いつものように観戦区画に入ると、タキオン先生の横に女性が座っている。
「おや、これはこれは珍しい。」
先生の隣に腰を下ろしつつ、その向こう側に目をやる。
「先生にも一緒にレースを見るご友...人が......」
視線の先の人物が双眼鏡を離すと、見覚えのある顔と目が合う。
ツキヨナガイヨルのトレーナー。まさかこんなところで会おうとは。
「..........これはこれは。西野トレーナー。」
「どうも~。今日も対戦よろしくお願いしますね。」
芦毛の少女はそう言って微笑む。
「...こちらこそ。
珍しいですね。西野トレーナーは普段、観客席の方におられる方だと聞いた覚えがありましたが。」
「担当最後のレースぐらいこっちで見ても良いかな、なんて思い付きですよ。」
最後の。僕が引き継ぐ前提か、この人は。
「...私は断りましたよ。
後の事はそちらでどうぞ。」
「断られただけで引く様な子じゃないと思いますけどね~。」
「...否定はしません。したいところではありますが。」
ここまでレースを被せられていること、当時の指輪を未だ所持していること等から、理由はともかく執着されていることは嫌でもよくわかる。
「恋する乙女は何をしでかすかわからなくて怖いものですね~。
まあ、それについては私も人の事は言えませんが。」
西野トレーナーが自嘲ぎみに笑みを浮かべ、タキオン先生が苦笑を返す。
「全くひどい話だよ。13年半程も前に使った技術を報酬として要求するんだ。
封印した資料を復元するのにどれだけ時間がかかったことか。」
「13年半...というと..........」
眼下のターフに視線が吸われる。
「...今君が思い浮かべているちょうどそれの技術だよ。」
「それを昨年使わせてもらいました。
可愛いんですよ、うちの子。」
...。
「先生。」
「みなまて言わないでくれ、君が懸念しているような事は無い。
不安ならDNA検査でもしてみるかい?
そこには私と彼か彼女かの遺伝子両方があるはずだよ。」
彼女は─少なくとも彼女自身の研究成果についてなら─嘘やごまかしをするタイプではない。
つまるところ、
だとしても。
「.........技術者倫理や生命倫理の講義の担当教授が泣いてますよ。」
「君も人の事はいえないだろう。」
アグネスタキオンは呆れ顔で短く吐き捨てる。
「言えませんね、ええ。」
「ここにいる全員そうでしょ?」
西野トレーナーの言葉に、それぞれのため息が漏れる。
「...この話題忘れて、レースの話でもしましょうか。」
=========
「ゲートインが始まろうとしております京都競バ場第11レース、JpnⅢシンザン記念。
芝の1600m右外回り、晴れ、バ場は良の発表です。
実況はわたくし信濃、解説はリュンヌリュミヌルさんでお送りします。
さてリュンヌリュミヌルさん、今日の出走ウマ娘なんですが。」
「やはり注目は一二三番人気の三名でしょう。
一番人気のダイワスカーレットはここまで連勝中、今日の仕上がりも申し分なさそうでした。
続いて二番人気の5番ベイリーブヘイロ、こちらはここまで重賞に三連続で出走、その全てで着差0.2秒以内、特にJpnⅠJpnⅡでは0.1秒の成績を出しています。
そして三番人気のツキヨナガイヨル。
ここまでダイワスカーレットに負け越してはいますが、その能力は決して劣っているとは言えません。雪辱を果たすことも十二分にあり得るでしょう。
この三名のやり合いに周囲が振り回される展開となるかと。
...個人的には重賞未経験の二人がどこまでやれるかにも注目したいところです。」
「なるほど、7枠の二人にも注目ですか。
さあ今、各ウマ娘ゲートイン完了しまして、出走準備が完了しました。
さぁJpnⅢ、シンザン記念が─
───スタートしました!
マスタスレーヴ良いスタートを切りました
ちょっとマイナーリサイクル、ダッシュがつきません。
固まっています。
まず。シンドーストライキ、シンドーストライキが先手を奪うように上がっていきました。
早くも二バ身、三バ身とリードを取っていきます。
シンドウジーエルが二番手の位置です。
シャングリアナロが三番手、外一バ身差の位置に、7番ツキヨナガイヨルが追走です、現在四番手。
その外にダイワスカーレット。
後はベイリーブヘイロ、ヴィンシエルさらにはシズカナイアンと固まりました中団から幾分後方よりですマイナーリサイクル。
そして最後方わずかにマスタスレーヴです。」
=========
眼下のターフに広がったバ群を見下ろす。
「...ツキヨナガイヨルが出てこない?」
それどころか、じわじわと下がって前をスカーレットに譲った。
妙だ。彼女は逃げウマの筈。出遅れたにしてはあまりにも後ろに付けすぎている。
これでは逃げどころかこの前見せた先行策すら難しい。
というか、あの位置ではもはや差しだ。
逃げならもう絶望的、先行でも難しい盤面といっていい。
...それにしては彼女の闘争の意志が強過ぎている?
位置取りに失敗したのならもっと失敗の影響が出る筈。
ましてや、あの宣戦布告を考えれば彼女に取って大一番。隠しきれる程度の影響にはならない。
なら、これは失敗ではない?むしろこっちが本命?
