事なところで判断を誤るような人ではないのだろう。
...信用、はまだできないけれど、ここは従っておいていいか。
「...解りました。」
表情がころりと笑顔に戻る。
「ご理解いただけて何よりです。
さあ、ご案内を。」
ついてきていた黒服が先導に変わる。
「こちらです。」
=========
10分程歩いて、ようやくレース場を一望出来る部屋に通される。
「わぁ...!」
眼下にはターフ。形状は東京レース場のそれに近しい。
頭上には夜空。無数の星が爛々と輝く。
腕時計に目をやると、まだ時針は3の手前。
つまりこの夜空は人工物で、おそらくは地下なのだろう。
...なら、あの夜空は映像なのだろうけど、そのわりには写されている場所は遠い。
地中に柱無しのこれだけの大空間を作るのに、一体どれだけのコストがかかるのだろう。
眼下に目を凝らすと、青葉トレーナーやダンシングステージさんと同じ狐面をつけているウマ娘が数人いる。
その中に薄紫の長髪のウマ娘を見つけた。
青葉トレーナー?
いや、毛先が違う。
青葉トレーナーは毛先にかけて少しブラウンのグラデーションがかかってるけど、あのウマ娘は全部薄紫だ。別人ね。
「お待たせしました。」
声をかけられて振り向くと、ダンシングステージさんが立っている。
眼下に視線を戻すと、既に少女の姿は無い。
「如何されました?」
「その、青葉トレーナー...ドレトノートさんに似た方がいたので気になりまして。」
「...あの子とはさっき会ってきましたので、他人の空似か見間違えでしょう。
あの子の出番の4000mまでまだ時間はあります。
しばしお待ちください。」
4000m。近年はトゥインクルシリーズどころかドリームトロフィーリーグですら聞かない、超が付くほどの長距離。
スタミナをつけるためにトレーニングで走ったことはあっても、とても本番のペースで走りきれる気がしない。
長距離路線を主戦場とする目白家においても、そこまでの距離を走るウマ娘はそう多くはないだろう。
「えぇ、普通のウマ娘が走れる距離ではありません。
事実として、出場者の半数はタイムオーバーに、さらにその半数は先着の半数より大差以上での入線です。
もっとも、タイムオーバーの基準からあの子を除外するのであれば、ですが。」
「...
4000mという超長距離で、他のウマ娘を突き放すような怪物を相手に勝つことを要求されているのか、私は。
「そういうことです。...貴女と戦う場合は恐らく2000メートル代になりますが。
それでも、最終的には貴女の実力次第になります。
無理も無茶も承知です。不安要素だって山のように積み重なっています。
それでも、託すならば青葉...十和田、ひいては彼が見込んだ貴女だというのが、現時点での私達の結論ですから。」
彼女はさらりと語るが、その瞳の奥に覗くものがそこまでに積み重なってきたものの重さを感じさせる。...多分、トレーナーも同じだけのものを抱えている。
いざその事実と向かい合うと、少し重い。
そんなアタシの顔色を見てか、ダンシングステージさんがまた口を開く。
「...それに、貴女にとっても悪い話では無いと思います。
そんな相手に勝てるウマ娘であればこそ、一番を名乗る資格があるというものでは?」
「..........。」
アタシの目標の通過点と、二人の目標が同じ。
そう考えるなら、確かに少しは気が楽かもしれない。本当に、すこしだけ。
「...考えさせてください。」
「大丈夫です。なんでしたら年単位で悩んでくださっても構いません。
