展望台にたどり着くと、満月の月明かりに照らされて、柵の手すりに体重を預けた一人のウマ娘のシルエットが浮かび上がっている。
「淑女を待たせるなんて、相変わらずそういうところは変わらないのね。」
「こちらは約束の時間丁度です。貴方が早く来すぎただけでしょう。」
彼女はこちらを一瞥もせずに眼下へ目線をやる。
無防備だ。突き飛ばしてしまえば、それだけで色々と解決する。
「恋する乙女は浮かれて早く来てしまうものよ。
義姉様に相手が早く来ることも勘定に入れるよう教わらなかったかしら?」
「貴女のためにそこまでする義理はありません。」
...いや。流石に、そこまで身を堕とすわけにもいかない。
それに、こんなことの為に姉さんの手を煩わせることも避けたい。
「酷い人。仮にも許嫁の仲でしたのに。」
「家の都合でしょう。
家の名を捨てた今、貴女とは赤の他人です。」
「ますます酷い人。一時期は私を導いてくださったのに。」
「一週間半程度の事です。どう表現を尽くし譲歩しようと、せいぜい面識がある程度の間柄でしょう。」
その件自体、家のレース教室にお世話になったからに他ならない。
ナガイヨルがゆっくりとこちらへ振り向く。
「..........今日はそちらの姿でしたのね。
貴方様のお顔が拝めなくて悲しいですわ。」
「夜月のご令嬢は我が儘でいらっしゃる。
育ての親の顔を見てみたいものです。」
小さくため息をつき、面を外す。
「あら、私に優しくするなんて珍しい。
明日は雪だるまでも作ろうかしら。相当大きなものが作れそうね。」
「残念ながら明日は晴れの予報ですよ。
最大限の譲歩です。こちらの方が、貴女も諦めがつきますでしょう?」
「諦めがつかないと言えば?」
挑戦的に微笑むナガイヨルを睨みつける。
「是が非でも諦めていただきます。」
「義姉様に似て強情ですこと。」
「強情なのは貴女もでしょう。」
トレセン学園で再会してから早くも8ヶ月近く経った。その間何度拒否しても契約を持ちかけてくる相手に言われたくはない。
「...私はもうあの家の人間ではありませんし、縁談の話だってとうに消えています。
今の私にとって貴女は、昔を思い出す地雷にして、余計な事を口走りかねない危険物です。近くに置きたくはありません。」
フン、と彼女は鼻で
「義姉様だってそれは同じことでしょう?
それに、そんな危険物なら手元で管理するべきではなくて?」
実際、できるなら飼い殺しにする方が都合がいい。だが。
「それができるようになるのは専属契約の継続経験が3年以上のトレーナーのみ。ご存知でしょう?」
担当を二人受け持つには、最低でも三年間は担当を一人受け持っていなければならない。
まだスカーレットと契約してから一年も経ってはいない。到底無理な話だ。
「...解消してしまえば解決しますのに。
私の何が不満ですの?
実力も十分、貴方の立ち位置も知っている、私を見ていただけるという対価だけで服従だっていたします。都合がいいではありませんか。」
確かに、夢を果たすためだけなら都合は良いのかもしれない。でも、目的にはこれ以上ないくらい最悪の人選だ。
「ああ、それとも...ンンッアンタにはこっちの方が好み?
ンンッそれとも、こっちですか?」
小さな咳払いと共に、声色と口調がころころ変わる。
「スカーレットと...もう一つはあの頃のですか。そういう問題ではありませんよ。」
好みで選んでいたと思われるのは心外だ。
「では理由をお聞かせいただいても?」
自分に対して執着心を向けていること。
...と言ったところで納得されないか、余計な事まで理解されてしまうか。どちらにせよ面倒。
「まあ、貴女が納得してくれる様な理由をわざわざ探すとすれば...念のために質問ですが、貴女の目標は?」
「貴方にこの手を取っていただくこと。」
そう言って、彼女はその手をこちらに伸ばす。
やっぱり、と言うかなんと言うか。
「想像通りで期待はずれな回答ありがとうございます。
その言葉こそが私達が相容れない事の証左でしょう。」
向いている方向が違う。厳密に言うならスカーレットと自分でも方向は少し違うが、ナガイヨルとはまず間違いなく正反対になる。
「私の目的、スカーレットの目標、そして私達それぞれの夢はレースで勝ったその先にあるもの。
でも、貴女の目標は違う。」
「...それは.......」
ナガイヨルの視線が下に逸れる。
「貴女はご存知の筈。昔の私を、未だ私の心の奥底で燻り続けるものを。
貴女に、この炎は消せやしない。」
ナガイヨルはため息をつき、しばらく夜空を見上げた。
やがて、決意したように息を吐き、こちらに向き直る。
その瞳には確かな敵意の色。
...わかってくれたようで何よりだ。
「わかりました、それが今の貴方の答えですのね。」
こちらを睨む目尻が潤んでいる。
...強くなった。あの頃ならもう滴は溢れていただろう。
「お陰様で、丁度今心から勝ち取るべき目標が定まりました。
後悔させますわ、必ずや。」
そうさせたのは自分だ。
...だからこそ、なおのことこの道を引き返す訳にはいかない。
「そうですか。
楽しみにさせていただきます。」
「こちらこそ楽しみにしておりますわ。
それでは。」
短く言い残し横をすり抜けて、ナガイヨルは山道を駆け去る。
どうか、恨んでくれ。憎んでくれ。
僕の夢を、破ってくれ。
山道を駆けながら、携帯のテンキーを叩く。
『...どうだった?』
ワンコールが終わるとほぼ同時、携帯の向こうからトレーナーの声が響く。
「...トレーナーさん、戻ったらすぐにお話させてください。
今後の方針にも関わるので、タキオン先生も呼んでおいて頂けると。」
『...今何時だと思ってるのさ、普通に考えて先生達もう帰ってる時間だよ。』
電話越しに、トレーナーの呆れたような声が届く。
...そう言われればそうだ、もう19時を回る。
学校の先生は大体帰ってる頃合い、流石に無理。
なら、明日朝一で...
