「...浮かない顔だね。
勝ったのは君の担当ウマ娘だろう?」
アグネスタキオンはわずかに細めた目でこちらを見る。
勝ちはした。したが、少なくとも自分は褒められたものではない。
「..........3点程。
二着のツキヨナガイヨルは6月の選抜レースでは大差をつけていました。この5ヶ月でここまで差を縮めてしまったのは私の失態でしょう。反省すべき問題です。
彼女があれだけの切り札を持っているのを見抜けなかったのもまた問題です。」
でも、それ以上に。
「...何より、担当ウマ娘を最後まで信じることが出来なかったのが、トレーナーとしては致命的な問題です。」
思わず漏れたため息に、アグネスタキオンは首をかしげる。
「...最終直線辺りの話かな?」
「はい。最後の直線勝負ですが、私の想像通りなら負けていました。
一旦失速して離された時点で、余力があったとしても彼女の加速力では再加速しても追い付かないはず。」
その筈なのだ、本来。
少なくとも、自分が把握できていた情報に基づけば。
「ですが追い付き...更には追い抜いた。
それが出来るだけの力があると、把握することはおろか信じることすら出来ていなかった。」
トレーナーとしてあるべき姿ではない。少なくとも、
「...それは果たしてそこまで悔いることなのか?」
...なにを言い出すんだ、この人は。
「少なくともUMASOUL仮説...今は公理でしたか、その理屈の上においては、重要な事でしょう。」
「そうじゃない。信じることは重要、ということは否定しないよ。
だが、トレーナーという職業は担当を心から信じ、同時に担当を心から疑わねばならない職業だと、私はそう思うが。」
何せ、とアグネスタキオンはため息のように漏らす。
「信頼という慢心が何をもたらすかを知る機会において、私達は実に恵まれてきただろう?」
彼女は軽く足を叩きながら、自嘲気味に笑った。
内容は違えど、お互いに夢破れてなお諦めきれない身だ。笑い事の様に言っている胸中は、察するに余りある。
「...ありがとうございます。」
「とはいえ、把握漏れを無くすことや信頼関係の構築は絶対的に必須、君達の急務と言って良いだろう。」
わかっている。当然の事だ。
特に最後の再加速。アレは自分が全く把握していなかったもの。
他の陣営の秘め札を把握していないなら─それも大概事前調査不足だが─ともかく、自分の担当ウマ娘の秘め札を把握できていないのは問題外だ。
試合開始以前に兆候のようなものはなかった以上、他の陣営にもあの秘め札の存在は気取られてはいなかったのだろうが......いや、待て。
アグネスタキオンを睨む。
「...一つお聞きしたいのですが、何故あのタイミングでダイワスカーレットが勝つと、そう確信できたのですか?」
あのタイミングでそう確信できるなら、少なくともこの人は把握していたはずだ。
「...さして重要なことではあるまい?」
そんな訳がないことぐらい、あの舞台の上に居た彼女がわかっていない訳もない。
「後学のために聞かせてもらいたいです。」
アグネスタキオンは大きなため息を吐いて、大きく目を反らした。
「..........乙女のカン、ということにしておいてくれないかな。」
..........話す気はない、ということか。
もっとも、スカーレットへの肩入れや信用を考えれば、『そういう』ことなのだろう。
「乙女、なんて年齢ではないでしょう貴女は。十...幾つ上でしたっけ?」
若くもなければ未婚でもない。さすがに乙女を名乗るのはおこがましいとまで言える。
「女性は何歳になっても女の子だ、そして女の子に年齢の話をするのは失礼ってものだよ。」
「そういうことを言い出している時点で大概でしょう。
娘さんのご友人に聞いてみてはいかがです?普通に答えると思いますよ。」
細められた目がこちらを射抜く。
「...夜道に気を付けたまえよ。私に対してはともかく、相手が相手なら妥当な末路になるだろうから。」
「それはいいですね。
暗器か凶器か、どちらにせよ解毒剤を沢山浸しておいてくだされば文句もない。」
そうであれば、どんなに良いことか。
一つため息をつくと、アグネスタキオンは背もたれに身を倒す。
「...君も相変わらずだな。」
「ええ、お陰さまで。」
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控え室の戸を叩く。
「十和田だ。」
「どうぞ。」
室内から返ってきた声に扉を開け、ウイニングサークルから戻ってきていた担当に声をかける。
「入るよ。
現状
あ、お姉さんのレースを見るならシャワーは早めにね。 」
連絡事項を端的に述べ、対面の椅子に腰かける。
「さて、本題。
まずお疲れさま。
位置取り、ペース維持、仕掛けるタイミングまで完璧。
特に最終直線、抜かし返したのについては本当に良くやった。
優勝おめでとう。」
微笑みかけると、スカーレットは複雑な感情の隠せていない笑顔で返してくる。
「あたりまえ、なんて返したいところだけれど、正直に言うと負けるかもって思ったわ。」
無理もない。あの状況はそうなるはずだったんだから。
「...包み隠さず言えば僕もだ。
僕が知る限りの君は、あそこから逆転できるだけの足はないはず。
ツキヨナガイヨルの減速もあり得るけど、少なくとも一回で目に見えてわかる程じゃなかった。なれば結局同じこと。
端的に聞くよ。
何があった?あの加速は何?あの切り札みたいに隠し札をまだ持ってた?」
ダイワスカーレットの耳先が少し下がる。
しまった、質問攻めをし過ぎたか。
「...その、わからないの。
頭の中がスッて空っぽになって、体が勝手に動いて、気がついたらゴールを過ぎてて...。」
その感覚をよく知っている。
厳密に言えば自分の知るそれとは少し性質は違うが、根本的には同質のもの。
「...『
..........新バ戦で?」
起きた状況、彼女の説明、ゾーンの片鱗だとすれば説明はつく。
しかし新バ戦だ。彼女にとってある意味では大きなレースではあるが、重賞ですらない。
普通ならレース経験を積んで、その上でそのウマ娘にとって重要な舞台でそこに至るかどうかだ。もっと言えばその状況であっても発現はおろかその片鱗を見せるウマ娘自体極少数、豊作の年でも片手にすら満たない。
それだけの経験と想いが必要なのだ。
それが、兆候らしきものだけとはいえ、新バ戦で。
そうでなければ説明はつかないが、そうであるとすればあまりにも常識から解離している。
...先生の仕込みか?
だとしても、納得できる物事ではない。
「..........とりあえずそれは持ち帰って少し検証しよう。この場じゃ判断出来ない。 」
安易な推測だけで判断できることじゃない。というか、もはやどれだけ時間をかけようと自分一人では結論を出せるような物事ではないだろう。
「他に何か気になったことはある?最終直線に限らずで。」
「全体的にアタシに対してのマークは強かったけど...特にツキヨナガイヨルのは明らかに強くマークしてたのは伝わってきたわ。
レース前に宣戦布告してきただけはあるわ。」
...自分が契約しなかった事への恨みか何かか、面倒な。
「君に勝つのが先ずの目標か。
もしそうなら、後々面倒になるから気をつけておかないとだ。」
「面倒?」
首をかしげるスカーレットに首を縦に振って答える。
「彼女のトレーナーの西野空さん、現役時代から策を労して翻弄するのが得意だからね。
彼女自身の性格的にトレーナーの仕込みの技術を生かしきれるかは怪しいけど、もし
他は...無いね。
よし、反省会終わり。
急ごうか。」