幸い、時間は二年余りありますから。」
=========
「...想像以上、と言う他無いだろうね。」
聞き飽きた文言に顔を歪めると、視線の先の女性は面倒な顔をする。
「私は事実を言ったまでだよ。
...以前言った通り、この薬は元々成長促進用の薬...転じて、新陳代謝を異常加速し軽度の怪我を回復させる薬だ。
現状主作用扱いされている骨折からの回復や欠損部位の再生なども、実のところ副作用と言って良い。」
それだけでも大概想定外の使い道なのに、と彼女は続ける。
「まして、君のその体は君のクローンすら持ち得ない、本来発現しえない遺伝子因子が発現してしまった状態。インブリードと外的要因の奇跡的なバランスで成り立ったバグのようなものだ。肉体そのものが一種の腫瘍の塊とさえ呼んでもいい。
普通は再生した所で、クローンと同じようにその力は失われて然るべきなんだ。
それが、異常な状態のまま新陳代謝を起こしている。」
彼女は大きく深いため息を吐く。
「私にはUMASOUL仮説と同様の起源の未知数な力によるものだと、そう考えざるをえないよ。
科学者として無責任なことを言うが、数式や化学式などで理屈が立たないのだからどうしようもない。
理論の超越は走行中のウマ娘で幾度となく観測されてきてるしね。」
本来あり得ないこと、そんなことを何度言われただろう。いい加減聞き飽きた。
「大切なスポンサー様兼実験体だ、なんとでも言うが良いさ。 」
さて、と彼女は端末からこちらに向き直る。
「いつかの君の質問に答えを返そう。
君が全力で走れるかどうか、だが。
理論上は可能、現実的には不可能だ。
君の脚の骨は筋肉が生み出す力に耐えきれず粉砕される。
だが、粉砕されるまでの時間は力を伝えるには十分。
そして次の一歩を踏み出すまでには再生している。
つまるところ、骨が粉砕される痛みと急速に再生される痛みに耐えられ、なおかつそれによって姿勢を崩さないのであれば可能と言える。 」
ああ。それは。
死ぬよりつらそうだ。
「..........死ぬほど辛い、死ぬより辛いなんて物語では山程ある話だが、これは生憎現実だ。
痛みの比較を容易にするために、その痛みにより発生する神経の電気信号の単純な電子総量で比較するとしよう。
その場合、君は100mを本気で走るだけでも、体を20秒かけてゆっくりと押し潰されて圧死する以上の痛みに苛まれる計算になる。
当然、そんな走り方をしていてはニンゲンの精神力では耐えきれずショック死する...が、この薬が君を無理矢理常世に連れ戻す。」
最終的に死なないなら、また走れるなら、何の問題もない。
「端的にまとめれば、君は文字通り『激痛に殺され続け、幾度となく死にながら走る』事になる。
まさしく、文字通りに。 」
「それに耐えてまで走る気はあるかい?」
目を瞑る。
今でも鮮明に思い出せる。
私を突き放す背中。
追い付ける気もしない背中。
大嫌いで大好きな笑顔。
ああ、やはり。
やはり、考えるべくもない。
「.........恐ろしいものだね。
私に限らず、生きとし生けるウマ娘は何らかの形で走ることに心引かれる生き物だが...ここまで狂う個体が居るとは。
まるで『
...いや、君のために作られたこの薬が既存の常識を塗り替える事を鑑みれば、かの戦艦になぞらえて『
ドレットノート。良い名前だ。
真っ当なウマ娘の体に生まれてこれていたら、それを走者名にしたかった。
...いや、違うな。
「ドレトノート、かい?