『...なんて、そう言うと思って予め確保してあるよ。
早く戻っておいで、門限前に話をまとめちゃおう?』
トレーナーの声が優しいものに変わる。
今は少し、その優しさが心に痛い。
「...お心添え、感謝します。」
礼を返して通話を切る。
ため息と共に滴が溢れる。
意気地無し。
手を取ってくださらない位なら、せめて突き飛ばしてくださればよかったのに。
神様は残酷だ、なんて昔からよくいう事だけれど。
私には、そろそろ耐えきれそうもない。
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『次のニュースです。
本日未明競走ウマ娘のツキヨナガイヨル走者が、ティアラ路線への方針転換を発表しました。』
テレビから聞こえてきた言葉に、思わず手を止めて画面に目をやる。
『今回クラシック路線からティアラ路線への転換を発表したのは、先日のシンザン記念で勝利しましたツキヨナガイヨル走者。
なお路線の転換に伴い、西野空トレーナーとの契約を解消、先日復職しました西野花トレーナーと専属契約を結んだことを同時に発表しております。
これには方針転換に伴い、桜花賞制覇経験を持つ彼女の───』
「...本当にティアラ路線に来たわね。」
ニュースを見ていたスカーレットが呆れたように言葉を漏らす。
あんなことを言ったからにはそうもするだろう。予想は出来ていた事だ。
「...どっちにせよこっちの予定に変更は無いから、放置でいい。」
トレーナーを策謀に長けたトレーナーから正統派タイプのトレーナーに変えた以上、彼女がウオッカに先着することはまず無い。
なら、こちらはウオッカより先着すれば良い。
「それよりもこれを見てほしい。」
スカーレットに資料を差し出す。
「レース全体のタイム自体は非常に良くなった。この分ならチューリップまでには互角にできる。」
「でも、別の問題が同時に浮上してきている。
シンザン記念の上がりタイムの一覧、下のはウオッカの模擬レースでの上がりタイムの記録とその中央値だ。
できればウオッカの方も公式戦のを出したかったが、如何せん向こうは今月が休みのローテーションだから仕方ない。
...さて、見てて気づくことは?」
数秒を置いて、スカーレットが顔を上げる。
「...二人とも、33秒台前半。
アタシだけ後半ね。」
「そう、一般的に差しウマ娘や追い込みウマ娘には末脚に輝くものがあるとされているとはいえ、これは相当に大きな差だ。
芝での0.5秒は3バ身にあたる。こうなればよーいドンで同時にスパートすれば当然勝ち目は無い。
この前のシンザン記念は徹底マークからそこを突かれた。」
「...つまり、末脚のキレを良くするわけ?」
スカーレットの言葉に首を横に振る。
マイルで上がり三ハロン33秒台なら十分速い方ではある。後方脚質ならともかく、前側脚質のスカーレットがこれ以上磨く意味は薄い。
「差しに転向したいなら止めはしないが、君にも僕にも不向きだね。」
「違うのね。」
スカーレットは数秒考え込んで、再び顔を上げる。
「...じゃあ、契約してすぐの模擬レースの時みたいに、スパートそのものを長くするってこと?」
「正解。ついでにその末脚を生かすため、より前に出る。
先行に近い逃げに転向、ってところかな。」
そこからレースによっては正統派な逃げや大逃げ等に発展させる。
「...ただ正直、それで勝てるか、と問われるとはっきりとは答えられない。
君の末脚は厄介なんだ。
...いやまぁ、同じことは君の末脚以外にも言えるんだけど、どこを取っても在野のウマ娘の非凡な部分と並ぶだけの能力はあるんだ。
...代わりに、これぞという武器がすこし弱い。」
どう説明したものか。
スカーレット位の年の子にはゲーム的な説明の方が分かりやすいか。
「例えば...一般的な末脚の能力をC、その非凡な部分をBと置こう。
ウオッカやツキヨナガイヨルは基礎能力はB位、非凡な部分がSなんだ。
だが、君は基礎能力がB+で...おそらく、抜きん出た部分は良く見積もっても精々A+。
僕が勘違いしてた理由は主にこれ。
こうなると抜きん出ている部分の勝負を押し付けても、向こうも同じように非凡を押し付けてくるから最終的に競り負ける。」
安定感はあるけど爆発力はない。...いや、有るには有るのだけれど仮想敵の二人には劣る。
その上で勝つには、上がりを多少落としてでもスパート距離を伸ばして、安定感の部分を強引に押し付ける。
「...だから、こちらは基礎能力の高さを押し付ける。
それが今僕に考えられる最善策。」
「頭に筋肉が詰まってそうな最善策ね。
...勝算は?」
スカーレットが呆れ混じりといった顔で応じる。
「仮想敵をウオッカとするなら、今の走り方より勝率は幾分かマシになる。
シニア級のウマ娘相手は焼け石に、だけど。」
ため息。
「...じゃあ、そうするしかないわね。」
「放課後はその為のペースの調整から始めよう。
解散。」