...待て。逃げ、差し、
ツキヨナガイヨルの新馬戦の末脚。
いやいやいや。そんなバカな。
基本に逃げ先行差し追込と作戦を並べた時、隣り合わない作戦の変更は走り方が大きく変わるため容易いことではない。変更前後で大きく実力を落とさないなら、それだけで一つの大きな才能とさえ言える。
ウオッカの
それに、もしそうなのだとしたら新バ戦、なんならそれ以前の模擬レースから仕込んでいたことになる。そんなことが...
ツキヨナガイヨルの走りを見て、フラッシュバック的に昔の記憶が呼び起こされる。
5年と少し前の、彼女の走り。
...そうだ。君は、
ああ、それならば新バ戦の時の先生の発言にまで説明がつく。
...だとして、スカーレットに勝てるのか。
恐らく、純粋な総合能力勝負なら幾分かスカーレットに軍配は上がりやすいだろう。
だが、西野トレーナーがそれを許すかと問われればまず間違いなく否。ツキヨナガイヨルの方が有利になる状況を押し付けてくる。
...どこまでいけるか。
「...先生、謀りましたね。」
隣のアグネスタキオンを睨む。
「...さあ、なんのことだい?」
「先生は始めからツキヨナガイヨルの本命の脚質が差しなのだと気づいていた。
だから新バ戦の時に、あんなタイミングでスカーレットが勝つと断定できた。
違いますか?」
アグネスタキオンは静かに目を細める。
「...及第点かな。」
少し狼狽えた様子の十和田トレーナーに笑顔を返す。
「面白い手でしょう?通じるのは一度きりだから、本当はダービー辺りで御披露目と行きたかったんだけどね~。」
ナガイヨルがダイワスカーレットに勝つために手段を選びたくないならやむを得ないというもので。
...まあでも、これは諸刃の剣。それもこちら向きの刃の方が鋭いやつ。
私達用の対策の無効化と一時的な撹乱が限界で、そのくせ逃げだからこそ、全員の目にはいるからこそ使える小手先騙しは使えなくなる。
何よりも、このまま行くと完全に実力勝負になるのが一番の難点。
いくら差しがナガイヨルの本命の脚質だと言っても、いくら今彼女がみるみる実力が上がってるとは言っても、単純な能力勝負だと正直勝ち目は薄い。
だから不利を埋めるあと一手を指す。
下準備は万端、あそこからならダイワスカーレットがよく見える。
「さて、ショーダウンといきましょっか。」
=========
「さあ各バがこれから外回りコースの第三コーナーを目指して行きますが...2番のシンドーストライキ、大逃げをうっています。後続八バ身から九バ身突き放して逃げています。
シンドウジーエルが単独二番手の位置で三コーナー坂の頂上そして下りへとかかります。
ダイワスカーレットは三番手残り800を通過。
そしてその後に、シャングリアナロ続きます。
そしてその後に、ツキヨナガイヨルが追走して中団から後方よりにまz…なります。
ベイリーブヘイロ、更にはシズカナイアンと続いておりまして、そして後はマイナーリサイクル間において外からヴィンシエル、内からは10番のキンオットシンパという体勢です。
さあ各バが第四コーナーカーブ、2番のシンドーストライキのリードはまだ六馬身から七馬身、単独二番手の位置はシンドウジーエルが追走しています。
ツキヨナガイヨルが後ろに着けるのははっきり言って予想外だった。
でも、これまでのレースを考えれば好都合。
他はトレーナーの示していた行動予測の範囲内。
これなら、勝てる。
右足を深く地面に叩きつけ、足のバネに力を溜める。
◢◤◢◤◢◤Wind of Scarlet◢◤◢◤◢◤
=========
そろそろ仕掛け時か。
スカーレットの一挙手一投足に意識を集中させる。
私の唯一の勝ち筋、前回のブラフの時にわざわざ隠した二つの要素。
一つは
スカーレットの体勢が大きく沈む。
スパートの予備動作──今だ!
◢◤◢◤◢◤Forever Night◢◤◢◤◢◤
Γυάλινο δαχτυλίδι, η υπόσχεση εκείνης της ημέρας
◢◤◢◤◢◤Forever Night◢◤◢◤◢◤
ダイワスカーレットが三番手から二番手に接近ツキヨナガイヨルが外をついて追い込んでくる!
ベイリーブヘイロ !
そして今度はソントハ先頭は1番のシンドウジーエルに代わりました!シンドウジーエルに代わりました!
今度は外をついてダイワスカーレットと!ツキヨナガイヨル!
ダイワスカーレット!ツキヨナガイヨル!
今度はわずかに外からツキヨナガイヨルが前に出た!
ツキヨナガイヨルが前に出た!
ダイワスカーレットが二番手!
ベイリーブヘイロ三番手争い!
先頭はツキヨナガイヨルゴールイン!
ダイワスカーレット二着!
遅れて三着はベイリーブヘイロか!
シンザン記念!ツキヨナガイヨルが制しました!
...確定が灯りました。
一着はなんと7番、ツキヨナガイヨル。
二着、8番ダイワスカーレット、一と二分の一バ身差。
三着、5番ベイリーブヘイロ、ニと二分の一バ身差。
四着、1番シンドウジーエル、一と四分の一バ身。
五着、6番シャングリアナロ、ニと二分の一バ身差。
以下、画面の通りとなっております。
...さてVTRは第四コーナー直後、ダイワスカーレット走者とツキヨナガイヨル走者が同時にスパートをかけたシーンですが..........」