ああ、なるほど。それならば冠名つきでも規定に収まるね。
さて、諦めがついたらまた呼んでくれたまえ。」
いつの間にか片付けを終えていた彼女が椅子から立ち上がる。
「君の脚に幸多からんことを。」
そう吐き捨てて、こちらに背を向ける。
ドアの向こうに消える背中を見送り、ベッドに上半身を投げた。
皮肉か、一瞬そんな思いが脳をよぎるが、彼女の過去を思い出す。
..........きっと、本音、なのだろうな。
そんなことを思いながら、意識を手放した。
=========
コンコンコンコン
静かな部屋に響くノックに、虚ろな意識が引き上げられる。
残った微睡みの中、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
空ろな意識の中、ゆっくりと左手をパーカーの耳カバーに伸ばす。
...ひどく懐かしい夢を見た。
自分が道を違える前の夢。引き返すべきだった日の夢。
嫌な気分を振り切り、壁の時計に目を向ける。
...時間的に芝長距離は終わっている頃合い。
ならマックイーンか。
「...どうぞ。」
立ち上がりながら振り向くと同時、ドアが開く。
「失礼します。」
自分に似た紫髪の少女──メジロマックイーンが入室してくる。
深く頭を下げる。
「お久しゅうごさいます。
如何されました?」
彼女は小さく礼をして、隣の椅子に腰かける。
「お久しぶりです、青葉。
最近アルダンが呼んでもお茶会に顔を出さないので様子を、と思いまして。」
マックイーンは狐面を外し、自分のそれの隣に置く。
「生憎、健康ですよ。ええ、嫌になってしまうほど。
昔からご存じのことでしょう?」
投与されている薬が薬だ。
例え腫瘍を移植しようとたちまち治ってしまうような体では、不健康になれと言うのが無理だ。
「アルダンもラモーヌも気にしているようでしたので。」
「私としては気にされない位までフェードアウトしたいのですがねぇ。」
自分の狐面を手に取る。
「いい加減、外様の一個人など忘れていただきたいものです。」
狐面をつけると、網膜投影式のスクリーンが立ち上がり、気温や風向きなどのデータを視界の端に映し出す。
内向きのカメラが光彩の動きを捉え、ポインタが追従する。
「そうも行きませんの。
貴方は本来、第三候補に名を連ねる人間ですよ?」
首をかしげるマックイーンに目を向けると、画像認識に一瞬に満たないラグを挟み、体躯からAIの予測した身体能力や作戦傾向が彼女の周りに浮かび上がる。
それを確認し、ボイスチェンジャーの内蔵された下顎の部分を外す。
「今は貴女が、でしょう。
ああ、ラモーヌお嬢様が身を引かれたので今は第二でしたか。
...どちらにせよ、もはや私には関係無きこと。
そもそも、勘当されていた筋のものが当主候補に名を連ねていたこと自体がおかしかったのです。」
もしもの時の、その場しのぎのための人材だったとしても。
「...あなたはそれで満足でも、私達にとってはあまり納得の行くものではありませんわ。
本家筋に養子にとられている以上、名を連ねている事自体に文句があるものはおりませんでしたのに。」
今にしてみれば完全に無駄な労力だ。これに限った話じゃないが。
「私が
...そんなことを言ったところで、もう過ぎたことか。
ため息を吐く。
「......それで?様子を見に来ただけですか?」
マックイーンの方へ視線をやると、彼女は頷く。
「ええ。」
小さくため息をつき、天井を見上げる。
そんなはずはない。顔にまだ用事はあると書いてある。
とはいえ、いちいち根掘り葉掘り聞いてあげる程自分は優しくはない。大方、
「..........そうですか。
それでは、そろそろ時間なので失礼いたしますね。」
狐面の下顎部分をつけ直すと、ターフへと繋がる通路への階段を下る。
「そうだ。」
ふと、連絡事項を思いだし段の途中で足を止める。
「尻尾クリームの今月分の注文、ドーベルに伝達をお願いします。」
「わかりましたわ。
...相変わらず愛用してるのですね。」
..........。
「こればかりは、好みですから。
..........それでは、そろそろ失礼いたします。」
=========
「死にたもうれ 死にたもうれ
死にたもうれ 死にたもうれ」
呪詛でも唱えるかのように、青葉の口が文字列を吐き出す。
その文字列の向けられた先は青葉自身であり、繰り返す度に内なる何かが割れ、一つずつ欠落していく。
意識が闇に沈み、理性が自我から解離する。
自らを責めるように内側に向けられていた悪意が、理不尽で無差別な悪意として外向きに正されていく。
自信、嫉妬、憎悪、羨望、欲望、渇望、害意、殺意、 、 、
無数の醜いものが鎌首をもたげる。
最早、内外問わず
あるウマ娘達は、
<<獣>>と。
使命など忘れ目につく
あるウマ娘達は、
<<
光をもって
そしてあるウマ娘達は、
<<ドレッド>>と。
彼女らは言った。
如何に複雑に形容しようと、如何に畏怖の対象に形容しようと、
仮に
生きとし生けるもの全てに等しく襲いかかる──
レース発走のブザーが響き、ゲートが開かれた。
作り物の空の下、静かに、
───<<